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聴かせる音色
雑居ビルの地下に佇むモダンな雰囲気が漂うお洒落なジャズバー。クラックコンサートなどとは違い、もっと気軽に音楽とお酒を楽しめる場として、テーブル席数カ所とバーカウンター、入口から正面奥には演奏スペースが設けてあった。
数名の客の視線を浴びながらも久しぶりに弾き終えた演奏に深々とお辞儀をする。この店には悪酔いするような下世話な客などはいなく、温かみのある拍手が店全体に響き渡った。
完治してからの演奏が緊張するのは当然のとこで、壇上から降りると安心感からか深く息をついていた。
お酒を飲みながら程よく心地よく聴いていられるような選曲にしたし、我ながらもまずまずの出来。今まで通りかどうかは分からないが批判の声は出ていないので可もなく不可もなくと言ったところだろう·····。
舞台の机上に置いていたケースに楽器を仕舞い、大樹はそのままカウンターまで足を運んだ。店主であるハーフアップに結われサイドを刈り上げられた髪型。口元の髭を生やした男に「今日はありがとうございました」と挨拶をする。男は|筒尾《つつお》と言ってこの店の店主で母の音大時代の後輩。
最初こそ、母親の知り合いと訊いて今まで見てきた音楽家達のように近寄り難いイメージを持っていたが、予想に反して気さくな方だった。
それに、店主の人柄は大樹にとっては行き慣れたアトリエを彷彿とさせ、母親の配下であっても差程億劫さは感じていない。
「大樹くん、久しぶりにしては良かったよ」
「お褒めの言葉を頂けて光栄です」
「麗子さんが心配していたみたいだからさ、怪我完治してよかったね」
「はい、おかげさまで·····」
しかし、時折麗子の話を出されると表面では取り繕っていても内心は苦笑ものだった。
苦手な人ではないが、やはり長山と繋がりがあるこの業界は身構えてしまう。
筒尾は慣れた手つきでお酒を作り、3席程隣のセミロングの自分より少しだけ年齢が上そうな、品のある服装や化粧をした女性に提供する。その傍らで彼女と目線が合い会釈をすると「貴方の演奏素敵だったわ、私は静香よろしくね」と称賛と軽く自己紹介をされたので大樹も御礼と自分の名前を名乗った。
此処は大樹のような大学生や音大生をはじめ、無名の演奏者やシャンソン歌手なども此処のバーで活動していることが多い。
彼女の、この人もまた、音楽をやっていて、大樹が演奏する前にチェロやアコーディオン奏者と共に持ち前の歌を披露していた。
「ねぇ…マスター、あそこにいるのってあのピアニストの藤咲尚弥くんだよね。マスターの知り合い?」
透き通るような声で筒尾に問いかけた彼女が店内のステージから一番遠い壁際の座席で一際目を引いている藤咲の方を一瞬だけ見遣った。
場所が場所なだけに騒ぎ立てるような熱狂的なファンがいる訳ではないが、ヒソヒソと話している客は何人かいるので気づいているのであろう。
大樹が演奏中に最も緊張を煽った人。
普段人前での演奏に過度な緊張は感じなくとも今日ばかしは復帰後の演奏と藤咲が鑑賞しているという意識から本番前は手に汗握るほどだった。
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