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壇上を降りてからも微かに藤咲の視線を感じてはいたが、大樹は会釈のひとつでも目を合わせることが出来ずにいた。全く自信がなかった訳ではないが、自分の大したことのない演奏で藤咲の期待を悪い意味で裏切ることになってしまったのではないかと危惧してか、避ける形になってしまっていた。 「さあ、俺の知り合いでは無いな。それにしてもそんな有名人が此処にお忍びで来るなんて珍しいな·····」 「あたしサイン貰っちゃおうかなー·····藤咲くんって佇まいから何まで気品があって素敵よね」などと此処に居てもやはり業界の有名人である藤咲のことを話す二人の間を割るようにして「藤咲くんは·····俺の知り合いです。幼い頃からの友人で·····」と当たり障りのないように説明すると二人に吃驚された。 キリのいいところで話を切り上げて、二人の元から離れると藤咲の待つ座席へと向かう。 藤咲の元へと近づく途中で視線がかち合ったが、逸らしてきたのは藤咲の方からでテーブルの下で両手を組んでいた。その様子から藤咲の俺に対する警戒心は未だに少なからずあるのだろうと伺える。 舞台上を眺めながら楽しめるようにと横に並べられたテーブル椅子に「藤咲。今日はありがとうな。まさか藤咲が本当に来てくれると思わなかったからさ」と声をかけながら座ると「行くって約束したのは僕からだし·····」と小さく呟いてきた。 「そうか·····だよな」 「あの人は·····知り合いなのか?」 藤咲にあの人と問われて誰のことかと首を傾げたが、先程カウンターで話していた人物のことだと諭すと「ああ、マスターは母親の大学時代の後輩なんだ。その伝で弾かせて貰ってるから挨拶したくて」と告げた。しかし、質問の意図が検討違いだったのか藤咲は怪訝な表情を見せると「そっちじゃない·····女の方」と訂正してきた。 「初めましてだよ。彼女の歌声、素敵だったよな」 藤咲の言葉でようやく先程挨拶を交わした静香と名乗る女の事だと理解する。正直に話しただけだったが藤咲の表情は変わらずにそれどころか「ふーん、あんたってあんなのが好きなのか?」と酷く冷めた目をしている。 別に特に特別な感情を抱いて発言したつもりはなかったが、変な勘違いをさせてしまったらしい。 「好きというか·····彼女の歌声がいいよなーと思っただけで、彼女自身にこれと言った特別な感情はないよ」 大樹が藤咲の誤解を解いてやると彼の耳朶がみるみるうちに赤く染まっては「あんたの演奏·····ブレブレだった」と勢い良く顔をあげ、紅潮させながら酷くご立腹のようだった。 「音にムラがあったし、こっちまで緊張伝わってきて、あんた自身が気を張ってるからこっちも安心して聴いてられなかった·····手首だって全然しなやかじゃないし、ロボットが弾いてるのかと思ったくらい。楽しんで弾いていないのがまるわかり。凡人なら誤魔化せても僕の耳には誤魔化せないっ」 何かの拍車が掛かったように藤咲に詰られる。彼からの大批判にも拘わらず、大樹は全く不愉快な気持ちにはならなくて、寧ろ控えめに声を上げながら「やっぱり藤咲は見逃してくれないかー」なんて笑う。 詰りながらも自分のことを良く観察してくれていたのが伝わってくる藤咲の態度が何処か可愛いく思えて慈愛の眼差しを向けていた。

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