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「それは·····」
自分が音楽よりも天文文学に興味があることは事実なだけに、嘘をつく訳にもいかずに言葉を濁していると「僕も父親もさ·····あんたみたいに音楽のこといつも楽しそうに語ってくれていた·····」と何処か遠い目をしながら藤咲が話始めた。
優しかった光昭さん。
自分は家族パーティの時に見かけるくらいで直接的に彼と関わる機会はなかったけど、常に優しくてにこやかなイメージはあった。そんな人が兄の心を奪い、優しすぎた故の行動が家庭を壊してしまうなんて·····。
「楽器は心で弾くことによって、嬉しいも悲しいも分かるんだって。だから、心から楽しむんだって教えてくれた。僕はそんな父親が大好きだったし、尊敬してたんだ。あの女も含めて家族三人で暮らしていた時が一番幸せだった·····」
「本当にそれはすまなかった·····」
何度頭を下げたって藤咲に負わせてしまった傷が癒えるなんてそう容易いことではない。
「あんた何回謝れば気が済むんだ?それはもういい」
そんな大樹を見て呆れた口調で放ったが、
執拗いと思われようともこの件に関しては下げずには居られなかった。
「僕こそ·····この前は取り乱してしまって悪かった·····」
頭上から降りてきた藤咲の言葉に頭をあげると両手を強く握り、一点だけを見つめては神妙な面持ちでゆっくり言葉を紡ぎ出す。
「何時までも|宏明《アイツ》を恨んだところでもう元には戻らない、事実は変わらない。だから、アイツが改心したのならお互いのためにも思い出さないのが最良だってことも····分かっているんだ。それに、僕自身もこのままじゃいけないって思ってる·····」
藤咲が宏明のことを許そうとしている·····。
一生ないであろうと思っていただけに一驚したが、決意にもにたその姿が過去の囚われから解放されることを強く願っているように思えた。
「あんた僕に手伝うって言ったよな?」
「ああ、言ったよ」
藤咲が笑顔でピアノが弾ける日がくるのであればと切望しての言葉。どんなに自分が報われない気持ちを胸に隠していようとも変わらない。大樹が深く頷いて肯定すると、藤咲はおもむろに右手の手袋を外すと、今まで外気に触れることのなく守られていた、白くて細長い素手を差し出してきた。
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