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こんな公の場でする話じゃない。
幸い陽気な演奏で会話はかき消され、お店に音楽を楽しみに来ているお客には気づかれていないようだったが、これ以上麗子の熱が上がれば迷惑をかけるのは目に見えていた。
大樹は「麗子さん、一先ず出ましょう」と宥めて店の出入口の方へ連れていく。
麗子のことだから、きっと高崎を待たせてるに違いない·····。
案の定、店の外に出ると外階段を上がった目の前には見慣れた車が歩道に横付けされていた。その隣には高崎が主人の帰りを待ち構えていたかのように後部座席のドアの前に佇んでいる。大樹は高崎に麗子を任せて、置き去りにしてきてしまった藤咲の元へ戻ろうとしたが、車に乗り込む寸前の麗子に手首を掴まれてしまった。
「あの男の元へ戻ることは許しません。大樹さんも乗りなさい」
麗子に鬼のような形相で睨まれ、昔に刻まれた習えからか、全身が痺れるように恐怖で戦く。本気で激怒しているときの麗子は怖い·····。
助けを求めるように高崎と一瞬だけ目を合わせたが、彼もまた麗子の忠犬なだけあって静かに頷き「大樹様」と乗車を促すだけだった。
どんなに植え付けられた支配下から逆らうことを恐れようとも店の扉が閉まる間際に見た藤咲の目は死んだ魚のように焦点が定まっていなかった·····。
一人にして放って置く訳にはいかない。
麗子の顔色を伺って、何でも麗子の言う通りに従っていたあの頃と違う。ちゃんと自分には藤咲を守りたいという意思がある。
大樹は「すみません、彼を放っておくことは俺にはできません」と麗子の手を振り落とすと一目散に店へと戻った。
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