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同時に、少しでも日本を恋しいと思っているのなら、ヨーロッパに移住することを考えなおしてくれたりしないだろうかと渇望していた。
「藤咲·····このまま此処に住むつもりか?」
先程のように藤咲を困らせぬようにと包丁作業をしながらそれとなく問うたが、藤咲は手を止めるとハサミを置いた。
「あんたはどう思う·····?」
「どうって·····」
「僕が日本を離れるって言ったら」
黒い瞳が大樹を捉えて逆に問い返されてしまい、狼狽える。瞳からじゃ読み取ることの出来ない藤咲の心理·····。藤咲は自分にどのような返事を望んでいるのだろう·····。
大樹自身の中で答えはひとつしか無かった。
藤咲には日本を離れるなんて選択をしてほしくない·····。
「それは·····困る。藤咲には日本にいてほしい·····」
「なんで?誰が困る?」
「それは·······」
大樹が言葉に詰まっていると藤咲から次から次へと煽るように問いかけられる。大樹は藤咲に試されているような感じがして頭をフル回転させては言葉を発するのに必死だった。自然と包丁を持つ手が震え、柄を強く握る。
「それは·····それは俺が·····好きな人には傍にいてほしいと思っちゃダメか·····?」
藤咲へ好意を寄せれば寄せるほど彼の心を乱してしまうと分かっていても、嘘はつけなかった。藤咲を真剣に見つめていたが、彼の目は伏せられ、口元を歪ませては何かを堪えるかのように右手腕を強く掴んでいる。
「·····あんたから離れるのも悪くないかもな·····」
本心なのか、藤咲の中で何かをひた隠しているのかは明確ではなかったが、静かに呟いて作業に戻った藤咲の瞳が寂しく揺れた気がした。藤咲の様子から「それは本心か?」などと詰め寄りたくなったが喉元まで出かけて引っ込める。
「藤咲が決めた事なら俺は背中を押すよ·····。
俺の事を無理に好きになれとは言わない·····」
結局自分は藤咲への想いを伝え、待つしか出来ない。複雑な藤咲の心を詠みといて導くスキルなんてエスパーでもない限り無理な話だ。諦めず彼に訴え続けていても藤咲自身が俺とどうありたいか、全て決めるのは彼自身であり、静かに委ねることしかできなかった
。
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