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21-13

藤咲と初めて出会った日、お互いに余計な感情など持たず純粋に肩を並べて好きな曲を弾き合っていたあの時·····。 慎重に腰を下ろしては一息吐くと隣の藤咲も大樹が座ることに身構えていたのか、安堵の息とともに肩が下りる。 「藤咲、無理だったら俺が立って弾いても·····」 「いいから·····早く弾いて」 両手指を股の間で組んで慄然としている筈なのに痩せ我慢をしているのか、早く弾くように促される。大樹は隣の藤咲との距離感を気にかけながら鍵盤に右手を置くとラの鍵盤を押す。一音出したことで勢いづいた大樹はメロディラインを弾いてく鮮明に覚えてる初めて藤咲の前で弾いたカノン。 暫くすると藤咲が右手の鍵盤に両手を添え大樹の独奏に自然と入ってきた。最初こそこの指先に触れてはいけない緊張感で頭がいっぱいになりながら指を動かしていたが、次第に 耳から伝わる音色に·····音楽に心が安らいでいく。 身体が思い出したかのように大樹も左手を鍵盤に添わせ四重奏を試みると弾いていて心が弾んだ。 藤咲も同じ気持ちで弾いてくれているだろうかとふと鍵盤から顔を上げ、隣を見遣ると口許を綻ばせ、優しい表情で弾いていた。 凄く懐かしくも、藤咲によって彼と奏でる音が楽しいものだったと教わったことを思い出す。 やはり藤咲のことを好きな気持ちは変わらない·····。1音1音重ねる度に募る想いに苦しくも心地良ささえ感じていた。 藤咲を想うあまり余裕が無くなり、自分の気持ちを受け入れてほしい感情に苛まれていた心が浄化されるように俺は藤咲と·····好きな人とこうやって楽しい時間を過ごしていたかったのだと気付かされた。 もっと大事にしたい·····でも、もう藤咲とは最後になるだろう。演奏を弾き終えて、感極まった大樹は藤咲を強引に引き寄せると優しく抱きしめては、温もりの余韻に浸る間もなく離れた。 「ごめん·····凄く懐かしい気持ちになったのが嬉しくて·····」

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