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演奏中を気遣い、静かに入った店内。 目線のずっと先のステージに立って演奏していたのは大樹·····ではなく、ショートヘアーの淡い白藍色のワンピースを着た女性だった。 聴いた時はドアが隔っていて細かな音色まで聞き取ることができなかったが、よく耳を澄ませれば音を聞いただけでも大樹の音色とは明らかに違う、自己主張の激しい自信に満ち溢れた演奏。 大樹のは、どこか頼りないような気持ちの定まりがない不安定さが滲みでているから·····。 ステージを囲う座席を見渡してみても大樹らしい後ろ姿は見えなかったことからどうやら此処には大樹は居ないようだった。 完全に大樹は店にいるものだとばかり思っていたから、扉を開く前に抱いていた期待は消沈していく。尚弥は肩を落とし、踵を返そうとしたとき、「藤咲くん」と小声で呼ばれた気がして立ち止まり、振り返ると、バーカウンターの方から、髪の毛をサイド刈り上げのハーフで結った男、店主である|筒尾《つつお》に手招きされていた。 正直、大樹がいないのであれば此処にはもう用はないのだが、呼び止められてしまった以上、無視するわけにもいかない。 それに、以前倒れた時に介抱し、早々に店じまいをして休ませてくれた恩がある人物だった。 尚弥はカウンターに近寄ると軽い会釈をすると、手前の椅子に促されたので腰を掛けた。 「藤咲くん、久しぶりだね。あの後体調はどう?」 近所のお兄ちゃんのように気さくに声を掛けてくれる筒尾に安心感を覚える。 藤咲尚弥と聞いて白々しく腰を曲げて、ごまをすってくるものもいるので 尚弥の中では筒尾の分け隔てなく接してくる態度は好感を持っていた。 こんな人が厳格な大樹の母親の後輩であることが不思議だが·····。 「特に問題なく·····その節はお世話になりました」 「それはよかった。僕も全部を見ていた訳じゃないけど、麗子さんの怒鳴り声、聞こえてたから相当キツいこと言われたのかなって心配してたんだ·····」 筒尾は苦笑を浮かべながらそう話す。 麗子の言葉と共に鋭利なもので刺されたような痛み生じた。自身でも、彼女に好印象を持たれていないこと、お互いの家族間で犬猿の仲であることは心得ていた。 しかし、引退をしたとはいえ、彼女は尚弥にとっては業界の先輩にあたる人物だ。挨拶をしないわけにはいかず、全ての元凶はあんたの息子が起こしたことだと責めたくなるのをぐっとこらえて、この場を穏便に済まそうと腰の低い社交辞令程度の最低限の挨拶は交わしたつもりだった。

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