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触れ合えるのであれば

6月の半ば頃、その日は通常の雨天よりつよい雨だったという。国内であれば知らないものはいない指揮者、藤咲光昭(ふじさきてるあき)の自死は業界を震撼させた。各音楽家たちから称賛されていた指揮者であった彼。 表沙汰では、光昭に愛人がいたこと、離婚していたことはひた隠しにしていたが、何処までも真実を突き詰めたがるマスコミは、愛人が長山の兄、宏明(ひろあき)であること、それが原因で離婚したことを意図も簡単にリークし記事にした。 尚弥もそれを知らなかった訳じゃない。 母親が父親の不倫に対して酷くショックを受けている僕を気を遣って、彼女との間で父の話はしなかった。当然父親の葬儀に参列はしていない。 しかし、尚弥にとって父がこの世に亡くなったことの影響力は大きかった。 週刊誌の記事を直接読んだわけではないが、事実はあれども、記者の偏見を交えた内容が書かれていたのは間違いないことは周りの反応から伺える。 コンテストや関係者と関わる機会がある度に向けられる哀れみの視線。 父への批判から同情で声を掛けてくるものもいたが、正直当時の尚弥にはこの件について強い嫌悪感を抱いてだけに、周りの目ですらも疎ましかった。 13歳と多感な時期であった尚弥は、父の話を遠ざけるように常に気を張っていたし、自らも耳に入れることを拒絶する。 それまで有数な名門校へと通っていたが、関東圏にいると嫌でも耳に入れなければならない父親の事件が己の枷となって、高校を上がったのを機に逃げるように母親の実家である山梨県へと移り住み、ごく一般的な学校へと進学した。 あれから8年の月日が流れた。 この時期になると思い出さないわけじゃない。臭いものに蓋をするように、尚弥の中では意識の範疇にはあるけど敢えて思い出さないようにしていた。

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