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偶然なのか必然と言うべきなのか。 本格的に梅雨入りをした6月中旬。尚弥は午後からメディアの仕事があり、銀色の球体が目立つ、大きな建物のテレビ局本社に来ていた。 律と共同での仕事が増えたことで、尚弥にも注目が集まるようになり、テレビの露出も徐々に増えていた。今日は朝のニュース番組のほんの20分程度の枠ではあるが、「今話題の美形の天才ピアニストの」と称されたインタビュー。 周囲には余計なセットのない尚弥のイメージに合った白い撮影スタジオで、女性アナウンサーと正方形の椅子に対になる。話題は近日行ったベルギーでのコンサートの話が主にで、ダニエルとのエピソードや、向こうでのコンサートを終えての心境の変化などを淡々と答えていた。 質問者の彼女も過去に音大生であったこともあり、ダニエルの世界的な表現力の凄さに理解を示し、思いの外対話が弾み、完全に気を許して受け答えをすることができた。 「若くしてダニエルさんにも認めてもらえるのは、やはりお父様譲りの天才肌でいらっしゃるんですね。尚弥さんのお父様はあの有名な、|藤咲光昭《ふじさきてるあき》さんと存じてますが···もちろん尚弥さんもすごいですが、彼、ものすごい表現をされていらっしゃる方で·····」 そんな滞りなく撮影が終わることを現場の誰もが信じて疑わなかったインタビューの終わり際に、心を許し、対話が弾んだことでアナウンサーも禁句な話題であることを忘れてしまっていたのか、不覚にも父親の話題を振られて尚弥の思考回路が固まる。 藤咲·····光昭·····忌々しい過去の記憶。藤咲を名乗っている以上、尚弥にとって切っても切り離すことのできない名前。 尚弥は俯き両掌を強く握り締めた。拒絶したくなるほどの蘇る父親との記憶。 あくまで今は仕事中だ。自分の気分で中断するわけにはいかない。 そんなときは愛しい人のことを思い出し、乱された心を鎮めるように、ゆっくり目蓋を閉じると深い深呼吸をした。 「尚弥くん、大丈夫?」 自分の心に意識を向けていて周りの状況など気にとめていなかったが、 現マネージャーの|桃瀬一也《ももせいちや》に呼びかけられたことで漸く周りを把握できるまで意識が戻ってきた。 静まり返るスタジオに所々で騒めきを見せるスタッフ。中には咳ばらいをし 「あいつ、なにやってんだ」とアナウンサーを非難しては深い溜息を吐く声が微かに聞こえた。その本人である女性アナウンサーは顔を青ざめさせては事の重大さの責任を負っているようだった。 桃瀬に「その話はNGだと予めお伝えしたはずです。別の話題を振るようにお願いします」と厳しく指摘されたことで、彼女は深々と頭を下げて謝罪をしてきた。不本意だったとしても彼女から悪意のようなものは感じなかったし、彼女の態度から純粋にクラシックが好きだから故に、父の偉大さを褒め称えただけであることは伝わった。 父親としての彼は失格かもしれないが、音楽家としての彼は尚弥自身も尊敬に値する。 「大丈夫です。僕も父のことは表現者としては尊敬してますし、彼から学んだことも沢山あります。なので気になさらないで下さい。只、深く触れないでいただけると助かります」 目を細め笑顔で返すと彼女も尚弥の発言によって心が救われたのか、胸を撫でおろした様子を見せた。前の僕だったらこんなこと言えなかったと思う。 過去と上手く付き合うことが出来ず、撮影を中断せざる負えなくなっていた。 これもあの人が傍に居てくれる安心感からだろうか。 尚弥が絆した空気によって気を取り直すと、インタビューが再開された。

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