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皮肉を込めてそう返してやると彼女は「そう·····」と声音を落として少し落胆しているようだったが、悪気はあってもあんたが僕にしたとこに比べればと思えば情けなど湧かなかった。
両腕を組んで最上階数からゆっくりと数字が点滅していく様を見届けながら、彼女との沈黙が続く。
「いま、大樹君が一緒なのよね」
大樹のことなど話した覚えがなく、ギョッと目を瞠ったが、すぐに「ごめんなさい。桃瀬くんから聞いたの」と情報の漏洩先を明かされて納得する。アイドルでもないので私生活の行い、交友関係、恋人関係に厳重注意を受けているわけではないが、恋人の有り無し、誰と暮らしているかくらいはマネージャーの桃瀬に逐一報告することになっていた。
それが母親の恭子にも筒抜けになるとは思わなかったが、この女に知られたところでだ。
「だから何」
「·····あなた、顔の知れた人が作ったものしか食べられないでしょ。その様子だと大樹くんには心開いているようね。大樹くんなら少し安心ね·····」
確かに大樹が同居するようになってから、三食きっちりバランスの取れた食事をとるようになり、心にも余裕が出てきた気がする。
それまでは、一日一食なんて日常茶飯事。自炊をしない癖に心知れた人の料理じゃないとまともに口にできない。
恭子と蟠る前は彼女が作り置きしてくれていたものを食べていたが、あれ以来この女の料理にすら虫唾が走り、口に運ぶのを拒絶するようになった。
それからは、冷凍食品や真空パックのレンジで温めて食べれるものを。最近では作曲や練習で根詰めていたこともあり、手早く軽く食事を済ますことの出来る、特定用健康食品に頼りがちだった。
「でもいつまでも大樹くんに頼ってばかりいられないでしょ?大樹くんだって彼の生活があるんだからいずれ出ていくことだって·····」
僕らの事情は知らないにしても勝手なことを言って母親面してくる|恭子《おんな》が鬱陶しい。共に生きると約束したのだから大樹が出て行くことなんてあり得ない。
「今更、おふくろ面すんのやめて。強迫性障害なんか持った面倒くさい息子の世話から解放されて清々してるんだろ。迷惑かける気なんてないから、あんたはあんたで勝手にやっとけば」
その先の話など聞きたくもなく、遮るように恭子に対する侮蔑から彼女に強く言い放つと、痛い気な表情をして此方を見てきては、「そうよね。尚弥は立派な大人なんだから大丈夫よね」と目を細め、ぎこちなく口角が上げた。
同情でも誘っているのかと皮肉りたくなり、
この女といると自分のどす黒い感情が湧き上がってくる。
そんな恭子の姿を見て見ぬフリをしていると待っていたエレベーターが到着し、扉が開かれる。既に乗っていた数名が降りてくるのを待ってから、箱の中へと乗り込むと「あんたは後からにして」と冷たく突き放すと、恭子が乗り込むのを待たずして、閉まるボタンを押した。
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