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扉が閉まり、一人になった事で恭子の表情から読み取れる気持ちの変化に実母でありながら少し冷たくあしらい過ぎたかと反省した。
元を辿れば、恭子が宏明を調律師として受け入れなければ彼女を軽蔑することもなかった筈だと自分を擁護してみても虚しいだけで、実母だからこそ余計に素直になれずに、自ら折れるのは尚弥にとってハードルが高かった。
それに宏明のことがなければ今こうして大樹と暮らす未来はなかったのだというのも事実。
上昇していく箱の中でそんなことを紋々と考えていると、エレベーターが軽快な音を鳴らし目的の階層まで到着したことを告げる。降りてから角を曲がった正面の小会議室へと入ると、当然桃瀬の姿はなく、木製の天板のテーブルと2席ずつ向かって並んでいる椅子があった。尚弥は入ってくる桃瀬を目視できるように扉と対等の位置にある、奥の座席へと腰を下ろしひと息ついた。
すると、暫くしないうちに二回ほどノックされた後に桃瀬が入ってくる。
「ごめんね。わざわざ引き留めて。レコーディング調整もあるから先方がどうしても今日中に返事ほしいみたいでさ」
「いいえ、僕も律さんの曲は楽しみにしてたので、早くデモ聞きたかったです」
尚弥が会議室に入るなり冷房はつけておいていたものの、今は梅雨の真っ只中の上に数分前につけたばかりで室内は熱気がこもっている。じめっとした暑さに耐えかねた桃瀬は額をハンカチで拭いながらも「少しだけ空気入れ替えていい?」と提案されたので、尚弥は「どうぞ」と頷くと真っ先に窓を開けていた。
尚弥の斜め向かい側に座り、早々にノートパソコンを開いては、タッチパッドを使って操作を始める。つとパソコン画面に目線を落としていていた桃瀬と目が合うと「そういえば…」と何か思い出したかのように問い掛けられた。
「今、エレベーターで恭子さんに会ったよ」
先ほど尚弥が同乗を拒否したので恭子と桃瀬が出くわしていてもおかしくはない。
「ああ、僕も久しぶりに顔を合わせました」
あの女が桃瀬に余計なことを吹っ掛けたのではないかと、危惧はしたが嘘をつくような程後ろめたい話でもないので正直に話す。
「そっか、ちゃんと親子で話できた?恭子さん、君のことかなり心配しているみたいだったからさ」
数十分前に交わした恭子との会話が自然と反芻する。
あれを心配と捉えていいものなのか。
いつまでも大樹に頼ってばかりいられない……分かっている。
だから自分でも改善しようと手袋を止めたり、必要以上に手を洗うのを我慢出来るようになった。
大きなお世話だ。そんなに心配するくらいなら僕を裏切るような真似などしなければいいのに……。
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