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「本当にいいのか?」 運転席の大樹が尚弥の身を案じる様に問うてくる6月下旬の週末。 「うん」 尚弥は大樹の問いに頷くと、深呼吸をした。自宅から左程離れていない場所にある山梨との県境にある町。緑の多いこの町に来た理由はただひとつ。|宏明《ひろあき》に会うためだった。約一週間前、アルバイトへ行く前の大樹を引き留めて「車代は僕が出すから、来週末あんたの兄貴のとこに連れて行って」と頼み込んだ。それを聞いた彼は顰め面をして返答を渋っていた。 無理もなく大樹の兄は過去に二度も自分を襲ったのだ。彼を通じで事は収まり、互いに会わないことが最善だと思っていだが、本当の意味で過去と両親と向き合う為にはこの男を避けては通れないと思った。 かつては自分が慕っていたピアノの先生と大好きだった父親。 父が何故僕ら家族よりもこの男とそんな関係に陥ることになったかくらいは知っておきたかった。 只の怖いもの見たさで提案したわけではないこと、大樹が両親と決着をつけたように自分も未だ微かに蟠る心から抜け出せる糸口を見つけたいことを真剣に話したことで「俺もお前を手伝うって約束したばかりだしな。兄貴ももう前とは違うから」と彼からの不安の色は隠せていなかったが了承を得られた。 自分が律さんに託した楽曲で未来を見据えているように自分自身が後ろばかり、気を取られて枷にしてはいられない。 それからレンタカーを借り、今に至る。 山を登ったところにある隣家も、他の施設も何もない自然に囲まれた木造二階建ての建物。その代わりに細い木々が立ち並び、車の排気音などの雑音が一切ない。強いて言うならば時折、鳥の囀りを耳にしたが、煩わしいどころか心地いいくらいで、音に敏感な尚弥にとってはとても住み心地の良さそうな立地だった。 此処はお世話になっていた古林さんの事務所でそこに宏明が住み込みで働いているという·····。 車を停め、大樹を先頭にして建物に向かう。 今から長年苦しめていた要因の相手と出会うなど、緊張しないわけがない。 緊張で呼吸が浅くなる。途端に自分の体を這ってくる手の感触を思い出しては身震いすると慌てて大樹の服の裾を掴んだ。

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