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あれから宏明も自分に熱心に教えてくれたおかげで10歳になる頃にはショパンの曲は完璧に弾けるようになっていたし、数々のコンテストでは当たり前のように優勝を獲っていた。宏明も上位へ上がることはできなかったが、指導者としての指示は的確で、尚弥も宏明を信頼しているからこそ素直にアドバイスを聞き入れていた。
それが、父親による原動力だったとしても、尚弥をこの世界に惹きこませ、ひとつのことに対する探究心を教わったのは紛れもなく宏明だ。
彼の真剣な表情から決していい加減さを感じない。だからこそ尚弥の中でもやがかる。
暫く弦一と宏明の真剣に作業に取り組む姿を眺めては、一時間程して漸く
宏明がピアノから意識を離し、首にかけていたタオルで汗を拭いながら振り返ってきた。
「尚弥·····」
完全に自分を捕えている瞳に脈拍が速度を上げていくのが体中で感じる。
決して恐怖に慄いてはいけない。
ここまで来たのだからちゃんと向き合わなきゃいけない。
いざとなったら大樹を呼べばいい。大丈夫。
尚弥はどうにか平然を保ちながら、震える身体で会釈をすると宏明は目礼をしただけで直ぐに弦一の方へと逸らされてしまった。
パーティ日の僕を執念に追い回す野獣のような眼差しは消え、どこか遠慮がちの表情は改心したのだと認めていいのだろうか。
少なくとも、先ほどまでの体の震えは治まって、息苦しさもなくなっていた。
「終わったのか?」
「ええ、はい。もしかして五月蠅かったですか?弦一さん、すみません。席外しますね·····」
「いや、違うんだ。待ちなさい。尚弥君に君の姿を見て貰ってたんだ」
さも、僕から逃げるようにガレージの反対側のドアから出ていこうとする宏明を弦一が呼び止める。
「折角、尚弥君が自ら足を運んできてくれたんだ。少し話したらどうだ?」
「弦一さん、僕が話したように僕と尚弥は話さない方がいいんです。僕は彼に衝動的に何か起こしかねないので。散々酷いことしておいてこれ以上は、天国の光昭さんに失望されたくない。尚弥もきっと同じです」
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