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「僕の中では一生あなたの行いは身勝手だと思い続けます」
全て承知しているかのように、項垂れたまま微動だにしない宏明の頭に今の思いの丈を話す。
「でも···もう一度僕のピアノの調律をしてもらえませんか。弦一さんはもう耳の調子が良くないので現場には出れないと聞きました。
僕が日本に帰国してからのあなたの調律。聞いた当時はあなたがやったと知るだけで、姿を見るだけで嫌悪してました。でもそれまでは、弦一さんの技術だと信じて疑わなかった。だから、今度は弦一さんの代わりとしてじゃなくて、弦一さんの意志を引き継いだ、あなたとして。世界的な藤咲尚弥の専属としてお願いできませんか」
宏明がやっていたと知るまで、現地の調律に何の違和感も感じていなかった。それくらい彼の腕はしっかり弦一の教えを引き継いでいる。尚弥としてはこのまま新しい専属を探して転々するより、宏明に頼んだ方がストレスが少ないのは明確だった。
膝の上で握った両手に汗をかく。
この選択が自分にとって最良であるかは分からない、だけど先程の宏明の姿や態度を目の当たりにして、もう一度信じてもいいのでは無いかと思えた。
父親はそんな彼が一生懸命な青年だと分かっていたから、不憫な思いをしている彼が報われてほしい心から自分を追い込む形になってしまってでも、救いたかったのではないだろうか。
尚弥の申し入れを聞いて、双眸が見開かれたかと思えば、額に右てのひらを当て目元を覆う。
「君まで光昭さんみたいなことを……そんなことダメだ……なんで君たち家族は俺にそんな優しくするんだ……君の家族を壊した本人なんだぞ」
震えた声でつぶやく彼の姿は今まで見てきた姿よりずっと弱く感じた。
木製の振り子時計の音がカチカチとなる音だけが響く。唸るように涙をこらえながら答えを見出そうとしてる目の前の宏明を尚弥はただ見つめることしかできなかった。
後ろにいる弦一さんは新聞で隠れていてよく分からないが、どんな心情で聞いているのか今なら漠然と分かる気がした。きっと僕に宏明の姿を見せたのは、未だ光昭さんへの影に縛られている彼が前を向けるようにと親心から来たものなのじゃないかと……。
「尚弥、大丈夫か?」
そんな閑散とし、宏明の声だけが響く事務所の入り口の鈴が急にけたたましく揺れる音がすると同時にドンっと扉が閉まる気配がした。
先ほど宏明がcloseの看板を下げに行っていたはずだから急な来客はないはずだ。尚弥は同時に近づいてくる声に振り返るとそこには車で待っているはずの大樹の姿があった。
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