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「どうしてこんなんなるまで呑ませた」 ぼんやりと揺らぐ視界の中で大樹の不機嫌そうな声が聞こえる。いや、不機嫌というより目の前の律さんに怒っているような·····。 だけどそんなことは、今の尚弥にはどうでもよく、ソファの肘掛に上半身を預けては、聴こえてくる恋人の声にふにゃふにゃ頬が緩んで耳心地がいい。 事の発端は数時間前。鬱屈とする梅雨が過ぎ、じりじりと焼けるような外の暑さと冷房の温度差に疲弊する季節を迎え、ついに律さんに楽曲を提供したミニアルバムが発売し、それから一週間が経った。律自身の力に過ぎないが、オリコンデイリーランキングで1位を獲得し、ミリオン達成したことで、都内某所のホテル会場を一室貸切り、祝賀会を挙げることになった。 会場には律さんはもちろん、事務所の社長、レコード会社の関係者、律さんのアルバムには僕以外に様々なアーティストが楽曲を提供していたこともあり、律さんのアルバム制作に携わった方々が記念を祝して出席してきていた。 コンサートの打ち上げでもさえも参加することを拒んでいた尚弥だったが、今回ばかしは自分も携わってきた楽曲制作なだけに、長居はせずとも純粋に御祝いしたい気持ちから出席する。尚弥が想像している以上に業界のあらゆる人と通じて顔の広い律さんには、ぐうの音も出ない。 尚弥にとってこの手の祝賀会は慣れていない訳では無いし、頻度は多い方だ。だから会場の雰囲気に萎縮することはないが、同業者から向けられる期待や粗相のないようにと常に気を張っているので好むものでもなかった。 しかし、今回は変なプレッシャーなど感じず、純粋な祝いの席だから気楽に来ていいと事前に律さんに言われたことで、過度に身構えて参加する必要もない。 何より、尚弥自身も好んで聴いている、普段は表では顔を明かすことをせず、電子ボーカル音声ソフトを活用してネットに音楽を上げているクリエーターの方も顔を出していて、来て良かったと心底思った。そんなことも相まって、普段吞むことのないお酒を嗜みながら、挨拶をして周り、音楽の話をすることができたことによって、気持ちが高揚し、楽しくなっていた。 音楽業界の圧などかかってない、気軽な会にお酒も止まらなくなった尚弥は二杯目の途中から呂律が回らなくなり、足がおぼつかなくなる。 素面の時は大樹以外には常に警戒心を張っていてもお酒を飲んだことで感覚が狂ってしまったのか、最初こそ口に入れることのなかった料理ですら平然と口に運んでいた。 「藤咲尚弥くんだっけ?曲聴いたよ。初めて作曲したんだって?なかなか素敵な曲だね」 喋ることも億劫になりテーブルの隅で黙々と立食をしていると、見た目は40代くらいだろうか、日焼けサロンで焼いたような小麦色の肌に白い歯が目につく男に話しかけられる。

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