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「信じるも何もあんたが、本意でやったことじゃないって分かってる。その代わり僕の知り合いにヴァイオリン職人がいるから新調してもらってよ。あんたには続けててほしい·····。でも、本当に嫌なら無理にとは言わないけど·····」
嫌いになったわけではないと言われていても、本当にヴァイオリンと決別したかったわけはないとは言い切れない。既に未来を見据えている大樹は、音楽とは違う世界に足を踏み入れているわけだし、大樹と共に弾けたらなんて思ってしまうのは独りよがりの考えかもしれない。
「嫌じゃないよ。こんな中途半端な俺の演奏でも尚弥が聴いてくれていると思ったら嬉しかったし、安心するんだ。だから、お前が望んでくれるなら尚弥
だけの為ならって思えた。尚弥と演奏していたお前の部屋での思い出は俺にとっては宝物のようなものだから」
独りよがりなんかじゃなかった。
大樹もあの時のことを大切だと思ってくれていたことが嬉しいけど恥ずかしくて居た堪れない。
「なんであんたはそんな恥ずかしいこと簡単に言えるんだよ·····」
「本心を言ったまでだ。尚弥のこと愛してるから、好きな人の前ではすんなりくさいセリフでも言えるのかもな」
「そんなのっ·····」
大樹の言葉に負かされ、動揺させられている自分が悔しくて、尚弥は腕を掴んで引き寄せると驚いて目を丸くしている大樹の唇めがけて一直線に自らの唇を重ねた。柔らかい大樹の唇に触れるのが久しぶりすぎて背中からゾクリとせり上がってくるものを感じる。
尚弥が仕掛けたキスに応える様に大樹がベッドに右膝を乗り出してくると背中を支えられる。彼を動揺させるつもりで軽い気持ちのキスの筈が、リップ音を交わらせながら、深く長くを求めてくる大樹に尚弥の方が狼狽えていた。
決して逃げたい訳じゃないが、腕を掴む指先に力が入らず、袖の布を握るので精いっぱいだった。何度も角度を変えながら、口腔内を暴いてくるように舌先が侵入してくる。冷めたキス程度なら遠い昔に何度もしてきたが、大樹とのキスは違う。全身が蕩けそうになる。
「やっと、お前からキスしてくれたな」
舌先を辿り、唾液の糸を引かせながら唇が離れていくと、大樹は頬を赤く染めながら優しく微笑んできた。動物でも撫でる様に髪の毛から好き撫でられるのが余計に羞恥心を煽ってきて、乱暴に手を退ける。
「酔っぱらった尚弥くんは素直で可愛いって律仁 が言ってたんだけどさ、いつになったらその姿俺にも見せてくれんだ?俺的には尖った尚弥くんもいいけど、甘えたな尚弥くんもみたいなー」
大樹の手を払ったことで、彼の悪戯心に火をつけたのか、口元をニヤつかせながらそう問いかけてきた。
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