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【SIDE:L】
12月1日――俺は、怒っていた。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
「佐藤くん! ただいま!」
玄関に顔を出すと、理人さんのアーモンド・アイがキラキラと輝いた。
くしゃっと皺の寄った鼻の頭が、ほんのりと赤い。
今季一番の冷え込みになった今日、吐く息が白く見えるほど寒かったのに、理人さんは驚くほど薄着だ。
思わず抱きしめようと腕を伸ばして、でも、すぐに引っ込めた。
絆されちゃだめだ。
俺は、怒ってるんだから。
「遅かったですね」
「あー……うん、ちょっといろいろあって」
「残業ですか?」
「あー……うん」
「……」
理人さんは、嘘が下手だ。
視線があっちやこっちへと泳ぐし、絶対「あー」って言うし、ピンク色の舌先でペロペロと唇を舐めたりもする。
ものすごくかわいいし、ムラムラさせられる……けれど。
「水曜日は『ノー残業デー』なのに?」
今日は、見逃してなんかやらない。
「あ、あー……」
理人さんの会社では水曜日が『ノー残業デー』に設定されていることも、さらに理人さんの所属する部署がその推進活動の中心にいることも、俺は知っている。
だから、水曜日は数少ない「理人さんの手料理が食卓に出て来る日」だ。
料理の苦手な理人さんが、一生懸命レシピを調べて、かわいいエプロン姿で一生懸命夕ご飯を作って待っていてくれる、一週間の中でも、俺にとっては特にたまらない日。
それなのに、今日は俺よりも理人さんの帰りの方が遅かった。
しかも、ひと言の連絡も来ないまま。
「あー……」
不自然に掠れた声で、理人さんが呻いた。
「ごめん。嘘、ついた」
「えっ……?」
「残業、してない」
「……」
「その、友達……と、会ってた」
「友達……」
心当たりがある。
先月、カフェで理人さんと一緒にいた男――赤羽光之介。
俺がピアノ講師兼店員として勤務している『赤羽楽器店』のオーナー兼店長兼講師で、平たく言えば、俺の直属の上司。
K音楽大学の卒業生だから、そういう意味では俺の先輩でもある。
理人さんが赤羽楽器店に来たことは何度かあるけど、赤羽さんと鉢合わせたこともなければ、俺が二人を紹介したことも、もちろんない。
これまでまったく接点のなかったはずの二人が、一体どうやって知り合ったんだろう。
しかも、〝友達〟だって?
それに、俺が想像していた反応と違う。
理人さんの言う〝友達〟が赤羽さんであることを俺が知らないと思っているとは言え、彼と会っていたことをすぐに明かしてしまうなんて。
「あの、な? 詳しくは言えないんだけど、今、ものすごくお世話になってる人がいて……そのお礼に、クリームソーダ……は、俺だけど、その、パフェをご馳走するって約束してたから……」
理人さんは、いつになくたどたどしく言葉を紡いだ。
鼻の頭に加えて、ほっぺたがほんのり赤く染まっていく。
うーん……怪しい。
「誰ですか、その〝友達〟って」
「今は……言えない」
「なんで?」
「へっ?」
「なんで言えないんですか」
「そ、れは……」
「その人が、俺の知ってる人だから?」
「……」
理人さんの唇が、への字にひん曲がった。
必要以上にムキになっていることは、自分でも分かっている。
それでも譲れないのは、赤羽さんのイメージがあの人と被るからだ。
理人さんの元カレの、木瀬 航生 と――
「あーもう!」
理人さんは、突然、俺をキッと睨みつけ、
「秘密だからに決まってんだろ!?」
子どものように地団駄を踏んだ。
「もー、察しろよ!」
「え、察し……?」
「もうすぐ! 誕生日だろ! 佐藤くんの! 来週!」
「え? あ、は、はい、そうですね」
「だから! 俺は! 今、秘密のミッション中なんだよこのやろう!」
秘密の……ミッション?
「って、一体……」
「ダメ! 今話せるのはこれだけだからな! あとは、当日に乞うご期待!」
「え、あ、ちょっと、理人さんっ……」
「身体冷えたから先にお風呂入ってくる! ついてくんなよ!」
そう叫び残して、理人さんは本当に風呂に向かってしまった。
「え、えーっと……?」
怒濤の勢いに取り残された俺は、手を宙に伸ばしたまま動けなくなった。
どういうことだ。
俺が予想していたリアクションと、まったく違う。
秘密のミッション?
俺の誕生日?
今話せるのはこれだけ?
理人さんの怪しい行動の理由は、俺の予想通りだった。
なにかは分からないけれど、俺へのサプライズを企画してくれているのは確かだ。
でも、なんでそこに赤羽さんが絡んでくるんだ……ん?
「なんだ、これ?」
嵐のように去って行った理人さんの代わりに、白い紙切れが落ちていた。
拾い上げ、四つ折りになっていたそれを広げてみる。
すると、そこには――
『愛しい君に捧げる俺のLOVE♡SONG by 神崎理人』
は……?
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