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エルマーのしっかりとした背中にしがみついて、安心する香りに包まれて、ナナシはドキドキする心臓を落ち着かせながら小さくすり寄った。 これが、おんぶ。 ナナシは、このおんぶは、なんて素敵なものなんだろうと思った。 以前の村で、主の言いつけで森に薪を取りに行ったときに見た親子が、子供にせがまれておんぶをしていた。 勿論ナナシは親がいないし、かといって奴隷として買ってもらった主におんぶをして、などと言えるわけもない。 あの時は、ただ顔も知らぬ親におんぶをしてもらう想像をしておわりだった。 おんぶってどんな感じなのだろう、何も知らないナナシはそれを想像するだけで終わりだったし、背負ってもらうことをおんぶというのも初めて知った。 体温が触れ合って、呼吸も近くで聞こえて、寝るときじゃないのにぴったりとくっつくことができる。 エルマーがいいよって言わなきゃしてもらえないだろうから、ナナシはこのひとときを大切にしたいと甘えるように肩口に顎を乗せた。 エルマーのしっかりとした足取りが心地の良い振動としてナナシに伝わる。重くないだろうか、邪魔じゃないだろうか。ナナシは背負われながら、そんな心配ばかりしていた。 それでも力強い歩みは一定で、時折ナナシを気遣うかのように目を合わせてくれた。 肩口から顔をだし、ぎゅうと抱きついて、エルマーの汗の匂いや心地よい息遣いを聞く。 ナナシはその規則的な振動にあやされるように、少しだけうとうとした。 「あ。」 「う?」 エルマーがポロリと零した声に、ナナシは微睡を振り払うかのようにこしこしと目を擦り、前方を見やる。 「魚ばっかじゃあ、飽きるよなあ。」 「あ、ぅ…っ…」 まるで大木を引きずる様に倒しながら、大きな茶色の毛の塊がゆっくりと大地を踏みしめていた。距離はこんなにも離れているというのに、一体どれほど大きいのだろう。 ナナシは牧場で飼育されていた牛よりも大きいものを見たことがない。 思わず呆気にとられた顔で前方の獣を見つめていると、どうやらそれは巨大なイノシシのようだった。 「たしかドリアズにもギルドの出張所があったよなあ。もしかしたら討伐依頼でてそう。」 「え、え、えう、」 「さしずめボアの親玉、この辺の主だったりしてなあ。」 「え…えるまあ…」 なんで腰の紐を縛りなおしてるの?と、言葉にできる程ナナシは頭がよくなかった。 言葉を知らないことが、こんなに不便だなんてと改めて思いながら、ナナシは首を振りながら名前を呼ぶ。 逃げよう、あんなおっきいのに踏みつぶされたら死んじゃうよ。 そう言いたいのに言葉がうまく出てこない。 「ひいふうみい、牙が四本、上位種か。なら銀貨百枚はかたいな。よし。」 「えるまあ、や、やあ…」 「ナナシはちーっとおとなしくしててな。大丈夫、すぐに終わるからよお。」 風向きが変わって、ボアと呼ばれる巨大なイノシシの魔物の鋭い嗅覚がエルマー達を捕えた。その巨体に見合った頭を緩慢に動かし、鋭く光る金目が四つ鋭く光った。 「いいねえ!金目の魔物は金になる。ナナシ、今日はボアシチューといこうや。」 「や、や、わぁああ!!」 ナナシの必死の抵抗もむなしく、前足で地面をかき鳴らしながら突進しようとしてくる魔物に向かって、あろうことかエルマーが突っ込んでいく。慣れた手つきで脚に身体強化の術をかけたのか、ナナシをしがみつかせながらあっという間に魔物の正面に躍り出る。恐ろしく大きく、鋭い四つの瞳がぎょろりとナナシに向けられる。 ジワリと恐怖で涙が滲んだ瞬間、そのままグルンとその眼がばらばらの位置に向けられた。 ナナシが次の呼吸をする頃には、その巨体は地響きを立てながら地面に横倒しになって倒れていた。 まるでちょっとした地震のような揺れが、寄生木に身を寄せながら見物していた鳥たちを飛び立たせる。ナナシは目の前で起きたことが理解できなかった。ただわかったのは、爆発しそうなくらいの心音が自分のなかの恐怖を物語っているということだけだった。 「いやあ、楽勝楽勝。って、ナナシ?」 エルマーは、魔物の目前に飛び込んだ瞬間、一息に腕を魔物の太い首に深く突き刺して頸椎を砕き割っていた。手に纏わせた身体強化の魔法でそこに繋がるあらゆる神経や髄液を沸騰させて綺麗なままに仕留めたのだが、おかげで突っ込んだ右腕は肩付近まで血で汚れていた。 「心配し、…あ。」 「う、…っ、ひっく…」 大人しすぎるナナシにどうしたのかとエルマーが心配して体をゆすって反応を見る。小さな嗚咽を漏らして肩口に顔をうずめるナナシに、無理をさせ過ぎたらしい。 宥めようと抱えなおすために触れたナナシの尻はびっしょりと濡れており、エルマーの腰を伝って足元には見事な水たまりが広がっていた。 「あー…、ええと、気にすんな。俺も水辺に血抜きしに行かにゃならんし、な?」 「え、る…ごぇ、あさ…っ…」 「つか、悪い。俺が普通に悪いわ。ちょっと気持ち悪いだろうけど、我慢な。」 そういって腰ひもを緩めてそっとナナシを降ろす。顔を真っ赤にしながら涙を流すナナシの細い脚は可哀想なくらいに震え、濡れそぼった下半身から太ももへ伝ういく筋もの水流が目に毒だった。 「もうでないか?でるなら、ここで全部洩らしちまえ。な?」 「ひぅ、う、うー…」 しゃがみこみ、泣いているナナシの目元をそっと拭ってやると、ぐしぐしと泣きながら首に腕を回してギュッと抱きついてくる。よしよしとその小さな頭を撫でてやりながら、ぴちゃぴちゃとちいさく聞こえる水音に兆しそうになる自身を押さえる。 「いいこだなあ、ナナシは。…目覚めそうでちいっとやべえ。」 「える…、うぇ、…ひぅ、う…」 「ああ、もう泣くなってえ!大丈夫だからよぉ!」 結局ナナシとエルマーを繋いでいた抱っこひもは、今は魔物の両手両足に結び付けてからエルマーが試行錯誤してインペントリにぶち込んだ。幸いだったのは森の主が通ってきた道の先に泉があり、ナナシに恥ずかしい思いをさせたまま村を訪れなくて済んだことだった。 エルマーはボアの血抜きをすると、簡単に内臓やらを取り出したものを火にくべて片付ける。綺麗に余分なものを抜いたあとに獲物の討伐部位である頭を切り下すと、残りの体は細かく切り分け、自生していた臭み取りの大きな葉にくるんでインペントリに突っ込んだ。 ナナシはというと、エルマーと一緒に泉に服ごと浸かり、お漏らしした服やら体を洗ってもらった後だった。エルマーも汚れていたので服を洗ったのだが、どうせ解体で汚れるからという理由で、素っ裸でボアの解体をしていたのだった。 ナナシはエルマーからもらった異国のお菓子、名前はわからないがパンの中にジャムが入っている。をもそもそと食べながら、泣き腫らして目元を赤くしたままひと仕事を終えたエルマーを見つめていた。 「っくしょい!…あー、やっぱさすがに全裸はさみいわ。開放感はあるけど。」 解体で再び汚れたエルマーは、くるりとナナシの方を向くと歩みより、パンを持ったまま手を伸ばしてくるナナシをひょいと抱き上げた。 「泣き止んだかよかわいこちゃん。なに、くれんの?」 「う、」 ボアの血で汚れているのも気にせず手を伸ばしてきたナナシをかわいく思っていると、口元に与えた菓子を押し付けられた。 ナナシのご機嫌取りに、以前娼館で出された菓子をとっておいたのを思い出して与えたのだが、エルマーにも分けてくれるらしい。ぱくりと食らうと、中に入っていたジャムがぶちゅりと口端を汚した。 「ン、と。喰いずれぇ…。」 「んう、」 ナナシを抱き上げていたので両手がふさがっていた。口端のジャムを拭い取ろうとして舌で舐めとろうにも場所が分からず唇を濡らすだけになってしまったのだが、ぺしょ、とナナシの薄い舌がエルマーの口端についていたジャムを舐めとった。 「んえ。ナナシ…」 「…?」 そのまま何事もなかったかのように、はぐ…、と再びパンを食べるナナシに、今度はエルマーがぽかんとする番だった。 お漏らしは恥ずかしがるのに、これは恥ずかしくないのか。と思いながら、まあいいかとエルマーは考えることを辞めた。 なので仕返しに、もぐもぐと咀嚼するナナシの柔らかそうな唇に己のそれを重ねると、唇を舌で割り開き、菓子で甘くなったナナシの舌を甘く吸った。 「っ、んむ、ふ…っ…、あ…」 「ん、やっぱ甘えなあ。」 ナナシが食べていたものを舌で遊び、互いの唾液を交換するようにして飲み込むと、エルマーは唇を離した。 ナナシは口を半開きにしたまま、飲み込みきれなかった唾液を口端から垂らし、恍惚とした表情でおとなしくなっていた。酸素が足りなかったのか、頬が赤い。くたりとエルマーの肩に顔をうずめると、よほど恥ずかしかったのか食べかけのパンを握りしめたまま、ぎゅうと抱きついてきた。 あ、これは照れるのか。とエルマーは思った。 こんな初心みたいな反応をされるとは思っておらず、なんならエルマーも自分から口付けたくせに照れる。処女ではないのは見たから知っているが、まさかキスも初めてだったのだろうか。普通にあり得る。だとしたら自分はまずいことをした。 少年性愛の趣味はないが、ナナシは可愛い。早々に手を出してしまった自分に少し落ち込んで、次の村では絶対女を抱こうと心に決めた。 泉で体の汚れを落とした後、服の乾燥を待っているうちに日が暮れた。旅とは思うようにいかないものである。 夜は視界も悪いし、暗闇に紛れて悪意のある魔物が出やすい。なのでドリアズまで一日で行ける行程ではあったのだが、急ぐ旅でもない。エルマーは泉のほとりで野宿することに決めた。 「パンツ乾いたのにほかは生乾きかあ。まあ、火の近くにほしゃあすぐか。」 結局日中のほとんどを全裸で過ごしていたが、先に乾いた下着だけを身に着けた状態で適当な木の枝を拾ってきた。 ナナシと協力して火をつけたたき火の上にまたぐようにしてロープを張り、濡れた衣服をつるし上げた。 たき火と言っても服が燃えたらまずいのでそこまで火は大きくしていない。ナナシは大きなシャツのみをワンピースのように纏いながら膝を抱えてうとうとしている。 パンツ一枚のエルマーとは大きな差だ。文明的な恰好をするにはまだ服は湿気っており、かといって火の番をするには無防備すぎる。結局エルマーは服の内側に張り付けていた暗器のホルスターだけ纏っておくことにした。 端からみたら武装した変態だ。シャツ一枚でもいいから早く乾いてほしい。小枝を火にくべながら切に願った。 「える、んん、…」 「ん。」 ナナシが眠そうにしながらおずおずとくっついてくる。エルマーの腕に小さな手を添えながら、眠たそうな目でぱちぱちと枝がはじける様子を見ていた。 眠たければ寝ればいいのに、エルマーが起きている限りは寝ようとしない。 くちんとかわいらしいくしゃみをするナナシに、エルマーはインペントリから毛布を引きずり出してナナシの体にかけてやろうとした。 「や。」 「なんだあ、いらねえの?」 「える、ななし、」 「ああ、そういうこと。」 ナナシは二人で使いたいと言っているようだった。長さ的にはいけなくもないが…と悩んで思いついたのは、ナナシを足の間に座らせて自分の体ごと巻きつけるという選択だった。 「さむくねえ?」 「う…、すき…」 「すきかあ。そらよかった。」 エルマーの肩に頭を預け、横抱きにされ、膝の間に尻を落ち着けたナナシは照れ臭そうにしながらもご機嫌だ。 ナナシのやりたいことができてうれしかったのか、エルマーの顔を見上げるとふにゃふにゃと笑う。 「ナナシ、あったかい。いえるか?」 「あ、…あた、かい…?」 「そ、ナナシと俺、二人で温かい。これな?」 ぎゅっと抱きしめると、楽しそうにくふくふ笑う。ナナシの口からすきと出るのもうれしいが、心臓に悪い。表現の一つとして、エルマーは言葉を教えた。 「え、え、える。あたかい。ナナシ、えるすき…」 ぱちぱちとはじける火花を見ながら、ぽそぽそとナナシが呟く。たき火のせいか、首まで赤らめながら、一句一句間違えないようにたどたどしく呟く。 えるすき、と好意を伝えてくるナナシがなんだか健気でしおらしい。恐らく深い意味はないだろうと思いつつ、エルマーはなんだかむず痒くなってその後頭部に口づけた。

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