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皇国の手前に位置するドリアズでは、マチルダ大橋を渡ってすぐだ。皇国を繋ぐ橋は、すべて女性の名前がついており、何でもこの橋を造らせた当時の王が侍らせていた寵妃たちの名前が使われているようだった。 正妃はどんな思いでこの橋が作られるのを見ていたのかと、たしなみの一環としてこの皇国の歴史を学んだ者たちは憶測を交わすが、エルマーからしたら、そんなもん馬車や土足で踏みつける為にその名を許した以外に何があるのかと思っている。 この橋を造らせた王は大層な愚王だったようで、実質の主導権を握っていたのは王妃、アリスタシアだった。エルマーは学がないので、彼女が何をなしたのかわからないが、大金貨に刻印されるほどすごいことをしたんだろうなと思っている。 なんでこんな話になったかというと、ナナシが興味深そうにしていたからだ。 「きれい。」 「そうかあ?」 エルマー達は森を抜けた後、たまたま出くわした行商帰りの村のおやじにドリアズへの道を聞くふりをしてうまいこと馬車のコーチにのせてもらっていた。 もちろんただではない。銅貨二枚で手を打ってもらった。 がたごとと揺れる中、ナナシはエルマーが支払いの際に取り出した布袋の中から一番キラキラした大金貨を取り出して、じっと見つめていた。 ナナシが持っている大金貨は、一枚で平民がひと月は余裕で暮らしていける金額になるのだが、何とも思わずに手に取ってみているあたり、恐らく貨幣の価値を理解していなさそうだった。 「ナナシはキラキラしたのが好きか?」 「こえ、える。」 「これが?」 ナナシは細っこい指でツルツルの金貨の表面を優しく撫でたあと、エルマーを見上げてふにゃりと笑う。 エルマーよりも、白くて柔らかな小さい手がエルマーの目元に優しく触れると、再びくふくふと嬉しそうに笑って大金貨を撫でた。 「えるの、こえ。きれい、」 「俺の目の色と一緒ってことか。」 「いっしょ、えるの、すき。」 伝わったのが嬉しかったのか、大金貨をエルマーに返すとピタリと肩に頭を載せてスリスリと甘える。 こんなに純粋な好意をぶつけられて、なんだかもぞもぞする。体だけの関係で終わるオトモダチはある程度いたが、こんなふうに全身で好きだと言ってくれる人物は周りにおらず、どうするのが正解なのかがわからない。自分のこのムズつく感覚は、もしや父性なのかと斜めの方向に思考が飛ぶくらい、エルマーは惚れた腫れたに疎かった。 「この金色は俺よりもナナシのほうが近くねえか?俺ぁもっと貧乏くさい色してんしよ。」 「う?」 エルマーの言葉の意味を理解しかねたのか、こてんと首を傾げる。自分の薄汚れたようなくすんだ金色よりも、ずっと透き通ったシトリンの瞳。その惹き込まれるような澄んだ色を近くで見たくて、エルマーはその頤に手を添えた。 むにりとした柔らかい頬肉がエルマーの手によって持ち上げられる。ナナシは唇を尖らせるような形なっても、何も疑わない眼差しで大人しくしている。 「うーん、ナナシは抵抗することを覚えるべきだなぁ。」 「う、う、う?」 もにょもにょと頬を弄ばれながら、長いまつ毛を瞬かせてきょとんとする。まるで産まれたての赤ちゃんのように、純粋無垢な存在だ。だから売られたのだろうか。白痴であっても、言葉が話せなくても、感情表現はきちんとする。ちゃんとすればきっと仕事にだってつけるだろう。 なのにそれを行われなかったというのは、ナナシがこの歳まで、まともに人と関わってこなかったからだ。 ナナシは、自分のことをコレと呼んだ。こわい、これ、ごめんなさい、そんなネガティブな言葉しか発しなかった。だからナナシがエルマーのことをえると呼ぶのは嬉しいし、すき、や、きれい。と口にするとほっとする。この子は辛い目に会いすぎたのだろう。 だからエルマーは、これから少しずつきれいな言葉を教えて行きたいと思っていたのだが。 「お客サァン!!車輪が泥濘にはまっちまったみたいなんだわ!!悪いんだけど手伝ってくんねぇか!」 「あー?あいよぉ!ったく客だっつーのによ。」 ナナシの頬を触っていると突然飛んできた親父の言葉に眉間にシワを寄せる。山道は天候が崩れやすい。この道も前日に雨が降ったのだろう。 エルマーは立ち上がると、ナナシに外套を預けて軽装で外に出た。 前方の車輪近くには、途方に暮れた親父が屈みながら車輪の具合を見ている。たしかに、車輪に長い草が絡まって動かなくなっていた。草の根本は泥の中へと続いており、ナイフで切るか燃やしてしまうのが一番早そうだった。 「泥もだけど草が絡まってんなぁ。燃やしちまったほうが楽そうだなぁ。」 「お客サァン、あんた魔法つかえんのかい?」 「うんにゃ、属性魔法はてんでだめだぁ。切れるかぁ、切っちまう?」 「あいにく俺ぁナイフの一本も持ってねぇ。鍬ならあるけどよぉ。」 「あー、大丈夫大丈夫、俺が持ってっからよ。」 エルマーはそう言うと、腰から投擲用の短剣を取り出すと草の束を徐にむんずと引っ掴んだ。車輪に深く絡まる草を取り除く為に、根本にナイフを当てながら草自体を強請って少しずつ切っていく。なんだかやけに切りにくいなと思っていたら、ガタガタと馬車が揺れ始めた。 「な、なんだぁ!?地震かあ!?!?」 「ちげぇ、こいつだ。」 「はぁ!?こいつって、どい…」 ずるり、と地面の下を波打つようにして根が蠢く。車輪に絡まっていた草の束と同じ色をしたものが、ボコボコと車輪の轍から飛び出すと、あっという間に馬車が絡め取られるように地面から離れる。到底人が飛び降りるにも危険な高さまで持ち上げられた馬車を見上げながら、エルマーはこれがなんだかを思い出していた。 「お、俺の馬車がぁ!!!!」 「…こりゃあ種子の魔物だ。魔女が使役するな。この馬車、マーキングされてんぜぇ。」 「あ、ああ…う、うそだ。そんなはず、」 「一人反省会はあとにしてくれ。俺ぁ連れがまだ中にいるんでね。」 エルマーは小さく舌打ちした。魔女は植物を使役する。その中でも自然発生した植物系の魔物を使役することができる魔女は数少ない。精々魔法を使って木の根や枝で精をぬいたり締め上げたりと嫌がらせのような魔法を行使する無名の見習いが多い中、明らかに植物の魔物を使って呪いをかけるなんてエルマーが知っている中では一人しかいなかった。 「魔力こめた炎がねえと無理だ。くそ、マジで泣けてくるぜ。」 今までも属性魔法を持たないエルマーは、体一つでのし上がってきたのだ。攻撃魔法を身体強化で避けることはできても、特定の属性でしか通らない攻撃は不得手だった。 だから毎回、突飛もない方法で切り抜ける。 「親父、火打ち石あるか。」 「た、旅人ならもってねぇのか!?」 「持ってるよ、ただし、あんなかにな。」 エルマーの指先には、枯葉色の蔦で覆われた馬車の荷台が浮かんでいた。車輪は力強い根によって破壊されてしまい、うろたえる親父の足元に勢いよく落ちて地べたを凹ませる。 「ああ!!もう!!あるよお!!ほらこれつかえ!!」  「最初っから、よこせってぇの!」 片手に収まるほどのそれを受け取ると、適当な小石を拾ってから握りしめた火打ち石ごと強化の膜で覆う。繊細な魔力のコントロールが必要なことをいとも簡単に行うと、エルマーはその火打ち石を片手に文字通り飛んだ。 「はぁあ!?!?」 おやじの目の前から、ボコンと音を立てて地面を抉ったかと思うと、それはもう驚くくらいの軽々しさで一息に馬車のコーチまで跳躍する。 エルマーはそのまま火打ち石を一気に砕く勢いで、小石で叩き割る。 瞬間、砕けた衝撃で魔力の膜が弾けると、それはもう面白いくらいの勢いで爆発するかのようにして炎がコーチにまとわりつく蔦を覆った。 「うぁちちちちっ!っぐ、っ」 ジュウッと燃え盛る炎がエルマーの手に纏わり付く。魔力の膜の上を滑るようにして、むんずと掴んだ蔦の一部を巻き込んで炎が広がると、怯んだ蔦がぐにゃりと大きく波打つようにしてコーチの締付けを緩めた。 エルマーのしたことは、木の魔物に対して燃やしてやるぞというハッタリだ。当然火打ち石で起こした魔力のない炎がそれを焼くことはない。だが、怯えさせることで拘束が緩まればこっちのものだった。 「ナナシ、を、返せぇええ!!」 ブチブチ、めきょ、とまるで繊維を引きちぎるかのように蔦を素手で引き剥がす。おおよそ人間とはおもえないほどの握力で自身を害す眼の前の人間を、黙ってみててやれるほど魔物も優しくはなかった。 「っ、見えたわ。ナナシィ!!」 「える、ぅっ…!」 むりやりコーチの布を剥ぎ取ると、外套に包まりながらエルマーの荷物を抱きしめたナナシが、目に涙をためながら見上げてくる。よほど怖かったのだろう、その身は震えてボロボロと涙をこぼしていた。 「こい!」 「ーっ!!」 コーチの屋根から手を差し伸べる。ナナシが縋るように腕に抱きついたのを確認すると、そのまま力いっぱい引き上げた。ナナシの腰を抱きしめて引き寄せた瞬間を待ってか、エルマーの目の前に大量の蔦や木の根が間欠泉のごとく飛び出してきた。まるで空を覆うような勢いで飲み込まんとする魔物に、ナナシの口から悲鳴が漏れる。 エルマーは間一髪、まるで叩きつけるかのようにして先程まで立っていた場所を破壊するように襲いかかってきた魔物を避けると、そのままくるりと体制を整えて地べたへ着地した。 「うああー!!!お、俺の馬車がぁー!!!」 「命あっての物種だろうがァ!!」 「お、おれの金貨5枚分の、馬車がぁ…」 エルマーの後ろで親父は膝から崩れ落ちてぐすぐすと泣く。こんなややこしい魔物を目の前にして呑気なやつだと苛立ちを隠さずにいると、腕の中のナナシが降りたがる。 「わりい、ちょっと親父と離れててくれっかな。」 「ひぅ、ぐすっ…うゅ、っ…」 自分の存在がエルマーの邪魔になるとわかってか、少しでも負担を減らそうとしたのだろう。足が竦むほど怖いはずなのに自分から離れようとするその気遣いがひどく可愛い。ナナシは小さく頷くと、親父の服をグイグイと引っ張ってよたよたしながら後ろに向かう。小さな子に泣きながらついていく親父は全然かわいくない。どっちが大人かもわかんねえなと横目に見送ると、エルマーはナナシが持っていたインベントリから魔石を取り出した。 「魔石に反応すりゃあドリュアド、体液に反応すりゃあフオルン。」 うぞ、とエルマーの周りを取り囲むようにして蔦や根が這い寄る。普通なら詰みだ。逃げ場はない。だけども死に際の絶望感はなかった。 「俺さぁ、マジで苦手なんよなこういうの。」 手の中で転がした魔石にはかすかにエルマーの魔力が入っていた。無属性を表す無色透明のそれを、ほいっと魔物に向けて放り投げる。弾かれて地面に落ちたそれなどまるで興味はないと言わんばかりにその体で魔石を押しつぶした。 「フオルンかぁ。あーあ、まじで確定じゃねえか。」 ぐわりと、魔物がその蔦の束のような体でエルマーの周りを飲み込むようにして固める。地べたから飛び出してきた一部も拘束するかのようにその身を絡め取ると、まるで祀り上げるかのようにエルマーの体を天高く持ち上げた。 「えぅ、まぁー!!!」 「だーいじょうぶだいじょうぶ。」 「うぅ、やぁー‥!!!」 下からナナシの切羽詰まった泣き声が聞こえる。また泣かせてしまった。ため息を一つ。まるで弄るかのように服の裾から侵入してくる不届きな魔物に対して、陵辱するにも役不足だとわからないのかと思う。エルマーの腹は女のように柔らかくもないし、繁殖するための胎もない。何かを確認するように這うそれを好きにさせていれば、ぐぐ、と束を押し広げるかのようにして大きな木の玉がエルマーの目の前にやってきた。 「サジ。てめぇ悪趣味にもほどがあるぜ。」 「サジの可愛いハニーの愛撫はお気に召さなかった?」 木の玉がシュルシュルと解け、目の前に現れたのは枯葉色のボサボサの毛を木の蔦で束ねた魔女、といっても男なのだが。とにかく、サジと呼ばれたその男は、まるで発情を隠しもせずにはぁはぁと熱いと吐息を漏らしながらエルマーの顔にぐいと近づいた。 「はぁ、あ…サジの苗床ちゃん…いい加減腹は決まったか?早くサジのものになれよエルマー」 「悪ぃけどタイプじゃねーわな。」 「あぁ、連れないことばっかり!!あん、ちょっと、駄目だ。今話してるさいちゅ、ぁあっ」 「魔物とセックスしてんくせに俺がほしいとかよくばり過ぎだぜ、サジぃ?」 フオルンと呼ばれるサジの使役する木の魔物は、主に褒美をお強請りするかの様にローブの中をまさぐる。この男は顔はいいくせに人間に文字通り魔物の種を植え付けて育てては使役するのだ。その種は何処からもってくるのか、その答えは一つだ。 「あぁ、あ、う、生まれちゃう…さ、サジとエルマーの子供がぁっ…」 「おまえ、フオルンに俺の名前つけてんのかよ…」 「ンぁあ、っ!」 エルマーの目の前で、その美貌を甘く歪ませ身を震わしたサジは、そのローブの裾からぼとりとじゃがいも程の硬い種子を産み落とした。サジは種子の魔女だ。魔女、とは役職名のようなものなのだが、一際こいつは頭がやばい。ぽたぽたと足の間から落ちた白濁が何かは考えたくもない。エルマーは心底辟易した顔でサジを見ると、うっとりとした顔で見つめ返した。 「はぁ、…ん…なあ、サジとの間に子供、作ろう?エルマーの種ならきっと強い魔物が出来る。」 「イッたなら下ろしてくんねぇ?」 「生まれたこの子は何になるかなあ、エルマーを栄養にしたら、どんな可愛い子が生まれるか、楽しみい。」 「聞いちゃいねぇ。」 「この子にエルマーの精液をかけておくれ、そうしたらサジはまた愛情込めて育てよう。」 サジは愛しげに種子を手に取ると、産み落としたそれに口付ける。黄緑色の硬そうなそれはフオルンの種子だ。それをエルマーとの間に出来た子供だと言い張るサジに、頭の痛い思いをした。 仕方ない、どちらにしろ拘束を取らなきゃならないのだ。少しばかり乗ってやるか。エルマーは面倒くさそうな顔をしながらサジを見つめた。 「なぁ、俺の子っていうけどよぉ。俺ぁテメーのこと一度も抱いたことねえんだよなあ。」 「それはエルマーが相手にしてくれないからだろう?だからサジはこうして魔物とセックスするしかないのさ。」 「まあ、こうも囚われてちゃあ抱こうにも抱けねえ。サジ、俺の言いたいことわかるか?」 「ええ、ちょっとまって、エルマー‥」 蔦に捕らわれたまま、目の前でハァハァと息を荒らげたサジに顔を近づける。まるで睦言を囁くようにして言う。エルマーの金目は怪しく光り、サジの灰色の目には誘うかのような雄の顔をしたエルマーの表情が写り込んだ。

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