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「ぅ、うー‥」
ぎゅっと腕の中に妖精を抱いて、ゆるゆると首を振る。またナナシはなにか間違えたのかもしれない。
腕の中のこの子は、赤い目玉をきょろりと動かしてナナシと爺を見比べる。爺もナナシが今にも泣きそうな顔をしているからひどく戸惑っていた。
「お、おいお嬢ちゃん…とりあえずそいつを返してくれんか…」
「こぁ、い…ぶつ?ナナシ、ぶつ?」
「あぁ?な、なんでわしがお前さんを打たにゃいけんのじゃ!」
「ひぅ、うー‥」
だって、眉間によるシワはナナシをぶつ合図だ。
腕の中の妖精が眼の下からぐぱりと細かい牙を生やした口を開ける。ベロリとナナシを慰めるようにして涙を舐め取る様子に、エルマーは食われるんじゃないかとひやひやした。
「けっこうエグいぜその牙…爺の面が怖えんだってよぉ。ほら、にっこり笑えって。」
「ええっ!?わ、わしの面がか!?こんなに愛嬌あるのに心外じゃのう…」
自分で言う爺は、困ったように被っていた頭巾を外すと、ツルンとした頭をひと撫でした。情けない面を晒しながらおずおずとナナシに近づくと、灰の妖精のもじゃもじゃな頭を太い指先でよしよしと撫でる。
「お嬢ちゃん、わしはこの子に何をしちまったんだろう。なんでこの子は泣いてたのかおしえてくれんか…」
「っん、えるぅ…」
「おう、俺が手伝ってやっからそいつ離してやんな。」
エルマーの一言で、ナナシは抱きしめていた力を緩める。妖精はボテッと床にその身を落とすと、後ろの先のモジャモジャをプルプル震わしながら鎌首をもたげてギィギぃと甘える。そこって尻尾だったんだ。エルマーは引きつった笑みで新たな発見をした。
爺のツルツルの頭にその身を丸めると、まるでそこが定位置と言わんばかりにその目元を緩める。ナナシは妖精のリラックスした様子をみながら、エルマーの膝の上でまだぐすぐすしていた。
「うちの子泣かすんじゃねえよ爺ぃ。」
「じゃから、そんなつもりは…のう、そろそろ泣き止んでくれんかあ…」
くすんと鼻を鳴らすと、コシコシとまぶたをこする。ナナシは黙って泣いていたわけではなく、どう話そうか迷っていただけなのだが、エルマーの匂いが安心してちょっとゆっくりし過ぎたようだった。
「ゃだ、いった。いっこ、やぁ。いった…」
「いっこ…いっぴきってことか?」
「こぇ、いっぴき、や。」
「こぇ、ってこいつのことかぁ?灰の?」
「はぃの…」
辿々しく、区切って言う。エルマーは根気強くナナシの説明を聞いた。爺の顔はエルマーの通訳によってみるみると青褪め、すべてを話し終える頃にはナナシは疲れたし、爺はその顔を覆って項垂れていた。
頭の妖精だけが尻尾をぷりぷり振りながら、爺の頭を慰めるようにベロベロと舐めていた。
「あんたがこいつのこと放ったらかしにしたのが、原因だなあ。」
「わしゃ、休んでほしかったんじゃ…」
「だからって屋根裏に閉じ込めんのはちげぇだろ。」
ここんとこもっぱら鍛冶の仕事は減っていた。戦争が終わって、持ち込まれる武器も減っていき、加えて冒険者も駆け出しばかりでろくな素材も出回らない。挙げ句武器を育てることもしない奴らばかりで、壊れたら買い換えるばかりだ。そのうち貯蓄もすり減って、ギルドに出す依頼すらできなくなっていた。
金があれば家ごと引っ越して街道沿いに店を構えるのだが、それもできない。
灰の妖精と二人で鍛冶で食っていた頃にはもう戻れなくなっていた。
気づけばほそぼそと暮らすために始めた調理器具の修理ばかりで出番は減り、ずっと二階の鍛冶の道具を吊るした部屋で、一匹でずっと待っていた。
親父の金槌が振るわれる音を、火の爆ぜる音をまっていた。
「出番がなくても、そばにいてぇほど懐いてんだろ
うよ。」
爺のハゲ頭をベロベロ舐めては、その身で磨くように甘えてすり寄る。構ってもらえないから家出しようとしたらしい。見た目は完全にフサフサの毛虫のようでも、仕草は子犬そのものだ。
「そもそも、契約つったって内容は何なんだぁ?名前やって従魔にしてやりゃあいいじゃねえか。」
「ああ、こいつとの契約の代償はわしの頭髪じゃあ。髪が一番美味しいらしい。」
なるほどなあとエルマーは爺の頭上を見た。普通の魔物やら妖精は、テイムして契約をするなら皮膚や血などを要求する。その特性を身を犠牲にして主のために使うのだ。自由を縛られること同じで、生半可な対価では契約までに至らない。
契約がすんだら手伝ってもらうのはその時だけ。その点、従魔にしてしまえばいつだって連れて歩ける。ただし互いの信頼関係がない限りは寝首をかかれることもあるらしいが。
「こぇ、ナナシといっしょ、」
「あ?」
「こぇ、ナナシ、おなじ…」
「…拾ったってことか?」
ナナシの口振りに、爺もボリボリと頭をかく。
そのモジャモジャな口元をもそもそと髭を揺らしながら、妖精との出会いを語った。
「こいつぁ、イビルアイだったんじゃあ。」
「あ!?あの小型のか!?」
エルマーが驚くのも無理はない。イビルアイとは小型のコウモリ型の魔物で、その目からは光線を出す。一度当たれば火傷じゃすまないが、弓矢などで討伐をすれば危なくはない。初期の初期で依頼される討伐対象だ。
毒霧も吹き出すものもいるが、せいぜい麻痺程度なので近づかなければ害はない。むしろエルマーなら投石でも倒せる雑魚の魔物だ。
「魔物が妖精に転化ってよぉ、そんなん眉唾かと思ってたぜ…」
ちらりと見つめれば、真っ赤な目玉と目が合う。たしかに目玉だけ見ればイビルアイそのもので、それに爺の毛を契約でとりこんだから、そんなモサモサな灰色の毛玉になってるのかと思うと、ある意味お揃いだし、互いに相思相愛なのだろう。爺の愛でる目は優しい目だった。
「わしもなあ、こいつを討伐しに行ったしがない冒険者だったんじゃが、こいつだけ群れからいじめられててのぉ。」
イビルアイなのに、飛べなかったんじゃとこしょこしょと顎らしきところをくすぐる。灰色の妖精と呼ばれたもとイビルアイは、そのギョロリとした赤目をリラックスするかのようにして細めている。
「羽がないじゃろ。尾っぽだけで体を引きずるようにして必死で這っておってのう。飛んどる連中よりもずっと痩せこけて、むしろ掴んでは放り投げられて遊ばれとった。」
「うわぁ。」
想像しただけで、なんとも胸糞の悪い話だ。イビルアイはそもそも知能が低い。目の前のこいつは知能が高い代わりにイビルアイとしてのアイデンティティである飛行が出来ず、その大きな目玉に涙をためて、放り投げられては逃げるように岩の隙間に縮こまっていたという。
爺はあまりにもその姿が可哀想で、ボロボロのイビルアイを魔法で眠らせてから持ち帰ったらしい。
「最初はよう、暴れるわビームだすわで大変だったんじゃ。でもおかげでイビルアイのビームを跳ね返す盾はできたがのう。」
「むしろそっちのがすごくねぇ!?」
ふぉっふぉ、と白ひげをわしわしと手で触れながらそうじゃろうそうじゃろうと自慢げだ。
「イビルアイが何を食うのかわからんかった。じゃから最初はわしと同じもん食わせとったんじゃ。パンとか。」
「パン食うイビルアイか…ちっと想像できねぇなあ…」
「ぱんすき。」
ナナシはいい子にお膝に乗りながら、ニコニコしてイビルアイを見つめている。かわいい。
爺は猫のように抱きながら、話を続ける。焚き火の音が心地よい。
爺は、ほとほと困ったという。結局同じもんを食べても全然元気にならなかったのだ。むしろ毎日泣いてばかりのこいつに、群れに返したほうがいいのかとすら思ったらしい。わけもわからないまま過ごしたある日、途轍もなく大きな鉄鉱石を持ってきた貴族が、これを使って戦のための大剣を作ってくれと言ってきた。勿論掲示された金額も、冒険者と兼業していたくらい金のなかった爺には縁のない金額で、家賃も滞納していた爺は飛びついたという。
「あとになってわかったんじゃが、到底レベルの低い鍛冶職人じゃあ手におえん代物じゃった。そいつは契約を満了出来なかったらわしの家を差し押さえるといってきた。文字も読めんわしに契約書をつきつけてのう。」
難儀な話じゃ。当時を思い出してか、刻まれたシワも深い。たまにいるのだ。そういう悪徳な貴族が。エルマーは黙って聞きながら、ナナシの体を寄りかからせた。
「ほんでのぅ、わしが鉄鉱石を目の前にして途方に暮れてたら、こいつが助けてくれたんじゃ。」
イビルアイは、自分のように情けなく泣いている爺をみて、数度まばたきをした後、寝ていた籠から飛び出しておずおずと近づいたという。
爺はこのタイミングでこいつは心を開くのかと、なんとも言えない気持ちでそのツルツルの黒い体を膝に載せた。
まるで愚痴のように吐き出したという。このままじゃ、群れから連れてきたお前の責任をとれないこと、自分の家がなくなってしまうこと、お金もなく飯も食いっぱぐれることが多い、鍛冶職人のくせに力を震えないまま死んでしまうかもしれないと。
爺はイビルアイを抱きしめると、わしが家もなくなって路頭に迷ったら食ってくれと言った。勿論こんな小さい魔物に丸呑みは無理だろう。だが自分もしがない妖精と呼ばれる種族の一人だ。きっと食ったらあの群れを見返せる力をつけられるだろうと。
わしが連れ出した責任として、お前を立派に育てにゃならんと。妖精が、ましてや人を襲う魔物を助け、あまつさえ糧にしろというその罪を、背負う覚悟があったのだと。
這いずる魔物を見て、哀れに思った男の末路だ。最後は美談で終わらせてくれと言った。
イビルアイは初めて抱きしめられるという行為に丸い目をさらに丸くして、その血のように赤い目玉に大粒の涙をこぼす爺を大人しく見上げていた。
爺と鉄鉱石を数度見比べ、そっと手から抜け出した。
イビルアイは知能があった。羽がない代わりに知能が。
しばらく鉄鉱石を見つめていたと思うと、その目玉からビームを出して、いとも簡単に鉄鉱石を焼ききったという。
「目を丸くして固まるわしに、こいつは這い寄ってきて見上げてきたんじゃ。これでいい?って言われてるようじゃった。わしはこいつのおかげで、今もこうして職人をやれてるんじゃよ。」
こうして少しずつ、イビルアイは爺と助け合って年月を重ねた。手放しがたい、そう思っていたときに契約のことを知ったという。
「それで、髪を代償にしたってわけか。」
「そうじゃ、しかもの、わしがこいつと契約したらこいつまで妖精になったんじゃ。」
「そこなんだよなぁ。妖精が契約者になると引きずられんのかねぇ。」
「今じゃわしの相棒兼、鬘じゃあ!わっはっは!!」
ぴぎぴぎと鳴きながらにっこり微笑む元、イビルアイ。灰の妖精の名前の由来も、色が灰色だからだという。転化したもと魔物は、妖精で言う分類ができないから仕方がないが、きちんとした名前はつけてやれとも思った。
「名前つけて、爺の私物を与えてやれば従魔になるよ。そんだけ信頼しあってんなら大丈夫だろ。」
「そうなのか?ふむ、いいことをきいたのう。名前、名前かぁ。はて、どうするかのぅ。」
くるりと爺の首にマフラーのようにまきつくと、べろべろと顔を嘗めてじゃれつく。従魔がよほど嬉しいらしい。エルマーはそこまでイビルアイに舐められても動じないこいつのバイタリティはどうなってんだと若干引き気味だ。
「なんでもいいと思うぜ。好きなもんでも、思い入れのあるもんでも。俺が言うのもあれだけど。」
エルマーは偉そうに言っては見たものの、ナナシの事があるので自分で言っておいて苦い顔をした。キョトンとした顔で見上げるナナシの純粋な瞳がまともに見れない。すまんと思う。
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