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「決めた。わしの宝物じゃあ、お前さんをスーマとよぼう。わしらの古い言葉で宝物を意味する。やるのはわしが作ったお前さんのための首輪じゃ。」
爺の故郷の言葉で、宝物と名付けられたスーマは、その首に黒い革に赤い石が嵌め込まれた首輪を与えられた。
従魔契約は、特別な文言などない。互いの信頼がしっかりしていれば、名付けた名前が意味を持つのだ。スーマと呼ばれた元魔物は、ブルブルとその身を震わすと、その赤目からぼたぼたと涙をこぼして喜んだ。ぶわりとスーマの毛が膨らんだかと思うと、にょきりとそこから猫のような四足が生える。スーマは主である爺に、いつでもついていけるように体が進化したのだ。まさかの光景に、変化したスーマ以外は呆気にとられてしまう。
ちゃかちゃかと爪を鳴らしながらよたよたとなれない歩行で爺のところへ向かうと、プルプルと尾を揺らしてぴぎぴぎと笑う。
相変わらず目玉の下から剥がれるようにして開く口はエグいが、ごきげんなのは伝わってくる。
「なんかいいもん見してもらったわぁ…。」
「わしも、ずっとスーマと長いこと一緒におるが、こんなこたはじめてじゃあ…」
「スーマ、かぁいい。」
「お、おう?」
でろんと長い舌を揺らしながら呼吸をする姿なんて犬のようである。爺とスーマの微笑ましい光景を見ていたのはいいのだが、すっかりと本題を忘れてしまっていた。
「そうだ。俺ぁ爺に依頼があったんだわ。」
「そういやなんか言っとったのう、ネックレスじゃろう?」
爺はスーマを頭に乗っけると、木製の引き出しを開けていくつかのチェーンを取り出した。すべて空の台座と繋がっており、素材さえあればすぐにできるそうだ。ナナシはエルマーに促されて、おずおずとズボンのポケットから雪原魔狼のキバを取り出して手渡した。
「おま、こりゃあ…また随分と珍しい素材をもってきたのぅ…百年ぶりくらいにみたわい。」
「あ?ああ、妖精は長生きなんだっけか。」
爺はエルマーの問いかけには答えず、真剣な顔をしてその素材を見つめたかと思うと、ゆっくりと練り込んだ魔力を染み込ませていく。魔物の牙は硬いのだ。加工しやすいように魔力をなじませてやらないと、金槌が通らないことだってある。浸透率によっては属性も付与できるが、雪原魔狼の牙はすでに氷の属性が付与されている。それを加護として使えるように手を加えてやるのが職人の仕事だった。
「おまえさん、随分とえげつないもんを持ってきたのぅ…台座にはめるために凝縮して石ころに変えるのはわしじゃが、ちともったいないくらい良いものじゃて。」
「いいんだよ。別に持ち腐れるよりも似合うやつがつけたほうがいい。ナナシに似合うようにしてやってくれ。」
「まあ、わしもこんな素材をいじれるんじゃ、うでがなるわい。のうスーマ。」
ふむふむと牙を無骨な指でなぞりながら、石型の型を取り出した。スーマがぴぎぴぎ鳴きながら親父の手元にまとわりつくようにして位置を決めると、ひどく細い光線で牙を包むかのようにしてまとわりつかせる。繊細な魔力のコントロールはさすがイビルアイ。奴らは狙ったものなら針の穴でも光線を通す。
スーマが施した光線によって、硬質な部分が嘘みたいに蕩けて台座にきれいに収まる。あの大きな牙が、不純物を取り除いた純粋な魔力の部分のみをのこした液状となって石型の中に消えていく。
エルマーもナナシも、それを近くで見ながら感心したようにスーマをみた。この元魔物の知能は恐ろしいくらいだ。敵側になっていたらと思うと少し肌寒い。
爺によって宝物と名付けられ、従魔となった今は寿命も爺と同じ長さになっている。
飛べないだけで、そこらの魔物よりもある意味脅威だ。
「器用なもんだなぁ。」
仕事を終えたスーマはぶんぶんと尾を振り回しながら、褒めてくれたナナシの顔をべろべろと舐め回す。エルマーもさっき舐められたが、思ったより悪くなかった。少し臭いが。
爺が特殊な器具で両端から圧力を掛けて一つの魔石にする。めったにお目にかかれない透き通った濃青のそれは、下限によってはネイビーにも見えなくはない。魔力を多く保有している証だ。
爺はこれなら強度のある結界術が付与できると言われたので、その石の裏側にその陣を刻印してもらった。
金色の台座に嵌められ、細いチェーンに通されたそれは、キラキラと輝いている。貴族のまとうゴテゴテしいアクセサリーとは違う、華奢なナナシに似合う繊細な細工のされたそのネックレスを前に、ナナシはため息を吐きながらうっとりと見つめる。
「ナナシはキラキラが好きだなぁ。」
「ふわぁ…すき…」
「ほれ、できたぞ。高く付くけど本当に払えるのか?」
「おうよ。大金貨一枚でたりるぅ?」
「つ、釣りがないわ!!金貨2枚で結構じゃよ。迂闊にそんなもんだすんじゃあない。」
爺は騙し取るでもなく、適正価格できちんと掲示してくれた。大金貨一枚と言われてもおかしくないと思っていた分、随分と懐に優しい。ならついでにナナシの服でも買うかと、うっとりしている本人ををほうって二階の階段に上がっていった。
「わしは下におるから、すきなのもっておりてくりゃあいい!」
「イビルアイの光線跳ね返す防具とかねえのー?」
「それは素材がないからつくれないんじゃあー!!」
「ちぇー。」
一階と二階で大声でやり取りをしながら、爺の手によって作られた装備を見ていく。
ナナシのネックレスに結界術が施されたが、防御力は高ければ高いほどいい。
エルマーがめちゃくちゃな戦い方をするので、できれば防水もできたら最高だ。返り血とか体液とか、飛び散ってもわかりにくい色とかも重要である。
端からじっくりと見ていくと、黒いシンプルなローブが目についた。ナナシは細っこい体をいつも寒そうにして縮こませているのだ。これがあれば夜寝るときもくるまれる。なんの皮だかわからないが、しなやかで丈夫だし良さそうだ。流石に普通の服は売っておらず、あとは脛当てもついているブーツとかでいいだろう。こちらもシンプルな長靴のような形のものを見つけた。中敷きはふかふかしているし、つま先には鉄板が仕込まれて入る。
これで蹴られたら痛そうだが、まあ蹴られないようにすればいい。
エルマーは黒いローブとブーツを持って下に降りると、まだナナシがうっとりしたまま指先でネックレスをつついていた。
エルマーはナナシの為に作ってもらったのに、ナナシは自分がもらえるとは思っていないような反応だ。
頭の上にのせたスーマはナナシの黒髪をはぐはぐと甘噛みしては、ベロベロと舐めている。宿を見つけたら絶対に頭を洗ってやらねばと心に決める。
「んじゃ、これと合算で支払い。」
「おお!!!こりゃ、わしのおすすめなんじゃあ!!お前さんお目が高いのう!」
「なんかすげぇ丈夫そう。こりゃなんの素材使ってんだ?」
「山鯨じゃよ、たまたま素材が手に入ってのぅ。というか、肉しか使わんとか言うてギルドの解体屋からもらったんじゃあ。」
「山鯨!へぇ、仕留めたことあるけどでけぇよなあ。」
「‥わしゃもう、お前さんには驚かんと決めたわい。」
山鯨とは大きな山を根城にしている。生息区域に入ると青っぽい霧が森を包んでいるので、数度出くわしている冒険者なら場所の特定はしやすい。ただし常に土中を泳いで移動しているので、どこにその霧が出るかはわかっていないが。
大きさは変幻できるが、本体は巨大な魚型の魔物だ。大きな背にはちょっとした森ができており、その背に入る果実には滋養強壮に効果的な実が実っている。これがまた高く売れるのだ。
「肉かぁ。まあたしかにシチューにしたらうまいよな、山鯨。」
「ほじゃろ。めったにとれん大物よ、子っこがとれたからってたまたまギルドに持ち込まれたんじゃ。」
「子供とったのか?うわぁ、その親は荒れるだろ。山鯨の子は触れるなって掟はしらなかったんか。」
エルマーはげんなりとした顔をした。山鯨は非常に愛情が深い生き物だ。繁殖しても一匹しか子は生まれず、寿命もながい。山鯨を狩るのも、背中の木が枯れ、代替わりが済んだもののみと規定で決まっている。なぜなら恵みを失った山は死ぬからだ。
「そういや一つ山が崩れたのぅ…そこの子じゃったんだろうか。」
「今の若いやつは知らねぇのか…まぁいいや。ギルドの職員に言っとくよ。」
「わしにとっちゃお前さんも若いがのう。全部で金貨4枚じゃ。ほれ、今日はもうええ時間じゃ。微調整しとくから明日また取り来てくれんか。」
ちらりと爺が目配せした先には、スーマを抱きしめて、ついにはすよすよ寝息を立てているナナシがいた。実に平和だ。
エルマーは小さく笑うと、もぞもぞと抜け出そうとするスーマを助けてやってからナナシの首にネックレスを付けた。やっぱり思った通りでよく似合う。まだナナシの首は細くてチェーンは長いが、服の中に隠れるからちょうどいいだろう。
よいしょと小柄な体を抱き上げると、エルマーは振り返って礼を言う。
「明日またくるわ。爺、ネックレスあんがとよ。」
「なんの、わしじゃって今日は助かった。また明日のう、昼間にきてくれ。」
「昼間な、りょーかい。」
エルマーは入ってきた扉を潜ると、外はもう結構暗かった。飯も食いたいが、ナナシはおきなさそうである。仕方なく晩飯は携行食で諦めることにして、まずは宿だ。
ギルドに戻って宿の場所を聞くのもだるい。仕方なく適当にぶらついて、鍛冶屋からそこまで遠くない宿に寝場所を決めた。『猫の爪』と書かれた宿は、これまたナナシが喜びそうな内装で、まるで娼館に来ているような妙な気分になる。
「あら、こんな時間にいらしていただいても晩御飯は出せませんよ。」
そんなエルマーの渋顔が気に障ったのか、可愛らしい水色のドレスに身を包んだ銀髪眼鏡のフロントスタッフは、ニッコリと微笑んでそうのたまった。
「いらっしゃいませの前に嫌味とはすげぇ嬢ちゃんだなあ。」
「あら嫌だ、私ったら。ご宿泊ですか?」
「おう、風呂はいれる?」
「お風呂なら備え付けております。朝ごはんはバイキング式なので好きな時間に勝手にどうぞ。」
ちょいちょい嫌味っぽい女だなあと思いながら、さすがのエルマーも女性には強く出られない。単純に冒険者が嫌いなのかもしれないしと自分を納得させると、鍵と一緒に何故か小瓶を渡された。
「必要なものは全てベッドサイドの引き出しに入れてます。使うのは自由ですが、使ってください。」
「あ?おう…てかなんだこれ。」
「またまた、知らないわけ無いでしょうに。」
「あ?まあいいや、使わねーだろうし。」
エルマーがそういうと、ますますムスッとした顔になる。どうせ一泊しかするつもりもないし、接客がどうのとか文句をつけて面倒くさい客認定されるのも嫌だったので、言いたいことはあったが飲み込んだ。
二階の部屋に続く階段の手摺さえ猫の手のようなオブジェがついている。磨き上げられたそれは階段の足音を軽減させる柔らかい絨毯を囲みながら続く。何処までもエルマーが苦手な雰囲気だ。このドリアズがここまで絵本のような街だとは想像してなかった。名前だって、毛の生えた屈強そうな親父とかが名乗ってそうなのに。
ずり落ちそうになるナナシを抱え直しながらドアを開けると、引きつり笑みがとまらない。もう想像はしていたが、ここまでとは。
ぷぅぷぅと寝息を立てるナナシの体を天蓋付きのベッドに寝かせると、どっと疲れが襲ってくる。ナナシにではない。この街に入ってからずっと、パステルカラーと花柄と、きらきらした女が好みそうな可愛いが襲ってくるのだ。
「はぁあ…。」
「んん、む…」
ギシリとベッドを揺らして座ったエルマーの後ろで、もぞりとナナシが動く。どうやら座ったはずみで起こしてしまったらしい。
「おー、寝る前に風呂はいろうや。スーマにベロベロされまくってたろ。」
「んん、ぁい…」
のそのそと起き上がると、小さい手で口を覆いながら大きな欠伸をする。そのまま細い足がふかふかの絨毯の上に乗ると、「おぉ…」とその感触を楽しむように足の指先でもにもにと遊んだ。
ナナシの知らない場所に来ている。今日は色んなものが見られるなぁと眠気眼できょろりと見渡して、そういえばお風呂だっていってた。と、お風呂がなにかわからないが、ナナシはよろよろしながらエルマーのそばにいくと腰に抱きついた。
「おー、きた。それ、似合ってんじゃん?」
エルマーがクスクス笑いながらナナシの顎下を擽る。何が似合っているのかわからなくて、もしかしてこの服のことだろうかと下を向いて、ナナシは固まった。
「え、え、あ、」
「ぶはっ…くくっ、それ、その反応いいわあ…」
自分の服に散らばる青い反射光を放つそれは、ナナシがうっとりして見ていたネックレスだった。たしかにエルマーはナナシにくれるとはいったけど、それもエルマーが自分でつけて飽きたら下げ渡されるのだろうと思っていたのだ。
新しいものを、ぴかぴかの新品のものを、ナナシが貰ってもいいのだろうか。
ナナシはそのつるつるした表面を汚さないようにそっと台座を摘むと、頬を真っ赤にさせてエルマーを見上げた。
「こ、こぇ、ななし?こぇ、くぇうの…ほんとに?」
「ほんとにあげる。」
「え、え、えるぅーー!!!」
ナナシは台座にはまったそれと、エルマーの顔を何度も見比べ、何かを噛み締めるように俯いてぷるぷると震えたあと、それはもう面白い泣き顔でエルマーに飛びついた。
可愛い顔を歪めて、笑えるくらいの泣き顔で口元をふにゃふにゃさせながら、全身で嬉しいを表現した。
エルマーは屈んでその小さい体を受け止めると、首にナナシをくっつけさせたままよしよしと頭を撫でる。
こんなに喜んでくれるのなら、送りがいがある。
エルマーは、明日には更にナナシにとっての宝物をプレゼントするのだが、着ているボロ布を捨てようとして大泣きされることになるとは、このときはまだ思いもよらなかった。
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