13 / 163
12
あのあと、使役されたサジは突然消えたり出たりと忙しなく自らの能力を確認したあと、存在を消すこと以外は変わらないと判断したのか、ご機嫌でそのエルマーの手のひらの傷を見つめて言った。
「サジは普段そこにいる。何者の存在になったのか知らんが、まあそういうものだとでも思ってくれ。」
「はぁ?おま、常にここにいんのか!?シコりにくいだろうが!」
「しこ…?」
「うん、気にすんなぁ。」
ナナシはエルマーが言った意味がわからず首を傾げる。エルマーは、そんな言葉は覚えんでよろしいとナナシの頭を撫でて誤魔化した。
サジはというと、ニコニコしながら通り道がそこなだけで、感覚や視覚の共有はできないといった。
非常に残念そうな顔で、「サジの後ろと繋がっていればよかったのになぁ。」などとエルマーの手に異空間魔法で自分の尻と直結させようかという恐ろしい提案をしてきたので丁重にお断りをしておいた。
サジの胸を突き刺した短剣は、どうやらサジの魔力の源だったらしく、名前持ちの魔女なら誰もが魂を分けた呪具を持つという。その短剣で胸を突き刺したサジは、魔女の倫理に反して隠すべき魂を奪い刺した相手の使い魔として堕ちたということらしい。
サジいわく、「名前持ちを使役するならそいつの魂で殺せ。」とこれまた爆弾発言をし、また呪われるんじゃないかと心配したエルマーに対しては、「死んでまで呪われてたまるか。ふはははは!!」と笑って返した。
なんにせよ、サジのせいで大いにくたびれた。使役者の証として刻まれた不思議な花の紋様は、サジの唾液で入れ墨のような跡を残して傷口は塞がった。
まさかこんなに不気味な傷跡になるとは。人と握手する時に悲鳴を挙げられるにちがいない。ただでさえ義眼を落として怖がられるのに。
そしてとんでもなく濃厚な夜を飛び越えた翌朝。まさかのサジも一緒に爺さんのところに行くと言い出した。
サジを不明瞭な存在として使役してるので仕方はないが、そもそもこの宿だってナナシと二人で入ったのだ。3人で出るというのは違和感しかない。受け付けはあの感じの悪い嬢ちゃんだし、朝から一悶着起こすのは御免被りたい。
「お前どっか消えててくんね?」
「おや。サジはいじめられているのか。」
「ちっげぇ!お前が侵入してこなきゃよかったんだっつの!宿出たら出てきていいからよ!」
「サジばぃばぃ。」
ふんす、とぶすくれたナナシがエルマーの手を握りながら言う。片眉を上げたサジは、にっこりと微笑むと、心配はないと言いはった。
「ここに来るときに、エルマーに呼ばれたといったからな。」
「は?は!?」
「どうやら女はサジのことを男娼だと思ったらしい。うふふ、愉快である。」
「愉快である。じゃねえ!!ああ、さいっあくだぁ…てことは俺がここに来たときから好色野郎だと思ってたってことかァ!?」
やけにご機嫌でそんなことをのたまう。むしろ男娼と致すよりも濃厚な一晩を過ごしてしまった以上、あっけらかんと否定するにもし辛い。
床のかすかな血痕はサジの魔法で消したが、それでもどんな目で見られるか。
「エルマー、こうしょく?」
「ヤリチンということだ。」
「サジィ!!」
「やりちん…」
たどたどしい言葉でそんなことを言う。否定はしなが肯定もしない。不思議な響きに繰り返しつぶやくナナシの口を手で塞ぐと、サジはニヤニヤしながら姿を消した。なんだか朝っぱらからクソほど疲れた。ナナシが何か気になったのか、ベッドの横の引き出しを引くと、不思議な形をした器具が出てくる。きょとんとしながらエルマーのお腹をそれで突いた。
「んあ?なんか面白いもんでも、」
「えるぅ!こぇ、なに。」
「…マッサージ器具だ。てこたぁ、あの小瓶はローション…」
「ろーしょん。」
「それも覚えなくていい。」
ナナシの手に握られた張り型をそのまま引き出しに戻す。わざとではないとはいえ、あれで突かれたのだ。エルマーはナナシに、あれは置いて使うものだから、人をつついちゃいけないよと教える。
昨日の晩に話た態度の悪いフロントスタッフは、エルマーのことを連れ込み宿扱いした不届き者というレッテルを貼ったらしい。じゃあなんでここに張り型があるのだという話だが。
結局ナナシと手を繋いで宿をあとにしようとしたときに、フロントスタッフからは満面の笑みで健全な宿なのであまりそういった娯楽はやめていただきたいと言われた。
「じゃあなんで張り型置いてんだぁ。」
使わなかったけど。
そう聞いたところ、フロントスタッフはムスッとしながらこう告げた。
「そもそもうちの村に連れ込み宿があるとお思いですか。この規模で。」
「じゃあ、あの部屋だけ?」
「ええ、ほかは満室でしたので。サービスの一環としてですね。小瓶はお使いにはならなかったようですが。」
なんだか可愛そうな目でナナシを見る。エルマーは心底めんどくさいという顔をして、ナナシはそう言うんじゃないと言おうとしたのだが。
「昨夜の相手はサジだ。それはもう死ぬ思いをした。」
「サジ!!ううー!!」
「やいちび!ふはははは!!」
「サジきらい!!!ううう!!!」
ニコニコしながらいつの間に出てきたのか、後ろから抱きついてくるサジは美しく微笑むと、ナナシの威嚇も物ともせずに煽るように舌を出してからかった。
エルマーは心底ゴミを見るような目でフロントスタッフのお嬢さんから鼻で笑われると、
「まぁ!性の視野が広くていらっしゃる。」
などとそれはもう盛大な嫌味を言われた。
「だからお前はかきまぜんなってぇ!」
朝から盛大な見送りをされながら、逃げるようにして宿をあとにする。せっかくふかふかのベッドで寝られたというのに、サジのせいでゆっくりと眠ることができなかった。むしろ野宿のほうが断然マシな気さえする。尻の座りの悪い宿では休みたくても休めない。
結局サジは宿を出た瞬間に、「サジは所用だ。」とか言い残してご機嫌でどこかに消えて行った。マジで自由すぎる。エルマーは朝から不機嫌なナナシの手を握りながら、約束の時間に合わせてチベット爺さんの工房まで足を運んだ。
「すーま!すーまかぁいい。すき!」
「すっかりこの子がお気に入りじゃのう。」
扉を開けた瞬間に物凄い跳躍をみせたスーマは、出迎えを嬉しがるナナシによって抱きとめられると、その柔らかな頬に灰色の毛並みをスリスリと擦り付けて甘える。ときおり見える裂けた口に細く並ぶギザ歯は心臓に悪いが、二人はもう完全に友達だった。
「っあ゛ーーー‥茶が染みるぜぇ…」
「お前さん、なんだか疲れてないか?」
「いやぁ、もうなにがなんだか。」
サジとの一件を言うにはまだ知り合ってから日が浅い。エルマーは何も言えないがとにかくしんどい。そう言うと出されたお茶を飲み干した。
ナナシもにこにこしながらスーマと同じものを食べている。
「あ!?」
「なんじゃ、さわがしいのう。」
「ナナシお前なにくってんだ!」
「う?」
ぴぎっと鳴いたスーマが食べていたのは屋根裏で捕まえてきたネズミだった。どうやらスーマが友達の証としてナナシにも分けたらしい。ナナシは尻尾をくわえてにこにこしている。
「だめだそんなもん!ぺってしなさい!」
「あぅ、でも、こぇ、たべてたよぅ。」
慌ててエルマーがナナシの咥えていたネズミを取り上げると、何をすると言わんばかりにスーマがぴぎぴぎと鳴く。ナナシは困ったような顔をしてスーマが仕留めたネズミを見ると、しょんもりとした。
「ええっ、く、食ってたぁ!?お前さん、一体この子に何食わせて育ててるんじゃ!」
「いや流石にネズミは食わせてねぇ!ってことは、拾う前の時か?」
「えいよう。」
はぐはぐとスーマがネズミを食べている様子をじっと見つめたあとに小さくうなずく。
ナナシは奴隷だったこともあり、生きるためならなんでも食べた。牧場で3日に一度出る硬いパンは、牛が飲んでるお水に付けて柔らかくしてから食べていた。ネズミはねこをまねして取ったらしい。一度生で食べようとして断念してから、マッチで作った火に焼べて食べたという。
美味しくないけど、お腹が膨れる。だからくれるものなら何でも食べると拙い言葉で言うと、爺もエルマーもなんとも言えない顔をしてから、ぎゅぅっとナナシを抱きしめた。
爺は今朝食べていたパンを持ってくると、これを食べなさいとナナシに与えた。
「ふかふか。あまいのやつ、みたい。」
「ああ、あんときのか。」
恐る恐るパンを受け取ったナナシは、ツンツンとつついてからパクンと食べた。よく考えてみたら、結局昨晩はなんにも食わなかったのだった。ナナシは湖のほとりで食べたジャムの入ったものとはまた違う素朴なそれに、ふにゃりと笑う。
「おいひぃ…」
ナナシはその齧ったパンを3つに分けると、大きいのをエルマーにあげた。中くらいのをスーマにも上げると、ナナシは嬉しそうにしながらスーマと二人でもふもふのパンを食べて幸せそうな顔をした。
「このパン、多分全部ナナシのだぜ?」
「はんぶんこする。」
「なら、とっとくから後でくいな。」
「あぃ。」
スーマの口端に付いた食べかすを取ってやると、パクンとそれを食べる。なでなでと毛並みを整えるようにスーマを膝に乗せて撫でていると、爺が奥から戻ってきた。
「忘れんうちにの。ほら、着てみい」
「あ。さんきゅ、ナナシこっちおいで。」
「んん?」
ととと、と駆け寄ると、エルマーの膝に乗せられた。早速ナナシに履かせていたボロ布と靴だったものをとると、スポンとブーツを履かせた。
ナナシはキョトンとしてから細い足に履かされたそれを見つめると、なんだかふかふかとしたクッションが足に優しい。少しだけ重いけど、恐る恐る歩いてみるとごつごつとかっこいい音もする。街のみんなが履いているものよりも、黒くてかっこいい。
ナナシは頬を赤くして顔を上げて爺をみると、ぴょんぴょん飛び跳ねてから抱きついた。
「つおい!じじ、つおい!」
すごい!こんなものを作れるなんてすごい!とスーマのように体全体で喜びをあらわすと、抱きつかれた爺は目を丸くしたあとは、ふぉっふぉと笑って頭を撫でた。
「ういのぅ。こんな素直な子ははじめてじゃて。」
「おーい、金払ったのはおれなんだけど。俺にはなんかねぇの?」
くすくす笑いながらその肩に爺がローブをつける。いいとこを容赦なく奪っていくが、見た目は完全に爺と孫だ。ナナシはそのローブも嬉しそうにしてつけてもらうと、くるくるまわって裾の広がりを楽しんだ。
「つおい…」
自分が、なんだかちゃんと人として一人前になれた気さえした。
ナナシはくふくふと嬉しそうに笑っていたが、足元を見て、ローブを握りしめ、ゆるゆるとエルマーの顔を見上げると、悲しくもないのになんだかじわじわと涙が出てきた。
エルマーはぎょっとしたが、ナナシは泣きながら笑うという器用なことをすると、えひえひ言いながらついには様相を崩し、両手で顔を覆うとグジグジと肩を揺らして泣き始めてしまった。
「…ほら、おいでぇ。」
「うっ、うぅ、ひっく…え、えぅ、まー‥っ、」
「おう、よほど嬉しかったんだなァ。ここにはお前の為に笑ってくれる奴しかいねぇよ。」
「ふぐ、っぅ、うわぁ、ああ…っ」
泣いてエルマーに抱きつくナナシの足元を、スーマがくるくると駆け回っては心配そうに、その細長い体を二本足で立ち上がると顔を覗き込む。
単眼の妖精は心配そうに瞼を眉のように動かし、器用に表情をつくってはピギっと鳴く。
「お嬢ちゃん、よっぽどつらい目にあってきたんじゃのう…わしの装備でそんなにも喜んでくれるとは、職人冥利につきるわい。」
「ちなみにナナシは男だ。」
「うゅ…っ、」
「なんじゃと!こりゃたまげたわい!」
エルマーは嬉し泣きするナナシのことを慰めながら、未だ勘違いする爺の言葉にようやく訂正を入れた。仮にナナシがまじもんの女のコだったらエルマーだって大変だ。何回裸を見たと思っている。そうだとしたら、居たたまれなくて片目を外して放り投げていたかもしれん。義眼なので痛いのは懐くらいだが。
「ありぁと、えるぅ。」
「おうよ。」
ふにゃりと笑うナナシの目元の涙を拭う。
数日で離れがたくなっている。庇護欲がそうさせるのか、はたまた一人の旅路が飽きたのか。理由は自分でもわからないが、サジがからかうことだけは間違いは無いだろう。
ともだちにシェアしよう!