17 / 163

16

全身が甘い痺れに包まれたまま、ナナシは睫毛を震わせた。頬に当たる体温が心地よくて、もっと近くで感じたいと擦り寄る。 ナナシの髪をかきあげるようにして不器用に撫でる手を追いかけるようにして甘えると、上からぐぅっという、妙なうめき声がきこえた。 「ん…?」 ゆるゆると顔を上げる。うめき声の正体はエルマーで、毛布にナナシを包みながら痛そうな顔をして見下ろした。 「…はよ、その、体は?」 「える、へいき。」 「ああ、ならよかった…」 ほう、と息を吐き出す。目元が赤いのは昨日エルマーが散々泣かせてしまったからだ。親指でそこに触れると擽ったそうに身をよじる。ナナシが起き上がったエルマーに続こうと腕に力を入れて身を起こす。ばさりと毛布が落ちて顕になった体には、虫に刺されたような痕が散らばっていた。 キョトンとした顔で体を見ては首を傾げる。ぺたんと尻を床につけ、痒くないのに不思議だと言わんばかりに無垢なナナシをみて、エルマーは心底やらかしたと言わんばかりに落ち込んだ。 「ああぁあ童貞じゃあるまいし何やってんだまじで…サジぃ!」 もう誰でもいいからとりあえず殴ってくれと言わんばかりにサジを呼ぶ。ふわりと後ろから抱きつくようにして現れたサジがナナシをみて目を丸くすると、あんぐりと口を開けた。 「なんだと!?エルマーの化け物ちんこ突っ込んだのか!!この尻に!!」 「突っ込んでねえ!!セーフだ!!」 「サジ!」 慌ててサジがナナシに飛びつくと、ベタベタと体を見聞する。足を開かせると、顔を赤らめたナナシが大人しく顔を隠す。隠すべきはそこじゃないのだが、幼い蕾をまじまじと見つめるサジはそれどころではなかった。 「よかった。裂けてない。サジでさえ飲み込むのに苦労するというのに。」 「とりあえずナナシの足閉じてくんね?ナナシも隠すなら股ぐらだろうが。」 「あぃ。」 若干頬を染めてキレるエルマーに、サジが珍しいものを見るように見つめた。 「まるで童貞のような反応をする。うふふ、これは一興。」 「ンなの俺がいっちゃんわかってらァ!!」 朝から何だこのやり取りはとがなる。エルマーはと言うと、サジに一発殴ってもらうために呼び出したのだ、ならばまずは目的を果たしてもらうかとサジの手を掴むとテントの外にでた。 「お前俺のこと助走つけて殴ってくんねえ?」 「なるほど。そういうプレイか。いいだろう、ものすごいのをお見舞いしてやる。」 「いやプレイとかじゃ、て、あ!?」 ふと幽鬼を倒した場所をみると、そこにあるはずの魔石が無かった。幽鬼の魔石は太陽に焼かれて出現しても多少の瘴気は纏っている。 それに聖水を垂らして浄化させるのだが、それをする前になくなっていた。 エルマーは慌ててあるはずの場所に駆け寄ると、そっと土に触れる。 「うっっそだろ。幽鬼の魔石がねえんだけど。サジ食った?」 「食うわけなかろう。常識がないのか。」 「おまえにだけは常識とか言われたくねんだけど。」 サジはエルマーの背後から顔を出すと、土と太陽を見比べた。紫色の舌があったはずの場所には焼け焦げたあとがあるので確実に太陽に焼かれている。肝心の魔石だけが跡形もないのだ。盗むにしたって余程のバカしか盗まない。幽鬼の瘴気はいわば呪いのようなものだ。冒険者なら常識である。だから幽鬼の魔石が放置されたいたとしても、誰も手に取らない。聖水が無ければ使えないからだ。 「聖水をかけていたら、芽吹くぞ。」 「え、芽吹くの?それはしらんかった…てこたぁ、聖水なしで持ってったバカ野郎がいる?」 「いるな。しかし幽鬼がでたのか。サジの苗床にしたかった。」 惜しいことをしたと言わんばかりのサジに、もったいない事をしたとうなだれるエルマー。ナナシはというとふらふらと洗濯物近づいて、お漏らしをしたズボンが乾いているか確認をすると、しょんもりとした。まだ乾いていなかったのだ。 「えるぅ、」 困り顔でズボン片手にふらふらと表に出ると、エルマーがはっとした顔をしてサジをみた。 「そうだ、とりあえず一発よろしく。」 「やむなし。」 ナナシの頭を撫でてそこにいろというエルマーに、ズボンを握りしめたままのナナシは首を傾げた。 サジは楽しそうに開けた場所の反対側までかけていくと、くるりと振り向いた。 エルマーは気合を入れ直すように頬を叩いてから受け入れるように足を肩幅に開いて腰を落とす。 「おし、ばっちこーい!!」 ナナシは二人を眺めながらもそもそとズボンが少しでも乾かないかと端を伸ばしてパタパタと揺らす。サジがそれを何故か合図ととると、それはもう楽しそうにしながら人差し指を勢いよく振り下ろした。 「マイコニド!」 「はあ!?!?!?!?」 突然サジの足元から現れたオレンジ色のキノコにエルマーが素っ頓狂な声をだす。あれは道端で対峙したきのこそのもので、サジがニコニコしながら殴っていいぞと指示を出した瞬間、それはもう物凄い勢いで二足歩行のキノコがジャンプした。 「多分そこまで痛くないはずだ!」 「いやお前拳で、っいてえ!!!」 そのままきのこは瞬時に地面に消えたかと思うと、エルマーの足元から勢いよく飛びだした。 笠で頭突きをされたエルマーはどしゃりとその場でずっこけると、マイコニドと呼ばれたキノコは笠を震わしながらその場を駆け回って喜んだ。 「つおい、きのこ!」 ナナシがあのときのキノコだと理解すると大はしゃぎをしながら駆け寄る。サジはナナシは悪いやつじゃないと言うと、マイコニドは短い両手を広げてぴょんとはねた。 「うふふ、サジの子だ。かわいいだろう。」 「お前、吸血花の種植えてたよな?なんでキノコになってんだ…」 「植えて育っているぞ。あれは干からびたキノコに魔力を与えたらああなった。」 顎をさすりながらエルマーが腹筋で起き上がる。 じいっと見つめると確かにサジと同じ魔力を感じる。まったくこいつは実験大好きすぎるだろうと呆れたように見つめた。 「そういえば皇国は今治安があまり良くないらしいぞ。」 「なんでそんなこと知ってんだ。」 「サジはほら、消えられるしなあ。」 「うわっ、チートじゃねえか…くそずる…」 ナナシはぎゅむぎゅむとマイコニドに抱きついて楽しそうにしている。短い手をぴるぴるうごかして抱きしめかえそうとしているのだろう、ナナシに好意を抱かれてキノコの魔物は笠をピンクに染めた。 「魔石は残念だが、清めずに持ち去った相手の末路なんぞ気にしてやる必要もないだろう。」 「ああ、そろそろいくかあ。」 「えるぅ、」 マイコニドと手を繋ぎながら生乾きのズボンを片手にしょんもりする。サジがキョトンとした顔をしてナナシを見ると、エルマーが生地の濡れ具合を確かめて苦笑いする。 「まだ乾いてなかったかぁ。」 「乾けばいいのか?」 「あぃ…、う?」 サジが濡れたズボンをマイコニドの笠にのせた。 湿気で成長するキノコの魔物は、ふるふると見を震わすと、先程よりも一回り大きくなった。 手が短いので乗せられたズボンはとれないが、笠を傾けてナナシの手に乾いたズボンを落とす。 「まいこ!つおい、あぃがと!」 「マイコニドだからマイコか。」 「次漏らしたらマイコに手伝ってもらえな。いってぇ!!」 「える、やー!!」 悪気なく昨日お漏らしをしたことをエルマーにばらされ、よほど恥ずかしかったのかナナシがあるき始めたエルマーの腕をペチンと叩いた。今のはエルマーが悪い。 サジはそれはもう面白いことを聞いたとによによしながらナナシをからかう様に見つめる。マイコだけがナナシに何も言わないで手をつないでくれる。 「さて行くかぁ。」 三人と一株のキノコが皇国に入るための列に向かう。朝が早いせいか人も疎らだった。 やはりサジの言っていたとおり皇国の治安は悪いらしく、エルマーもサジもナナシも、顔が整っているせいか下卑た輩からは不愉快な笑みを浮かべ見つめられた。 列の後ろに並ぶと、ナナシはビクビクしながらマイコにしがみついてはあたりの様子を伺った。 なんだか冒険者はみんな怖い人ばかりで、サジやエルマーみたいに穏やかそうな人はあまりにも少ない。勿論サジもエルマーもまったく穏やかなんかではないのだが、あくまでも見た目の話だ。 エルマーは怯えるナナシの頭にフードを被せると頭を撫でた。サジは何が面白いのな口元をニヤつかせながら大人しく列が進むのを待っていた。 「エルマー、絡まれたら暴れてもいいか。」 「入国前に問題起こすのだけはやめろ。」 「えー、つまらん。正当防衛でどうだ。」 「だめだっつの。」 列が進むたび、まるで吟味するかのように城門を取り仕切る衛兵が馬に乗って見回りをしている姿が目につく。 別にやましいことなどなにもないので黙っていると、ちらりとサジの顔を見てにやつく。 エルマーは横目でそれを見ると、小さくため息を吐いた。 「おい、そこのお前ら。城門についたらしばし待て。持ち込み禁止のものがないか改めさせてもらう。」 「持ち込み禁止ってどんな?」 「うちの国では性奴や売春を目的とする人物の入国を禁じている。へんな病気を持ち込まれないようにな。」 にやりと笑う衛兵の言葉に、やっぱりか、やら、そうだと思った。などと邪智する声がチラホラと上がる。サジはというと、興味深そうに衛兵を見つめると嫣然と微笑んだ。 「エルマー、サジのことを奴隷だとおもっているのか?」 「奴隷つれて歩ける甲斐性なんて持ち合わせてねーよ。」 「だそうだ。サジはサジだ。」 どこの国でも職権乱用の身体検分名目で手籠めにしようとする奴らはいるのだなと思った。 エルマーはナナシの肩を抱き寄せる。サジの細い腕がエルマーの背中に回ると見えるように中指を立てた。それを見た衛兵が怒りに顔を赤らめると、語気を強めた。 「おい!」 「急かすな。どうせ中に入るためにも城門で調べられんだろーが。ここで止まる方が迷惑だろ。」 至極真っ当なことを言われた衛兵は、苛立たしいといった顔で歯噛みする。自分が行った手前文句も言えず、忌々しそうに舌打ちをした。 サジが馬鹿にするように舌を出して煽るので、頭を叩いてやめさせる。好戦的はサジはすぐに人間を玩具にしたがるのだ。 「え、えるっ、ぁ、」 「んだ、どんくせえガキだなぁ。」 エルマーから離れて遅れてきたマイコの手を握りしめると、慌ててナナシとマイコはとてとてと遅れを取り戻そうと駆け寄った。 身なりに気を使った金髪の大男がその足を突きだす。突然のことでよろけたナナシがべしょりと転んだ。 「あ、あ、だめぇ!」 ナナシを助けようとかがんだマイコの白い体を靴底が蹴る。キノコの肉厚な体はぼいんと地面に跳ねて転がると、ナナシは慌ててマイコに抱きついた。 「おいガキ、なんでてめえ魔物なんか連れてやがる。よこせ、俺が討伐してやるよ。」 「だめ、マイコ!いたい、だめぇ!」 エルマーがナナシの声に気づくと、サジに並ぶのを任せて慌てて列から出た。少し離れたところで大男を眼の前にマイコを抱きしめて守ろうとする姿を見ると、ちらりと衛兵をみた。 明らかに魔物だとバカにして見てみぬふりをしている。度量がわかるその態度に鼻で笑うと、エルマーは足音を立てて二人と一株に近づいた。 「おいおい魔物を友達扱いかよ。やめとけやめとけ、」 「おいおっさん、そのへんにしとけよ。マイコニドもやられたらやり返せっつの。」 「えるぅ!マイコ、いたいのやだぁ!!」 泣きそうなナナシにしがみつかれたマイコは、ぴるぴると笠を震わすとふわふわと胞子を振りまいた。 エルマーが慌てて口元を抑えると、胞子はまるで最初から決まっていたように大男の周りにまとわりついていく。 それもしかして増殖の胞子じゃね? と、なんとなく察してしまうと、エルマーが思ってる以上にえげつない仕返しをしたマイコは、ナナシの手を取るととてとてと何事も無かったかのように列に戻った。 エルマーは引きつり笑みを浮かべると、さすがサジの魔物だと無理やり納得して二人を追いかけた。 列に戻ったナナシがしょんもりしながらマイコの白い体についた靴跡を拭うのを見つめながら、サジはご機嫌にマイコの頭を撫で言った。 「燃やせば収まる。うふふ、見ものである。」 「うふふじゃねえわ!」 自業自得で収まればいいが、エルマーは頭の痛そうな顔をすると、マイコにしがみついて落ち込むナナシの頭を撫でた。

ともだちにシェアしよう!