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前髪を擽る様にして頭をこっそりと撫でられる。恐る恐る、という方が近いかもしれない。 ナナシはその手に甘えるようにしてすり寄ると、そっと後頭部を支えるようにして抱き込まれる。 温かい、嬉しい、幸せだ。 素肌にこすれるシーツがきもちいい。小さな手でぎゅっと抱きつくと、あやす様に優しく髪を梳かれる。 「おきてんのか?」 「ねてる。」 「ふは、なんだそれ。」 掠れた声で、エルマーが聞く。なんだかこの特別な時間が終わってしまうのがちょっとだけ物足りなくて、ふるふると頭を振りながらエルマーの胸元に顔を埋める。 「お、朝からおはようも言わせてくんねえの?」 「おはよう、は、あとで…」  「そうか。だってよ。」 「うん?」 エルマーが話の脈絡が繋がらないことを言う。 ナナシはポヤポヤした頭で腕の中から顔を出すと、額に口付けられる。 「幼児性愛があったとは。」 「幼児じゃねえし。少年だろ。」 「んぇ…」 なんでジルバの声がするんだろう。ナナシがもそりと後ろを振り向くと、腕を組んで壁に寄りかかっているジルバがいた。 「じるば…」 「変態の相手は大変だな。俺が不能にしてやろうか。」 「変態じゃねえ。」 むくりと起き上がったエルマーに布団を被せられる。もぞもぞと再び顔を出すと、下着だけ身にまとったエルマーがジルバから果実水を受け取っていた。 「昨日の詫びだ。回復の魔法をかけている。昨日の無体にも効くだろう。」 「無体してねえ。同意だっつの。飲む?」 「おみず、のむ。」 ナナシもベッドから起き上がると、ジルバが床に落ちていたシャツを拾って渡してくれる。今日も沢山虫さされがある。ナナシは首を傾げながら胸元に散らされたそれに触れる。 「独占欲の塊が近くにいると苦労するな。」 「かゆくない、ふしぎ。」 「…正しい性教育をしているのか?」 「実地で…」 ジルバの訝しげな目線に、エルマーは顔ごとそらしながら呟く。キスマークも知らないナナシに、なんつーことをしたのかという露骨な目だ。自分でもそう思う。 「さじ、いないね」 「あいつなら動けんよ。俺の部屋にいる。」 「てめえも堂々とヤってんじゃねーか。」 「求められれば吝かではない。」 ジルバもジルバで、昨日の夜にストレス発散とばかりにひいひい言わせてきた。お陰様で実に満足の行く夜を過ごすことができた。事後の甘い余韻に浸ろうとしたら、種を取り出されて精液をかけろと目を輝かせて言われたので、物理的に眠らせてきたが。 あれさえなければいいのにと、毎回思う。 「皇国にきたら、俺の家が寝床だからな。」 「肉豚っつーすげえ名前の男んとこにも行ってんぜ。」 「なんだそいつは。聞いてない。まさか俺以外とも寝ているとは…」 寝てるかどうかは知らんが。エルマーは面白そうなので黙っておいた。 サジはクソビッチなので色んな場所に現地夫がいる。穴の乾く暇がないと真顔で言われたときは張り倒した位には、恥じらいというものも無い。 「える、」 「ん。」 ナナシの手で開かなかったのか、コルクが刺さったままの瓶を渡される。そのまま細い部分を抑えてキュポンと引き抜くと、嬉しそうに受け取った。 「んで、おまえはサジなら俺んちって言いに来たのか?」 「いや、お前の耳に一応入れておこうと思ってな。」 「あ?」 んくんくと果実水を飲むと、手に握りしめたコルクをくんくんと香ると、レモンの香りがする。その蓋をそっと瓶の口に押し込むと、ちゃぷんと揺らして水がもれないか確かめた。 わしわしとナナシの頭を撫でるエルマーの手が、だんだんとゆっくりになる。もっと撫でてほしくて大きな手を持ち上げて頭に乗せると、ちらりと顔を見上げた。 「う?」 ジルバの話を聞いて、エルマーが難しい顔をしていた。初めて見る顔で、ナナシがキョトンとしているのに気づくと、エルマーはわしゃわしゃと頭を撫でて取り繕う。 「呪いの土。」 「ああ、じつに裏切り者が魔女らしく活動してくれるおかげで、名前持ちは忙しい。お前が処理したあの化け物も、死んだ孤児の血と土を含ませて作ったゴーレムさ。」 「どこが出どころだ。」 「それを探ってほしいのさ。俺は忙しいしなあ。それに、変な魔石も見ただろう?」 「…これか。」 エルマーはインペントリから魔物を倒したあとに出てきた乳白色の魔石を取り出すと、ゴトリと置いた。つるんとしたオパールのような不思議な輝きを放つそれが、あの禍々しいものから出てきたのだ。それを考えるだけで気味が悪い。 「これは、聖属性の結晶だ。」 「あ?これが、…あれから出てきたんだぜ?」 「聖水をかけて、これになったのだろう?」 「…ああ、そうだ。」 「聖石とはちげえのか。」 「あれよりももっと純度が高い。」 ナナシは、その結晶を目の前にして動けなくなってしまった。なんでだかはわからない。ただ、無くしていた何かのような懐かしさを感じてしまう。 これを見ていると、なんだか悲しい気持ちになってきて、それなのに嬉しい。 わけのわからない情緒のまま、ナナシはじっとそれを見つめていた。 触ってもいいだろうか。ナナシはどきどきしながら手をのばす。 すんでのところでがしりとエルマーに手を掴まれて、怖い顔をされた。 「駄目だ。また痛い思いしたらどうする。」 「でも、」 「でもじゃねえ。あんときだって大怪我したろ。」 強く言われれば、手を引っ込めるしかない。ナナシがあのときエルマーのミスで大怪我をしてから、こういった魔石や結晶には触らせまいと決めていた。 ナナシはしょんもりとした顔で、名残惜しそうに石を見つめる。 ほんのひとつつき、それだけでも良かった。 「随分と過保護だな。聖水晶が割れた話なら聞いている。」 「なら分かんだろ。また怪我でもしたら、俺が立ち直れねえ。」 「まあ、所詮ギルドに置いているものはまだまだ純度が低いからなあ。注ぎ込んだ魔力が多く、純粋ならば割れるだろうよ。」 「俺は割ったことねえ。」 「普通は離せば魔力の注ぎ込みは止まるからな。」 ジルバはどこから出したのか、自分だけ座り心地の良さそうな椅子を出現させると、それに足を組んで座る。くい、と指を曲げた瞬間にふわりと浮き上がった魔石は、くるくると回りながらフッと消えたかと思うと、ポンッとナナシの手の中に落ちてきた。 「え、」 「っ、ナナシ!」 エルマーが目を見開くと、手に収まった艷やかな魔石からぶわりと光が溢れ出した。まるで手の器から滾滾と湧き出る水のように、ごぽごぽとその光を溢していくと、まるでそうすることが当たり前だと言うように、その手の中の溢れる光を持ち上げる。 エルマーが手を出そうとした瞬間に、ジルバが出した影によって動きを固められると、エルマーの目の前でナナシが手酌で水を飲むようにして口を付けた。 「あ、あ…」 顔を青ざめさせたエルマーが、その様子を瞬きせずに見つめる。ジルバだけはなにか考え事をするようにしてその光景を見つめていた。 やがて溢れる光が徐々に収まっていくと、ナナシはそのまま後ろのベッドにばたりと倒れる。手のひらからはなんの色も持たない石がコロンと床に落ちただけだった。 「ナナシィ!!!」 「おっと、」 ブチンと強化をしたのか、物凄い力で影を引きちぎると、エルマーは悲痛な叫びを上げて倒れたナナシを抱き上げる。 どうしよう、なんで飲んだ。ジルバ殺す。焦りのあまり一緒くたになった様々な思考がぐちゃりとまざる。好きだと言えたのにこれか、恐れたことが起きてしまった。 エルマーはキツくナナシを抱き締めたまま深呼吸を繰り返す。そうしないと、人としての我慢が効かなくなってしまいそうだった。 「え、う…」 きつく抱きしめた細い体がひくんと動く。 細い手がそっと宥めるようにエルマーの二の腕に触れると、けほけほと噎せながら顔を上げた。 「えるまー、」 「い、…」 「うん?」 こてりと首を傾げてエルマーを見上げる。顔色が悪く、表情が抜け落ちていた。 抱きしめられる腕の中で、ナナシは足りないものが埋まったかのような充実感に、ほう、と息を吐く。 あの光に触れて、まるで懐かしくて泣きそうな優しい感覚に包まれた。まるで母に抱かれているような、そんな感覚だ。 腕も、足も、ずっと突っ張るような感覚があったものがなくなり、今なら沢山駆けることが出来る気さえする。 あの石は、やっぱりナナシにとっては必要なものなのだ。 腕の中から顔を出して、ジルバを見る。にこりと微笑まれて、何故か自分の周りに結界を張った。 「す、」 「え?」 ゆっくりとナナシから身を離す。エルマーの表情は前髪で見えなかった。ナナシがその様子に心配になって、声をかけようとした時だった。 「っ、莫迦力め!!」 ふわりと風がふく。ナナシの髪が風に遊ばれた瞬間、なにか割れる音がする。少し焦ったような声でジルバがそう吐き捨てたと思ったら、エルマーと共に姿を消した。 「はぇ、え?」 キョロキョロとあたりを見回す。みんなが玄関代わりにしていた木枠の嵌まっていた窓が周りの壁ごとなくなっていた。 「える、っ…」 慌ててナナシがその窓枠だったものの縁に取り縋って外を見る。ずっと奥の方、城壁に張り付く様にして二人は居た。 ジルバは腰から8本の足を出して壁に張り付くのを、エルマーがその長い脚でおもいきり頭を蹴り飛ばす。その膂力によって外れた足を絡ませながら、ジルバは森に向かって物凄く速さで落ちていった。 「なんでっ、える、えるだめぇ!」 ナナシはあわてて鞄とエルマーの荷物とローブを纏うと、窓枠に手をかけて飛び出す。普通なら落ちる、それなのにできるような気がしたのだ。 ナナシのまわりにふわりと風が吹く。そっと道に優しく降ろされると、そのまま二人がいる方向に向かって駆け出した。 なんで大好きな二人が喧嘩しているのか、ナナシはそれがわからかった。エルマーのインペントリも、暗器のホルスターも、武器らしきものはナナシが持っている。ジルバは強い。エルマーはきっと素手だから殺すことはないと信じている。 それでも、あの土煙を見る限り、けして無事でも無さそうだ。街ゆく人は土煙を指さして何があったと話している。このまま二人を放って衛兵に突き出されたら、ナナシはどうしたらいいかわからない。 ナナシ一人で、どうしたらいいのかも、止められるのかもわからない。 サジも今日は来られないと言っていた。どうしよう、ナナシは走りながらぐすっと鼻を啜る。 思い浮かんだのはサジの魔物だ。あの二匹は、ナナシに良くしてくれる。サジじゃないけど、呼んだら助けてくれるだろうか。 「えるぅ、っ…まい、こ…っ、」 小さく呼ぶ、やはり契約していないから答えられない。どうしたらいい、ほかに力を貸してくれる魔物の友達なんて…と思ったときに、ドリアズにいるスーマを思い出した。 使役されているスーマは、ナナシに友達と言ってくれた。ベロベロ舐められたときに、困ったら呼べと言ってくれたのだ。 友達なら、手伝ってくれるだろうか。 「うう、っす、すーま…っ、スーマたすけてぇっ…」 べしょっと石に引っかかって転ぶ。随分走ったのに、全然つかない。建物が邪魔で近道がわからない。スーマもやっぱりこない、どうしようと思った時だった。 「あ、あわ…っ、」 ふわふわとナナシの体が浮いた。地面がどんどん遠くなる。慌てて顔を上に向けると、銀色のけむくじゃらが四足でナナシを掴んで飛んでいた。 「すーま、っ!」 ぴぎ、と可愛い声で鳴く。相変わらず単眼でギザ歯のスーマは屋根の上にナナシを乗せると、四足でバタバタと駆け回って尻尾をふった。 「と、とべたの…なんで?」 「ナナシ、タスケテテイッタデショ」 「ええ、うぅっ…うん、っ」 「スーマ、ママ。」 「はぇ…」 ぴぎゃ、とギザ歯を見せつけてわらう。どうやらスーマは単性生殖らしく、精霊化したスーマから別れて二匹になったらしい。 たしかにスーマは灰色の毛並みだが、こちらのスーマはより鮮やかな銀色だ。よくよく見ると背中に小さな羽がある。聞き取りづらいがカタコトで話すことから、知能が非常に高いらしい。 どうやら助けてくれるらしく、スーマ2号は魔力をくれとねだった。 「トブ、ハヤクトブ。マリョククダサイ」 「うん、と…どうやるの…」 「アタマナデテ、スキスキッテシテ!」 ぴょんと跳ねるとブンブンと尾を振る。ナナシの愛情が魔力に変換されるらしく、それならとぎゅっと抱きついて頬擦りをした。 「スーマ、すき、たすけてくれる?」 すり、と頬をくっつけて抱き締めると、ぺろりと涙を舐めたスーマ2号はぶわりとその身を光らせふくらませる。 ナナシの周りを強い風が吹く。光りに包まれたスーマ2号はどんどんと体をふくらませると、ナナシの体を包むようにしてその本性を表した。

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