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「さて、ここからが本題なのだが。」
え、まだあったの?といった顔をしてしまったのは許してほしい。
サジは飽きたのか、ちょっとでかけてくると言ってさっさと行こうとするのを、お前も巻き添えだと手首を掴むことで静止させた。
「貴族の名前がいくつか消える。」
「あ?」
ジルバは唐突にそう言うと、黒い装飾の本を取り出した。そっとページをめくると、何やら細かく名前が書かれているリストだった。
エルマーとサジが覗き込むと、ジルバは話を続けた。
「善良なものではない。だから無視をしても良かったんだがな。ただ、こいつらの名前を見ていて少し気になる点があってな。」
「なんだこれ。」
「まず、マルク辺境伯、そしてニルギア伯爵。あとはまあ、宮中職の貴族だから別に説明してもなあ。」
「おい、急に面倒くさがるな。」
エルマーはマルク辺境伯ときいてピクリと反応した。彼は、西の国との境を守る国境地帯の警備の要だ。独自の私設軍を保有し、教会を挟んで始まりの大地を聖地とし、領地奪還の為にマルク辺境伯率いる私設軍とともに義勇軍としてエルマーも参加していた。
当時は若かった。己の力を奮えるならと、考えなしに参加した。ポッと出の平民のエルマーが、武功を上げて国軍にまで召し上げられたが、結局左目を失い、それを理由に勇退という形でトカゲの尻尾きりだ。なけなしの慰労金で買った義眼は今も左目にお行儀よく収まっている。
「マルクの狸はしってらあ。ニルギアはしらね。」
「王の側近だ。行政を取り仕切っている。まあ、こいつがいなくなれば物流も改善されるだろう。」
ジルバは俗世についてもっと興味を示せと小言を言いながら、先を見通すかのよう灰色の瞳を柔く細めた。
「皇国は腐っている。もはや貴族の言いなりの愚王は傀儡だ。」
「今に始まったことじゃねえだろう。まあ、宰相まで腐ってんのはやべぇけど。」
皇国は、始まりの大地を領地の拡大の為に西の国と取り合ってきた。豊かな資源のなかに、鉱山もある。そこから取れる鉱石や、領地内では小麦を含めた農作物、果実、そしてそれらの豊かな食料は軍事力にも変わるのだ。主な産業はその地で取れる鉱石の輸出の他に、重火器などの物騒なものもあれば、鉱石をつかったアクセサリーなどの貴金属、そして新たな産業として根付かせようとしている絹織物などだ。
「今の皇国がまともなのはダラスがいるからだとも言うな。まあ、大方お告げなどと言って手綱を握りしめているのだろう。ニルギアもマルクも国力が上がるならと口出しはしていないが、こいつらが消えるということは戦争が起きると同義じゃないか。」
「…またか。なら防ぐとしたらマルクを殺させねえようにすんのか?てかアイツってお告げできんの?」
「…ああ、おまえは依頼を受けてあったのだっけか。まあ…本当かどうかは知らん。だが神頼みという言葉もあるだろう。あいつが関わってからは産業も増えたしな。」
「まてまて。一介の神職が諸侯を抑えて発言するなど反感をかわんのか。サジなら無理だ。外野は黙れと殺してしまう。」
「ああ、普通はそうだろうな。」
「普通は?」
サジの当たり前の意見にくすくす笑うと、ジルバはそっと羽ペンでサジの顔を掬い上げる。
「どうやって取り入るかなど、お前が一番良くわかっているはずだが?」
「む、成程。」
エルマーはというと、ナナシをしがみつかせたまま眉間にシワを寄せる。
「あいつが?昔の男の形見に縋ってるような野郎だったぜ?手籠めにされてるとかじゃねえんか。」
「城は強かでないと生きてはいけない。ましてやあの若さで城が管理する大聖堂の司祭だぞ。」
サジががじりとジルバの羽ペンに噛みつく。暇で仕方ないと言った顔だ。
「なあ、もう難しい話は飽きた。要するにそのリストに乗ってる奴らを殺せばいいのだろう?」
「ちがくはないが、おそらく勝手に死ぬだろう。もう死期が近い。俺が言いたかったのは、また争いごとが起こるということだ。」
ジルバの言葉に、エルマーはそっと左目に触れる。もうこれを落としてきた場所も忘れた。
再び戦争が起こるとして、自分にはもう若気の至りではしゃぎながら参加する歳でもない。
ただジルバに頼まれた土の出処とやらを調べるにしても、その戦火に加わらなければ見つからないだろうとも思っている。
「お前はどうするんだ、エルマー。」
「やりたくねえ。俺はナナシとゆっくり旅だけするつもりだったんだ。戦火に巻き込まれるのはもうゴメンだぜ。」
「える、」
ぼそりと小さく名前を呼ぶ。エルマーは、ナナシが怖い思いをするのが嫌だ。だから危ないこともしたくはない。だがこれから呪いの土について追っていくとして、うまく避けられるとも思わない。ならば戦はやりたい奴らにまかせて、エルマーは出方を伺えばいい。
「ジルバ、てめえだって傍観者だろうが。」
「ふふ、俺はいつだって好きなことだけをする。」
「サジはエルマーについているからなあ。まあ、なるようになるさ。」
話は終わったとばかりによだれにまみれた羽ペンをジルバに差し出す。
エルマーもサジも、小難しいことは考えたくはない。こういうときは成るように成れという精神だ。長生きしたいので、降りかかる火の粉は払わねばならないが、この二人にはそれができる力がある。
「まあ、俺の根城は皇国だ。蜘蛛の巣の内側にお前たちがいるうちは力を貸そう。」
「おーおー、おやさしいこって。」
ジルバが羽ペンを一振りして元の姿を取り戻させると、つい、と指先で空中に円を書いた。
「さあ帰るがいい。話は終わりだ。俺は貴様らの前途が良いものになるように祈っておこう。」
瞬きの合間に現れた黒い空間に、エルマーとナナシ、サジが消えていく。
ジルバは含み笑いをしながら、その背中を見送る。
「俺にとっての、というのを忘れていた。」
頬杖をついて、少しだけ抑揚をつけた口調のそれは、暗闇に飲み込まれて静かに消えていった。
「あ?」
ぱしり、と通り抜けの為に先に入れた左手を誰かに掴まれた。
ナナシをぶら下げたまま、確認するように握り返すと、結構な力の強さでぐいっと体を引き抜かれる。
にゅるりとエルマーを壁から引っこ抜いた男は、首に子供をぶら下げたまま目を丸くしてあらわれたエルマーにぎょっとした顔になりながら、支えきれずに二人分の体重にまかせて三人は無様に道端にどさりと落ちた。
「いってぇ!!」
「あぅっ、」
「うぎゃっ!!」
その後に続いて同じくサジがにゅるりと姿を表すと、その3人を避けるようにして隣に降り立った。
「おやおや、なんだこれは。知り合いかエルマー」
「ざっけんな!何なんだてめぇ!あぶねえだろうが!」
サジがしゃがんで覗き込もうとしたのと同時に顔を上げたエルマーは、鼻を抑えながら唐突な出会いに怒りをあらわにする。
エルマーの下で組み敷かれたような形で頭を押さえて悶絶をしていた身なりのいい従者のような男はというと、その体を慌てて起き上がらせた。
「も、申し訳ない!!突然手が出てきたのでつい掴んでしまった!!」
「くそ、無駄に鼻血だしたわ…ナナシは平気か?」
「うん、びっくりした。」
ギンイロによって服を掴まれていたらしい。エルマーが倒れ込むときに上半身だけ持ち上げてくれたようで、衝撃はそこまでではなかった。
男からしたら、上半身だけ妙な体制で浮いている。ぽかんとした顔で見つめられると、ゆっくりとエルマーの背に抱きついてごまかした。
「つか、なんでここ知ってんだ。んでお前誰。」
「ぼ、僕は…すまない!今は名前を明かせないんだ!どうか何も言わずについてきてはくれまいか!?」
金髪の顔の整った男が、悩ましげな顔で懇願する。こいつ自身も顔の使い方をわかっているらしい。が、それはあくま淑女や世間知らずなお嬢様であれば有効だろう。目の前の酸いも甘いも知っているエルマーに対しては無効だが。
顔に釣られてついてくればいい。そんな心の内側がありありと手に取れたせいか、ぴくりと嫌悪に左目が痙攣する。
自分がするのはいいが、されるのは嫌なエルマーはおもむろに立ち上がると吐き捨てるように言った。
「サジ、行くぞ。衛兵に突き出そうぜ。不審者ですって。」
「ふむ、縛り上げるか。」
「まかせるぅ。」
「ま、まてまてまてまて!!」
嬉々とした顔で杖を構えると、男の静止を無視して繰り出した蔦で縛り上げた。ふわりと蔦によって一度持ち上げられた男は、エルマーが頭上から降ってくる声がムカつくというので、まるで引きずる様にして地面に降ろされた。
「える、いいのう?」
「こんな不審者、かまってやる必要はねえ。」
「でも、かわいそうだよう。」
しょんもりとした顔で男を見つめる整った顔の美少年に、縛り上げられた男はかすかな光明を見出したらしい。這いつくばったまま、背筋だけで 体を起き上がらせると、縋り付くようにして声を上げた。
「美少年!頼む、この哀れな男をたすけいだだだだっ」
「だぁーーれが口開いていいって言ったぁ。オイコラ不審者。ナナシに変なこと言ったらてめえの舌をおろしてやるからなあ。」
ぎゅむ、と腰を踏みつけて見下ろすエルマーの開いた瞳孔に、サッと顔を青ざめさせる。これは踏んだ地雷が大きいことを知らしめていた。
しかし、男には使命があった。その為にはどうしても魔女の力が必要だったのだ。
「ま、魔女の!!魔女の力を貸してくれ!!頼む!!」
「あ?」
「む。魔女だと?」
ひぃ、と引きつり声で見をビクつかせた。男はやり手の魔女が住んでいると聞いて、この一体を探し回っていたらしい。ここの主はジルバなのだが、そんなことを知らない男は白い装束をきた美しい顔立ちのサジと呼ばれた魔女に顔を向ける。
「頼む!!呪いを、主の呪いを解いてはくれまいか!!」
「呪いだと?」
ナナシはエルマーの足を男の上からどかしてやると、キョトンとした顔で見つめた後、聞き返したサジを見つめて言う。
「つち?」
「土かはしらん。が、呪いかあ。」
それは確かに治癒術でも治らないだろう。
呪いは魔女の専売特許だ。もちろん、光や聖属性を持つ者がいれば解くこともできるが、その為には呪いの種類を見分けなくてはならない。
魔女はありとあらゆる魔術に精通をしている。無論、苦手な分野もあるが、ある程度なら見ることができた。
「やらねえ。なんで名も名乗らねえ野郎にうちのサジ貸さなきゃなんねえんだ。」
「エルマー!!うちのサジだと!?何だその言い草は!!身体が高ぶりを抑えられない、抱いてくれ!!」
「お前やかましいから黙っててくんねえ!?」
エルマーの一言に反応したのか、目を輝かせて飛びつくサジを振り払う。最高に締まらない。
男はサジとエルマーの関係に戸惑いながら、すがる思いでナナシを見つめた。取り持ってくれという目だ。
「あう、え、あ…」
「帰んぞ。相手にするこたあねえ。」
がしりとナナシの肩にを抱くと、そのまま背を向けた。
「主を死なせたくないんだ!!頼む、この国の未来の為にも!!」
悲痛な叫びに、ぴくりとエルマーが反応する。この国の、というワードが引っかかったらしい。サジはくるりと振り向くと、軽い足取りで男の目の前に近づくとしゃがみ込む。
「お前、もしかして城勤めか?」
「んぐっ、あ、いやあ、そのっ」
「口を割らせようか。うふふ、真実を言わねばお前の寿命を縮める呪いをかけても良いのだぞ。」
「ま、まて!それじゃミイラ取りがミイラになる!!城の関係者だ!!だがそれ以上は言えな、っぐぇっ」
ドスンとサジが男の上に腰を下ろす。先程からナナシを抱いたま背を向けるエルマーを見つめると、跨った男の髪を梳く様にして細い指で遊ぶ。
「なあエルマー、さっきのジルバはこのことを知っていたんじゃないかあ?」
「…前途が良いものとか言ってたろ。」
「まあ、都合良くという意味だろうなあ。」
「ひぃ!」
サジの細い指が男の唇を撫でる。いやらしい手付きにじわりと顔を赤らめる様子が面白かったのか、褒めるように頬をくすぐる。
「える、」
「いやだ。俺はマイペースに行きてえ。」
眉を下げたままエルマーを見上げる。ナナシはどうやら助けてあげたいようだった。サジもなにやら新しい玩具を見つけたように遊んでしまっている。がしりと揉み始めた尻に、男の情けない悲鳴が響く。
「なあ、エルマー!サジが面倒を見るからこいつを拾ってもいいか!」
「だめだ。捨ててけそんなもの。」
「えー、だって国に恩を売るチャンスかもしれんぞ。トイレの世話もきちんとするからだめか。」
「ひ、人としての尊厳だけは残しておいて頂きたい!!」
サジは興奮したのか男の後頭部に昂った下肢を押し付けるようにして遊んでいる。情けない男の姿がサジのサディズムに火をつけたといったところだ。
エルマーはナナシの視界を塞ぐと、恩を売るという言葉に悩むように顔を顰めた。
「面倒くさいのは嫌なんだよお。ああ、くそが、これもあいつの予想通りだって思うとクソムカつく。」
「た、頼むから上の男をどかしてくれ!」
「あん、逃げるな。もうすぐでイきそうだ。」
「ひいいいい!」
ナナシを抱き込んでしゃがみこんだエルマーの頭を、小さい手が優しく撫でる。方や変態に跨がられてマーキングをされている様子を見るだけで天国と地獄だ。
サジの嬌声と男の悲鳴、エルマーの舌打ちが重なる。ナナシは困ったように眉を下げると、ぎゅっとエルマーの頭を抱き込んだ。
「える、」
「……なに。」
「たすけたげて。」
「……………………やだ。」
「かこいい、えるすき、おねがい。」
「ぐうううううう、」
頭の中で優雅に足を組んだジルバの勝ち誇った笑みが浮かぶ。エルマーの損得勘定の天秤が、国への恩と自身のプライドをかけても傾かなかったのに、ナナシの格好いいエルマーが好きという言葉が更に載せられて傾かないわけがない。
エルマーはナナシの腕から顔をあげると、じっと見上げる。
「ナナシから俺にやらしいキスしてくれンならやる。」
真顔だ。せめてやるならそのご褒美がないとしたくない。そうありありと顔に書いたまま言うと、じわりと顔を赤らめたナナシが、小さくうなずいた。
「う、うらやまし、」
「こっち見んじゃねえ。殺すぞ。」
「ひぃ。」
男の呟きはエルマーの殺気とサジの押し付けた下肢によって遮られる。
こうしてナナシによってなんとか男の頼みは聞いてもらえたものの、なにか大切なものを捨ててしまったかのような空虚と、しばらくサジの玩具になるというえらい目と引き換えになんとか約束を取り付けた。
目の前の性格の悪い美丈夫と少年の耽美な光景を見せつけられながら、顔のいい男に自慰の道具にされた男は、目覚めてはいけない新たな扉を開いてしまうことになるとは、このときはついぞ知ることもなかった。
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