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実に男は巧妙で、準備万端であった。 渋々サジの拘束から解放すると、何故かがしりとナナシの手を握りしめた。そして馬車が止まっている所に誘導するように慌てて走り出すと、エルマーはポカンとした後、ブチギレながら男を追いかけた。 「てめえええええ!!!人が下手に出てりゃあつけあがりやがってナナシ返せエエエ!!!」 「ヒィいいいいぃいい!!返します、返しますとも!!でもとりあえず大通りまではぁぁぁあああ!!!」 「アッハッハ!!愉快である!おまえ、またエルマーを怒らせて何がしたいのだ!真性のマゾかあ!いい、いいぞお!もっと自分の性癖をさらけ出すがいい!」 「あああああ無理ですうううう怖いよおおおお!!!」 狭い路地裏を、それはそれは猛スピードで駆け抜ける。ナナシはというと、二人がついて来てくれているし、自分は引っ張られているがギンイロによって服を摘まれて浮かんでいるのであまり疲れてはいない。まあ、少しだけ驚きはしたが。 「てめえ!!その首落とす!!!」 エルマーがひと息に壁を蹴って飛び上がる。それはもう見事なアクロバットで男の正面に踊りでる。つもりだったのだが。 「おいたしちゃだめよぉ!!」 「おわぁ!!」 軽い音を立てて地面に降り立った瞬間に、毛むくじゃらのふとましい二本の腕がエルマーの体を拘束した。 「と、トッド!!!よかった!!きてくれたのか!!」 突然現れた薄桃色のドレスにその身を押し込んだトッドが、ぎゅうぎゅうとその豊かな大胸筋にエルマーを押し付けてその身を揺さぶる。 「あらやだっ、サジじゃない。ジルバはどうしたのよ。」 「離せクソアマ!!誰だてめぇ!!」 「クソアマはムカつくけど、女扱いする姿勢は好きよ。」 エルマーの腕よりも二回り以上たくましい、男らしい腕毛に後ろから羽交い締めにされながら、新たに現れた刺客にいよいよエルマーの頭の血管がキレる。 そのまま足を振り子のように腹筋だけで一気に持ち上げると、その勢いのままスポンと頭を抜いて長い両足でトッドの首を挟み込もうとしたときだった。 「トッドぉ!!」 「あらやだ!こないだぶりねぇ!あん!」 がばりと挟み込んだタイミングで、ナナシが声を上げたのだ。まさかの知り合いだったことに目を丸くしたエルマーは、その足をトッドに掴まれるとペイッと引き剥がされた。慌てて体制を整えて着地すると、サジがトッドにのんきに挨拶をしていた。 「なんだ、お前もグルか?」 「あらやだ。もともとアタシは城勤めのお針子の顔も持つのよ。市井に紛れて市場の様子を見るのだってお仕事のひとつなんだから。」 「ああ、確か第二王子のお抱えだったか。ん?てことはこの男も?」 「と、トッド貴様!!僕がどんな思いで素性を隠したと思っている!!!」 「あら。そうなの?」 「おかげでエルマーがお冠だ。素性の知らんやつには協力しねえと喚いている。」 エルマーだけがポカンである。何だこれ、なんで俺だけが取り残されてんだとばかりに呆けている。もはや怒るのもバカバカしい。 ナナシがトッドを気に入っているのか、その太くたくましい大きな手を自分の小さい手で握りしめてニコニコとご機嫌である。 「トッド!おようふく、たくさんうれしかった。おれい、いえるのうれしい!」 「あらあ!!まあまあまあ!!喋れるようになったのねえ!?嫌だぁ、なんて素直な子なのっ、ナナシちゃんの為なら何でもしてあげるわぁっ!」 「トッドすき、える!トッドはナナシのおともだち。」 「母乳が出せそうなきがするわぁ!!!宜しくね伊達男。」 「お、おぉ…。」 ナナシがご機嫌で何よりだが、エルマーからしてみたらお針子というよりはむしろ手練の傭兵に見えて仕方がない。なんだその筋肉はとひきつり笑みを浮かべていると、先程の男が馬車の扉を開いた。 「トッド!今はとにかく先を急がねば!はやく乗るように言ってくれ!」 「もう、せっかちねぇ。ほら殿方たちは乗った乗った。悪いようにはしないわ、終わったら帰すから。」 「トッド!となり、となりすわろ!える、いい?」 「お、おう…」 「あらやだぁーもー!!すわるすわるぅ!かんわいいわぁもー、守りたいわぁ、この笑顔。」 トッドのたくましい腕によって、馬車の中へぽいぽいと押し込まれたサジとエルマーは隣同士、ナナシはニコニコしながらトッドの横にお行儀よく座った。 行者は先程の男が務めるらしく、そのまま軽快な足取りで進みだした馬車に揺られながら、トッドは優しくナナシの頭を撫でた。 「アタシもねぇ、子供が生きてたらこの子くらいになってたかなぁって思うと、どうしても構いたくなっちゃってねぇ。」 「え、産んだのか?」 「あらやだ!産むわけないじゃない!アタシがいくら女性らしくても流石に無理よぉ。」 いや、そういう単性生殖の魔物かと思った。と口に出かかったが飲みこむ。エルマーは引きつり笑みを浮かべたまま、それで?と聞くのが精いっぱいだった。 「アタシ、西の国との戦争に参加していた時期があるの。そこでよくある孤児の赤ちゃんを拾ってね、放っておけなくて育ててたんだけど、病気で。」 「へえ。」 「深くは聞かないのね。まあ、これ以上続きはないのだけど。」 「あんたのことだから、きちんと弔ってやったんだろ?」 「勿論よ、女に憧れてたアタシを、短い間だけでもママにしてくれたんだもの。亡くなった今でも愛してるわ。」 ナナシはトッドの言葉に眉を下げると、ぎゅっとその腕に抱きついた。 「うふふ、慰めてくれるの?ありがとう。」 「なんつーか、まあ、悪いやつじゃなさそうなのはわかったわ。」 「伊達男からもお墨付きね?ごめんなさいね、アランが警戒させちゃったみたいで。」 「アランかあ。このまま名前がわからなければ肉蛇口と呼ぶとこだった。」 相変わらずのサジのネーミングセンスに、エルマーが辟易とした顔をする。ある意味光ってはいるのだが、ナナシはキョトン顔だ。 トッドは軽く咳払いをすると、その場の空気を切り替えた。 「道はまだ先よ。まずなんで魔女を頼ることになったのか、そこから話すわ。」 「おう、頼むわ。」 トッドの話はこうだった。 皇国を統べるサイネリア家は、跡目争いの最中にあった。城は第一王子派と第二王子派で別れており、アランやトッドは、穏やかで争いごとが苦手な第二王子を守る為の専属の部隊だった。といっても、正妃では無い側室の子である第二王子に傅くものは少ない。 皆時期国王である第一王子の元に侍り、第二王子は静かに慎ましく暮らしていたという。 同じ城の中でも、王子であるはずなのに使用人のように宮殿の一室しか与えられず、その部屋もけして広くはない。 第二王子の身辺は、城の中でも居場所のなくなった者たちが守っている。 実力は申し分ない。だが、活躍する場はない。そんなただ居るだけと言われている者たちが集まっていた。 トッドたちは城を守る騎士であったが、休戦が言い渡された今、後進にその席を譲るべくその職を離れたと言う。アランは宮廷に仕える者達の中で唯一火の属性魔法をもっているのだが、戦場では役に立っても、城の中では術は使えない。もちろん、万が一ボヤ騒ぎを起こしても首が飛ぶ。仕方がないとわかってはいるが、術についての教鞭を取ることも許されず、魔法を使えるアランは属性について散々突かれ、妬み嫉みの対象となってしまった。今はただいるだけの存在として席を汚しているだけの彼が、トッドとともに居場所を与えてくれた第二王子に傅くのは、もはや必然だった。 「王子は、最初から王座なんて望んでいなかったの。ただ叶うことなら市井で王族ということを隠して、穏やかに過ごしたい。そう願われていたのだけれど、」 「早まった莫迦が暗殺でも企てたのか。」 「そう、呪いの込められた魔石を、送りつけた莫迦がいるの。」 「魔石に呪いを込める?んなことできんのかサジ。」 トッドの話を黙って聞いていたサジは、エルマーの問に首を横に振る。難しい顔で暫く黙りこくると、何かを思い出すかのようにして眉間を揉む。 「魔石に呪いは、むりだ。空魔石ならわからんが、おそらくかける魔力が強すぎて弾けとぶ。呪い、魔石…思い至るとしたら、エルマー。」 「まて、ちょっと待て。なんかすげえ嫌な予感がする。」 トッドの話に苦虫を噛み潰したかのような顔をする。エルマーの中のもしかしてが色濃くなった。 呪いをこめた魔石は知らないが、正しく処理をしないと呪われる魔石ならよく知っていたのだ。 「おまえ、幽鬼の魔石はしってるか。」 「幽鬼、って…アタシは見たことないけど、闇属性なら紫色かしら。」 「ああ、だけど聖水をかける前は、黒い瘴気を吹き出してんだ。」 「ちょ、ちょっとまって。黒い瘴気ですって!?」 心当たりがあったのだろう、トッドの声が上擦る。 エルマーは深い為息を吐くと、討伐した幽鬼の魔石が盗まれたことを話した。 「聖水をかける前に、盗まれただなんて…。」 「普通は盗らねえんだよ。呪われたくないだろ、誰だって。聖水がなけりゃ、聖属性か光属性の魔法かけりゃいいけど、それをかけられた形跡もねえ。まるまんま、跡形もなく盗まれた。余程の馬鹿野郎かと思ったが、日にち的に偶然が無けりゃ、俺の魔石だろうな。」 「最悪な偶然が重なってしまったのね…。でも、どうやって城まで…」 エルマーとトッドの溜息が重なる。身に覚えがありすきる。まさかこんな形で巻き込まれる事になるだなんてといった具合だ。 サジは自分の髪の毛をいじりながら、考え込む二人に気を遣うこともなく言った。 「あるぞ。」 「あ?」 「だから、瘴気ごと運ぶ方法だ。」 何度も言わせるなと言った顔で背もたれによりかかる。エルマーが眉間にシワを寄せながら思考を巡らせると、一つの方法が浮かんだ。 「あ、転移。」 「そう、無属性魔法であるだろう。」 「あぁー、あのクッッソ面倒くせえ術の。」 エルマーの保有する無属性魔法は、一つだけ身体強化以外の魔法がある。それが転移魔法で、これは他の属性をもつものもできることはできるのだが、より無属性魔法保持者のほうがより精緻に抵抗なく発動できるすぐれものだった。 ただし一度行った場所であることと、転移する場所に人が近寄らないように、人目につかないところに転移することが条件だが。 「なるほど、確かに魔石ならできるわ。」 「だろう。魔力があるものならできる。まあ、普通は思い至らんだろう。」 本人が転移するほうが早いのだ。物だけ転移と言うのは極めて難しい。ここにいきたい、という思考が物にはできない為、もし発動するとなれば持って転移をするのが普通だ。 「まって、ならどうやって思考のできない魔石を転移させたのよ!」 「付与だな。魂魄付与、簡単に言うとまあ、石に意識を移したということだ。」 「よっっっぽどの魔力量じゃねえとやらねえ。しかも一人じゃ無理だ。やるとしたら二人、石だけそれで転移させたら、あとは体に戻って終わり。無属性が一人と、珍しい闇属性持ちが一人。」 「しかし闇属性持ちとはなあ。ジルバしか知らんなサジは。」 「あいつはしねえだろ。王子がリストに乗ってんならやるかもしんねーけど、あいつ自身が一人でやる方が早い。」 二人の話に、トッドは顔を青ざめさせる。震える唇を隠すようにしながら狼狽えると、掠れた声で絞り出すように言った。 「だ、第二王子の…母君が闇属性よ…。」 「あ?」 「彼女は、半魔なの。」 がたがたと馬車は揺れる。急いで走るせいか、刻まれた轍通りにいかないせいか不安定な悪路はまるでトッドの心情のようだった。 エルマーは黙りこくると、少しだけ逡巡した後口を開いた。 「まて、ならなんで王家に嫁げる。光と聖属性のみの筈だろ。」 「側室になりたくてなった訳じゃないもの。彼女は、その見目の良さで特例として密かに召し上げられたの。皇国外れの静養地にお住まいよ。」 「後宮ではなくてか。」 「気が触れたの。わかるでしょう、好きでもない男の子を孕んでしまったのよ。血筋はどうであれ、王の子を死産にさせるわけにはいかないわ。」 サジはその整った顔を軽蔑するように歪ませる。エルマーもサジと同じだ、そんな胸くそ悪い話があって溜まるかとも思う。 「王子は、しってんのか。」 「城にいるのは敵だらけよ、当たり前じゃない。」 ガタン、と音がして馬車が止まる。どうやらついたようだった。 話は中途半端な所で止まる。それ以上続きを聞くにも重すぎる話だったので、ある意味タイミングが良いと言えばいいのか。 「ついたわ、ここよ。」 馬車が止まった場所は、ひどく廃れた廃墟のような屋敷だった。

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