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アロンダートは戸惑っていた。王族なはずなのに自分の意見を聞いてもらえない、そんな不遇の人生だった自分が、呪いを受けても自力でなんとかしたご褒美に、こうして運命を見つけてしまうだなんて。
挙げ句もしかして今日が命日かなと考えていたら、死ねと言われた。しかも初対面の男に。まあそんな事言ったら自身の運命の男も初対面なのだが。
「仮死、薬ですか?」
「おう。てか普通逆じゃね?いいよ俺に敬語なんてつかわんでも。」
いや今更すぎる!とアランがついにキレたように叫んでいたが、今はそこじゃない。アロンダートは聞き慣れない、そしてすこしだけ想像したくもないような怪しい薬を、なんでエルマーもサジも知っているとかという顔をする。
市井にはそんなものが出回っているのかとさえも思った。
「殿下、仮死薬など一般的ではありません。このトッドも初めて耳にしましたわ。」
「そうなのか…」
そんなもの、出回ってたまるかというような顔だ。
そんな二人の露骨に嫌そうな顔を見つめていたサジは、戸惑う顔のアロンダートに語りかける。
まるで、それを飲む勇気をためすかの様に。
「アロンダートよ、お前の御母堂は皇国の外れで静養されているようだなあ。半魔の息子であるお前が死んで、悲しまずにいられようか。」
「ご心配には及びません。彼女が産み落として下さったのは嬉しいですが、母として邂逅した事も、その腕に抱かれたこともありません。僕は男子というだけでこちらに召し上げられ、いまは不要な存在という立ち位置。上辺のみの第二王子など、誰が求められましょうか。」
「お前がそう思ってても、あっちはちげぇみてえだけど?」
エルマーが顎で示した先にいたトッドもアランも、悲しそうな顔をして見つめていた。少なくともアロンダートには味方がいたのだ。愛してくれる母はいなくても、寄り添ってくれる味方が。
「仮死薬など、そんな恐ろしいものを使わずとも自由になれるすべが必ずあるはずです!今一度お考え直し下さい!」
サジはアランの実直なまでの強い否定を馬鹿にするかのようにくありと欠伸をすると、優雅に足を組み直す。
その美しい顔で歪んだ笑みを見せると、エルマーは嫌な予感に身震いした。
「ならば、お前が身代わりになるか。アランよ。」
くっくっ、喉奥で笑ったサジの言葉に、目を見開いたのはアロンダートだった。
「サジ様、それは!」
「妙案があれば、なのだろう。アランよ、お前の主が最も望まない形で、問題を解決しようか。」
嫣然と微笑むその顔は、正しく慈悲のない魔女そのものだ。サジの煽るかのような物言いに、その身を震わして怒りを覚えたアランは、唾棄すべき者を見るような目で睨む。
「っ、貴様…」
「お前を殺して、アロンダートに化けさせる。体格も変わりない、お前が言う別の選択肢とは、つまり自己犠牲だろう?なあエルマー。」
心底面倒くせえと表情が語る。エルマーはアランの真面目な気質から、おそらくそういう意図があるのだろうとなんとなく理解をしていた。だから振られたくなかったのだ。このクソ真面目な若者に、エルマーが自分の意見を言ったところで火に油だ。エルマーはサジを恨めしそうに睨むと、満面の笑みで返される。先程の舌打ちの仕返しらしい。
「…お前が身代わりになった後、その重荷を背負わせんの?敬ってる割に押し付けがましい野郎だな。部下の屍の上で飯食えるような性格だと思ってんなら、もう一度侍従からやりなおせ。」
アランは悔しそうに唇を噛みしめる。図星だったからだ。エルマーに言われて、ぐうの音も出ない。王子がそんな性格でないことなんて嫌というほど知っている。
というか、初対面の癖して知った顔をする目の前の男も気に食わない。
アランは威圧だけでこの世を渡ってきたであろう、ガラの悪いエルマーが今日一日だけで嫌いになった。
思わず我慢できずに言い返そうと口を開いたタイミングで、別の方向から声が飛んできた。
「おうじさま、ナナシね、あのね、うーんと。」
エルマーの足の間で収まっていた美少年はナナシというらしい。アランもエルマーも、まさか話に混じってくるとは思わなかったのか、思わず視線がナナシに集中する。
突然鈴の転がるような澄んだ声で話しかけられると、顔見知りの少ないアロンダートはどぎまぎした。市井のものは、みな一様にして容姿が優れているのだろうか。キラキラのトパーズの瞳に捉えられ、たどたどしく言葉で紡がれる言葉を聞き逃すまいと居住まいを正す。
「える、エルマーね、ナナシもたすけてくれたよう。だから、こわいけど、こわくないよう。」
「それは見た目の話か?それとも城を抜け出すプランの話か。」
「ぷ、ぷらん?んん、うーんと、えっとね…ぜんぶだと、おもう。」
「そうか。うん、ううん…」
眉を下げて困った顔をするナナシに、エルマーはわしわしと頭を撫でる。助けたとはどういうことなのか聞いてもいいのかと目配せをすると、どうやらそこまで気を許されたわけではないらしい。にっこり微笑み返されてごまかされた。読めない男は身の内をさらけ出すこともしないらしい。
「まあ、ここで話し合っていてもなあ。3日だ、仮死薬を飲む覚悟が出来たなら3日よこせ。サジたちも準備をせねばならない。」
「いやだ、またあいつんとこ行くんだろ。行ったり来たりで効率悪いったらありゃしねえ。俺はパス、サジだけでいけ。」
「いいだろう。アロンダートはもうサジのものだ。留守の間はエルマーが守ってくれるのだろう?それならサジは安心して準備ができる。」
「はあ!?!?」
ニヤリと言ったサジに、エルマーはしてやられたという顔をする。気が変わらぬうちにと止めるまもなく姿を消すと、エルマーの引き留めようとした手は行き場を失った。
こうなることを見越して言っているのだからたちが悪い。やられた。こうしてエルマーはサジが薬を準備する間、護衛をする羽目になった。
「最っ悪だ。おい王子さんよ、頼むからのたうち回って寝込んでいるってことにしておけよ。」
「ああ、成るべく君たちには迷惑をかけないようにする。が、護衛してくれるのは心強い。」
「ナナシ、がんばる。」
「いや、ナナシはあんまはりきんないでくれ。」
エルマーの声に棘が抜ける。初対面ではあるが、エルマーという男は、ナナシにどうにも弱いらしい。
アロンダートは二人の関係が特別な関係なのだろうと推測する。
サジも準備をすると消えた今、心許ないが、心強いという妙な感覚になる。
とりあえず、護衛するならまずは、部屋だ。
「僕の部屋の隣だが、まあ、滞在中は良いようにしてくれ。」
部屋があることは勿論知っている。昨日はそこで散々またされたエルマーは、嫌味らしく笑顔で「恐れ入るわぁ。」と敬っているのかいないのかわからないお礼を言うと、トッドが嗜めるようにベシリと叩く。
アロンダートは苦笑いしているが、エルマーという男は全くもって不真面目な態度である。
「ギンイロ、おまえ王子の護衛しろ。俺もするけど、お前はこの部屋で刺客に備えな。」
「え、と…君はなにと話しているんだ。」
「ああ、見えてねえか。いるんだよここに、精霊が。」
エルマーの目配せに頷くと、ナナシが空中に手を掲げて、何かをそっと自身の胸に抱いた。アロンダートはキョトンとして顔でじっとそこを見つめる。
「ギンイロ、おかおみせて。」
「ウウ、コワイノヤダヤダ。」
「な、」
突然不思議な声が転げ落ちる。アロンダートが目を見開くと、ナナシは優しくギンイロと呼ばれる何かを撫でた。
その手がギンイロの毛並みを整えるようにして撫でると、少しずつ透明だった姿が明確になっていく。
まるで逆再生をしていくようにじわじわと輪郭が明確になってくると、アロンダートが呆気にとられているうちに、いよいよ全体が見えてきた。
ギンイロと呼ばれる精霊はまるで怯えるようにナナシの胸に顔を埋めてぷるぷるふるえていた。名前の通りの美しい銀の毛並みだ。
アランもトッドたちは見えていないのか、驚いているのはアロンダートだけだった。
サジが言っていた。先程感じていた視線の正体は精霊だったのだ。
「こ、れが。精霊…」
「よかったなあ見えて。信心深いやつじゃねえと見えねえらしい。」
「そうか、」
なら君はなんで見えているんだ。思わずエルマーを見上げて口に出そうになった言葉を慌てて飲み込む。よく考えればなかなかに失礼なことを聞こうとしてしまった。
きゅっ、と口をつぐむと、怯える精霊に向かって語りかける。
「その、すまない…。おそらく僕が怯えさせてしまったのだろう…悪気はなかったんだ。」
「ギンイロ、こわくないよ、おうじさまごめんねっていってるよう。」
「君と、その…友人になれないだろうか。も、もちろん嫌なら構わないが、その、君と仲良くなりたいんだ…」
ぷるぷるしていたギンイロが、もぞもぞと体制をかえるとナナシの服の中に潜り込む。余程魔獣の姿が恐ろしかったらしい、アロンダートは、不本意とはいえこうして嫌われるのは堪えるものがあると眉を下げる。
「あわ、ぎ、ギンイロ…そこからおかおだすのやだよう」
「オイコラ助平。さっさとナナシの服から出てこい。」
「ヤダヤダ。ギンイロ、ココガイイ。」
ギンイロは困り顔のナナシの襟元からスポンと顔をだすと、ぺしょりと顔を舐める。エルマーがむっとしているのを無視すると、そのままくるりとアロンダートの方を見た。
緑色の美しい宝石のような不思議な色を持つ瞳は一つ目で、猫のような顔ながらギザギザの齒がチラリと覗く口吻は、その大きな耳元まで裂けている。
精霊だが、魔物のような容貌だ。ごくりと喉を鳴らすと、アロンダートは敬意を払うように背筋を伸ばした。
「本当にすまなかった。許してはくれまいか。」
「イイヨ。」
「おうじさまのこと、まもってあげられる?」
「イイヨ。」
そのまあるい目をパチリと動かし、上目遣いにアロンダートを見上げる。こうしてみるとなかなかに可愛い。エルマーは辟易した顔で腕を組んでいる。ギンイロとエルマーはあまり仲が良くないらしい。と、いうよりもナナシを取られて拗ねているような顔が少しだけ面白かった。
「エルマーよ、今日から3日間。すまないがよろしく頼む。」
エルマーは手を振って答えると、ナナシの腰に手を回して与えられた隣の部屋へと消えていった。
アロンダートは、相手ができたときの為に用意された隣の部屋を、まさか最初に護衛代わりの無愛想な青年に貸すとは思わなかった。
最初はサジ様なら良かったのに、と思ったが、それならやはり同じベッドの上がいいなと思い直す。
閉まろうとした扉のわずかな隙間から、にゅるんとその身をくぐらせ出てきたギンイロが、アロンダートの前に四つ脚でお行儀よく座ると、ヘッヘッヘと笑い声とも感じ取れる声で、見上げる。
「君もすまない。よろしく頼む。」
「アイヨ。」
ギザギザの歯を見せつけながらにぱっと笑うと、アロンダートもくすりと笑った。ギンイロの為の寝床も必要だろう。
アランに果実などを入れるバスケットなどを持ってくるように頼むと、寝乱れたベッドを整えた。
自分のことは、自分でやる。市井で暮らすことを夢見てから、トッドたちに手を借りることも少なくなってきた。
寂しそうな顔はされるが、その夢を目標に少しずつ準備を勧めてきたのだ。
多少は乱暴なやり方になってしまうが、その夢が叶おうとしている。
3日後。その日が決行日だ。仮死薬を飲むことは怖いが、自由になるのなら薬を飲むくらいなんてことはない。
「死ぬわけじゃない、それに、僕は生まれ変わるのだ。」
アロンダートは浴室に向かうと、そっと自分の容姿を見つめた。
黒髪、金目のアロンダート。半魔の母から産まれた望まれない子。ナナシもそうなのだろうか。
同じ色味を持つ彼に、勝手に親近感など湧いてしまったらエルマーに殴られそうだ。
そっと首の後ろに手を回す。後ろ手にかきあげるように髪にふれると、それはあった。
「俺も、やはり半端ものなのだな。」
長い黒髪に混じり、黒い羽のようなものが毛に紛れて生えていた。6つの足を持つ鳥の化け物。自分の本性は夢で見ていた。
恐ろしく醜い姿のそれは、自分を守るかのように背から棘をはやして、黒い直毛の鬣を震わせながら、猛禽類のような大きな翼を折りたたんで丸くなっていた。
目の色は金色、そして琥珀の色味が混じっていた。
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