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第二王子が倒れたらしい。 その報告が上がってきたとき、男はまるで勝利を掴んだかのように拳を密かに握りしめた。 王家の血筋を汚す、黒髪の第二王子。血迷った王が見目に騙されて犯した女が孕んだときは、事故に見せかけて処分しようかとおもっていた。 しかし先に生まれた方が病弱で、予断を許さない状況が続いていたのだ。 王は歳も歳だった。今更もうひとり作れと言うのも無理な話で、本当に仕方がなく、男子だったこともあり召し上げられた。 皇后は怒り狂った。まさか半魔のものとの間に設けた子を、跡目争いに持ってくるだなんてと。 結局その皇后の手によって後宮から追い出され、皇国の端の静養地に幽閉された。 女の髪はワインのような濃厚な赤だ。猛禽の羽根が、よりその容貌を神々しいものにしていた。ティターニアのような、美しい森の妖精のような女だった。 まるで罪人の護送のように、武装した者たちによって馬車に載せられた女は、引き剥がされた赤子を見ようともせずに虚空を見つめていた。 美しい女だった。半魔のものの考えることなどわからないが、少なくとも悲しんでいる様子はなかった。まるで疲れ切って、開放されてホッとしていますというような顔だ。 そして暫くして顔を見た第二王子は、黒髪褐色の異国の人のような風貌だった。 肌の白い王や皇后たちと並ぶと、ひどく浮いて見えた。 「なんでぼくだけ、いろがちがうの。」 植え込みに隠れるようにして、泣いている姿を思い出した。庭で開かれた皇后とのお茶会では、一つ分の席が足りなかったからだ。 「お前は悪いことをしたから、その色なのよ。」 爪を、汚い赤色で塗りたくった皇后が言った。 「お前は第二王子としてここにいること自体が奇跡なの。王族の名を汚す小汚い童め。身の程をわきまえなさい。」 真っ赤なルージュがいびつに歪む。 あの女はそうは笑わなかった。表情が抜け落ちていたからだ。 皇后の言葉に心を殺されたのか、拙く喋る第二王子の表情は、あの女と同じで抜け落ちていた。ああ、似ているなと思った。 それからだ、ぱたりと会うこともなくなった。式典や、祝の日ですら会わない。誕生日ですら祝われない。あの褐色の第二王子はどこに行ったのだろう。死んだのか、いや違う、城の奥深くでまだ生きている。 以前一度だけ見えたことがある。執務室の窓から見下した別館へと続く回廊で、褐色の肌の背の高い男が大柄な男と共に草の束のような物を抱いて歩いていたのだ。 雑草などもって、と馬鹿にしていた相手だ そんな王族としてしぶとく席を汚していた第二王子に、何故成人の儀が執り行われたのか。 答えは簡単だ。他国へと売るため。 皇国の領土を広げるためには、他国の姫と契らせればいい。幸い、見目はいい。しかし第一王子を契らせれば、逆に皇国を売ることとなる。 カストール共和国に女児が産まれたと聞いた為、それならばとずるい大人が動いたのだった。 そしてアロンダートの成人の儀は、第一王子として確かだった王座への道筋に翳りを与えた、最初のきっかけになる。 「アロンダート様にご助力願いたく。」 南の国の使者が現れた。海沿いにある、カストール共和国の使者だ。 船を使った物流が盛んで、ここを取り込めれば物資供給もスムーズに行える。以前から皇国が目をつけていた国からの使者が、なぜか第二王子に会いに来た。 宰相が慌てた様子で席を設けて話を聞くと、城下に店を置く衣料品店に置いてあった、清潔魔法をかけたローブの製作者が、アロンダートだという。 慌てて確認を取ると、トッドという店の店主は元城勤めの兵士で、年齢を理由に席を追いやられたものが、アロンダートの元についているという。 衣料品店は、そのトッドが営む店だった。 「生地の内側と外側で、かけられている魔法が異なる。しかも繊維自体にその魔法加工を施されているとなると、これほど画期的なことはございません。どうか、この布をカストール共和国にもおろしては下さいませんか。」 「なんと、それは誠にございますか!し、しばしお待ちを!」 そこからはもう、てんやわんやだ。 穀潰しだとされてきた第二王子が考えた魔道具や布は、トッドやアランという城に居場所が無くなった人物達が城下に広めていたのだ。 勿論、申請もきちんと出ていた。製作者の名前も、アロンダートとして。 なぜ申請が通ったのか。答えは簡単だった。穀潰しだと思われ、みな興味を持たなかった為に、申請を許可する徴税官も財務大臣も、あろうことが名前を知らなかったという。 宰相に話をされた外交官は目の色を変えた。 なぜもっと早くに、せめて申請される前に王族と周りに周知させておかなかったのかと。 アロンダートで通ってしまった申請は、個人のものの権利になる。国として使えない。 しかし、今後の国力を伸ばすためにも、けしてカストール共和国は無下にはできない。そして、新たに魔道具を発明したとなれば、著作権が発生する。似たような別の機能のものを作ろうとしても、こちらもアロンダートへ申請をしなくては罪となる。 日の目を浴びなかった王子の、その隠れた才能は国を揺るがした。カストール共和国にその品を下ろすことで太いパイプをつくらねば、姫との結婚を提案するための土台すらもつくれずに他国に取られてしまうと危惧をしたのだ。 宰相と外交官は冷や汗をかいた。今更、どの面下げて会いに行けばいいのかと。当たり前だろう、幼い頃の面影すらもあやふやなのだ。 成人の儀ですら、式典としては行われなかった。出された書類へ名前を書くのみの、王族としてはありえない、手続きのような儀式で終わってしまっている。 なので慌ててアロンダートは病弱な為、現在は席を設けることはできない。必ず本人に伝えるので、しばし待っていただきたい。 そう伝えると、布をおろして頂けるのならと待ってもらうことに成功したようだった。 白羽の矢が立ったのは、第一王子、グレイシスだ。 「本当に、虫酸が走る。」 大理石の回廊を叩くように、苛立ちを隠さない歩みで進む。その足音を追いかけるかのように、まばらな足音が付随した。 どの面下げて、とはグレイシスも同じだった。 カストール共和国が待つのは一週間。無理を言って留まってもらった。宴を開く話をしたので、ならばアロンダートはそこで紹介するという約束をしたのだった。 「何が病弱だ。貴様らは本当に考えもなしよな。病弱なものが宴などに参加すると思うのか。」 「しかしながら、彼はろくに陽の光も浴びず、蟄居なさっているとか…、庭先のみの外出ならば、鍛えようもありますまい。」 「ならば、貴様はアロンダートを見たというのか。」 「いえ、それは…あくまでも予想の範囲で、」 「予想で物事を図るか。その想像を余に押し付けるとは、貴様は随分と偉くなったのだな。」 グレイシスは豊かな金髪に、翡翠の瞳の麗人だ。しかし愚鈍な王と違い、実に苛烈な性格をしていた。 「無駄口を叩くな。余に指図をするな。」 申し訳ありませんという言葉も言えない。一度、兵士が切られていたからだ。 ゴクリと鳴る喉の音すら、許されない。そんな張り詰めた空気がその場を支配する。王族しか許されないロイヤルブルーのマントを翻し、城の奥、誰も通らない回廊の先にその部屋はあった。 日当たりが悪いため、庭木も育たない。同じフロアにはリネンや備品をしまう倉庫などもある場所だ。 侍従すら滅多に行き来しない別館といってもいい。 第二王子が暮らしているそこは、城の中でも一番に古い建物だった。 グレイシスが顎で開けろと指し示す。 深々と頭を下げた兵士の一人が、扉をノックし訪問の言葉を述べる。しばらく経ってから、ガチャリとドアノブが回った。 「はぁい、」 「は…、」 鈴の転がるような愛らしい声で、随分と下から返事がした。 グレイシスを含めた、その場にいた大人が呆気にとられてドアの隙間から顔を出した黒髪の美少年を見た。 「…アロンダートは、今いくつだ。」 「恐れながら、殿下と同じ23歳かと…けしてこのような少年ではございません…。」 「おい少年。お前は一体何者だ。」 「…えと、はい、ナナシです。」 キョトンとした顔でグレイシスを見上げる。多くの大人に見つめられ、怯えたようにドアの影に身を隠す。ナナシというらしい少年が、なぜここにいるのかもわからない。ここはアロンダートの部屋のはずだからだ。 「アロンダートはどこにい、」 「ナナシぃ!勝手に扉開けたら駄目だろう。ほら、こっちこい。」 「えるぅ、おきゃくさまだよう」 ナナシというらしい。少年の小さな手で支えられていた扉が、無骨な男らしい手によって掴まれる。 少々深爪気味の手の主は、ナナシの体を抱き寄せると、開きかけの扉をパタンと締めた。 「な…、」 グレイシスは目を見開いた。兵士は青ざめ、背後に控えていた者たちも、その静かなる怒りに冷や汗を吹き出す。 何故開いた扉を閉めるのか。顔すら確認せずにだ。 余りに不敬がすぎる。 グレイシスは帯剣していたレイピアを握りしめる。 第一騎士団を統べる彼は、その剣捌きのみで大型の魔物をいとも簡単に倒したこともある腕前だ。 「閉じるなら、開けばいいだろう。」 「…ご尤もで御座います。」 その場に居た全員が、血が流れると思った。グレイシスの行く手をば阻む権利など、王以外誰も持ってはいないからだ。 キン、とレイピアの澄んだ刀身が空を切り裂く。氷柱のような怜悧な美しさを持つそれが、閉じられた扉の表面を掠めるようにして往復する。 刀身を鞘に戻すのを待っていたかのように見事に3等分にわかれると、重厚に作られた木の扉だったものは音を立てて室内に崩れ落ちた。 「ふん。」 グレイシスにとって、扉を切り倒すなど朝飯前である。特になんの感慨もなく切り落ちた扉を踏み潰して室内に入ると、音に驚いたのか先程の少年がぽかんとした顔で突っ立っていた。 「少年。先程の不敬な者はどこにいる。」 「あ、…あう…」 ナナシといったか、悲しい顔でグレイシスの足元に散らばる扉の破片と、崩れた際に割れた花瓶から落ちた花を見てじわりと涙をにじませた。 「お、おはな…ナナシ、つんだのに…」 「余の問いに答えぬか。」 「う、ぅー‥」 ぐすっと鼻を鳴らして跪く。散らばった花の一輪を手にするナナシの頭上に、ピンと剣先を突き付けた。筈だった。 「く、っ!」 グレイシスはレイピアを持っていた手に、鋭い痺れを感じた。瞬きの間に、己の手から外れたレイピアがその刀身を光らせ回転しながら床を滑る。 なんだ、なにが…と見開いた目が捉えたのは、壁に刺さったカトラリーだった。 「えるぅ!」 「おいこら。尖ったもん人に向けるなって教わんなかったのかテメェ。」 グレイシスの左側から、やけに柄の悪い声が飛んできた。まさかその言葉は。テメェ、とは自身に向けられているのだろうか。 付き従っていた外交官が声を荒らげる。酷く顔を赤らめて、その自慢のひげを揺らしながら。 「き、貴様ァ!!この方に対してその不敬な態度!!たたっ斬るぞ!!」 「あ?お前ペンしか握ったことなさそうな面してっけど出来んのかァ?」 「なんだと!?!?おいそこの兵士!!貴様の剣を寄越せ!!」 「テメェで帯剣してねえ時点でかっこ悪いわなァ?おら表出ようぜ?」 「望むところだ!!」 グレイシスは眉間にシワを寄せると、不敬極まりないその男の姿を捉えた。 赤毛の、鍛え抜かれたその体は見事だが。なぜバスローブなのか。やけに寛いでいるような服装が、ますますグレイシスの頭を混乱させた。 「おい、やめよ。そこの赤毛。貴様はなんでアロンダートの私室にいる。」 グレイシスの声に、兵士が剣を貸すことを止めた。いまだ髭をざわめかせながら血走った目で赤毛を睨みつける外交官を下がらせると、見事な上半身をバスローブの隙間から覗かせた赤毛の男は、心底面倒くさそうに金色の目を細めた。 「エルマーだ。アロンダートの護衛をしてる。まあ、成り行きってやつ。」 グレイシスが値踏みするようにエルマーを見ていると、くい、と服の裾を引っ張られた。 なんだと見下ろすと、先程己が剣先を向けた少年が落ちていたレイピアを拾ったらしい、危なっかしい手付きでつばを持ちながら差し出してくる。 「これ、おちてたよう…」 「…………。」 己を狙った武器など、普通は返さないだろう。なんとも言えない気持ちでその柄を握りしめると、澄んだ音を立てて鞘にしまった。 「おい小僧!!殿下のレイピアに触れるなど、なんたる不敬!!」 「ひぅ、」 つばを撒き散らしながら怒鳴る。グレイシスは今度は貴様かと苛立っためで宰相をみた。 「床に転がしたままのが、不敬じゃねえの?俺はナナシはまちがってねぇと思うけど。」 「うぅ、…」 ナナシは怒鳴り声に怯えるようにエルマーの腰に抱きつくと、その後ろにかくれてしまう。グレイシスは溜息を吐くと、制止するように手を上げた。 「よい。ニルギアよ。この者の言い分は一理ある、放置するほうが不敬だ。許す。」 「ですが、」 「良いと言っている。余に同じことを言わせる気か。」 鋭い睨みに言葉を飲み込む。ニルギアと呼ばれた宰相に反応したのはエルマーだ。そして殿下という言葉に再びグレイシスを見ると、納得したような顔をする。 「ああ、あんたアロンダートの兄ちゃんか。」 「…兄ちゃん、だと。」 「悪いけどあいつ倒れてっから会えねえよ。病気感染ってもやだろ。かえんな。」 なにも、その関係性に誤りはない。しかしなぜこうもコイツが言うと腹が立つのかがわからなかった。 ニルギアを含めた他の者たちも、なんとも否定しづらい空気に口を噤む。冷えた空気をまとうグレイシスを前に、声を上げる勇気は誰にもなかったからだ。

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