41 / 163
40
「エルマーとやら。貴様、アロンダートの護衛と言ったな。ならば奴が寝ている部屋まで案内せよ。」
「部屋っても隣だし。なにくんの?仕方ねえなあ。」
「今は貴様とナナシだけか。」
「おうよ。アランとトッドは買い出し。ここには、なぁんも、届かねえらしいからなあ。」
ぴくりとグレイシスの眉が跳ねる。こんなに腹が立つやりとりをしているというのに、不思議と殺してやろうとは思わない。むしろ、この男との会話は少しだけ中毒になりそうな気配すらする。
ニルギアたちは、グレイシスが怒りの裏側にそんな気持ちを抱いていることすら知らず、顔色は悪いままだったが。
「ならよ、あんただけで来いよ。大勢できたら休まんねえだろう。」
「…致し方ない。」
「なりません殿下!!御身になにか御座いましたら、」
「余の身は自身で守る。弱いものの守りなど邪魔なだけだ。」
吐き捨てるように言うグレイシスに、エルマーは面白そうに笑う。余程その自信家な態度が好ましかったらしい。思わずがしりと肩を抱くと、陽気に言った。
「いいねぇ!俺ァあんたのこと好きだぜ!アロンダートは自信家じゃねえのに、似てねえ兄弟だなおい。」
「おい、余に触れるなど許した覚えはないぞ!」
「あっはっは!おまえ友達いねえだろ。」
「友達などと…!!」
ぐっ、とグレイシスが詰まる。エルマーに肩を抱かれながら部屋に入る姿をあっけにとられて見ていた大人たちは、互いに顔を見合わせた。
パタンと閉じられた扉の奥で、何が起こるのかはわからない。しかしこけにされた第一王子であるグレイシスが機嫌を損ねる事だけが無いように、祈ることしかできなかった。
グレイシスはというと、これが友達と言うものなのかと混乱していた。
「余に友達などいらぬ。貴様の言う友達とは、こうした不敬を許さねばならぬものなのか。」
「不敬って考えがかったりぃよな。お前の弟のほうがよっぽど性格がいいぜ?」
悪戯な笑みで煽るエルマーの言葉に、グレイシスの目には苛立ちが浮かぶ。
「余がアロンダートなどに劣っていると申すのか!!」
「すぐキレるとことかなあ。あいつのが大人だぜ兄ちゃんよ。劣りたくねえなら少しは周りの顔色見てやれば?」
ぽんぽんと組まれた肩を叩かれる。こんな距離で話したことなどないグレイシスは、戸惑っていた。グレイシスは優秀だ。しかし完璧を求められて、人としての道徳心にはかけていた。
まるでそのことを指摘されているような気がして、思わずその手を振り払おうとする。
それを阻んだのはナナシだった。
「な、」
きゅ、とグレイシスの手を握りしめてふにゃりと笑う。この少年の気の抜けた笑みに怒るに怒れず、口を真一文字に結んだ。
母の手を握りしめることもなかったグレイシスにとって、手を繋ぐ行為も戸惑いの一つだったのだ。
「おてて、つなぐのすき?ナナシはね、すきだよう…」
「しらぬ。」
「あのね、あったかいのもすき。」
「聞いておらぬ。」
気の抜ける間延びした喋り方で語られる。振りほどいてもいいはずなのに、グレイシスの手から離れた武器を呑気にもってきた。その間抜けとも言える少年の行動と、肌の色は違えど色合いが幼き日のアロンダートと重なってしまう。せめてもの矜持として握り返すことだけはしなかった。
「おい、起きてるか?」
エルマーが、容赦なくアロンダートの寝具を剥ぎ取る。枕に頭を預けていたアロンダートは、その暴挙にも怒ることはなく、むくりとその身を起こした。
「エルマー、せめてノック位はしてくれないか。」
「まどろっこしいの嫌なんだよ。男同士出しいいだろ別に。」
「親しき仲にも礼儀あり…という言葉が…、」
寝乱れた黒髪を手櫛で整えながら、見事な腹筋をガウンから覗かせる。気怠げな目元は色っぽく、掠れた甘く低い声も男としての魅力となっていた。
その琥珀色の瞳がグレイシスを捕らえる。す…と細まる様子を見て、歓迎されていないことを理解した。
「ご無沙汰しております、兄上。」
「…アロンダート。」
立ち上がると、男として厚みのある身体が威圧する様に目の前に晒される。グレイシスも第一騎士団を統べる者として鍛えているが、アロンダートに比べるとグレイシスは細身だ。
これのどこが病弱な第二王子だと言うのか。アロンダートを前にすると、グレイシスのほうが余程病弱に見えた。
「体調があまり優れず…寝汚く寝コケておりました。このような格好で御前に立つことをお許し下さい。」
「…貴様、いつの間に入れ墨などいれた。」
そしてグレイシスが動揺したのは、アロンダートの腹を飾る勇ましい獣の脚のような入れ墨だった。
いくら服で隠れるからといって、曲がりなりにも王族としての自覚はあるのかと睨みつける。
アロンダートはキョトンとした後、合点がいったようで、困ったように微笑んだ。
「何分半魔を親に持つもので、これは体に浮かび上がったのです。」
「浮かび上がった…?」
何を言っているのかという顔でアロンダートを見る。ナナシはというと、にこにこしながら呑気に「かこいい。」などと言っている。
グレイシスが戸惑っている顔に気づいたのか、アロンダートはその模様を隠すようにして服装を正した。
「それで、ご用件は。」
「カストール共和国の使者が、お前の発明した生地を流通させてくれと言ってきた。席を設ける、貴様も3日後の宴に参加しろ。」
「3日後…ですか。」
アロンダートは、グレイシスの言葉に眉根を寄せる。3日後は、自分が王族を辞めると決めた日だ。
自身の発明したものを知ってもらえるのは嬉しい。しかもカストール共和国はどこの国にも属していない。となれば陸地続きの皇国が、海からの物流のパイプを欲しがるのは頷けた。
「国の為になるのなら、喜んで。」
「…お前はこうして遠ざけられていて尚、国を思ってくれるのか。」
アロンダートの後で、エルマーが面倒くさいといった顔でソファーに腰掛けていた。
ナナシはグレイシスとアロンダートを交互に見上げると、空いている方の片手でアロンダートの手を握りしめた。
「なかよし、する?ナナシおてつだいするよう」
キョトンとした顔で王族に挟まれながら、長年会話すら怠っていた兄弟を前に当然のように言ってのけたナナシに、吹き出したのはアロンダートの方だった。
「く、…君は、ほんとうに強い子だな。」
「…別に、喧嘩をしていたわけでは…。」
「そうなのですか?僕は嫌われているものだと思っておりましたが。」
「………普通だ、」
くすりと笑ったアロンダートは、グレイシスの手を取る。不器用でプライドの高い兄を見つめた。
「グレイシス兄上。…僕は王座などいらない。勝手に騒ぎ立てている外野になど、惑わされぬように。」
「生意気な、いつも達観したような面をして…。お前に俺の悔しさがわかるのか。」
「わかりませぬ、教えてもらわねば。兄上の御心の内など誰にも、わかりませぬ。」
グレイシスは揺るぎないアロンダートの瞳から、目を逸らせなかった。兄として、第一王子として、決して目の前の相手に劣ってはいけない。
ずっと会わなかった相手が、突然取り沙汰されて己の玉座を揺るがした。なんの情報もない、第二王子の情報は幼き日のまま更新されることもなく、グレイシスの中ではずっと、歯牙にもかけずにいられる格下の相手だったのだ。
それなのに。
「貴様は、悠々としているな。玉座は要らぬだと?ならばその言葉を大衆へ述べてみよ!貴様の顔など知らぬ大衆へな!」
「兄上…」
「アロンダート、貴様の慈悲などいらぬ!!名も知らぬ、顔も知らぬ第二王子と争いごとをすることになった、余の気持ちなど、貴様にはわかってもらいたくなどない!!」
民衆は実に素直だった。ミステリアスな第二王子が冷酷な第一王子と玉座を争う事を、市井の者たちは知っていたのだ。
王の血を引く正当なグレイシスは、実に王族らしく育ってきた。しかし市井の者たちが求める王と、貴族が求める王は違う。
後の未来を見据え、一度も信念を曲げずにやってきたグレイシスは、決して腐った輩を許さなかった。
城の内側から貴族の膿を出してきたグレイシスの氷のような冷たさは、やがて市井の者が耳にする頃には恐れへと変わっていた。
第一王子は苛烈らしい。なら、第二王子は?
市井の興味が、日の目を浴びなかったを第二王子に注がれるのは必然的だった。
そしてアロンダートが開発をした生地でシンプルなシャツを販売すると、農作業を生業とする者たちがこぞって買いに来たらしい。
泥で汚れても買い換える必要はない、消耗品の衣服を長く使えるように清潔魔法が施されたその商品は、商店街の一角のみでしか買えないということもあり、またたく間に広まった。市場に下ろすため、流通関係の人間と関わりの深い農業を営むものたちにターゲットを絞ったのも成功の秘訣だった。
どこで手に入るのか、から城内でお張り子をしている店主のお店へと繋がり、そのお針子は第二王子の側仕えとして出仕することもあるということから名前が徐々に広まった。
人徳の為せる技だ。グレイシスが教えてこられた威圧政治ではない。
自身の預かり知らぬところで広まっていたアロンダートの名が、グレイシスを焦らせた。
「貴様が望まずとも、皆がそう望むのだ。皆が、余と貴様の争いごとを望むのだ。」
「兄上、兄上はどなたの縛りも受けてはなりません。」
「わかっている!!しかしそう続いてきた風潮は今更変えられぬ、もはやこの玉座争いなどという下らん行為は、王族の伝統のようなもの。余は世論に縛られているのではない。このくだらぬ、伝統に縛られているのだ!」
グレイシスの声は、震えていた。冷酷で怜悧な第一王子は、この城の伝統すべてを憎んでいた。
幼き頃の一つの選択肢を無視してしまった。黒髪の忌み子と呼ばれた第二王子へ、手を差し伸べなかった自身の過ち。
周りの大人がそうさせた。けしてグレイシスだけが悪いのではない。
それでも、王族らしくと教育されてきたグレイシスは、腹違いの兄弟であるアロンダートを求めていた。
出来の悪い第二王子の代わりにと言われ続けてきた。グレイシスは、一人で全部行った。皇后はグレイシスを第一王子としては愛してくれたが、子と母の関係ではなかった。
視察で父王と市井に出たときに見た、手を繋いで歩く兄弟に憧れた。
市井にいる者たちは、兄弟でも助け合って生きていた。
この小さな手で、あの黒髪の弟の手を握れたらどんなにいいだろう。助けてあげると、口に出せば皇后が許さないだろう。あの茶会のあと、ただ黙って手を握るだけで良かったのだ。
「お前など、大嫌いだ!余に兄弟などおらぬ!宴が終えればお前など用無しだ、どうとでも好きにするが良い!」
「…兄上、」
「余の名すら言わぬ貴様など、…っ」
思わず溢れた本音に、グレイシスは目を見開いた。
それは、アロンダートもおなじだった。ごくりと鳴らした喉は、誰のものだったのだろう。踵を返して扉へと消えていく細い兄の背中を、アロンダートはただ黙って見つめることしかできなかった。
ともだちにシェアしよう!