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コトリとテーブルに置かれたのは美しい玻璃の小びんだ。目をキラキラさせながらテーブルの縁に張り付いて見つめていたナナシが指先で触れようとして、ゴチンとサジに頭を叩かれた。 「あぅっ」 「触れるな馬鹿者。これは玩具などではないわ。」 「うぅ、あい…」 頭を抑えてしょんもりするナナシをみて、アロンダートは苦笑いした。 あれからグレイシスは顔を見せず、ついに本番の日が来てしまった。 この小瓶はジルバが用意したものだ。代償にサジの血を一瓶奪われたが、まあそれはいい。 「もう後戻りはできぬぞ。よいな、アロンダート。」 「勿論。」 「手筈は?」 「この薬は即効性だ。飲んだらすぐに苦しくなり、お前は仮死状態になる。宴の途中で倒れるのは騒ぎになるだろう、だからこうする。」 エルマーの問いに、サジはニヤリと笑ってキュポンと瓶の蓋を開けた。ぱきき、と音を立てて片手で硬い種子の種を出現させると、事前に細工を施していたらしい、2つに割った空洞の中にその液体を入れた。 「エルマー。おまえの強化の術を種に施せ。」 「あ?まあいいけどよ。」 ひょいっと放り投げた種をキャッチすると、ふわりとその周りを薄くコーティングする。そこまで魔力を使うものではないが、相変わらず膜のように纏わせる技術は卓越しており、魔力をもつアランもアロンダートも、初めて見たものは皆目を見開いた。 「これを時間になったら解除しろ。」 「あー、なるほど。もう先に飲み込ませとくのか。」 「胃液ごときでエルマーの魔力が消えるわけ無いだろう。お前が酒の飲み比べ対決で稼ぐときに胃の強化を施していたのを見て思いついたのだ。」 「オイコラ。種明かししてんじゃねえぞ。」 「何を、閉まっているだろうが。」 そうじゃねえという顔をしながら、むすくれる。まさかサジにイカサマがバレていたとは。 「なるほど、倒れるタイミングを調整するということか。」 「そう、そしてアロンダートが墓に埋められたらサジが掘り起こす。うふふ、墓荒らしを経験することになるとはなあ。楽しみである。」 「皇国って土葬なのか。燃やすんだと思ってた。」 「王族の身を焼くのは不敬になるらしい。王家のマウソレウムには浄化の陣が組み込まれているとも言っていたな。」 「なるほど、てか王家の墓で魔物が出たら笑い話か。」 なにそれおもしろそうという顔でエルマーを見たサジの頭を叩く。先程のナナシのし返しもかねてだが、割といい音が響いた。 「あいてっ、まだなんもいっとらんもいうに!」 「いや顔がムカついて。」 エルマーとサジの下らないやり取りに痺れを切らしたのか、トッドが衣装片手に手を叩いて空気を切り替える。 その手には宴の参加者に扮する為の道具も握られており、動きにくそうなその召し物に嫌そうな顔をする。 「はいはい、じゃあサジは殿下の随伴者。エルマー、あんたはナナシちゃんのエスコート役よ。しっかりやんなさいな!」 「エスコート役は吝かじゃねえけど、敬語とか使えねえ。」 「ですますつけとくか、微笑んで黙ってなさい。あんた顔しか褒められるとこないじゃない。」 「すげえ雑じゃん。いいのかよそんなんで。」 適当にやれと言われても、それはそれで楽でいいがある意味気を遣う。サジは嬉々として服を脱ぎ始めたので、アロンダートが慌てて抱き上げて部屋に押し込み扉を閉めた。同じ男だというのに気を遣い過ぎである。アランは顔を紅くしていたが。 「える、ナナシとおててつないでてくれる?」 「おうよ、俺のこと見張っててくれっか?」 「いーよぅ、エルマーいいこにするのう?」 「多分な。」 「はあい。」 なんともふんわりとしたやりとりで、こちらも話がまとまった。トッドはそうと決まればとナナシの手を取ると、衣装片手にサジの押し込まれた部屋に向かう。扉を閉める直前に、「あんたなんでノーパンなのよ!?!?」というトッドの悲鳴じみた声を聞くと、アロンダートもアランも想像したらしい、取り繕うように噎せていた。 「はあ、ナナシの着替えかあ。俺ちょっと手伝ってくら、」 「行かせるわけないだろう。貴様はいやらしいことしかしないきがするしな。」 むんずとエルマーの結ばれた赤毛を鷲掴みアランが引き止めた。 アロンダートもそうおもう。この男はやたらとナナシを構いたがるのだ。なんだかイケないことを教えてそうな気さえする。 髪を掴まれ、たたらを踏んだエルマーはというと、その髪を手から引き抜くとブスくれた。ナナシの裸は何度も見てるが、見られるもんなら見たいのだ。好きなこの裸体だぞと開き直ってもいい。 「これだから童貞は。」 「僕はもう童貞ではない。」 「ならアランだけかあ。」 「んなっ…!!いいから貴様もさっさと着替えろ!!」 顔を真っ赤に染めたアランに服を押し付けられる。なんの気無しに広げた服を見て、エルマーの仏頂面が益々歪んだ。 「やだぁ、かんわいいわぁ。やっぱナナシちゃんは清楚なのが似合うわねぇ!!」 「あう、すごい…かみのいろがちがうくなっちゃった…」 ナナシはというと、サジの妹役という設定になった。宴と言う事もあり、潜入するならまずは着飾れとトッドの独壇場となったこの日。ナナシは薄水色のシンプルで上賓な詰衿に白いリボンを首元にあしらったドレスに、結い上げられた髪は変化の魔法がかけられたヘッドドレスでサジと同じ枯れ葉色の髪に変わっていた。 長いまつ毛はそのままに、ほんのりと頬紅と薄い桃色のアイシャドウをのせたナナシは、眠たげだが少しだけ色気のある目元を緩ませながら、色の変わった髪をみて嬉しそうに笑う。 「ふん、馬子にも衣装とはこのことだな。」 「それはあんたにも言えるわよ。」 サジはというと、大胆にその背を晒したマーメイドラインのドレスに胸元はドレープのついた濃いグレーのクラシックなドレスだ。地味な色に見えるが、サジの美貌を引き立てており、首元のチョーカーに合わせるように細腕にはめられた黒のバングルもオニキスでできたシンプルながら美しいものだった。 白い背中が艶かしい。男性だとはわかるが、危うい色気のある赤い口紅と大振りな黒のピアスが揺れている。枯れ葉色の髪は結い上げられ、ナナシとは色の違うリボンで丁寧にまとめられ、そのリボンの先は白い項を撫でるようにして垂らされている。 「やはりトッドはセンスがいい。気に入った。これは買おう。」 「男性でも、美しいものは着飾らなくてはね!あら、なら殿下に言っておくわ。」 「サジきれい、とてもいい!」 「ふはははは!!そうだろうそうだろう!!頭が高いぞ、頭を垂れるが良い!」 「あんたまじで口開かないほうがいいわよ。」 「ナナシもそうおもう。」 褒めると直ぐに調子にのる。サジの様子に呆れた顔をして言うと、トッドは閉めていた扉を開いて声をかけた。 「殿方たちー!お連れの方の衣装チェンジは完了よぉ、アランも準備できたのかしらあ!」 トッドの足元からにゅるりとギンイロがでてきた。サジはがしりとその身を抱き上げると、ナナシの首元にファーのように巻いた。 「ギンイロ殿はナナシを頼む。」 「アイヨ。」 「はわ、」 ぱたりと長い尻尾を振ると、ギンイロはわかっているとばかりにその尾をかぷりと口に含んで襟巻のように大人しくした。振り向いたトッドが首に巻いてある銀色のファーに首を傾げたが、服装に合っていると納得したのか、なぜかサジが出したものだと思ったらしい。にこにこして「わるくないわねぇ。」とサジの背をポンポンと叩く。 ナナシは促されるようにエルマーたちのいる部屋に戻ると、こちらも準備はできていたようで、トッドは目を輝かせながら大いに燥いだ。 「あらぁあ!!んまぁーーー!!」 「うわうるっせえ。」 「ちょっとぉ!!あんたもまじで口開かないほうがいいわよ!!」 げえっという顔をしたエルマーは、その赤髪を片側に流し、手入れされていない尾の様に散らばっていた髪を細い三編みにされていた。黒い詰め襟に金縁のジュストコールは、エルマーのスラリとした背に似合っており、ブランデンブルク飾りの施された中のジレにはアンテミオンの刺繍が細かく施されている。サッシュをつければ異国の王子のような出来栄えだ。 金の瞳と色をあわせたのだろう、黒の軍服のようなフォーマルな装いに赤毛が非常によく似合っていた。 アロンダートも褐色の肌に生える白銀の生地を使った軍服のような装いだ。こちらもエルマーとはデザインは違うが、ジュストコールには金縁の刺繍が施されており華やかだ。中に着たジレはサジのドレスと同じ色味で合わせている。美しい黒髪を撫でつけ、ハーフアップにして形のいい額を晒している。 ギンプカフスの袖口には、ちらりとオニキスの細身の腕輪が見えた。サジのものと同じ石で作られたそれは、アロンダートの独占欲の現れだ。 「えるぅ!!!!」 「ナナシか!?」 目を輝かせながら駆け寄ってきた美少女に目を丸くする。ガバリと腰に抱きつこうとしてきたナナシにトッドが悲鳴を上げた。 「メイクのお粉が付いちゃうから清潔魔法かけてからにしてええええ!!」 「うっ、」 「おうっ、」 あわてて擦り寄ろうとした顔のままピタリと止まると、エルマーもその悲鳴に体を固まらせた。ナナシもエルマーも、これは汚してはいけないんだろうなと言うことだけはわかっていたらしい。ぎこちなくお互いに離れると、アランが慌てて清潔魔法をかけた。「もういいわよ。」というトッドの合図をきくと、仕切り直しだと言わんばかりにぴょんとナナシが跳ねて抱っこをせがむ。 「うわあ、脱がせてえ。かぁわい、うわぁ。」 「語彙力どこにおいてきたのあんた。」 トッドが呆れるほどナナシを見てデレるエルマーは、その華奢な体を抱き上げる。嬉しそうに微笑んだナナシの破壊力といったらない。細腕が首に絡んだのに気付くと、周りの目など気にしないエルマーは、片手で頬に手を添えると己の唇を重ねた。 「っ、ン…」 鼻にかかった甘い声を漏らしたナナシは、きゅ、とエルマーの服を握りしめた。ぬち、と唇の隙間から舌が覗き、その小さな口内に挿し込まれたのを見て、アランは悲鳴を上げながら馬毛のブラシでエルマーの背中をぶっ叩いた。 「ぬぉ、っ!あにすんだ童貞!!」 「だだだだだまれ変態め!!!お前こそ何してんだ馬鹿者があ!!!」 「はぅ、」 ぽっと顔を赤らめたナナシが小さな手で顔を覆う。じんわりと赤くなった耳が見え、トッドは手の早いエルマーに引いた目をした。 「うふふ、なあに、エルマーとナナシはそうい仲よ。なにも隔てるものはないだろう。なあ?」 「あい…」 サジの言葉に、アランはまじかよといった表情である。エルマーはナナシを抱き締めると、ちゅ、と首筋に吸い付いた。 「宴で変な輩につれてかれねえように、印な。」 「んん、っ…」 蕩けた目でエルマーをみやると、むにりと唇を動かした。小さい手でエルマーの頬をおおうと、ちゅっとお返しに唇に返す。エルマーはこうすると喜ぶし、ごきげんになることをしっていたナナシは、今日も順調にエルマーによって色々なことを教え込まれていた。 サジはというと、その柳腰に腕を回して抱き寄せてきたアロンダートの首に腕を絡ませると、鼻先を擦り合わせて甘える。そっとアロンダートの唇に吸い付くと、口に含ませておいた例の種を腔内に押し入れる。ぐい、と大きな手がサジの腰を抑えて下肢を押し付ける形になる。ちゅぷ、と水音を立てて唾液と共に舌先にのせた種を受け入れると、ごくりと飲み込んだ。 「ふ、…上手に飲めたな、アロンダート。」 「今夜は俺から離れずにいてください。いいですね?」 「うふふ、サジの可愛い子よ。勿論だとも。」 それぞれが互いのパートナーとともに準備を終えた。トッドもアランも給仕として交じるらしく、改めて全員で段取りを確認する。 イレギュラーなことも起こるだろう。その場合動くのはエルマーだけだ。サジはアロンダートを守る。ナナシはトッドとアランが何かあったら守ると約束し、何もなければ最後までエルマーとともにいる事になる。 エルマーはナナシの首で大人しくしているギンイロに目配せをすると、了承したと言うようにゆっくりと瞬きをする。 トッドとアランが全力でナナシを守るなら、ギンイロが3人を守れという意味を正しく理解したらしい。 こし、とその毛並みをなでてやると、あぐっと噛まれたのだけは解せないが。

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