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「君は本当に性格が悪いな!?!?どうするのだ!!確かにやらかすようにしろとは言ったが、そんな人としての尊厳を脅かすような事をしろとは言っていないぞ!!」
「あーはいはいすんませんでしたあ。で、俺のシャツ直った?」
「今縫っている!!君の口も縫い合わせてやろうか!?!?」
サロンにて、エルマーはギルバートにぶっ千切られたシャツのボタン付けをアランにやらせていた。ギルバートは別室で対応されているらしく、従者から追って主人がそちらに謝罪に伺うと言われていた。
息子が人に襲いかかった理由が性的な興奮だとわかったら、どんな顔をするのだろうか。
外務大臣はこのことが漏れたらまずいに決まっている。今後は醜聞はくっついて回るだろう。ならば突然注目をあびたアロンダートよりも、自らの体裁を優先させるに違いないのだ。
第二王子よりも自分。悲しいことに、それがまかり通るのが今の城の現状だった。
「える、たべていぃ?」
「おう、剥いてやろうか。」
「ナナシむけるよう?」
「ナナシの手が汚れちまうだろうが。」
ナナシの手からブドウを取る。パツンと張った皮がみずみずしくて美味しそうなひと粒を、エルマーは丁寧に向いてやると唇にあててやる。
ナナシはエルマーの手を両手で掴んではぷりと口に含む。じゅわりとにじんだ果汁がエルマーの指をつたうと、ぺしょりと追い掛けるように舐めた。
「閃いた。」
「閃くなど変態め!!」
確かにナナシの舌にむらっときたのは認めるが、アランが空かさず鋭いツッコミをしてきたので出鼻をくじかれた。
エルマーは今、上半身裸にジュストコールを引っ掛けただけだ。シャツのボタン付けをしているアランがむすくれるくらい盛大に引きちぎってくれたお陰で、ボタンホールに合う予備のボタンを探しながら縫い付けてもらっている。
エルマーはナナシの頬に手を添えると、親指で果汁を拭うように唇をなぞる。
「ナナシ、このあたりに吸い付いてくんねえ。」
「えっ」
「貴様僕の前でそういうプレイは許さんぞ!!」
「ちげえって、キズモノ感?ほらよ、信憑性大事だろ。あいつ付け方わかんなかったみたいでよ。」
「あ、ああ…なるほど??」
アランが頭に疑問符を浮かべながらなんとも言えない顔をする。たしかにこんな男を組み敷いたと真実を持たせるためにも、自分じゃつけれないところにキスマークを付けなくてはいけないだろう。
しかしそれをこの少年にやらせるのかと思うと、アランは顰めっ面をした。
「いつも俺がつけてるだろう、ナナシの色んなとこに。」
「あう、あれ…むしさされじゃないのう…」
じんわりと顔を赤くしたナナシが、困ったように眉を下げた。まさかの虫さされの正体がエルマーのせいだったとは。
頭をなでられ、促されるようにエルマーの胸元に顔を引き寄せられる。おずおずと鎖骨の下あたりにちゅっと口付けた。
「おしい、吸い付くんだ。こんなふうに、」
「ぁ、っ」
お手本を見せるかのように、ナナシの肩口の布を引き下げて吸い付く。濡れた舌がかすかに触れ、ぢゅ、と強く吸い付かれて思わず声が漏れる。
ふるりと身を震わしたナナシは、そっとそこを押さえると、こてんとエルマーの肩に顔を埋めた。
「おーよしよし、きもちかったなあ。」
「貴様の情操教育はどうなっているのだ…」
「はぅ、」
しびびっと甘い刺激がナナシの体を震わせたおかげで、お腹の奥がきゅうきゅうと鳴いた。数度頭を撫でられたあと、おずおずと再びそこにくち付ける。
ちゅうちゅうと可愛らしい音を立てて数度吸い付いてやっと痕を残すことに成功した。
ナナシは自分がエルマーに付けた痕を見ると、なんだか照れたような不思議な気持ちになってしまい、おもわずぎゅうと抱きついた。
「ほら、できたぞ変態。さっさと着込め。」
「ったくてめえは口がわりいなあ。」
「貴様にだけは言われたくないわ!!」
ケッと吐き捨てるように言うと、バサリとシャツを投げ渡す。エルマーが着込んでいるうちに、火照った体を冷ますようにナナシが水果に手を伸ばす。
「む、君も召し物が汚れてしまうから、これを使うといい。」
アランが桃をフォークで指して差し出すと、ナナシはアランの手を握ってはぷりとたべる。
まさかエルマーのようにされると思わなかったらしく、アランが小さなナナシの手のひらで握られた手を見ると、キュンと甘く鳴いた胸に呼応するようにぶわりと頬を染めた。
「おいひい。」
「そ、それは、なによりだ。」
薄桃色の唇に挟まれた果実の甘さに目を細める。ナナシの表情とちらりと見える赤い舌にゴクリと喉を鳴らしたとき、コンコンとドアをノックする硬質な音がした。
「おっと、おでましだァ。」
エルマー達が外務大臣の足止めをしている頃、アロンダート達はカストール共和国の使者の男を挟んでの水面下での争いをしていた。
「しかし、アロンダート様に恋人がいたとは驚きですなあ。一体そのような美人をどこでつかまえてきたのですか?」
でっぷりと太った腹を揺らしながら、ニヤニヤとしたいやらしい目線を向けるのは、パドル伯爵という貴金属産業を担う一人だ。
芋虫のような太い指には大粒のダイアモンドがはめられているが、裏では多くの愛人を宝石で釣っては囲っていると聞く。サジは、エルダというアロンダートのパートナーとして侍りながら、パドルの視線を煽るかのように目を細めて微笑む。
「捕まえてきたなどと不躾な物言い、まるで殿下を下に見ているように言うのですね。エルダはそのような殿方と知り合ってほしくはありませぬ。」
「エルダ、彼は皇国の産業の1つを担っている。あまりそういった事を申すものではない。」
アロンダートにしなだれがかるようにして言うサジは、まるでヒキガエルが着飾っているようだと笑う。そっと囁かれるように嗜められるまでが一つの芝居だ。
アロンダートにさり気なく人を煽ることを言わせ、暗殺されたように見せればいい。そう提案したのは他でもないエルマーだ。
どうせこの宴で宰相と辺境伯はいなくなることを知っている。ならばその二人のどちらかに殺されたということにしてしまえとなったのだ。パドルはその対象ではないが、使者の横に立つ宰相の顔色は悪い。あまりにパドルが不躾なものだから、品格が落ちるとでも心配をしているのだろう。
「し、しかしフローレンスは一体何をやっているのやら、使者殿を待たせるなど…」
「ニルギア、彼もまた忙しい。あまりそう急くものではないよ。こちらには僕もいるのだから。」
「そ、そうですな…」
ニルギアは歯噛みした。まさか独り身だとおもっていたアロンダートが、美貌の男を同伴者として連れてくるだなんて思っていなかったからだ。スラリと伸びた身長にぬけるような白い肌。紅茶色の豊かな髪の毛はシニヨンにまとめられ、そこらにいる令嬢よりも美しかった。
どこの貴族だ。エルダといわれた名前を記憶から引きずり出しても全然当てはまらない。
表情には出さなかったはずなのに、エルダに嫣然と微笑みかけられて変な汗が出た。
「アロンダート殿、今回の布のお話は受けてくださると聞いておりますが。」
ニルギアが一向に取引の話を出さなかった為、痺れを切らしたのか使者から直接話が切り出された。しまった、周りが見えていなかった。使者の白けた視線に居住まいを正すと、ニルギアは満面の笑みで頷いた。
「そうですとも!グレイシス様からもそう聞き及んでおりまする。なに、この国の為とアロンダート様はご尽力してくださるそうで。」
「アロンダート様は、お答えにならずともよろしいということですか?」
「はっ⁉」
口元に笑みを称えたエルダが口を開く。こいつ、邪魔はせぬと言ったではないかとニルギアは思わず訝しげな顔で見つめた。
「いえ、使者殿はアロンダート様にお聞きになったのに、ニルギア殿が答えたので。こちらの礼儀はそうなのかと思ってしまいました。」
何分、こちら側のマナーには疎いもので。
そういって微笑んだエルダを、アロンダートは愛しげに見つめた。
「そっ、…のような、ことは…っ」
「ニルギア。もうよい、下がれ。」
「しかし…!」
「下がれと言っている。それとも、僕の言うことは聞けないというのか。」
アロンダートの琥珀の瞳に射抜かれるように見つめられる。今まで第二王子として職務すら真っ当に遂行しなかったくせにと腸が煮えくり返るような怒りを溜め込む。ここは、使者もいる。下手に手を出すことはできない。ニルギアは深く深くため息を吐くと、仕方がないといった顔で一礼をした。
これくらいは良いだろうという甘えがそうさせたのだ。
「…あなたのその態度は、目上の者に対しては誤っております。」
「め、滅相もない!別に他意などはございません!」
「使者殿。何分今まで自由にしてきたもので、彼にもあのような態度を取らせてしまうのはこちらの不徳の致すところ。お恥ずかしいところを見られてしまい、申し訳もありませぬ。」
「アロンダート殿…あなたはとても、寛大で奥ゆかしいお方なのですね。」
まるでニルギアを庇うかの様に言う、第二王子ごときが、とバカにしていた相手からフォローをされ、ニルギアの血液は沸騰しそうな程だった。下げた頭を挙げられず、グレイシスからも下がれと言われる。
ここに外務大臣がいれば、こうはならずに話を運べただろうに、あいつが遅刻などするからだと沸々とした怒りがこみ上げる。
ニルギアの頭上では、どうやら話がまとまったらしい、会話が弾んでいた。
渋々後ろへと下がると、給仕のひとりが背後から声を掛けてきた。いつもならにべもなくあしらうのだが、どうやら外務大臣の息子がアロンダートの連れに粗相をしたらしく、外務大臣はその謝罪で遅れているとのことだった。
使者とのやり取りも終えれば、アロンダートへ貴族の相手に忙しくなるだろう、ならばその前になんとか連れ戻さねばと、苛立ちをぶつける様につかつかとサロンへと続く渡り廊下に向かう。
「宰相、」
聞き慣れない声が降ってきた。
「なんだ!!わしは今忙しい!!あとにしてくれ!!」
サロンまではあと少しだ。ホールを出て追いかけてきたということは給仕だろう。平民の成り上がり風情だ。城に勤めているからといって、身分をわきまえない輩が増えて困る。
ニルギアは声の主を見ようともしなかった。しかし、あろうことか肩を掴んできたのだ。
「いいえ、宰相。こちらもあまり時間がない。」
「貴様、このニルギアを引き留めるほどの理由があるのだろうな!?」
この身に触れていいのは、ニルギアよりも目上の者と、女だけだ。振り払うように振り向くと、ここが城内だろうが構わずに、もっていた杖を振り上げた。
「無論、仕事はスマートではなくては。」
にこりと笑った気がした。気がした、というのは声だけでの判断だが、男の表情は見えなかったのだ。
やけに仰々しい、まるでオペラや演劇のキャストのような服装の男は、呆気にとられるニルギアから声を奪った。
「ーーーーーーーー!!!」
「おっとばっちぃ。」
ぐるんとニルギアの目玉が上を向く。くり抜かれたように首の真ん中に空洞が空いたのだ。
男が指を鳴らした瞬間、ぶしりと間欠泉のように血が吹き出した。どしゃりと崩れたニルギアは、その血飛沫を傘で防いだ男によってただの肉塊へと変貌した。
「我が主が酷く傷ついておいでだ。無論、君のせいでね。」
ぴちゃ、と音を立てて革靴が血溜まりを踏む。
「あとはだれだったかなあ、うーんと、いかんねえ、すーぐ忘れる。」
男はニルギアのぽかりと空いた空洞に、小瓶から出した土をふりかけた。
「どれどれ、どんなものになるのやら。ああ、人なら幽鬼なんだっけか。」
びくんとニルギアの四肢が突っ張る。空洞だった肉の中に根付くように、ビシビシと土が触れた部分の筋繊維が黒く染まる。紫色した静脈がぼこぼこと脈打つ。まるで新芽のようににゅるりと首の穴から顔を出すと、男はニヤリと笑った。
「つまらん!どうせなもっとド派手に行こうじゃあないか!!」
男はマントのなかをがさがさとまさぐる。くまのぬいぐるみや、ロリポップ。なにかのネジやら古びた靴。ぽいぽいとそこらにガラクタを放り投げながら、ようやく見つけたのか黒く光沢のある一枚の羽ペンを取り出した。
「ここに取り出したるは、主の羽根。さてこれをちょちょいと食わせてやろうなあ。ほいっと、」
ぐちゅぐちゅと肉が泡立ち、みるみるうちに幽鬼の醜悪な容貌へと変わるさなか、男は飲み込ませるようにして塞がりかけた穴の中に羽を突っ込んだ。
ぎゅプッ
空気の抜ける音がした。
あは、と笑うと踊るようにしてその場を跳ね回る。
「物は使いようだよねえ。」
肉を撹拌し、血肉を泡立て、黒い煙をふきながら形成が終わった。
るんっ、と飛び跳ねた男がパチンと指を鳴らす。
ニルギアだったものは、腐りかけの大きな魔物に変化する。
バサリと羽根を広げると、ぼたぼたと腐った肉を落としながらその獣は四足で立ち上がる。
濁った白い目に骨のような背中の刺。ボサボサの黒い羽が歩くだけで散らばる。その獣は、アロンダートの本性によく似ていた。
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