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最初に反応したのはギンイロだった。
「ギィイ!!!」
「うわ、っ…なんだこの声!?」
外務大臣のハゲ頭を散々っぱら拝んでいたエルマーたちだったが、突然鳴きだしたギンイロの声に真っ先に反応したのはアランだった。
「ギンイロ、」
「え、ぎんいろ?え!?!?」
しゅるりと首元に巻いていた銀のファーに扮していたギンイロが床に降り立った。アランは目を丸くして、生の毛皮が動き出す姿に固まる。
「な、なんだ!?地震か…っ、」
ズシン、と軋むような揺れだ。エルマーはその金色の瞳を鋭くさせると、ジュストコールのなかに背負っていたインベントリから大鎌を取り出した。
「な、武器の持ち込みは禁止なはずだぞ!?」
「話は終わりぃ、やべえのがきた。」
「敵襲か!?」
「アラン、お前はナナシを頼む。おっさんたちと部屋にいな。」
びり、と降り立ったギンイロの毛並みが膨れる。よほど禍々しい気配がするらしい。ナナシは怯えた様子ながら、落ち着かせようと優しくギンイロの毛並みを撫でた。
ドアを睨みつけていたエルマーが振り返る。ナナシの側にいくとその華奢な体をきつく抱きしめた。
「ナナシは絶対無理をしないこと。ギンイロが守ってくれるから、お前はここから離れるな。」
「える、」
「アラン、やべえのきたら燃やせ。」
「おう、丸焦げにしてやるとも!」
あっけにとられたままの大臣はそのままに、エルマーはナナシの首からネックレスを取り出した。そのペンダントトップに口付けると、わしりと頭を撫でてから扉に向かう。
ドアノブを握る手がぴりりと痺れる。久しぶりの感覚だ。ガチャリと扉を開けると、そのまま夜のせいだけではない、暗い外へと足を踏み出した。
ギンイロが魔物を感じ取ったのと同時刻、サジ扮するエルダ達もその異質な空気を感じ取った。
「…アロンダート、気づいているか。」
「ああ、なんだか外がやけに騒がしい。」
宴の会場は穏やかな時間が流れていた。異変に気づいたのは二人だけだ。
どうする、まずは使者殿とグレイシス兄上だ。他の貴族は?外側からはエルマーが守る。そう目線だけで会話をする。
サジはエルマーの気配を感じ取ることができる。繋がっているからだ。スッと目を伏せると、細い糸を手繰り寄せるようにして追う。
サロンへの回廊を抜けて、中庭に向かっている。この会場までは2つのポイントを抜けた先だ。
エルマーがうまく足止めをできるなら重畳。もしできなかったらサジが出る。
「アロンダート、バルコニーに行きたい。サジの使い魔を向かわせる。」
「わかった、こちらだ。」
アロンダートはサジの腰を抱くとそっとバルコニーに向かう。グレイシスは、先程と一転して表情を変えたアロンダートを不審げに見つめる。
そっと後を追おうとしたが、ズシン、という突然の地震にたたらを踏んでしまった。
「なんだ、地震…?」
初期微動もなく、突然揺れた。宴の参加者も不安げに揺れるシャンデリアを見上げている。
グレイシスは近衛に、念の為外を見守るようにと指示出しをした。
バルコニーにつくと、サジはその目を見開いた。
魔物の気配が思ったよりも大きく、そして空気がここまで淀んでいた。
「アンデッド種だ。いる。…いけるか。」
バルコニーの欄干に絡みつくように蔦が顔を出す。そっとサジの言葉に答えるようにシュルリとツタで指を握ると、そのままスッと消えた。
「サジ、」
「このこがサポートをする。城の周りにただよう空気はあまり吸わないほうがいい。中に向かうぞ、アロンダート。」
二人が険しい顔で中に戻る。そのタイミングで、グレイシスに指示をされ外を見回りに出ていた若い近衛が、顔を青ざめさせて宴の会場に駆け込んだきた。
「ご、ご報告いたします!!城の中庭に正体不明の魔物が現れました!!現在、こちらも不明の人物と交戦中!!ご来場者様におかれましては、けして外には出ぬように!!」
「な、」
悲鳴混じりの声が上がる。当たり前だ、ここにいるのは優雅な日常を是とする脆弱な者たちだけだ。アロンダートは舌打ちをした。こうして会場内がパニックに陥ることなど、少し考えればわかることだったからだ。
グレイシスは眉間にシワを寄せながら、へたり込んだ近衛の胸ぐらを掴む。
「貴様!!誰がパニックにさせろといった!!先ずは上からの指示を仰げ!!
近衛、お前たちは来場者方を大広間へと避難させろ!城の奥へだ!!僕は出る!」
「なりませぬ!!!兄上、お待ちを!!」
グレイシスの指示によって近衛は動き出す。あろうことか自ら危険な場所へと赴くと言い出したグレイシスに、待ったをかけたのはアロンダートだった。
「アロンダート!貴様の指図は受けぬ!」
「なりませぬ、貴方はこの国を担う方。ここはアロンダートにお任せください。」
「戦も知らぬ青二才に、剣が使えるとでもいうのか!?」
「いいえ。」
グレイシスの言葉をサジが遮る。アロンダートを背にかばうようにして前に出ると、そのラブラドライトの瞳で真っ直ぐにグレイシスを見つめた。
「アロンダートのことは、このエルダがお守りする。」
「なんだと…?」
「エルダは、このためにここにいるのだから。」
ニヤリと笑う。いつものサジの笑みだ。
パキリと音がして、サジの足元から緑色の蔦が現れた。シュルシュルと互いが絡みあい、錫杖のような杖を形成すると、トンッと大理石の床をついた。
緑色の魔法陣が、ぶわりとサジを中央に足元に広がる。長い髪が解けて光が包んだのち、いつものサジの姿が現れた。
「な…!?」
グレイシスは目を見開いた。今目の前にいるのは、消えたと言われている種子の魔女、その人だったからだ。ざわつく会場内を鎮めるかのように、サジが杖を降る。窓ガラスをおびただしい程の蔦が覆った。
「この会場には何も入ってはこられぬ。サジが死ぬまでな。お前たちは終わるまで、大人しく震えて待っておればいい。ゆくぞアロンダート。」
「御意。」
「な、まて!っ、…く、…!!」
グレイシスとアロンダートたちの間を広げるかのように、目も開けられない程の激しい旋風が吹き荒れる。激しい風圧によろめきながら目を開ける頃には、もうすでに二人はいなくなっていた。
あんなに激しい風が吹いたというのに、不思議に会場内は何事もなかったかのようなままだった。
このまま守られるだけか。
二人が消え、散らばる葉屑を見つめながら、グレイシスはそのやるせなさをぶつけるかのように、第一王子の証である青のマントを床に叩きつけた。
「よっと、ぅお、あ、っ!」
エルマーに狙いを定めて飛んできた鋭い棘を、体をひねることでなんとか躱す。大理石でできた美しい柱へと、いとも簡単に突き刺さるそれは、恐らく刺されたら毒で苦しむことになるのだろう。突き刺さる壁からは、何かが溶けるような不快な音が吹き出ていた。
「おやまあ猿みたいに身軽。」
「っ、と…お陰さんで身体能力だけが取り柄でなあ。」
魔物の頭上にあぐらをかきながら、謎の男が笑っているような雰囲気で語る。
表情は読めない。まるで見せぬと言わんばかりに黒いマスクをつけており、夜闇もあいまって顔なしの怪人だ。
エルマーが到着した頃には既にいて、待ってましたとばかりに両手を広げて喜んだ。
笑えることに同じ無属性、今回はまじでやばいかもしれんとエルマーの表情には余裕が無かった。
「うーん?なんだか癖があるねえ。左側、怪我でもしてるのかい?」
「ああ?」
「ほら、右はこんなにも俊敏なのに、」
左側はホラ、と指を刺されながら言われた瞬間、パァンと左の脇腹の古傷が突然開いた。
「っ…、あ、くっ、」
脇腹を押さえてよろける。なぜ塞がったはずの傷が弾けたのかはわからない。エルマーは突然の鋭い痛みにがくりと崩れた。
「ありゃ。ごめんごめん、加減間違えちゃったかなあ。」
「っ…まぇ、…ぁに、した…っ、…!」
「なにしたって、君と同じさ。左の腹の傷の細胞を部分的に活性化させて、爆発させただけ。」
「か、はっ…、」
ぼた、とどす黒く血が腹からあふれる。エルマーの拳は痛みをのがそうと血管が浮き出るほど握りしめられる。
心臓の脈と呼応するようにどぷ、どぷ、と吹き出す血液と痛みに集中が散らされる。治癒をかける時間は待ってはくれなさそうである。
魔物の鉤爪がエルマーに向かって振り上げられる。せめて受け止めようと体制を低くしたときだった。
「おやあ。」
ざわ、と中庭の木々が揺らめいた。振り下ろされそうになった鉤爪を、太い木の蔓が巻き付いて拘束した。
「…フォルン、」
シュルシュルと蔦は集まり牛頭の化け物へと姿を転じる。エルマーを守るかのように背後にかばうと、その魔物の羽を拘束するかのように鋭い枝先が羽を貫く。
「うわあ、何その魔物、フォルン?なんだか混じってるなあ。きもちわるっ」
「お前のが跨ってる奴も相当気持ちわりいぜ…、」
よろめきながらなんとか立ち上がる。止血は済んだ。神経も麻痺させたので痛みはもうない。頼もしい助っ人に口元の血を拭いながら気合を入れ直す。
チャキ、と音を立てて鎌を握り直すと、全身に魔力を行き渡らせた。
治癒をするなら先に殺してから。エルマーの金眼は爛々と輝く。きゅう、と狭まった瞳孔でその怪人を捉えた。
「おや、火つけちゃったかんじ?」
ひくっ、と引きつり笑みを浮かべる。再び深手を負わせようとエルマーに向かって指を付き出す。
しかし、一拍遅かった。フォルンがその締付の膂力で守られるだけか羽と体をべきりとへし折ったのだ。
劈くような絶叫と共に揺れた肢体に煽られて体制を崩した、その瞬きの間をエルマーが逃すはずはなかった。
「その首くれよ。」
「うっ、」
フォン、と風を頬に感じた。先程まで前に飛び込んできたはずだったのに、なぜ後ろから声が聞こえたのか。
答えは簡単だった。体制を崩した時点で、エルマーは既に頭上へと身体を捻って飛んでいた。
けして防御のために強化をしたのではなかったのだ。
「くそ、全身にかけてたよなあ!?」
「だからって防御だけじゃねえンだぜ、」
「う、ぐぁ、っ」
あわてて鎌の軌道に合わせて背をのけぞらして躱す。そのまま背をそらして半回転をかけて着地をしようとしたが、フォルンの蔦が魔物の巨体ごと地面に叩き落とした。
「悪いねえ、うちの子がオタクのベイビーぶっ倒しちゃってえ!」
「っ、人を…ハエみたいに…っ、」
事切れた魔物の下から出ようと藻掻く。その巨体で下肢を押さえつけられていた為、なかなか引き抜けなかった。
焦りは表情に出る。形成が逆転した瞬間だった。
「が、…っ、」
しゅる、と蔦が絡む。拘束された怪人の髪を鷲掴むと、エルマーはその口の中に落ちていた砂利を詰め込んだ。
「俺さあ、自分のペース乱されんの嫌いなんだよ。」
もご、と口の中の石を吐きだそうとするのを許さず、指先で唇をなぞる。癒着させたのだ。
「んで、こうやって痛えのも嫌い。みてこれ、こんなんだぜ?ひでえことするよなあ」
口の中に石を詰め終えたエルマーは、血塗れの腹を撫でると深くため息を吐いた。相当痛かったのだ。
「痛いことされたら、痛いこと返していいんだって偉い人が言ってた気がするぅ。」
「ん゛んん!!」
「一回、でもさっき殺られそうになったから出血大サービスで3回にしといてやるな。」
にこりと微笑んだ。首を振る男の頬を両手で包んで覗きこむ。唇が触れそうな距離だった。
顔を隠していた仮面の紐を解く。別に隠すほど酷いわけでもなかった。
「叫ばずにいれたら、一回にしといてやるな。」
嫣然と微笑むと、自分の血をそっと塗りつけた。
首を振り、青ざめた顔の男を地面に横たえる。フォルンがパキパキと音を立てながら魔物から養分を吸い取っていた。
「せーのっ」
「ンンンンンンンンン!!!!!!」
快活な掛け声と共に、男の顔面をエルマーがボールの様に蹴飛ばした。バキバキという音とともに、口に含んだ石が歯を砕く。ひどい痛みと飲み込みきれない血液に窒息しかける。
縛られた蔦を解こうと、のたうち回るほどに締め付けが強くなる。
「あ、やべ、カウントしてねえや。ごめんなあ」
もう一回。
「…………!!!」
ばき、再びの重い蹴りだ。鼻から血を吹き出し、逆流した血を飲み込みきれずに痙攣する。
エルマーが叫ばなかったご褒美に口の癒着を解いてやると、大量の小石と共に折れた齒や血を吐き出した。
「ぁ、げは、ぁ、あっあ、あー、ぁ、あ!!」
「なあ、一個聞くけど、土つかった?」
「ひ、ひぃ、あ…あ、あっ…」
「つーち、つかったあ?」
「ぁぎっ、っ、づづ、づがいまぢだぁあ゛、あっ!」
両手を拘束されたまま、肩を掴まれて力任せにごきんと外される。
ぼろぼろと涙をこぼしながら、ひきつったような声で叫ぶと、その口からよだれを垂らしながら泣き叫ぶ。
「誰からもらったのかなぁ、お兄ちゃんに教えてくれるぅ?」
「ひ、ひーひひ、ぁ、ま、まま、ままあ!!!」
「あ?ママ?」
ひっくひっくと嗚咽を漏らしながら言う。
情けなく泣きながら、何度も譫言のように呟く。
「ま、まま…ままに、ままにやらかえしてもらうんら、ぁ、あっま、まま、まま…」
「何言ってっかわっかんねーよバァカ。」
「う゛う゛ぁ、あ゛ああ!!ぎでえええええ!!」
引き絞るかのような無様な叫びを上げた瞬間、背後でぶわりと炎があがった。
「っ、」
ーーーーー!!
フォルンの声のない悲鳴があがる。エルマーは突然前ぶりもなく上がった炎に慌てて振り向くと、魔物ごとその体を炎に焼かれた姿に息を呑んだ。
「ふ、おる…」
助けを求めるように月に向かって一本の蔦を伸ばした。一陣の風と共に、その体は炭となってボロボロと崩れ落ちる。
灰となった残骸と、フォルンだった僅かな破片。その上に降り立ったのは茶色の猛禽の羽を広げた一人の少女だった。
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