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「ひ、っーーーーーーぁあ、あ!!」
突然、サジが頭を抱えて悲鳴を上げた。がくんと崩れた体を慌てて抱き込むと、その華奢な体がひどく震えていることに気がついた。
「サジ、サジ!!」
「え、える…えるまー‥」
「赤毛の彼か、どうした…」
「ちが、…う!!フォルンだ、サジの子が、ああ、あああ…っ…」
酷くうろたえ、慟哭する尋常ではない様子に、アロンダートは戸惑った。先程現れた木の魔物がどうしたというのだ。
「ひ、ひ…だ、だめだ…もえ、る…っ、える、…っ」
ラブラドライトの瞳から大粒の涙を零す。燃える、と小さく呟く声を拾い、アロンダートの喉はゴクリとなった。
「死んじゃった…サジの、子…っ、…」
「な、…っ…」
腕の中で震えながら、か細い声を漏らす。サジが一番長く付き合い、愛で育ててきた魔物の一つがその役目を全うして空に帰った。
ひっく、と嗚咽を漏らしなから胸元から一つの種を取り出した。パキリともろく崩れて消えたそれは、フォルンがサジの元に来たときに現れた命の種子だった。
植物の魔物を生み、育てて使役する。その魔物から与えられる種子は、いわば心臓のようなものだった。それが黒くホロホロと崩れてきえた。
フォルンはエルマーの元、突然現れた少女によってその身を焼かれて消えたのだ。
「…急ごう、フォルンの亡骸を拾ってやらねば。」
アロンダートに抱きしめられ、小さく頷く。そうだ、親の自分が救ってやらねばならない。
サジは、もう泣いていなかった。しかしその瞳には確かな怒りを宿していた。
「許さぬ、けして…!決して許してはならぬ!」
サジの怒りとともに庭木がざわめく。焦げ臭い匂いのする方向へ、アロンダートとサジは急いだ。
カタン、サロンの扉の外側からなにかの音がした。
ナナシはギンイロを抱きしめながらビクリと体を跳ねさせた。
「お、おい!おまえ、みてこい!」
「トッドかもしれない、ナナシはここで待っていろ。」
けして外務大臣に言われたからでない。それにしてもこの男は、別室で対応されている息子の心配など微塵もしていないようだった。
アランが慎重にドアの横に立つ。そっと聞き耳を立てると、微かな声が聞こえた。
「トッドか!」
「あけて、」
「ならば、合言葉を言うが良い!」
「あけて、」
アランが訝しげな表情をつくる。あけて、しか言わないのだ。誰とも名乗らずに、あけて、だけ。
ナナシは息を詰めたままその扉を凝視した。こくりと生唾を飲み込む小さな喉仏が動く。何かがおかしい。
「あけてやればいいだろう、も、もしかしたら応援かもしれん!!」
「いや、危険すぎる。名も名乗らないなんて…」
ずりゅ、と音がした。何かを引きずる音だ。その不思議な音と共に、扉の隙間からつー、と赤いものが流れてきた。
「ひ、…ひい!!ち、血だ!!」
「な、っ…」
ガタン!と大きな音が立つ。続いたのは聞き慣れた声だった。
「あんたたち!そこにいるのね!?」
「っ、トッドか!?」
「アラン!良かった、無事なのね、っ…」
ドカ、と壁が揺れるほどの振動が立つ。ぶわりとナナシの身を走ったのは悪寒だった。
「っ、と、とっどぉ!!とっどぉだめぇ!!」
「ナナシ、…決してここを開けては駄目よ、いいわね、お姉さんとの約束。」
心做しか息が荒い。アランは、トッドが外の見回りをしていたことを思い出した。もしかしたら、なにか魔物と対峙をしているのかもしれない。なら先程の血は?
アランがナナシの慌てように嫌な考えがよぎる。
外務大臣はよほど恐慌したらしい、ソファーの上で泡を吹いて倒れていた。
「あらん!!あらんとっどたすけてぇ!!」
「もちろ、」
「開けるなって言ってるだろうが!!」
「ん、っ…」
扉に手をかけた瞬間、聞いたこともないトッドの荒い口調での怒鳴り声が飛んできた。思わずビクリと体を揺らした二人は、きつく口を引き結んだ。
「ここに、幽鬼が出た。ここの部屋に入りたがっている。だから、開けないで。」
「っ、…なら燃やそう!!僕ならそれができるよトッド!!」
「こんな狭い廊下で、っ…火なんか使ったらみんなを巻き込むだけよ!」
「やだ、やだやだ!なんでえ!!やだあ!!」
ガチャガチャとナナシがメチャクチャにドアノブを引っ張る。トッドが側にいるのか、まるで背中でドアを抑えるようにして、再びドアが締まった。
「開けるなって言っている!!」
「っ、」
「あ、こら!!」
じわりと涙をこぼす。こんなのは絶対に駄目だ。ナナシはギンイロを抱えたまま扉から離れた壁に向かうと、その壁にギンイロを向けた。
「ギンイロ、びーむ!!!」
「アイヨ」
「はあ!?!?!?」
きゅぴ、という不思議な音がした瞬間、銀色の毛玉からギョロリとした緑の目玉が現れた。
あっという間にその壁をぶち抜くほどの熱線を浴びせると、トッドが守っていた扉の横から大泣きしたナナシが飛び出してきた。
「はああ!?」
「トッド、無事か!?」
こんなに必死でまもってきた扉の横からピンク色の光線が飛び出した。と思ったら大泣きしたナナシとアランまで揃い踏みで、幽鬼の口にサーベルを突っ込んで応戦していたトッドは、あまりの出来事にすっ飛んキョンな声を上げた。
「なんでくんのよ馬鹿!!!」
「トッドぉ!!」
「だからって、君だけで守るって無理言うな!!」
黄土色をした巨体の幽鬼が、その長い腕をしならせてトッドの身を壁に叩きつけた。
かは、と詰まった呼気を吐き出し崩折れたトッドを見て、アランが吠えた。
「貴様ァ!!あまり調子にのるなよ!!」
アランが腰に刺していたサーベルを引き抜くと、その腕に突き刺して切り裂くようにして幽鬼の胸元に飛び込んだ。
剣先からは込められた魔力が陽炎のように揺らいでいた。
アランの魔法騎士としての力は、未だ一線を引いても衰えてはいなかった。
しかし、トッドは違った。先に一線交えていた為、この幽鬼がほかとは違うことを、誰よりも知っていた。
「やめなさいアラン!そいつは、っ」
「は、」
そのまま真横に切り裂こうとした瞬間、それよりも早く幽鬼の膨らんだ腹に切り込みが入ったかと思うと、ぐぱりと大口を開いた。
「え、」
まさか腹に口があるタイプだとは。アランは目の前で、鋭い歯を擂鉢のように細かく生やした大きな口がその腕へとばくりと食らいつく。
鋭い痛みが右腕に走った。すり潰してやろうと言わんばかりにミシミシという音をたてる。骨に歯が食い込む感覚がした。このまま食い千切る気だった。
「アラン!!!」
ナナシが叫ぶ。悲鳴のような主の声をきいて、ギンイロが飛びかかろうとしたときだった。
「っ、僕は…!!弱くない…!!!」
酷い痛みに耐えながら、叫ぶ。腹の中の手は一気に灼熱の炎を吹き上げた。後ろでトッドの叫ぶ声が聞こえた。大丈夫だ。自分の魔力出できた炎に、身を焼かれることはない。
アランの目は、まだ諦めてはいない。トッドもナナシも、この背で守るのだ。
ギュワァアと酷い悲鳴か上がる。腹とは別の口だ。その不気味な体は首をしならせて8つの目玉を見開いた。
「ぁ、くっ!」
「トッドみちゃだめえ!!」
アランに気を取られ、トッドがまともに幽鬼の赤い八つ目をくらう。状態異常を与えるその視線に捉えられたトッドが、びくんと体を硬直させて倒れ込む。
「トッドォ!!ぐ、っ…!、」
腹の中に食われた腕から血が噴き出す。ギンイロが飛び出し幽鬼のカラダに大きな口で食らいつく。早く倒さなくては、トッドが危なかった。
「ナナシがトッドたすけるから、あらんがんばってぇ!!」
ふわ、と聖の魔力を感じた。ナナシがトッドにかけられた状態異常を解こうとしているのだ。
一人で戦っているのではない。ギンイロの獣と目があった。その幽鬼の肉に食らいついて応戦していた獣は、緑色の目にアランを映す。
光線で焼けばすぐなのに、それを行わないのはアランに当てないようにという配慮からだろう。
「勿論、…っ…倒す!!」
幽鬼の腹の内側から、アランの魔力が漏れる。
美しい色をした魔力だった。
豊富な魔力をもっていたが、いかんせんコントロールが下手だった。
だからいつも出力を間違える。慎重に行えば問題ないのだが、気が散ったりするとだめだ。でも今は、我慢などしたらこちらがやられる。
手の中の炎を一息に圧縮する。炎を操るアランは、誇り高き人だった。
魔女にもならず、ただひたすらに剣の道へと突き進んだ。魔法騎士として活躍した時期はごくわずかだった。その功績さえも奪われたが、求めてくれる人がいたから、今も矜持を捨てずにここにいる。
「僕は、…っ、アロンダート様の騎士だぞ!!!」
お荷物と言われて、居場所を失ったアランの帰る場所。
アロンダートが信じてくれるなら、アランはけしてその期待を裏切ることはしない。
第二王子付きの騎士としての誇りは、だれにも負けはしないのだ。
高い魔力出力を感じたギンイロが、慌てて口を離して飛び退る。アランはそのタイミングで手の中の圧縮した炎を、そのまま手のひらを返すようにして解放する。灼熱の炎が幽鬼の腹の中を一気に焼いた。
その炎は、幽鬼の鼻や目玉を焼き、体の外側へと炎を噴出させる。物凄い威力だった。
焼かれ、のたうち回るその身に釣られるように、アランのその体は振り子のように持ち上げられた。
「アラン!!!」
ナナシによって状態異常を溶いてもらったトッドが目の前の光景を見て悲鳴を上げた。
「ギンイロ!」
トッドが駆け出すよりも早く、銀の毛並みの獣が飛びだした。アランが腕を千切られて投げ出される前に、ギンイロは器用に腹の筋肉を削ぐように光線を放つと、放り投げられたアランの体をその背で受け止めて帰ってくる。
ぐったりとしたアランの腕は、ひどい有様だった。
かろうじて繋がってはいるが、骨は露出し、千切れかけていた。これでは切断はまぬがれない。
トッドはギンイロからアランを受け取ると、そっとその体を壁に横たえた。
「アラン、アラン!!」
「ト…ッド、無事か…、っ…」
「莫迦!!あんたの腕が…っ、」
トッドはアランの腕をキツく縛り上げ止血を試みる。ナナシは慌てて駆け寄ると、ぼろぼろと涙を溢しながらアランの腕に触れた。
「やめ、…きたな、い…から、っ…」
「とっど、うでもってて…くっつけといてえ!」
「ナナシ、これはもう…っ、」
「やだ、やる!」
千切られかけた腕の筋繊維は露出し、見るのもおぞましいほどの傷跡だ。でも、この腕が守ってくれたのだ。
ナナシの治癒術は、まだ出来たばかりだ下手くそだ。それでも、自分にできることをしなくてはいけない。ただ守られるだけでは嫌だった。
ギンイロが毛を逆立てながらあたりを警戒している。きっと、まだいるのだろう。
怖い、怖いけれどもやらねばならない。ナナシはトッドにアランの腕を正しい位置に抑えててもらいながら、ゆっくりと骨を繋げ、足りない部分を補い、そしてやがて温かな血が通うように。元通りに動くようにと願いながら、その傷口の上を往復するように魔力を注ぐ。
「っ、…ありがとう、充分だ…」
「やだ、っ…」
アランが浅い呼吸を繰り返す。痛みを逃しているのだ。ナナシの力は薄い光の皮膜となり、じんわりと傷口を包み込んだ。
「ふ、…早くいけ、」
ゆっくりとした口調は、かすれた声も相まって今にも眠ってしまいそうだった。
トッドがそのたくましい腕でごしりと目元を拭う。
アランは掠れた目で自分を治そうとするちいさな少年と、お節介焼きの数少ない友人を見た。
「僕は、…きしだったろう?」
「最高に、馬鹿でかっこよかったわよ、っ…」
「だろ…、…じまん、だろうか…。あろんだーとさまの…」
修復してくれ、たのむから。ぐずぐずと情けなく泣きながら、少しずつ、下手くそながら繋げていく。
その必死な姿を優しく見つめるアランは、もう痛みを感じてはいなかった。
「自慢に決まってるじゃない、あんたの炎を褒めたのは、殿下なのだから。」
何かをこらえるかのようなトッドの言葉に、嬉しそうに目元を緩める。そうだ、自分の炎をきれいだと褒めてくれたのは、紛れもない彼だったのだ。
「ああ、…あろん、…だーと、さま…」
‥ーーお前の炎は、まるで火の化身が宿ったかのように見事だな。
ただの失敗して吹き上げた火柱を見て、怒りもせずにそう褒めてくれたのだ。
アランが微笑む。まるであの日のことを思い出すかのように。
骨は繋がった、神経と、筋肉もだ。あとは、血を補って、それから、
「ナナシちゃん、」
「うぅ、うー‥っ…」
「もういいから、っ…」
「ひ、や、やだ、やだよう…っ、」
被膜が腕を包む、鼻血が出ても続けた。きれいにしてあげたかった。
桃を食べさせてくれたこの手を、ナナシはちゃんと覚えていたかった。
「もう、必要ないから…っ、」
「や、うぅ、うぇ、っ…やだ、…やだよぉ…っ、」
ぼたぼたと涙が溢れる。漸く繋げられた腕は、表面はぼこぼこで、傷跡まではきれいに消してあげることは出来なかったのだ。
「アランは、…もう充分…、っ…」
「や、だ、ぁあ、あー‥っ…う、ぇっ…えぇっ…」
アランの手は、握り返されることはなかった。出た血の量が多すぎたのだ。
壁に体をもたれかからせながら、その綺麗な顔は眠っているようだった。
ナナシはどうしたら良かったのだ。トッドが死ぬのは嫌だった。それは、アランだって同じだ。
なんでこんなことにならないといけない、どちらかを選ばなくてはいけない、そんな残酷な選択肢を選ばなくてはいけないだなんて。
「やだ、よぉ…お、…っ…!!」
ここは城なんかじゃない、トッドはそう思った。
まるで地獄だと。
幽鬼はまだいる、あと一体を仕留めなければ、アランが報われない。
絶対に迎えに来るから。トッドはナナシを立たせると、アランの亡骸を抱き上げた。使われていないサロンのベッドの上に横たえると、サーベルを胸に抱かせて、血が飛び散った頬を布できれいに拭う。
「あらん、…あらん…っ、…」
「まだいるの、他にも幽鬼が。今はここを離れなくてはだめ。」
「っぅ、うぅ…っ、…」
ぐしりと涙を拭う。眠っているようにしか見えないアランの額にそっと口付ける。
どうか安らかにという願いを込めて。
「いく、…っ…」
トッドは小さくうなずくと、本性を表したギンイロの背にナナシと跨った。
穏やかな夜を取り戻すためには、まだやることがあるからだ。
タールのような黒く重い悪意は、じわじわと追い詰める様に迫ってくる。
飲み込みきれない思いを抱えたまま、二人と一匹は朝日を取り戻すために駆け出した。
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