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「がは、っ…」 壁に叩きつけられるように、エルマーの体か吹き飛ばされた。突然現れた少女によって、先程まで痛めつけていた男が豹変したのだ。 「ぐ、っ」 えひえひと下品な笑い方で大きな手でエルマーの体を押さえつける。真っ黒い猿のような魔物へと変わった男は、キャラキャラとした声で言った。 「ハヤク殺しておけば良かっタネぇ?」 「っ…俺も、そうおもう…」 べろりと胸元から顎先まで舐めあげられる。酷い匂いだ。タンパク質の腐ったような匂い。 少女をママと呼んだこの魔物も、ジルバのようなものらしい。 「坊や、もう遊ぶのはおよし。」 「えぇ、デモモットあそビタイ」 「我儘いわないの、もう目的は果たされたのだから。」 「も、…くて、き…?」 ごぷっ、と腹から血が吹く。集中力が切れてきた。意識を保っておかないと、アロンダートの腹の中の膜も外れてしまう。 エルマーは目を瞑ると、サジとアロンダートの気配が、どんどんと近づいてくることを感じ取っていた。 ナナシは大丈夫だろうか。このクソ重い魔物がエルマーの肩を掴んでなければ動けるのに。 どうやら魔力を吸引しているようで、掴まれた肩からはどんどんと力が抜けていく。 ため息を吐くと、楽しそうな魔物の腰に足を絡ませて力を抜いた。 「オ?えっちしちゃウ?」 「しねぇ。穴は使ったことねえからな。」 「おお、ハツモの。」 ぎゅふぎゅふと楽しそうに燥ぐ。エルマーの足を腰に巻き付かせたまま、ゆらゆらと腰を打ち付けるような動きで猛ったものを押し付ける。 先程外した肩も歯も、転化した途端に綺麗サッパリ傷はなくなっていた。 「いーねえ…俺も、…治してくれよ…」 「アレはイタカッた。ワタしがマゾでなけれバァ、耐えられナかっタねェ」 ざわりと木がざわめく。雲の切れ間から月が覗く。 退屈そうな少女と、エルマーを組み敷いて自慰に耽る魔物は、その微かな変化には気づかなかったようだった。 「効くのかなァ。」 「エ?」 「毒。」 ニヤリと笑ったエルマーは、呼吸を止めた。途端にぶわりと中庭の地面から湧き上がってきたのは、大量のキノコ達だった。 「キノコお!?」 「なに、っ」 口を抑えたエルマーの体を、ボコボコとはえたキノコが押し上げる。ブヨブヨとした傘の上では、二足歩行だとバランスが取れない。エルマーは仰向けの状態で力を抜くことで、その身をサジのまつ場所へと運ばれていった。といっても、傷が深くて動けなかったのがリアルだが。 ブルンと一際大きなキノコの傘が慄える。紫色した大量の胞子が闖入者二人を包み込む。 「ぐァ、い、いぎがっ、」 「燃やせば、いっ…」 バサリと羽根を広げて魔力を込めようとした瞬間、その羽に絡みついたのは茨のような蔓だ。その体を拘束した蔓は、みるみるうちに見事な赤い花をさかせたかと思うと、茨で傷ついた皮膚から一気に血を吸い上げる。 「んぎ、っ…!!」 「面白い、燃やしてみろ。」 「くそが、」 転化したアロンダートに抱き上げられたまま、その目を鋭くさせたサジが指を鳴らす。 風魔法で気流の流れを変えたのだ。血だらけになった少女がボロボロの羽を震わせて魔力を練る。繰り出した火炎はその気流に乗って、自身をママと呼ぶ猿の魔物の身を覆った。 「ヒィ、ぁあ゛ああづいィイいぁあーー、!!!」 「坊や、」 狼狽えたすきを、アロンダートの鉤爪は逃さなかった。ガジリとその茶色い翼を鷲掴むと、力任せに引きちぎる。魔力を溜め込む翼さえもいでしまえば、あとは何もできないも同然だ。 「ぃぎあ、あ、あろ…んダート…!!!」 振り向きざまに、その姿を見て少女が目を見開いた。その身から離れた羽根をべきりと捻り潰すと、巨躯を地面におろした。六脚の魔獣をみた少女は、その体をべしょりと地べたに倒れ込んだ。 マイコニドによって傘の上に載せられたエルマーは、ぐったりしながらサジのもとに届けられると、サジの杖が少女の足の間の地べたに勢い良く突き刺さった瞬間だった。 「貴様、アロンダートに幽鬼の魔石を届けたな。」 「…息子は生きていたのだな。」 「黙れ。貴様の身の上は同情するが、殺していい理由にはならん。今回の騒動も、貴様が手引をしているのか。答えろ。」 アロンダートは転化を解くと、険しい顔で生みの親を見つめた。 「母上、…そんなに僕が憎いですか。」 「口を開くなアロンダート。呪われた血め、貴様が生まれてこなければ、私は…!」 魔物の血を引く彼女は、その身を王に汚された。成人前に腹に子を宿した彼女の魔力は、その腹の子に嫌でも注がれる。相対する聖属性を腹に宿したのだ、まるでその魔力を奪うかのように、自身の体の成長と引き換えに、腹の中のアロンダートへと魔力が移された。 「私はお前など産みたくなかった!!呪われろ!!呪われろ!!」 「っ、」 「黙れクソアマ。サジのものだぞ。傷つけることなど許さん、それに…」 しゅるりとその身を蔦が縛り上げる。身動きの取れないまま、怒りは本性を表すかの様に少女の顔は猛禽の顔つきに変わっていく。 「クソ野郎!!貴様など、この我が獄炎で焼き尽くしてくれるわ!!」 ぼぼ、と口端から青白い炎を漏らしながらギャッギャッと叫ぶ。縛り付けられた体は既に転化し始めていた。トリガーワードで縛り付けない転化は魔物になる恐れが強い。もう、この身もろともという覚悟であることがわかった。 「エルマーのかたきを討たねばな。」 ムクムクと羽のない四足の鳥顔の獣に変わる。女性体だからか細身ではあるが、その鋭い鉤爪て蔦を引きちぎると、グルルと喉を威嚇するように鳴らしながらサジたちを見下ろす。 「殺したら、誰に指示されたかわからないままだぜ。」 「そんなものしるか。サジのやりたいようにやる。いいか、アロンダート。」 「構わない。彼女を楽にしてやってくれ。」 エルマーはマイコに乗っかったまま、理性を失った目の前の魔物に、抱いた疑問を投げかけた。 「召し上げられる前に、ちょっかいかけたんじゃねえの?」 「は?」 突然のエルマーの物言いに、アロンダートがぽかんとした顔で見る。 「だってよ、一介の半魔が簡単に召し上げられるか?てこたあさ、お忍びでやってきた王様をつまみ食いしてやろうとして遊んだら、種が強すぎて逃げられなくなったってことだろ?」 「………おいエルマー、お前に緊張感はないのか。というより、そういうのはあいつが理性のある時に言えというに。」 アロンダートもサジも、そういえばそうだなと言った顔をする。要するに、完全に逆恨みだ。 一番の被害者は紛れもないアロンダートである。 サジは溜息を吐くと、飛びかかってきたその体をひょいと避けて、木の破片を手に取った。 「フォルン、お疲れ様だったなあ。サジはお前のことを愛していた。ゆっくり眠るといい。」 愛しげに木の破片に口付ける。それを胸元に収めると、魔物がその華奢な背に向かって青白い炎を纏わせた腕を振り下ろす。狙いはサジの首だ。その爪が迫ろうとした瞬間、ズパンと音を立ててその腕が地面に落ちた。 「嫌いだ。」 アロンダートは呆気にとられたような目でサジを見る。確実に捉えられていたはずだった。慌てて飛び出そうとした体を、エルマーが止めていなければ巻き込まれていただろう。 魔物は自身の腕の断面と、地べたに落ちたそれを見比べる。まるで状況が把握できていない様子だった。 ズパン 振り向いたサジの足元に、ごとりと魔物の首が落ちる。腕と頭をその身から落とした体は、ずしりと音を立てて、横倒しに崩折れた。 「な、にを…」 「あいつさ、怒るとえげつねえ鎌鼬だすんだわ。」 「かま、いたち…?」 「足元見てみ。」 エルマーに促されるまま、サジの足元を見る。中庭の草が、サジの周りだけ風で揺れていた。 「ふん、汚い手でサジに触れるな。殺すぞ。」 ぐしゃりとその体をふみつけてアロンダートのもとに向かう。あっという間に決着をつけたサジは、身の回りにまとわせていた風魔法を解くと、アロンダートの体をきつく抱きしめた。 「お前は要らない子ではない、サジの愛し子だ。」 「……はい」 キツくサジを抱きしめる。そんな二人を見ながら、エルマーは深く息を吐き出した。そろそろ体が辛くなってきた。魔力が辛うじてあるからまだいいが、いい加減腹の傷をどうにかしてほしい。 エルマーはマイコに凭れながらゆっくりと腰を下ろすと、座ってられずにドサリと倒れた。 「やべえ、くらくらする。」 「派手にやられたな、ダサいぞエルマー。」 「治してくんね…ナナシにどやされる。」 傍らに膝を付いたサジが、ぺろりとエルマーの服を捲くる。まるで内側から破裂したかのように破られた皮膚はすこしだけグロい。アロンダートが痛ましげな目線を投げかけてくるが、傷口を見て酷くうろたえることもなかった。 「目的は果たされたってよ。なんだとおも、っ…いてえ!」 「石が刺さってた。抜いておいたぞ。」 「ありがとうよお!?もう少し優しくしてくんねえ!?」 「えー、つまらん。というか、早く合流しよう。アロンダートも一度死なねばならんしな。」 「ああ…そうだった…」 アロンダートがつかれたような顔をする。よくよく見れば、身なりもぼろぼろだった。第二王子も敵を前にして大層暴れまわったらしい。本性を知っている分、相手にした敵は哀れだなとは思ったが。 「っ、と…ナナシんとこいかにゃ…」 「おい、まだ塞がっておらんぞ。」 「あとはポーションぶっかければいいだろ。」 「そんなんだが傷が残るのだ!ったく、まあサジも少し魔力をつかいすぎたが。」 マイコニドにもたれ掛かりながら立ち上がると、ふらふらしながら飛ばされていた鎌を拾う。それを杖代わりに歩く姿を見て、サジはじいちゃんみたいだなと思った。 しかし消耗はしている。もう疲れたので早く眠りたい。エルマーはそんなことを思いながら、ポーションをインペントリから取り出した。 それを傷口にワイルドにバシャバシャ掛けると、アロンダートは何故か尊敬するような眼差しでみつめてきた。 「なるほど、先に治癒で傷を塞いでおけば、魔力の節約になるのだな。学んだ。」 「ああ、そうだな…てか、アラン達大丈夫か…」 「む、…」 エルマーの言葉にサジが地べたに手をつく。そっとまぶたを閉じて意識を集中させると、こちらに向かって何かが近づいてくる気配がした。 「…ここにくる。」 「あ?待ってろって言ったのにか。」 「いち、に、さん…だな。ほら、」 ばらつきはあるが、かけるような振動がかすかに手に伝わった。おそらく三人が走ってきているのだろうと立ち上がると、出てくるであろう扉へとサジが視線を向けたとき、 ドガッ、と木の扉が吹き飛ばされる。木の破片とともに中庭の土を抉り取るように地面を滑っていったのは、見慣れた毛並みだった。 「っ、ギンイロ!!」 地面に傷だらけでぐったりと身を投げだしたギンイロは、荒い呼吸を繰り返しながら起き上がろうと前足で地べたを蹴る。サジが慌てて駆け寄るのを見つめながら、エルマーの血の気は引いていた。 「ナナシは…っ、」 「エルマー!!!」 野太い声でトッドが叫んだ。慌てて振り向くと、蛇のような形をした異形の幽鬼が長い尾にナナシを巻き付けてトッドを追いかけるようにして扉から姿を現した。 八つ目は酷く焼け爛れ、状態異常は使えない状態になっている。その体はトッドが傷つけたのか、ズタズタに傷はついていたが、その長い尾を使ってナナシを捕まえたあとは盾にしてここまできたようだった。 「ナナシィ!!」 「ギンイロちゃんが頑張ってくれたんだけど、っ…盾にされてから手をだせなくて…!」 「くそ、っ…」 息切れを起こしたトッドがエルマー達に駆け寄る。ギンイロはまだ戦う気はあるようで、げひげひと酷い呼吸をしながら傷ついた身を起こした。 「ナナシ、ナナシ!」 「わかってるよ、まだいけるか。」 「イク。」 鋭い目つきで幽鬼を睨みつけるエルマーの元へ、ギンイロが巻き付くようにして側による。グルルと喉を鳴らしながら、その緑色の目を爛々に輝かせて臨戦態勢だ。ギンイロもエルマーと同じで喧嘩っ早い。同じような体を持つ幽鬼に、対抗意識も燃やしているらしい。 「ナナシ、生きてるか!」 「っ、える…ぅ…っ…ぁ、」 エルマーの声にぴくんと反応を返す。ぐったりしながら顔を上げるが、締付けられたらしく、苦痛に顔を歪ませた。こんな華奢な体に、そんな扱いをするなんて。エルマーは金色の瞳の奥を怒りで染める。散々抵抗したのだろう、締めつけている尾には引っかき傷が目立っていた。 「いくぞ、」 「アイヨ」 ギンイロの首を抱えるようにして腕を回すと、そのまま一息に飛び上がる。エルマーの大鎌が手の中でぐるりと回転した。ギンイロが空中でひきつけている間に、まずはナナシを奪わねば。 幽鬼の顔が背中に着地したエルマーの方に向く。すかさずギンイロがその首に齧り付くと、長い体でぐるりと首を絞め上げた。 「ナイスアシスト、数秒くれ。よ、っ」 前足を踏み込み、体をひねるようにして鎌を振り抜く。ざくりと尾が切れると、シュルリと緩まった尾の先からナナシが落ちてきた。 ギンイロが首の拘束を解くと同時にその口でナナシをくわえた。 エルマーはそれを視界に入れると、ガシャンと、大鎌を投げ捨てながらその長い首を一気に駆け上がった。 「ぇほ、っ…え、える…っ…」 「おいおい、腹ふさがったばっかだというに、まったくよく動く。」 「はは、…っ…アタシたちが手こずったのに…あいつ、あんな簡単に尻尾きっちゃうだなんて…」 傷口を押さえながら、トッドがエルマーを見上げる。首を駆け上がられた幽鬼は、体格の割に小さい頭をエルマーに向けると、噛み付いてやると言わんばかりにぐぱりと口を開ける。みえた、紫色の舌。 「獲ったァ!!」 短剣を起用に口の間に挟み、閉じるのを防ぐ。そのまま一気に口の中に腕を突っ込むと、長い舌の筋肉繊維を引き千切り、そのまま根本ごとズルリと引きずり出した。 声のない悲鳴を上げた幽鬼がそのままボロボロと身を崩すと、支えを失ったエルマーは舌を握りしめたまま重力に従って地面へと落ちた。 「まったく。」 べしょりと地面に激突したかと思ったが、マイコがその傘で受け止めて勢いを殺してくれた。ばうんとはずんで着地したエルマーは、舌を握りしめたままぐったりしていた。 「もう、戦えねえ…つかれた…」 ぐずぐずと泣きながら、ナナシが抱きついてくる。呆れた目のサジと困り顔のアロンダート。もう疲れ果て指一本すら動かせないエルマーは、泣き止まないナナシを好きにさせながら、今度こそもう何も起こってくれるなよと願うばかりだった。

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