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ひくんと喉が引きつる。言葉がでなくなるというのを久しぶりに感じた。 「ナナシ?」 何も言えずにしがみついたエルマーの体。疲れているだろうに、心配そうな顔で頭をなでてくる。その優しい体温に触れて、また喉が引きつって、その金色の瞳にはとめどなく涙がこぼれた。 「…泣いてちゃわかんねえ、どうした。」 「っ、…らん…っ、…が…、っ…」 はく、と薄い唇が慄える。その細い体を小さく震わせるナナシの様子にエルマーが眉間にシワを寄せた。 そっと首筋に手で触れる。体温が下がり、顔も青白い。明らかに魔力を使いすぎたときに出る症状だった。 「おまえ、なんでそんな…」 「ぁ、…ん、っ…ぁら、んが…、っ…」 「あ?あいつがどうしたって?」 ナナシの体を少しでも温めようと着ていたジュストコールを肩にかける。あたりを見回すと、確かにあの口やかましい男が見当たらなかった。 たしか、ギンイロと一緒にサロンに押し込めてきたはずだった。 トッドを見詰めると、唇を引き結んで泣きそうな顔でうつむいた。 「アラン、…アランはどこだ…」 二人の様子に、アロンダートは不安げに声を揺らした。まるでなにか大切なものを落としたかの様に狼狽える姿に、ついにトッドの目からひと粒涙が零れ落ちた。 「…おい、うそだろ。」 「ひ、ぅ…うー‥っ…、…」 エルマーの口端が痙攣する。笑いとばして冗談だろと確認したくても、それができない。 ナナシの魔力を使わなければならなかった。治癒しか出来ない、その限られた魔力をほとんど空にさせるくらいの出来事が、彼らの中で起こったのだ。 「無事なのか、アランは…」  「いこう、あいつんとこ。」 エルマーの掠れた声が、アロンダートの言葉を遮る。 よろよろと立ち上がるエルマーの脇の下から、支えるようにギンイロが顔を出す。 ナナシはエルマーにしがみついたまま、ずっと泣いていた。トッドがナナシを抱き上げると、そのまま頭を撫でてあやす。首にしがみついたまま動かなくなったナナシを好きなようにさせたトッドは、案内するように来た道を戻った。 あんなに激しい戦闘があったというのに、嘘のように城内は静かだった。 やがて置くへと進むにつれ、飛び散った血飛沫や煤けた壁が見えてきた。 静かな廊下の真ん中に、ごろりと幽鬼の魔石が転がっていた。その直ぐ側にはナナシたちをおいていったサロンの扉がある。横の壁は壊され、激しい戦闘があったのだろう。魔石を中央に、まるで高火力で焼き殺したのか、床がひどく焦げ付いていた。 「ここにいるわ、」 そこを過ぎた、近くの扉。トッドがドアノブを握り締めたまま、心を整えるかのように深呼吸をした。アロンダートは今にも吐きそうな顔をしながら服を握りしめ立ち尽くしている。まるでその扉が恐ろしいもののように見えてしまい、アロンダートだけでなく、エルマーやサジまでもが無言で扉を見つめていた。 ガチャ、トッドが扉を開く。休憩室として使われているそこはシンプルな白壁に、簡易なベッドとソファーだけだった。 部屋の壁際に備え付けられたベッドの上。白いシーツを赤く汚しながら、アランはサーベルを抱きしめるかのようにして眠っていた。 「アラン、」 トッドがドアを背で抑えるかのようにして、道を開ける。アロンダートは、ひく、と喉を震わせると、覚束ない足取りでゆっくりとアランが眠るベッドに向かった。 エルマーは、言葉が出なかった。ただアロンダートのその背中を見て、心の中身をどこかに落としてきてしまったかのように、無表情で見つめることしかできなかった。部屋は、アロンダートが歩くたびに踏みしめられた床の音と、ナナシの嗚咽、そして少しだけ鉄錆の香りがしていた。 膝をつかないで下さい!アランならそう言って、顔を青くするのだろう。 アロンダートは、まるで眠っているかの様に穏やかな顔をしたアランの頬に触れながら、そんなことを思った。 「アラン、」 サーベルを抱きしめている手に触れる。ボコボコとして、歪な腕は、無理やり治癒したのだろう。腕の具合からして、酷い状態だったに違いない。 アロンダートは、引き連れたような痕や、修復しきれなかったであろう避けたような傷にそっと触れると、胸が詰まるのを吐き出すかのように震えた吐息を漏らした。 「アラ、ン…、起きよ…」 そっと腕を手のひらで覆う様にしながら、じわりと治癒の魔法を使う。一瞬だけ光っては何も変わらないまま、それでも治癒が効けばと何度も何度も同じことを繰り返した。 何度も何度も、アロンダートの魔力を与えるように、目を覚ませと願うように。 「う、…っ…」 「ナナシちゃん、」 トッドの腕から降りたナナシが、アロンダートの隣に駆け寄る。ぺたりと手のひらを腕につけ、ひぐひぐと嗚咽を漏らしながらじわりと治癒をかける。 エルマーはその小さな背中にゆっくりと歩いて近づくと、そっとその肩に触れた。 「ナナシ、」 「や、」 ばし、とエルマーの手を振り払う。ぽたりと鼻血が垂れても、袖で拭う。アロンダートもナナシも、まだ認めたくはなかったのだ。 「死んだやつに、治癒は効かねえ。」 二人の背中を見ながら、ぽつりとエルマーが呟く。 ぎり、とアランの服を握り締めたアロンダートが、唇を引き結んだ。 「魔力の無駄だ、やめろお前ら。」 「無駄などと!!」 エルマーの一言に立ち上がると、その胸ぐらを強く掴む。アロンダートの目からはボロボロと涙が零れていた。胸ぐらを掴まれた手から、ぎりり、と音がする。ナナシはアランの手を握り締めたまま、まるで手の甲に額をくっつけるかのようにして小さく震える。 「無駄などと、…言うな…っ、…」 「…アランが、」 エルマーは、黙ってアロンダートの手に手を重ねると、そっと胸元から降ろす。 「アイツが望まねえだろ、そんなん。わかってんじゃねえのか、ほんとは。」 「…アランは、…きっと」 「アランは、アロンダート様の騎士だと叫びました。」 アロンダートの声を遮る様に、トッドが口を開く。 「あなたの騎士であることを誇りに、…職務を全うしました。」 「僕は、死ねなどと言っていない…、っ…」 「死にたいなどと、言って死んだわけではありません!!」 トッドの悲痛な声に、アロンダートは口を噤む。 そんなこと、アロンダートだってわかっている。それでも、悔しかった。自分のこの立場が、アランを死に追いやったのだと思えてならなかった。 「な、なしが…っ…」 背後から、嗚咽混じりの口調で辿々しく喋る。 ナナシもまた、後悔をしていた。自分がきっかけを作ってしまったのだと、その小さな体で後悔をしていた。 「がんばれって…いっちゃった…っ、ななし…、たすけてって…いっちゃった…ひぅ、う…ごめ、んなさ…っ、う、ぁあー‥っ…」 どれだけ泣いてもアランが目を覚ますことはない。この場にいる誰も悪くないのだ。それでも、心のなかに蟠るのは、あの時こうしていればという一つの選択肢を潰した自身だった。 「…あり、がとう」 アロンダートが小さく呟く。かすれた声で、今にも泣いてしまいそうな、そんな声色だった。 「アラン、ありがとう…っ、…」 絞り出すような声だけで、精一杯だった。 エルマーはアロンダートの肩を抱くと、何も言わずに頭を撫でた。 ナナシがアランの手を握り締めながら、その傷だらけの手を労るように撫でる。 「アランはここで待ってくれます。まずは、やらねばならないことがありますわ。殿下、」 「ああ、そうだな…」 目を赤くしたままごしりと擦る。 まずは事の顛末の報告と、死亡者の確認。被害箇所の把握もしなくてはならない。 これだから、嫌なのだ。 「サジも一緒に行ってやる。こうなったら、一段落ついてからでも遅くはないだろう。エルマー、お前はどうする。」 「悪いけど俺はパス、動きすぎた…ここにいるからあとはヨロシクゥ。」 どかりとアランが眠るベッドを背もたれに床に座り込む。くすんと鼻を鳴らしたナナシがぎゅっと抱きついてくると、頭を撫でながら好きなようにさせた。 トッドは少し迷ったが、ついていくことにしたらしい。この部屋に残るのは、エルマーとナナシ、ギンイロだけだ。 「せっかくだ、食いもんと酒もよろしく、アラン混ぜて、みんなで食おう。」 「ふ、そうだな。そうしよう、」 「ならアランが好きな白ワインでも開けようかしら。」 アロンダートとトッドが困ったように微笑む。 エルマーは3人の背中を見送ると、ナナシを抱きしめたまま深い溜め息を吐いた。 「あー‥」 「える、…」 「うん、…きちいな。」 柄にもなく、エルマーは泣きそうだった。 アランがつけてくれたシャツのボタンは、あんなに暴れたのにまだくっついたままだった。 さり、とそれを指で遊ぶように弄る。 落とし所は、まだ見つかりそうになかった。 エルマーはごそごそとインペントリの中から包帯と数枚の貨幣を取り出した。 それをそっと怪我をしたアランの手に握らせると、ボロボロの腕を隠すように丁寧に包帯を巻いていった。エルマーは不器用だ。化粧なんて出来ないけれど、少しでもきれいにしてやりたかった。 コインは、道に迷ってもどうにかなるように。そして、来世への道標になればと思ったのだ。 「金貸してやるからよ、来世で返しに来いよ。」 アランの金髪を撫でてやる。 ナナシがインペントリから取り出した白い花をアランの髪にそっと指してやると、随分と男前になった。 アランは嫌がるだろうが、ナナシもエルマーも少しだけ微笑んだ。 二人でベッドにもたれ掛かりながら、目を瞑る。3人が帰ってくるまで位、偲んで泣いても許される気がした。 「ニルギアと、マルクが居ない…。ふたりともどこにも見当たらないんだ。」 グレイシスと人数確認を済ませ、その二人を除いた全員が無事だった。 失踪した二人は、事件が起こる前から大広間から外に出ており、闖入者2名と魔獣、さらに幽鬼が2体。そしてトッドの証言から、うち一体の幽鬼がマルクだと判明した。 「廊下で倒れてた辺境伯が、突然幽鬼に変わったの。」 トッドの言い分を笑ってあしらうには、辻褄があいすぎた。そしてサジの言う呪いの土を使用した場合の話を聞いたグレイシスは、顔を青褪めさせながら口元を覆った。 「そんな、ものが…っ、」 「ニルギアの杖が中庭に落ちていた。もしかしたら彼もやられたのかもしれないな。」 アロンダートは思い出すように言う。グレイシスは酷く戸惑ったようで、ふらりとよろめいては近衛に支えられていた。 「ダラス様はどこだ。彼に頼みたいことがあるんだが…」 アランの弔いをしてやりたかった。訝しげなグレイシスに、アランのことを伝える。 近衛も彼のことを知っていたようで、悔しそうにうつむく。 グレイシスは、アロンダートの元に付いていたアランの事を知っていた。火炎の魔法騎士である彼は、非常に優れていた。しかし平民の出の騎士は上には上がれない。若くして潰された才能を惜しく思っていた分、彼がアロンダートに付くと聞いたときは羨ましくもあったのだ。 「彼は、最後まで騎士でした。ダラス様に祈りを捧げて頂きたい。」 「ああ、そうだな…恐らく彼は今、城の礼拝堂に…」 「…礼拝堂、」 ふと一抹の不安がよぎった。 外に出ていたものは、闖入者によって幽鬼にさせられた。そして人を襲うように仕向けて場内をパニックにさせたのだ。 「目的は、はたされた…」 ぽつりとサジが言う。あのとき自身が仕留めた少女の言葉だ。 おもわずグレイシスが振り向く。その言葉の続きを促すかのように、まっすぐにサジを見つめた。 「礼拝堂の場所は。」 「この城の奥だ。回廊を抜けて、外にでろ。あとはそのまま道なりだ。」 グレイシスは、自分がまるで蚊帳の外にいるかのようなやるせなさを感じていた。それは紛れもなく、自分の手の中であるとおもっていた城の中で、イレギュラーなことが起こってしまったのを、アロンダート達が収めたからだ。 グレイシスが、何も出来ないというレッテルを貼っていたアロンダートが、仲間とともに。 「…アロンダート、」 お前はいつの間に、俺を追い抜いていったのか。

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