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ズル、という音がした後、部屋の外で何かが倒れる音がした。 ナナシは怯えた顔でエルマーに抱きつく。また幽鬼が出たのだろうか、そう思ったのだ。 「大丈夫だ、魔物じゃねえ。」 ぴくんと反応したエルマーが、ナナシの頭を撫でる。一瞬警戒はしたものの、かすかな呼吸音からして人間だと判断した。 エルマーはよいせと立ち上がると、扉を開けた。物音の原因である人物は、もたれかかっていたのか手前に引いた扉の隙間から倒れ込んできた。 「っと、んだぁ?」 「はぁ、っ…あ、え?」 亜麻色の髪に見覚えがあった。エルマーがその髪を避けて顔を挙げさせると、薄茶の瞳は目を見開いて驚いた。 「君は…っ、」 「あんた、ダラス?なんでこんなとこに…」 「それは、…ッ、」 びくりとエルマーの腕の中で、その華奢な身をはねさせた。通路の奥からカチャカチャと金属の擦れ合う音がする。その音にびくんと体を揺らしたダラスの様子に、ひとまず抱き上げると扉をそっと閉める。 口を押さえながら小さく震えるその体をソファーに座らせる。エルマーは短剣を引き抜くと扉の横の壁に背をつけた。 ナナシの戸惑ったような瞳に指先を唇にあてて大人しくするようにとジェスチャーをした。 小さく頷いたナナシに微笑むと、ガチャリと扉のドアが開かれる。 「やだすけべぇ。」 「ガッ、…!」 ぬっ、と出てきた顔を布で隠した怪しげな人物の顔面を、振り上げたエルマーの長い脚が直撃した。 目を丸くして驚いたダラスを置いて、そのまま開け放った扉を勢いよく閉めて顔面をドアで殴打する。 蹌踉めいた体を鷲掴むと、そのまま床板に向けて勢いよく背負投をした。 「ぃあ、っ!」 「あらどっこいしょっと、オーオー。物騒なもんぶら下げちゃってまァ。」 男を押さえつけるかのように腰を下ろすと、腰につけていた青龍刀を外して遠くに放り投げた。 「他にはねえの?んー?」 「ぐ、っ…や、やめっ…」 後ろから羽交い締めにするように服の中に手を突っ込む。やはり暗器は仕込んでいたようで、弄るようにしてホルスターを外そうとしたときだった。 「エルマー!だら…って、」 「あ?」 バン!と大きな音を立てて扉から飛び込んできたのはトッドだ。あとからはアロンダートやサジも続いたが、エルマーが男を組み敷いて服の中を弄るようにして責め立てている姿を見ると、何とも言えない顔をして口を噤む。 お前何やってんだと言う具合だ。 「あれ、飯は?」 「いや、あんたなにして、っ!」 「おわっ、」 油断をしていたせいか、勢い良く背筋だけで身を起こし腕を振り上げた相手に体制を崩す。しかし、エルマーは気にした様子もなく首の後ろから腕を回すと、海老反りの形で固めた。 「いや、ダラスが来たあとにこいつが来たからさ。」 「祭祀!!!!」 悲鳴まじりにトッドが叫ぶ。慌ててソファーから身を起こすダラスの元に駆け寄ると、縋り付くようにして怪我がないかを確認していた。グレイシスとやり取りをしたあとに、一行は礼拝堂に向かったのだが、そこにはダラスはおらず、大慌てで探していたのだ。 「なんだ、拘束か。プレイかと思ったぞ。」 「いやなんでだよ。流石にこんな硬い男抱く気はねえ。」 「それにしても手付きがいやらしくはなかったか?」 「暗器仕込んでねえか探してただけだっつの、ほれ。」 ひょいと服の隙間から細い針のような武器が固定されたベルトを取り出す。サジはそれを見てつまらんといった顔をしたが、サジが毎回やらしい目でしか物事を見ないというのはすでに知っていたため、特に何も言わずに無視をする。 跨った男は、布の下で心底嫌そうに顔を潜めたのだが、それを知られることもなかった。 体から外したホルスターを、青龍刀と同じところに放り投げる。エルマーは腕を固定したまま男を覗き込んだ。 「んで、何者。」 「言わぬ。」 「おやまあ。」 声からして、若そうだ。頑なに口を閉ざす男に面倒くさそうな顔をすると、ダラスの方を向く。まるで逃げるようにしてこの部屋に駆け込んできたのだ、何があったのか聞くのは構わないだろう。 「ダラス、なにこいつ。」 「様をつけなさいあんたは!」 「ダラスちゃん。いってえ!」 トッドがずぱんと頭を叩く。不敬極まりない態度のエルマーに、お仕置きといった具合だ。 ダラスは困ったように眉を下げると、ちらりと男を見た。 「わかりません。祈りを捧げている最中に、襲われたとしか。」 「ふうん。お前どこの回しもん?それともさっきの奴らとなんか関係あるかんじ?」 「…あ。」 「あ?」 ボソリと何かを呟いた。声が小さすぎて何を言ったのかは分からず、エルマーが聞き返す。 「ニア、」 なんだ、と思った瞬間だった。 微かな衣擦れの音がしたかと思うと、男の服の衿から何かが飛び出してきた。 「エルマー!!!」 鋭い痛みが首筋にはしる。慌てて体を離したが、エルマーの首筋には蛇が噛み付いていた。 その一瞬のすきを逃さなかった。エルマーに跨がられていた男は、腕を振り上げてエルマーを振り落とすと、取り押さえようとしたアロンダートの手をすり抜けて、飛び込むようにして部屋の窓から外に出た。 「っ…、ぐ…」 いつもなら直ぐに起き上がるのに、完全にしてやられた。エルマーは噛みつかれた首筋から、徐々に体に異常をきたしているのを感じ取る。 油断が招いた。思考がぼやけてくる。エルマーが震える手で蛇の胴体を鷲掴んだが、不思議なことにホロホロと崩れるようにして消える。 目の前の出来事に取り乱したのはナナシだった。 「える、っ…!!」 ぐったりしながら動けずにいるエルマーに縋り付く。首筋の傷から、植物の根のような赤い痣が広がっていた。 呼吸が深い、ナナシがエルマーのインペントリからポーションを取り出したが、それをかける前に止められた。 「やめなさい、毒を抜く前に傷がふさがってしまう。」 ナナシの手を止めたのはダラスだ。縋り付くような目で見上げると、ナナシの美しい金色の目にダラスの表情は一瞬驚いたようなものになった。 「でも、っ…」 「大丈夫です、…」 ダラスはそっとエルマーの首筋に手を触れると、そっと毒を吸い出すようなイメージで徐々に手のひらを上に上げていく。小さな傷口から、黄色い雫がぷつり、ぷつりと浮かび上がってくると、それに合わせるかのようにエルマーの首筋に這わされた細い根のような痣は消えていく。 「見事なものだな。」 「城に努めていると、覚えざるを得ません。」 ダラスの言葉に渋い顔をしたのはアロンダートだ。第二王子としてその言葉の意味は痛いくらいにわかった。 ナナシは徐々にエルマーの顔色が戻ってくるのを認めると、ホッとした顔で息を吐く。やがてすべての毒が吸い出されると、ダラスに指示されて首筋にポーションをかけた。 「神経毒ですね、この場に私がいてよかった。」 「ださいぞエルマー。油断するからだ。」 「えるぅ、よかったぁ…」 ぎゅうぎゅうと抱きついてくるナナシの体を宥めるように撫でる。サジも口は悪いが安心したようで、小突くようにしてエルマーの肩を叩いた。 しかし先程の感覚とはまた違う体の具合に、エルマーはムクリと起き上がるとボリボリと頭をかいた。 「こら。急に起き上がるのではなく、ゆっくりと…」 「あー、うん。悪い…」 ひとまず危機を脱したことを理解したのか、トッドは今度こそとダラスに駆け寄る。 「祭祀様、どうかアランへ祈りの言葉を捧げてはくれませんか!」 「そうだ。本題はそれだった。」 思い出したかのようにサジが言う。ダラスはトッドに促されるように振り向くと、穏やかに眠るアランの様子に小さく息を呑んだ。 そっとアランの元に向かう姿に、アロンダートも立ち上がる。エルマーはというと、顔を抑えたまま無言で膝を立てた。 「える、へいき?」 「おう、元気すぎるくらいだあ。」 ボソリと呟く。ナナシは不思議そうにしながらもエルマーの隣にくっつくように座ると、ダラスがそっと祈りの言葉を捧げるのを聞いていた。 「?」 ナナシはなんとなく気になってダラスを見た。それでも、自分が何に気になっているのかわからず、首を傾げると再びエルマーに向き直る。 サジがアランの髪に飾られた花と、腕の包帯に気がつく。ちらりとエルマーをみると小さく笑った。 「随分可愛くしてもらっちゃって…」 トッドが涙目で飾られた花に触れた。ダラスは最後に聖水を振りかけると、そっとその髪を整えるようにして身型を整える。 そっと胸元に手を当てて目を瞑ると、小さく労りの言葉を囁いた。 「この方のご家族は、」 「おりません、私が家族のようなものですわ。」 「そうですか…明日、私の方から教会へは話を通しておきます。本日は皆さんでそばにいてあげてください。」 「わかった、ありがとう。」 アロンダートはダラスにお礼を言う。ダラスの穏やかな人柄には心を許しているようだった。 サジは少し考えるような素振りを見せると、すっとダラスを見やる。 「おい、ダラスとやら。お前はどうするのだ」 「サジ、あんたも口には気をつけなさいって!」 「構いません。そうですね…、ひとまず明日考えます。私は一度部屋に戻らねば。」 「送っていきますわ。」 「ああ、そうしてもらうといい。本当にありがとう。」 トッドはアロンダートに小さく頷くと、先程から動かなくなったエルマーを見た。するとその視線を感じ取ったのか、ナナシの頭をひと無でして立ち上がると、ダラスの目の前に立ちはだかった。 「俺が行く。」 「は、いやいや!あんた城の中のことわかんないでしょうが!」 「あー‥、そうだった。まあなんとかなんだろ。」 「…まあ、私は構いませんが…、体は?」 「ギンギン。」 「ぎんぎ…」 エルマーの言い回しに、思わずダラスが下肢を見た。不可抗力だ、男ならその言い回しだけで少なくとも意味はわかる。 エルマーは無表情でいながら、毒の抽出を終えたあたりから勃起が治らなくなっていた。 生命の危機に体が遺伝子を残したくなったのだろう。しっかりとそこは主張していた。 「な、…」 「だっはっは!!!うひ、ひひひひっ、さ、最高だエルマー!!不敬が服着て歩いている!!サジはお前のそういうところ好きだ!!あひゃひゃ!!」 「さ、サジ…静かに…」 泣きながら大笑いするサジとは裏腹に、ダラスは分かりやすくぶわりと顔を染め上げた。絶句しているようで、ぶすくれて腕を組むエルマーの下肢とは裏腹の態度すら気付かずに、思わずまじまじと見てしまった。 「いえ、あ、あの…気持ちは…ありがたいのですが…」 「ここにいたらナナシのこと襲いかねねえ。便所。ついでに貸してくれや。」 「ええ、ああ…わ、私の部屋で処理するつもりなのですか…」 「あ?お前のことは襲わねえから安心しろ。」 顔を染め上げて狼狽えるダラスに片眉をあげると、なにか思い至ったかのようにつけくわえた。 「安心できるわけないでしょうが!!!」 「いってええ!!」 ドン引きしていたトッドのフルスイングが見事にエルマーの後頭部に決まる。ナナシは困ったようにオロオロしていたが、意を決したのかエルマーの手を握りしめた。 「ナナシ、いいよぅ」 「………………いやだめだ。」 据え膳。という単語が思い浮かんだが、ぐっと飲み込む。ナナシのことを抱くなら、こんなとこじゃなくてきちんとしたシチュエーションで抱きたい。 テントの中でも平気でセックスできるエルマーが、ナナシに対してはこうも甘かった。 エルマーの言葉にしょんもりするナナシとはべつで、引きつり笑みを浮かべたのはダラスだ。 「わ、私ならいいという基準を教えていただきたい。」 「だってお前犯したらバチあたりそうじゃん。おらいくぞ、」 「なんと、わ、ちょっとまってくださ、…っ!」 そういうとこだぞ!!とサジの笑い声とトッドの怒鳴り声が飛んできたが、エルマーはひょいとダラスを担ぐと扉を閉める。もう色々なことが限界だったし、早く吐き出してスッキリしたかったのだ。 「お、下ろして…下ろしなさい!」 「ん、」 わちゃわちゃと頭上で控えめながら嫌味を言っていたようだが、言葉が丁寧すぎてエルマーには伝わっていなかった。 どうやら部屋についたようで、背中を叩かれたエルマーは目の前の重厚な扉を開くとダラスを床におろした。 「まったく、あなたは毒を打たれたというのに、なぜ無茶をするのです、…!」 その絨毯の柔らかさを素足で感じたダラスは、逃げるようにして飛び出したせいで素足だったことに、今頃気がつく。 もしかしたら、この男はそれを気遣って此処まで抱き上げてきたのかと思った。 「あー。あれはダサかったと思う。」 呑気に頭を掻くと、疲れたのか肩を回すエルマーには悪いが、私室についたのだから、早く帰ってほしかった。 ムスッとした顔でエルマーを見つめると、その整った顔で見つめ返された。 「ダサいダサくないではありません、まったく!送ってくれたのはありがとうございます、どうぞ、来た道をおかえりくださ、っ…」 ダラスはビクリと体を揺らした。エルマーの一歩で埋まるような距離にいたのだ。 トン、と壁に身体を押し付けられるようにしてエルマーがダラスを見下ろす。その男らしい身体を避けようとすると。もう片方の腕が壁についてダラスを閉じ込めた。 「な、ん…っ、」 「なあ、」 金色の美しい目がダラスを見つめる。その瞳が蕩けたように光を帯びた気がした。

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