「や、はり…おまえはあだなすものか…！！」 「え、…あ、だ、だめ、だめナターシャ！！」 ミスティアリオスがのろのろと体を持ち上げた瞬間、視界に入ってきたのは怒りに花弁を紫色に染めたナターシャだった。 それだけではない、蠢く木のつるが首の無い男をシュルリと巻き取ると、そのまま木の洞の中へと放り込む。ミスティアリオスが大切に育ててした愛しい子供達が、こうして本能のままに報復を行っていた。 父親の怯えた声で、叫ばれた言葉。それは、化け物だった。 「お前は、やはりこうするために育てていたのだろう！？やはりそうだと思ったんだ！！お前が、この森を揺るがす悪意だということは、はなっからわかっていた！！」 「父様、やめてえええ！！」 「くそ、魔物風情が私に勝てるとでも思っているのか！！許さぬ、この森は私が守るのだ！！」 「ナターシャ！！ナターシャァ！！」 その葉を震わしながら鎌首を擡げるようにして襲いかかる。花弁を見事に開いたナターシャは、その細かい擂粉木状の歯を見せつけるように父親の真上から襲いかかった。 しかし、その勢いは炎によって妨げられた。 父親の繰り出した火炎魔法にその身を焼かれたのだ。ミスティアリオスは悲鳴を上げながら駆け出した。 「やめて！！死んじゃう！！やめてええ！！ああ、あああ！！！」 子供がまだ咲いていないのだ、ナターシャはきっと、それを楽しみにしていたはずなのに。 「も、燃えちゃ…あ、あーーー‥‥！！」 ミスティアリオスの目の前で、美しい花の魔物がその身を黒く焦がして消滅する。木の魔物によって細い腰を巻き取られ、高いその幹の上へと引き寄せられながら、ミスティアリオスは震えながら慟哭した。 「こ、ろしては…殺してはだめ！！君たちは、悪意に心を染めてはだめ！！ああ、あああ！！」 森の奥から走ってきたのは、ライスたちだった。襲いかかるマンドラゴラの身が、鎌鼬で切断されていく。自分が、彼らの攻撃手段を奪ってしまったから、こうして呆気なく倒されていく。 ミスティアリオスは、顔を手で多いながらずっと泣いた。自分が、全部自分がわるいのだと。 父親は余程愉快だったのだろう、攻撃手段を意図的に奪われた魔物に対して、自分の手柄だと言わんばかりに容赦がなかった。 懐いていたライスまでもが、その身を簡単に壊される。影になって消えて聞く様子を、ただ手も出せずに見ているしかできなかった。 木の魔物の幹に、ぱきりと傷が入った。 そのままバキバキと大木が割れ、倒される音と共に、まるで橋をかけるかのように川岸までその身を倒した。 逃げろよと言われているようだった。 息が苦しい、こんなに理不尽なことが、あっていいのだろうか。指の隙間からぼたぼたと涙を溢しながら、ちいさく首を振る。もうだめなら、せめて最後は一緒にいてあげたかった。 ーおまえがやったことだ。 「ひ、っ…」 ーおまえが殺した。そう仕向けたのだ。 その華奢な体を抱きしめるかのように、小刻みに震える。知らない声が、おいつめるのだ。自分が良かれと思って、彼らの特性を奪ってしまったから。 守りに来てくれたのに、それを邪魔したのは、紛れもなく自分自身だった。 　 「ミスティアリオス！！」 空気を破るかのように、鋭い兄の声が届いた。 ああ、顔向けできない。こちらに近づかないで、ほうっておいて。ミスティアリオスは消えていく魔物の乾いた体に手を添えながら、自分も消えてしまいたいと思ってしまった。 ー手伝おうか。 「君は、だれ…」 ーお前が、一生幸せな夢にとらわれるように。 「ああ、しあわせなゆめ…」 この後、どうなったんだっけ。そうだ、結界が破かれて…ちがう、彼らは破って助けてくれたのだ。 「父さん、これは一体どういうことです！？」 「サジタリウス…悲しいことだ、ミスティアリオスが魔物を手引して結界を破った。」 違うと言えたらどれだけ良いか。誘引したのではない、助けてくれたのだ。ミスティアリオスはそのボロボロと崩れていく木片に、既知感を覚えた。 「ミスティ、本当なのか…。」 「違う、兄上…ぼくは、っ」 「大丈夫、大丈夫だよミスティ。」 酷くうろたえた兄が、その体を優しく包み込む。他人の血で汚れたその身をいとわずに、そっと宥めてくれる優しい兄に、ぽろりと涙をこぼす。 「可愛そうなミスティ、もう大丈夫だ。これからは全部、全部兄に任せなさい。」 「兄上、」 「さあ、お前がもう魅入られることもない。安全な場所に閉じ込めてあげようね。」 「なに、え…っ、」 その顔をそっと包み込む。目を合わせたサジタリウスの瞳は爛々と輝いていた。 「僕が魔女になったら、ミスティを囲おう。大丈夫、ミスティの知識欲は満たしてあげよう。こんな森なんかではなく、外の世界でな。」 「ああ、サジタリウス！やはりお前は誑かされている。ミスティアリオスに唆されるな。」 「唆される？変なことを言いますね。僕は最初からミスティだけを見てきた。ああ、可愛いミスティ、お前があの箱庭から出るのを、どれほど心待ちにしていたか。」 「サジタリウス、おまえまさか。」 喉が酷く乾く。ミスティアリオスは目の前の慕っていた兄が、まるで違うものに見えた。 結界を歪めたのはミスティアリオスだ。そして、ならず者を雇ったのは父親だった。サジタリウスは、全て知っていた。父親がミスティアリオスを厭うことも、結界が歪んでいたことも。 全てこうなるとわかっていて、黙っていた。 「兄を慕う、お前が幼くて愛おしい。箱庭のミスティアリオス。おまえは、所詮その中でしか生きられないのだよ。」 ひゅ、と息を吸う。歪ませたのは紛れもなく自分だ。この穏やかな幻惑の森を、内側から侵食したのは自分だった。 結界は塞がっていないだろう。聖属性など、持っているものはいないからだ。 修復はできても、破られたとなればおそらく難しい。サジタリウスの背後で、狼煙のような煙がいくつも上がっていた。ああ、ああ、 ーサジ、サジ。 「ちがう、ちがうのに…！」 「可愛いミスティアリオス、何を悲しむ。」 怖い。なんでこんなに怖いのだ。逃げたい、どうか悪夢だと言ってくれ。 「サジタリウス、ああ、お前ももう駄目なのか。親不孝者め、そんなに囚われるなら…」 「だめ、やめて…」 父親の歪んだ表情がやけに鮮明だ。ミスティアリオスが手を伸ばそうとしたとき、胸の内側が酷く熱くなった。 ーーーーーっ、 ぶわりと服を突き破って木の根のようなものが溢れるように飛び出す。ミスティアリオスから二人を遠ざけたその木の根は、ぱきぱきと音を立てて守るようにミスティアリオスを内側に囲む。 見たことがある。暖かくて、懐かしい感覚だ。 「っ、あ、あ…」 珠状になった木の根が、怖いものを遮断する。いつも守ってくれていた、その愛しい愛しい気配。 「え、る…まー‥、」 ーサジ、おきて。 ああ、この声は聞いたことがある。なんだ、そうか、そうだったなあ。 ミスティアリオスのラブラドライトの瞳が光を取り戻す。その細い手で顔をおおうと、くつくつと肩を揺らした。 「なんだ、夢か。」 ポツリとこぼした。怖い夢、そうか、悪夢。人のトラウマをほじくり返したのか、そうか。 指の隙間から光が溢れる。呼吸を整える頃には元のサジの服装に戻っていた。 なるほど、やってくれる。顔を上げる、その守るような木の根に触れた。 この懐に閉まっていた遺物が、こうして守ってくれたのだ。 「やはり、寝た男の名前をつけるのは間違っていたなあ、フォルン。」 しゅるりと細い蔦がサジの手に絡む。まるで肯定するような、サジの愛しい魔物が、甘えるときのように。 その蔦を握りしめる。一歩踏み出した。全部、全部思い出したのだ。 父が兄を殺し、その父は兄の抵抗によって殺された。残された自分は、里から逃げたのだ。箱庭のミスティアリオスは、もう嫌だった。 兄の代わりに魔女へと指名され、そしてその日に召し上げられた。あのとき、ナターシャが吐き出した種子。あれは、生命の大樹の種だった。 そうだ、魔物は元々精霊だった。同じものなのだから、ありえない話でもない。そうやけに冷静になりながら、その身に受けた称号と名前。 「サジは、弔いの名だ！！そして、罪の名だ！！ミスティアリオスはもう死んだ！！私は、自分の罪を背負って生きる。種子の魔女のしぶとさ、なめるな！！」 ぶわりと緑色の陣が足元へと広がる。あたりの景色が、天鵞絨の赤い布張りに変化した。 こんな箱庭よりも狭い部屋に、閉じ込めて置けるほど大人しくはない。 蝶番を壊す勢いで扉を叩き割る。 一息に飛び出たのは、何も変わらない、本当の意味での現実だ。 「うわ、っ！」 「サジ！！！」 見知らぬ青年と、ゾーイが目を丸くする。一息にメーディアの元へと距離を詰めると、サジはその鉄製の拷問具のような仮面を鷲掴んだ。 「浸食。」 じわりとサジの仮面を掴んだ手のひらから、緑色の蔦が這うようにその仮面を覆う。そのまま蔦がメーディアの細い首筋から胸まで伝うと、肌の中に入り込んだ。 「な、っ…！目覚めよすぎるだろう！！」 ゾーイがあわてて袖から拘束の鎖を放つ。サジの視覚を狙ったそれは、見えない壁によって阻まれた。 「だめ、サジのじゃまするな」 「おまえ、ナナシか！？」 目の前に躍り出た灰色の髪を持つ青年に、サジが目を丸くする。 それはそうだ、捕まる前とおそろしく容姿が違う。しかし追求している余裕はない。 「ああ！？何だそれ、特殊能力じゃないの！？」 「ちがう、ちからほしくてこうなった！」 「わけわかんねえこと、言わないでよ！！」 ゾーイの袖から鎖が増えた。バチン！と音がして結界が破られる。ナナシの体に鎖が巻き付いた瞬間、桃色の光線がそれを焼き切った。 「ギンイロ！！」 「アイヨ。」 ナナシの後ろから飛び出してきたギンイロが、蔦に飲み込まれつつあるメーディアに食らいつく。ゾーイはその光景に顔色を青ざめさせて悲鳴をあげた。 「母さん！！！」 「口を離せギンイロ、邪魔である。」 サジの目が光る。取り乱したゾーイを見て、サジがにやりと笑うと、ギンイロが口を離した瞬間にサジの魔力が蔦の先に宿った。 「お前にも悪夢を見せてやろう。」 「なにを、っ…」 くい、とサジが手指を動かした瞬間、ぎぎき、とぎこちなくメーディアの体が指の動きに合わせて動く。ゾーイが慌てて飛び退ったがすでに遅く、仮面が割れて出てきた八つ目の赤い瞳に囚われた。 「か、っ…」 「ふは、やっぱりか！！お前の母親は幽鬼になりかけていた！！だから仮面で覆ったのだろう！！」 「ああ、あ」 「もう寝ろ、あとはサジがやっておく。」 くすりと笑うと、メーディアの手が、くんと上がった。その瞬間、土から現れた棺桶にゾーイが取り込まれる。じゃらじゃらと音を立ててぐるぐる巻きにされたそれに、ひどく傷んだ錠前がつけられた。 「ナナシ、開放してやれ。」 「あい、」 蔦で八つ目を覆い隠す。ナナシがそっと動きを止めたメーディアの胸元に手を添えると、ぶわりと聖属性の純粋な魔力を注ぎ込んだ。 びくんびくんとその体をはねさせた後、どしゃりと崩折れたその体が、土に帰っていく。白い骨がかろりと音を立てて残されると、ナナシはそっと魔石を拾い上げた。 「かわいそう、おやすみなさい。」 パキンと軽い音を立てて、紫色の魔石を割る。 呪いの土ではなかっただけ、魔女としてのプライドがあったのだろう。 残された棺はがんじがらめのまま立っている。サジが困ったように見つめるナナシの手を握りしめると、あたりを覆っていた黒い膜は消え、道を塞いでいた虹色の皮膜も消えた。 「時間はない、いくぞ。」 「あい、」 ギンイロが駆け寄る。二人でその背に跨ると、一息に霊廟までの道のりを駆け出した。 棺と白骨は、迷路のような庭園の入口を隠すようにしてそこに残されたままだった。