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マルクスはめそめそとしていた。この非力な自分がなんでこんな目に合わねばならぬという、この怒りをどこにぶつけていいかもわからぬと言わんばかりに蟠りと膝を抱えながら。
「いたい…」
「おいおい、しっかりしてくれよ坊っちゃん。あんたがそんな具合じゃあ、士気が下がるだろうが。」
どかりと隣りに腰掛けてきたのは、マルクスの率いる中では一番の古参だった。頬に大きな傷のある熊のような男は、道中道を切り開いていくエルマーを感心したように見ながら、こりゃあ楽できていいわと豪快に笑っていた。
「サリバン…君はなんでこんなに元気なんだ…、魔物が怖くないのか…」
「魔物で怖えってのはないな。きみわりいとは思うけど、仕留めるのに躊躇はいらんだろう。」
「それは、そうなのだけど…」
マルクスは転けて破けたボトムの膝を見つめながら、再び深い為息を吐いた。
「僕は、なんで辺境伯とかいう面倒な家に生まれてしまったのだろう。父上に任せてきたしわ寄せが一気に来るとわかれば、もう少し気を張っていたかもしれないというのに…」
「おまえなあ…血筋なんてもんに悩んでんのはおまえだけじゃねえぜ。世の中お前の血筋を欲しがるやつだっているんだ、悩むならもっと別のことで悩め。」
「ああ、爵位を継いだらモテると思ったのに、それもむだだったし…」
「そりゃあおまえ、女ってえのはもやしよりも鍛えてる方に靡くだろう。」
マルクスの本音はそこかと思った。しかしサリバンもサリバンで、女のような名前をつけられたせいで並々ならぬ苦労をしていた。
女の想像力は侮れない。名前だけで幸薄そうな美青年だと決めつけられ、お見合いをしてもことごとく失敗していた。
何回失礼ですが…と確認されたと思っている。
もはや諦めているが、改名できるならサリバンじゃなくて、ゴードンとかダイクスとかにしたい。なんか強そうだし。
「大体、こんな戦場で出会いなんてないだろう。周り見てみろよ、もう荒くれ者しかいねえぜ。」
「……この中だと僕が一番美しい。襲われたらどうしよう。」
「自己肯定感だけはしっかりしてんのかあ。」
花がないのだ。強いて言うなら引率すると言っていたくせに到着後すぐにスタンドプレーに走ったエルマーが美しい顔立ちをしていた。体はバキバキに男だったが、マルクスがもし受け手に回るのであれば、この部隊の中ではエルマーがいい。
あくまでも受け手に回るのなら。大切なことなので二度強調するが、マルクスだってお年頃だ。火遊びがしたい時期に駆り出されたという鬱憤だって溜まっていた。
「おい、なんかくるぞ。」
部隊の中の一人が、空を指さしてつぶやく。魔物なら気配を消したほうがいい。慌てて焚火に土をかけて消すと、闇よりも黒い六脚の魔獣がその大きな翼と金色の眼光を光らせながら降り立った。
野営をしていた部隊の連中は、まるで蜘蛛の子を散らしたようにパニックになった。
「う、うわぁああ!!ななんだああ!!」
サリバンもマルクスも、目の前に夜の王者のような威風堂々たる風格の魔獣が現れて大いに気が動転した。皆帯剣しているはずなのに、かなうわけ無いと思っているのだろう。我先にと散り散りになって逃げようとする姿に、魔獣はまるで呆れたような目で大人しく見つめていた。
「お、…襲って…こない?」
サリバンもマルクスも、距離を取った木の陰からこそりと伺う。様子がおかしい。暫く見つめていると、その魔獣がそっと身を屈め、まるで心配するようにその背に視線を向けた。そして、
「まったく、何たる不出来!何たる体たらくか!」
「える、いないねえ」
むすりとした仏頂面で降り立ったのは、枯葉色の髪が美しい麗人だ。そして、灰色の美しい髪を持つ青年。こちらも魔獣と同じ引き込まれるような美しい金色の目を持っていたが、息を呑むかのような美貌を称えていた。
恐ろしい魔獣を従えさせ、この地に降り立つというこのシチュエーションはまさしく神話のワンシーンのようで、おもわずほう…と息をついたものが数人。情緒のないものは、話しかけたいが魔獣がこわくて手を出しあぐねていると言ったところだった。
「しばらくそのままでいろよ、騒ぎにしたくないからな。」
枯葉色の麗人はそう呟くと、魔獣の猛禽のような顔を両手で撫でた後、その嘴に口づけた。
「さて、全くのんきなものだ。帯剣している割に皆飛びかかってこないとは。一戦交える覚悟はできていたというに…。」
「える…えるにあいたい…」
「愚図るなバカモノ。もうすぐ来るわ。大人しくしていろ。」
「はあい…」
クルルルル、と見た目の割に可愛らしい音を鳴らしながら、魔獣が励ますように灰色の青年の胸に頭を押し付ける。まるで元気出せと言っているようだ。
もうすぐ来るとはなんだ。もしかして此の規模の物がもう一体来るというのだろうか。
腰を抜かしたままのマルクスの横で、サリバンは意を決して前に出た。
「おい!!お前何者だ!!」
「サリバン!!やめ、やめろ!!」
慌ててサリバンの腰に取りすがって引き止める。気のいい兄貴分のような存在だが、何分無鉄砲なきらいがある。今回も、突然現れた二人と一体に敵襲かと思ったらしい。
「なんだ毛玉男。貴様こそ何者だ。」
「け、毛玉!?」
枯葉色の美貌の男に、とんでもない侮辱を受ける。たしかに腕毛だって生えてはいるが、毛玉と比較するとそこまで毛だらけではないと信じたい。
サリバンは持っていた剣に手をかけようとしたとき、大人しかった魔獣が翼を広げて威嚇した。
「ひ、っ!て、てて、敵なんだろどうせ!くそ、女買う前に死ねるかってんだ!」
「やめろってば!!今は応援を、っ」
ザッと葉擦れの音がしたと思ったら、サリバンとマルクスの頭上を黒い塊が飛び越えた。思わずあらてかと身構えた瞬間、灰色の髪の青年が目を輝かせた。
「えるぅ!!」
「は、える!?」
誰だそれは、と思ったのもつかの間、気づけば魔獣の前に降り立っていたのはスタンドプレーをしてなかなか戻ってこなかったエルマー、その人であった。
所々暴れたのか髪に小枝を絡ませ降り立ったエルマーは、灰色の髪を靡かせ駆け寄ってくる青年に目を丸くする。
まさかこの無関心で性格が悪くて口も悪い、顔しか取り柄の無いような歩く横暴というレッテルを貼られたエルマーに、そんな無邪気な顔で駆け寄るなど危ないと皆がざわついた。
「あ?ああ!?」
「える、ナナシ…このかたち、いやだ…?」
案の定ぎょっとした。口をポカンとあけたまま、顔を赤らめもじもじとする自分より少し年下位の青年を見つめて、エルマーは開けた口をゆっくりと噛み締めるように閉じる。そして数度何かに納得するかのようにこくこくと頷くと、無言で両手を広げた。
背後から見ていたものは、その胸に飛び込んだら恐らく生きて帰っては来れないのではと言う顔で固唾を呑んで見守っていたのだが、目の前のナナシといった美貌の青年がその目をキラキラと輝かせ、少しだけ泣きそうな顔で綺麗に笑うと、あろうことかエルマーの首に腕を絡まして抱きついたのだ。
「うう、える、える…ナナシがんばった。がんばったら、こうなっちゃったんだよう、すき、えるすき
…」
「ああ、ナナシの匂いだ。マジか、偉いなあ、俺の知らねえとこで頑張ったのかぁ…いいこだなあナナシは。」
「ひぅ、えるぅ…!」
エルマーはまるで人が変わったようにナナシのの腰に腕を回して抱きしめ返すと、首筋に鼻先を埋めて唇を滑らせた。
周りから見たら、突然息を飲むような美人に甘えられる羨ましい男だったが、エルマーの心情は大荒れだった。
知らないところでこんなに大人になったのは残念だったが、その性格や口調に変わりはない。なによりもその雰囲気と魔力の質から、ナナシがインペントリの中の石を使わなくてはいけない状況に陥ったことに、エルマーは落ち込んだのだ。
サジ達はエルマーの様子を正しく読み取っていたが、周りは違う。良くも悪くもバカでプライドが高くて気のいい荒くれ者が、茶化すようにしてからかった。
「お、おいおい!きいてねえぞ!誰だその別嬪は!やっぱ強いやつには美人が侍るのかあ?」
「いいねいいねえ、ったくこんなむさい連中の前で、見せつけてくれるよなあ!」
エルマーの仲間だとわかった途端にこれである。ナナシは体は成長しても、心根は何も変わらない。
その粗野なやじ混じりの冷やかしに怯えるように、きゅう、とエルマーの服を握りしめた。
「うるせえ。」
「え?」
ボソリと低い声でエルマーが呟く。腕の中で小さく縮こまったナナシの細い体を温めるかのように抱き込みながら、その顔が見えないように後頭部に手を添えて肩口に埋めさせた。
「ぴよぴよ鳴くな。屠殺されてえのか。」
そう、なんだか色々な情緒がこんがらがってしまい、エルマーは完全にキレていたのだ。
サジは思った。屠殺は家畜に使う言葉だぞエルマーと。
「帰る。」
「帰る!?」
あまりの殺気に、マジなやつかと大人しくなっていた空気を、マルクスが乱した。まさかのエルマーからの依頼ボイコット発言である。
ジルガスタントとの争いの場所である境界まで、まだ半分以上ある。
情けないことに、マルクスはこの隊を率いている癖に、グレイシスが率いる部隊の情報を把握していなかったのだ。と、いうよりも連絡手段の確認を怠っていた。
「こ、困るよ!!撤退命令が出たわけではないのだろう!?このまま、せめて殿下の部隊と合流するまではいてくれないと!」
「道は開いてる。そのまま進めば合流できんだろ。」
「露払いは終わったってこと!?開いてるって、今まで来た道みたいに鋪装されているってこと!?」
鋪装されてる、ではなくエルマーがわかりやすいように通った道の草を片っ端から刈っていったというのが正しい。
それでも、マルクスのあまりにも他力本願が滲み出る言葉にむかっ腹が立ったのは、エルマーよりもナナシだった。
「える、ちのにおいがする。」
「ああ、魔女とやり合ったからかも。くせえ?」
「ううん、ちがう。ほかのひと、ありがとういわないのへん。」
「え、」
「ありがとういわないで、じぶんのことばっか、やだ。」
ぎゅ、と眉根を寄せて言うナナシに、サジもエルマーも、転化したアロンダートでさえ驚いた。もしかして、これは怒っているのだろうか。
エルマーはナナシが自分のために怒ってくれているという事実に、ふつふつと湧き上がる照れや喜び、そしてなんとも言えない気恥ずかしさにもにょりと口を動かした。
「い、や…僕はただ、戦力がいなくなるのが困るだけで!」
「たたかわないの、なんで?えるだけたたかうのなんで?」
「いや、それは魔物が出てこなかったから…。」
「なんでまものでてこなかったのか、ななしでもわかる。」
ナナシの真っ直ぐな瞳で見つめられ、マルクスは狼狽えた。こんな、自分よりも弱そうな相手に気圧されるのが納得行かない。そして何よりも、こうして言われたことに対して、違うと言えなかったことが悔しかった。
「ななし、えるばっかやなおもいするの、やだ。」
「ーーーーーーー、」
ちょっとだけ泣きそうな声で、エルマーの服を握りしめながら言うナナシに、ノックアウトされたのはエルマーだった。
じわりと顔を耳まで真っ赤に染め上げ、抱き寄せていた手が顔を覆う。自分のことを考えて怒ってくれたナナシに、エルマーのなかの柔らかい部分を容赦なく抉られたのだ。声には出さなかったが、心の悲鳴だけはしっかりとサジには聞こえていたようだ。その顔は心底愉快と言わんばかりにニヤニヤとしていて腹が立つ。これはまずい、頑張れてしまうじゃないか。今までのストレスが吹き飛んでしまうくらい、ナナシの言葉はエルマーに刺さった。
「……今日が、命日かもしれねえ。」
「ぶっは!!!んん、ぐ、ぅくっ、す、すまん。」
エルマーの真顔の一言に、サジが耐えきれないと言った顔で吹き出した。エルマーがそんなことを言うとは思わなかったし、何よりもナナシからの言葉によって、良い意味でダメージを負ったのが本人というところがつぼだったらしい。
「…疲れたからベッドで寝てえ。」
マルクスから背を向けたままのエルマーが呟いた。
ナナシの言葉によって、流石に頼りすぎたらしいということだけはわかったようで、部隊のメンツも雁首揃えて、その粗野な顔を歪ませていた。
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