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エルマーがナナシ達と合流する少し前、別場所にいたグレイシスにその一報が届いたのは、ダラスによる廃墟同然の教会についての調査報告を聞いているさなかの事だった。
「やはり、この廃教会も浄化の刻印が破壊されておりました。外壁部の具合からみて、原因はおそらく、」
「も、申し上げます!!」
本丸のテントの中、駆け込んできたのはダラスと共に調査をしていた者たちだ。その中には寝コケて失態を犯したものもいる。
会話を中断されたこともそうだが、ろくな進展もないままの現状にグレイシスの苛立ちは募っていくばかりだった。
「入室を許可した覚えはない。」
「で、ですが…国に詰めている兵からの電報が届いております!!なんでも、奇襲にあったとかで…!」
泡食った顔で膝をつくと、顔を伏せたままそうのたまう。グレイシスの許可なく入ったものは、是と言われるまで顔を上げてはいけないことになっている。それが許されるのはダラスとジルバのみだった。
「ダラス、続きを申せ。」
「グレイシス様、しかし」
「余が申せと言っておる。お前に逆らうほどの権限があるのか。」
「いえ、…続きですが…」
ダラスはかしづいて震える男を横目に見ると、戸惑いながらも話を続けた。
このシュマギナール側の大地には2つの廃教会があり、そのどちらも浄化の陣が崩れていたということ。最も皇国に近い教会は、森の中にひっそりと立っており、周りの環境も整備されていなかったことから、恐らく隠れて作られたものだろうということ。
そして、2つの教会が崩れた原因に繋がるかは不明だが、なにかの衝撃によって突き上げるかのように割れたような亀裂が、いくつも石畳に走っていたということ。
「そして、少し気になったのですが、2つの協会には共通点がありました。」
「共通点?」
「それは、ステンドグラスです。」
グレイシスは眉間費シワを寄せた。ダラスは少しだけ考えたような顔をすると、地図を取り出した。
「ここと、ここに教会がありました。この2つのステンドグラスには、シュマギナールとは違った神を信仰していたようです。それが、何かはわかりませんが…恐らく」
「ひっそりと立っていた、と言ったな。」
「ええ、まるで隠れるように。古い地図にも無い教会ですので、恐らく異教徒のものかと。」
グレイシスは目を細めると、そっとその地図をなぞった。この地に降り立ったという邪龍が居たという話を思い出していた。
大地を呪い、災禍を持ってこの地を焼いたという。
この皇国が信仰する女神は叡智の神だ。
過去の宗教統治がどれほどのものだったかは詳しくないが、ひっそりと隠れるようにということは、余程後ろめたい事をしていたのだろう。
「邪龍信仰か。」
「殿下、滅多なことは言わないほうが宜しいかと。」
「余の言葉が国の弱みになるとでも?」
「…皇国が、過去にそのようなものを信仰していた事実があれば、そこを突かれます。ジルガスタントは少々、思い込みが激しいきらいがあるかと。」
ダラスの言い回しに、グレイシスはぴくりと眉を上げた。にやりと口元を歪めると、くっくと喉奥で笑う。
「清廉潔白なダラス様と呼ばれているくせに、お前もそのような嫌味を宣うとは。」
「私も、この国の人間ですので。」
「よい、今回はお前の言葉に従おう。このことが漏れたら、そこに傅いている男を殺す。」
「ひ、…っ、」
ひゅ、と剣先が空を切る。鼻先に突きつけられたレイピアに短い悲鳴を漏らすと、さらにその身を小さくして震わせた。
「け、けしてもうしあげませぬ…!!」
「ああ、命が惜しくばな。」
「…私の話は終わりました。殿下、国はよろしいのですか。」
「ああ、奇襲のことだろう。恐らくジルバがもう向かっている。状況はこちらが赴かなくても自ずとしれよう。」
グレイシスは立ち上がると、テントから出た。その入り口を護っていた者たちの一礼を無視すると、夜営をする者たちの間を抜けて森へと向かう。
「殿下、せめて共のものをお付けください!」
「いらぬ。それに、もう付いている。」
「は、」
駆け寄ってきた兵をあしらうと、グレイシスの月明かりによって晒された影が不自然に伸びた。
その影に誘われるようにグレイシスが手を伸ばすと、しゅるりと細い影がその手に巻き付いた。
「ジルバ。」
「ふむ、何やら機嫌が良さそうだ。」
ぱきぱきと音を立てながらクチクラの外殻を纏う脚が影から現れたかと思うと、瞬きの間にその脚は消え、グレイシスの目の前には美しい褐色の美丈夫が立っていた。ジルバは差し出された手を掬い上げてそっと口付ける。まるでそうすることが当たり前だというように、グレイシスも口付けを許した。
「ジルバ殿、…」
「下がれ。グレイシスについて回るのは許さない。」
その細腰を抱き寄せ金眼を輝かせながら言うと、怯えを顔に張り付かせた兵は慌てて頭を下げ、その場を辞した。
ジルバはそのまま抱き上げると、そのままグレイシスごと飲み込むように影を纏い、その場から消える。
夜闇に紛れてどこにいっているのやら、知るものは誰もいない。ただ突然現れたジルバという半魔が恐ろしくて、兵のものは深く追求する勇気もなかった。
「城はどうだった。」
「ふん、万事恙なく。予定通りだ。それより面白いものを見せてやる。」
「面白いもの?」
あの後、ジルバによって皇国の中にある住処に連れ込まれたグレイシスは、その圧迫感のある本棚に見下されながら、用意された椅子に腰掛けた。
どうやら城の様子もジルバの描いた通りの道を辿っているらしい。この魔女が言うのだ、間違いはないのだろう。
「グレイシス、お前は歴史は好きか。」
聳え立つ本棚に優雅にもたれかかりながら、ジルバは振り向いた。
「興味はないが知ってはいる。」
「なるほど、なら興味を持たせてやろう。」
くつりと笑うと、しゅるりと伸びた影が一冊の年季の入った本を取り出す。深緑色に金色の印章が付いたそれは紛れもなく王家のものであり、思わず眉間にしわを寄せた。
「いつの間にくすねてきた。」
「おっと、人聞きの悪いことを言う。なにもくすねてはいないさ。」
目の前に差し出されたそれの埃を払うと、革張りのその表紙を撫でた。
なにもない、タイトルも不明なそれは日記のようで、グレイシスは白手袋を嵌めた手でページをめくった。
中身は酷く黄ばんでおり、年季が入っていた。流れるような筆記体で書かれたそれは、どうやら帳簿のようである。グレイシスはわけがわからないまま渡されたそれをパラパラと捲った。一体いつの時代の物なのか、表紙の割に紙の質が悪くて捲るのに苦労した。
王城経費関係、および出納帳。と律儀に書かれたそれは、書き手の愚痴混じりのものである。
やれ新しく新調したシャンデリアが金貨何枚だとか、肖像画家に払った賄賂、そして給仕や抱えのお針子に払う賃金、はたまたどこぞの領主に子が生まれたからそのお祝い金。そんな様なものが、まるで備忘録のようにぎちりと書き詰められていた。
余程几帳面な書き手らしく、全てのページが同じ幅感覚で書き込まれている。一体いつの時代の物だと後ろのページを見ると、なんと百年程のものだった。
「なんだこれは…意味がわからぬ。なぜこのような物を余に見せた。」
「これを見て、どう思った。」
グレイシスの金髪を流すように耳に掛けてやる。ジルバが美しい目で見つめてくると、微かにグレイシスの耳がじわりと赤みを帯びた。
「ただ、…くだらぬ。…?」
「フハ、」
グレイシスの呟きを耳に拾うと、ジルバは小さく噴き出した。くだらぬ。その言葉を呟いた瞬間、なんだか妙な魔力を感じたと思うと、グレイシスの手元にあったその本の印章がぐにゃりと変化した。
「な、っ!」
「まあ、黙ってみているがいい。」
驚いて本を離そうとしたグレイシスの手に重ねるように、ジルバが後ろから抱き込みながら本を支えた。
閉じた本の隙間からきらきらとした粒子が溢れていく。その光に混じりながら、ポロポロと黒い文字が緑色の本の表紙を覆うようにして蠕く。やがて金の印章のマークが王家のものから、見たこともないマークに変わった瞬間、本はその変化を止め、有象無象に蠕きあっていた細かな文字達は、煤のようにふわりと消えた。
「………呪い、か?」
「いいや、特定の言葉に反応する仕掛けのようだ。余程慎重な相手が書いたものだな。」
「ジルバ、お前知っていたな…?」
「まあ、お前の反応が見たくてなあ。」
このずる賢い半魔の男は、こうしてグレイシスを度々驚かせては反応を楽しむ。肉体を許した仲だが、有益な情報と能力でグレイシスの横に侍ると、一気に馴れ馴れしくなってきた。
するりと空いている手のひらに指が絡まる。ちゅ、とその手の甲に口付けられると、許したくなってしまうのだから始末に負えない。
「………。」
「読め。それとも、朗読でもしてやろうか。」
「結構。」
グレイシスがその手で再びページをめくる。すると先程とは違い、内容は出納帳から日記のようなものに変化していた。
白い手袋を嵌めた指が、文字をなぞる。もう呪いのようなものはなく、今度は文字を追う為に文面に触れた。
それは、どこかの教会の司祭の男が書いたものだった。
ー戦争がはじまった。この日記の最後は、幸せな日常を過ごしていると嬉しい。
ーまだこちら側まで戦火は来ていない。それでも、流れてくる川には時々家屋の破片だろうものも混じり始めたように思う。
ーここが辺境でよかった。西の空が赤い。
ーそういえば、国が一つ飲み込まれたらしい。らしいというのは、僕の中では信じていないからである。
そんなに恐ろしいこと、あってたまるかというのが本音だ。
ー今日は川に赴いて、兄の好物を釣ってきた。最近やけにふさぎ込んでいるから、これで少しは元気になってくれるといい。
明日は配給がある。小麦がもらえたら、パンを焼こう。
ーここには何でもある。そう言われるような国になるといい。焼けた土地も草木が芽吹き始めた。もしかしたら、耕せば野菜を育てることができるかもしれない。
ーまた笑ってほしいな。
ー今日は少しばかしだけれど教会の庭を草むしりした。珍しく兄が手伝ってくれたのだけれど、草で手を切っていた。ちょっと面白かった。
ーなんで戦争なんて起こってしまったんだろう。
ー最近なにか言いたいような顔でみつめてくる。どうしたと聞くと、なにも。という。弟の僕には言えないことなのかもしれない。悲しいことだ。
ー兄と喧嘩した。腹が立ったので今日はもう寝る。
ー兄が、祈りを捧げるようになった。良きことだ。聖なる死者より賜った遺物は、来たるべき日が来たら献上しなくてはならない。
これを収める僕達も、一緒に召し上げてくれるのだろうか。そうだといいな。
ー兄もいつか、女性と結婚するのだろうか。そうだとしたら、僕はきちんとお祝いできるのだろうか。
ー兄に抱かれた。
ー何を間違えてしまったのだろう。誰もその答えを教えてはくれない。
ー僕は、兄を止めることができない。止める権利もない。ただ、今度こそ兄が道を誤らぬようにささえることしかできない。
ーなんでこんなふうになってしまうの。
ー殺されるかもしれない。
ー兄は、僕になりたいらしい。僕は、どうなってしまうのだろうか。
ーたすけて。
日記は、どんどんと日を追うごとに文字数が少なくなっていった。
穏やかな日常が少しずつ崩れていく。この筆者はどんな気持ちで書いていたのだろう。
最後のページには、スミレの押し花が挟まっており、グレイシスはそっとその乾いた花に触れると、ボロリと脆く崩れてしまった。
一体、この人物に何があったのか。恐らくこの後に悲しいことがあったのだろう。
胸の内側からざわつく様な、なんとも形容し難い感覚がグレイシスを襲う。
「………。」
「こいつらも、兄弟だったようだな。」
「何が言いたい。」
ジルバからの一言に、グレイシスが睨みを聞かせる。この男は、実に魔女らしい。敬虔なる信徒のように優しい目でことの在り方を見つめているかと思えば、蓋を開けてみれば囚えて貶しめるように蜘蛛の巣を張る。
一度優しく抱かれてから、グレイシスは縋ってしまった。今更ながら、そこまでが計算のうちなのではと巣の内側に入ってしまってからは思うことも多い。
ジルバはグレイシスの感情の荒れに目を細めると、するりと頬を撫でた。
「人であるなら、常に個であれ。」
「言っている意味がわからぬ。」
「独占欲さ。お前が縋るのは、俺だけでいい。」
ジルバの瞳に囚われながら、そこに映ったグレイシスの顔は、自分の知らない顔だった。
そんな表情をこいつに見せているのかとおもうと、グレイシスはなんだか悔しくて、ジルバの胸倉を掴み引き寄せると、下手くそな口付けをした。
ジルバは少しだけ目を見開いた後、面白そうに瞳を細めると、答えるようにその唇をこじ開けて舌を差し込んだ。
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