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エルマーがナナシを抱えたまま移動する。その癖スピードだけは早く、共に食料調達を買って出たサリバンとマルクスは、早くも息を上げていた。
「ま、まてって…おま、そんな…成人抱えてよく走れるな、ぉえっ、」
「はぁ、あ、も、もうむりだ…僕は休みたい。おいていかないで、一緒に休もう…」
どしゃりと情けなく崩れる二人を見て、エルマーは背負っていたナナシをそっと下ろすと、なんとも呆れたような目で振り向いた。
「3回目。」
「え?」
「てめえらが休憩つって駄々こねたの、これで3回目だあ。」
エルマーから降ろされたナナシはというと、ヘロヘロにくたばっている二人のもとに近づいた。あまりにもぐったりしている様子がなんだか可哀想に思えたらしい。その額に指先をちょんと触れさせる。
「つかれたの、なおしてあげるね」
「ナナシ、無駄な力使うな。ほら、戻ってこい。」
「はぁい。」
額に指先を当てられた二人はというと、じんわりと身体を包むような優しい治癒術を感じながら、見上げた太陽が真上に登っているのを見つつ、早く昼飯調達しないとなあ。なんてことを考えていた。
ちなみにこれをやられるのも3回目である。
「あー面倒くせえ、俺がちょっくら狩って来るから、おまえらそこにいろ。」
「だめだエルマー!!君、また逃げ出すとか言うだろう!?」
「やっぱそういうことか!飯調達ついてくるって言うの変だと思ったんだあ!てめえ、どんだけ疑り深いんだあ!」
「だああ、もうマルクスもエルマーも落ち着け!!んなでけえ声出したら獲物が逃げるだろう!!」
サリバンは今にも喧嘩しだしそうな勢いの二人の間に慌てて入ると、助けを求める様にナナシをみた。その視線を知ってか知らずか、ナナシはというと相変わらずマイペースにお花を積んではにこにことご機嫌である。
微笑ましくて何よりなのだが、ここは魔物のはびこる森だ。あまりそうして離れて行くのも宜しくない。
サリバンはため息を吐くと、二人を放ってマイペースなナナシがそれ以上森の深くまで向かわないように手を握って止めた。
「おい、あんま奥行くな。恐い魔物がいっぱいいるぞ?」
「うー、でもこれ、たべれるくさだよう。」
「なに?おまえそう言うのわかるのか。」
「うん、ちょっとだけ」
そういうと、手に持っていた白い花の花弁をぴっと取ると、ぱくんと口に含んだ。
その様子がなんだか行けないものを見ているような気になったのは、きっとちらりと赤い舌が見えたからだ。
「む…まえよりおいしくない…」
くちゃ、っとした顔で赤い舌に載せた花弁を手で摘む。サリバンはなんだか唾液に濡れた花びらがきになって目で追ってしまうと、その白魚のような指先にばくんとエルマーが食いついた。
「ひゃ、」
「なあんでお前はこう無防備なんだ。おら、」
「あう、びっくりした…」
ごくんとナナシが口から出した花びらを、気にせず飲み込んだことに突っ込めばいいのだろうか、それともいきなり人の指先に噛みつくなと言えばいいのか。
サリバンは少し残念そうな、それでいてどこかホッとするような妙な気持ちになりながら、誤魔化すようにばりぼりと頭を掻いた。
「っと、みつけた。ナナシ、獲物。」
「はあい、んと…」
ガサガサと音をたてて顔を出したのは、以前ナナシが怯えて恥ずかしいことになってしまったボアの魔物だ。エルマーがそっと指差すと、なんとも言えない顔をしたあと、スッと手のひらを差し出すようにボアに向けた。
「ごめんね、」
そう呟くと、ボアの体内の魔力の動きを鈍らせる。強制的にめまいを起こさせたナナシは、足元をふらつかせて倒れ込んだボアに近づくと、そっとその鼻先を撫でて魔力を注ぎ込んだ。
純粋な聖の魔力がボアの体内に流れ込む。相対するそれに四肢を突っ張らせると、そのまま眠るように身を差し出した。その体を大切に食べるから許してくださいと意味を込めて、その獣らしい毛並みをそっと撫でた。きちんとできたよと立ちあがって、エルマーを見やる。
エルマーは頷いてくれたが、後ろの二人はまさかナナシにそんな力かあると思わなかったのだろう。呆気にとられて固まったままだった。
もじもじしながらエルマーのもとに戻る。褒めてくれるかなという期待で見上げると、腰を抱き寄せられた。
「天才。俺のナナシまじで天才だあ。おらてめえら血抜き。有り難く感謝しながら処理をしろ。」
相変わらずの物言いに、ついてきた二人はげんなりとしつつも腰から短刀を取り出した。仕留めたのはナナシだし、ナナシはエルマーの大切だし。自分たちはここまで何も働いていないしなあ。そんなことを思いながら、結構な大きさのボアの腹にナイフを突き立てようとして、サリバンは思った。
「血抜きしてたら魔物が寄ってくんじゃねえかな?」
「あーーー‥」
たしかに、こういう血の匂いに誘われて来るに違いない。境界の川まではまだ遠い、しかし血抜きができる水場もない。ここに来て、飯を確保したら別の問題の発生だ。
エルマーは少し考えた結果、はたと思いついた。
「いるじゃねえか、適役。」
「は?」
「サジぃ!」
マルクスが興味津々にボアの顔を間近で見つめていると、エルマーがサジの名前を呼ぶ。
ここにきて突然叫ぶものだから、気でも狂ったのかと思う。二人はエルマーとサジが繋がっていることを知らなかったのだった。
しゅるりとエルマーの足元の草が伸びたかと思うと、周りの木々がざわめく。
突然吹いた強い風に煽られるように、一陣の風がサリバンとマルクスの間を吹き抜けたときだった。
「おいふざけるな!せっかくの逢瀬の邪魔をするなど、エルマーでも許さぬ!」
プンプンとむすくれながらサジが半裸で現れた。サリバンもマルクスも、あられもない姿で怒っているサジに目を丸くする。エルマーはというと、悪びれる様子もなく、ナナシが仕留めたボアの体を指差し言った。
「血抜き。」
「はああ!?まさかそのためだけにサジを呼んだのか!?まったく、便利屋ではないと言うに!!するけども!!」
するんだ…。蚊帳の外の二人は顔を赤らめながら、しっかりとサジの腰についた手の跡を見ながらそう思った。その身嗜みを整えると、サジの手のひらがぺたりと地面についた。
「おいで、可愛い子。」
エルマーがあわててナナシを担いでこちらの方にかけてくる。サリバンもマルクスも、なんで?といった顔でキョトンとしていたのだが、ずず、と引きずるような地鳴りがしたかと思うと、本当に突然ボアの体に緑色の棘をまとった大量の蔦が絡みついたのだ。
「う、うわあああなにそれええええ!?」
「き、吸血花!?こ、こんなでけえのはじめてみた!!」
「ふふん、そうだろうそうだろう。」
「なんでお前が得意げなんだおい。」
マルクスとサリバンは、触手系の植物の魔物の中でも、テイムが難しいと言われている魔物をあっさり繰り出し、そして自分の手足のように動かしてボアの血抜きをさせるその様子に、男心を大層くすぐられたらしい。
じゅるじゅると体に吸い付き、ごくごくとその茎をポンプのように使いながら吸血する姿は恐ろしい以外の何者でもないのだが、エルマーは同じく目を輝かせて見るナナシを窘めながら呆れ果てていた。
「あれ、尻から出してた種じゃねえかなあ…」
それを知ってまで憧れられるのかと思うが。まあ、サジの育成はかなりマニアックだ。しかし匂い付けを行うぶん裏切ることもないのだから理にかなってはいるが。
「おはな!きれい…」
「ええ、あれが?うそだろ…」
白い百合のような花をボアの体にくっつけて血をすする度、その花弁に紫色の斑点が浮かぶ。真っ赤で小さい花たちは、まるで栄養をもらっているかのように艶を良くし、ふわりとした芳しい香りを放っていた。
ぎゅぽ、と音をたてて吸い付きの為に突き刺していた柱頭を引き抜くと、ボアは吸われ尽くしたのかミイラのようになっていた。これじゃあジャーキーだ。せめて毛皮を剥げばよかったと思ったが、もう遅い。
ポイッと放り投げたボアの体が、サリバンとマルクスの間に落ちる。サジがシュルシュルと茎を波打たせて甘えてくる花を撫でながら、実に満足そうにうなずいた。
「よし!!」
「よし!!じゃねえ、これ完全にジャーキーじゃねえかあ!」
「実に食べやすくていいだろう。ほら、それもってさっさとかえるぞ。ジルバが言っていただろう、殿下がくると。」
「とんずら?」
「まてナナシ、おまえとんずらなんて言葉どこで覚えてきた!?」
まさかのナナシの口から聞き慣れない粗野な言葉が出たことにも驚いたが、サジの言葉は最もで、食料調達をしに来たのもグレイシスの部隊と合流するからだ。
エルマーはため息一つ、インペントリのなかにボアの干からびたものを突っ込むと、仕方なくも来た道を戻るべく、再び自らとサリバン達に身体強化の術をかけた。
「エルマー!お前最初っからできるならこうしてくれればよかっただろうに!!」
「うるせえ!帰りくらいは甘やかしてやるかってえ俺の優しさだあこんちくしょー!」
本音は行きの調子じゃ永遠に戻れないとエルマーが学習したからなのだが、媚を売っておいてもいいだろう。ナナシはきゅっとエルマーの手を握ると、片手にお花を持ちながらにこにことご機嫌で言った。
「ひさしぶりに、おうじさまあうね。まだおこってる?」
「あー、どうだろうなあ。まあジルバがいるから…いや、いたところで怒ってそうだな。」
なにせあの仏頂面である。泣き顔は可愛くはあったが。
それよりもエルマーは殺されないだろうか。仕方なくとはいえ、第一王子であるグレイシスにやらかしたあれやそれを思い出して、少しだけ頭の痛い思いをしたエルマーだった。
「貴様はこの俺直々に処してやろうと決めていた…!!!」
「どわっ…!」
行きよりもずっとスムーズに到着後、やはりエルマーの予想通りというか、グレイシスはエルマーを見るやいなやじわじわと顔を赤らめたかと思うと、一息に距離を詰めていきなりレイピアで突いてきたのだった。
ヒュン、と音がしてエルマーの赤い毛先が数本切られた。踏み込みが素早く、貫通特化のその鋭い武器の切っ先が襲い来る。エルマーの身体能力が良いからこそ避けられたが、到着後いの一番に襲いかかってきたのは頂けない。
「ばかやろー!んな尖ったもん人に向けてんじゃねえ!!」
「何を言う。刺さればいいと思っているのだ!避けていたら仕留められぬだろうが!」
「仕留められたくねンだけどナナシぃ!!」
「はあい!」
グレイシスの一突きを体制を低くしてよける。目潰し代わりに飛ばした砂利も難なく避けられ、その美しい緑の瞳から光をこぼれさせながら手首の回転でエルマーの脳天を狙った瞬間だった。
「く、っ」
ガツンとその刀身が撓むほどの衝撃がグレイシスの手首から肘にかけて走る。びりびりとした痺れに眉間にシワを寄せながら、その不可視の壁をレイピアから感じ取っていた。
まるで水面を優しく突いたかのような波紋を広げながら、グレイシスの一突きを見事に止めたのはナナシの結界だ。
金目を光らせながら手のひらを差し出したナナシは、エルマーの指示を正しく理解していた。
「小癪な、男なら盾など使わずに正々堂々と挑めば良い!」
「不意打ちしてきたてめえが正々堂々とかいってんなクソガキ。」
よいしょと立ち上がったエルマーが、グレイシスを見下ろす。悔しいことにエルマーよりもいささか身長が低いのだ。闘争心だけは人一倍あるグレイシスは、その胸ぐらを掴もうとした手を現れたジルバによってとめられた。
「やめろ、馬鹿が感染る。」
「ああ!?んだてめえ開口一番に人のこと蔑みやがってやんのかコラァ!!」
「える、えるだめ!なかよくするっておふろでいった!」
今にも噛みつこうとするエルマーを抱きつくようにして抑えたナナシが、約束は守れとむくれた。グレイシスはというと、眉間にシワを寄せながらまじまじとナナシを見つめると、驚愕のあまり目を見開いた。
「なんと、成長期…か?」
「そんなわけあるかァ!」
真顔でそんなことを言うものだから、エルマーは思わず突っ込んだし、ナナシはなんだかもじもじと照れた。そんな驚かれると、ナナシはどうしていいかわからない。心根は変わらないままなので、びっくりしたままのグレイシスの手を握ると、にへらとわらった。
「ナナシ、おっきくなったけど、おうじさまのがおっきいねえ」
「……お前はなんでこんなやつの隣りにいるのだ。」
グレイシスの身長をうらやましがるようにてれてれと笑うナナシに、周りが背の高いものしかいなかったグレイシスは心の柔らかい部分を容赦なく抉られた。
顔には出さないが、なんとも形容詞がたい庇護欲のような物が見のうちから湧き上がってきたのだ。
「んとね、…えるのそばがうれしいから」
「………そうか。」
ナナシの言葉に、なんだかこちらが照れてしまう。純粋な心を持つ者の、なんの衒いもない言葉というのは時に鋭い。エルマーは愛しいものを見る目でナナシを見つめると、頭を撫でた。
「だから、わりいけど俺粛清すんのやめてくんねえ
?」
「善処する。」
「善処かあ…」
三人のフルスロットルなやりとりからの和やかムードに、サリバンとマルクスの頭は考えることを放棄し、そしてサジはというと犬も食わぬといった顔で合流したアロンダートの毛並みを手ぐしで整えながら、やってられぬとつまらなさそうに欠伸をした。
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