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「ダァから、ほんとに出たんですってえ!女のゴースト!!」
王城に向かって出発した早朝、エルマーはげんなりしながら熱く語る、自称オカルト研究家という二つ名を持つマルクスの部隊の若い男に絡まれていた。
「へえ…ほんで。」
「あ!?ちょっと旦那、信じてないっしょ!!そりゃあないぜ!ちったあ付き合ってくれよう!俺はあの晩の恐怖を誰かと共有したくてだなあ!!」
「おばけ、こあいね」
「ナナシちゃんは信じてくれるよなあ!?昼間飯食ったあたりの林の奥から、女の啜り泣く声がさあ…」
「ぶっ、」
身振り手振りを交えながら、必死で臨場感を出そうとしているが、エルマーには心当たりがあり過ぎた。ナナシは怯えているようだが、いや御本人ですがと渋い顔をして頭を撫でる。
わしわしと撫でられながら、キョトンとした顔で見上げてきたので、ほら、昨日のアレだと囁いてやると、ぶわわっと一気に顔を真っ赤にした。
「こいつぁきっと、報われねえ女の魂が男を求めて彷徨ってたにちげえねえ!!おーこわい!」
「あわわ…」
「ぐふ、っ…あっはっは!いって、いってえ!!ばか、叩くなっての、笑って悪かったってえ!!」
「える、えるのばか!うー!」
「はいはい犬も食わぬ犬も食わぬ。若いことは素晴らしきかな。」
すれ違い様にサジが呆れたような物言いで訳のわからぬことを言う。まったく遠足じゃないのだぞとサジにしては珍しくまともなことを言うものだから、エルマーはむすっとした。まあいいかえせないのだけれど。
なんだかんだくだらない話をしながら、茂みを切り開きながら来た道を戻る。本当はギンイロに跨がれば早いのだが、部隊全員分を乗せるのは流石に無理で諦めたのだ。
「ウッ、」
ナナシの頭に乗っかっていたギンイロが、ぴくんと大きな耳をたてた。見開いた目を爛々と輝かせながら、クンクンと空気中の匂いを嗅いでいる。エルマーは太腿のホルスターに差し込んだ短剣に手を添えながら、あたりを警戒した。
「ソコダァー!!」
「ひゃ、っ」
急にテンションを上げたギンイロが、部隊を見下ろす木の枝葉に向かって光線を放った。突然の攻撃行動に、ギンイロが見えない者たちはナナシが頭上からビームを放ったのかとばかりに驚いた。
ガササ!と葉擦れの音を立てながら落ちてきたのは、真っ白い蛇だ。結構な大きさのそれが、シューシューと警戒音を響かせながら鎌首をもたげる。
エルマーが既知感を感じたとき、ギンイロが飛びかかった。
「ゴハァン!!」
「うわばか食いもんじゃねえ!」
飛びかかった瞬間に口をガパリと開き、鋭い牙を見せつけながら白い蛇の体を四肢で捉える。ばくんと頭に食らいついた瞬間、ボロボロと蛇は崩れて消えた。
「アレェー」
ギンイロはというと、しばらくもっちゃもっちゃと口を動かしていたのだが、いくら食っても食いでが無いことに気がついたのか、こてんと首を傾げて不思議がっていた。
ナナシが突然ビームを放ったギンイロにぷんすこしながら近づいた瞬間、ざわりと空気が変わった。
ーーニア
聞いたことのある言葉を、エルマーの耳が拾った。
「っ、ナナシ」
「え、っ」
もこりとナナシの足元の土が盛り上がった瞬間、突然滑らかな白い柱が勢いよく生えてきた。ちがう、柱などではない。跳ね上げられるように飛ばされたナナシの細い体を見たエルマーが、顔を青ざめさせて駆け出す。
突然の下からの攻撃にパニックになった部隊の面々が、あわててグレイシスの周りを固めた。
「ギンイロォ!!」
「セニノレ」
エルマーが見たのは柱などではない、先程よりも数倍もでかい白い蛇だ。ナナシの体が蛇の背に落ちたかと思うと、鱗に滑って止まれないのか勢いを付けて転がっていく。本性を表したギンイロがその身に爪を突き立てながら駆け上がっていく。間一髪のところで落ちてきた体をエルマーが受け止めると、ナナシはぐったりとしたまま動けないようだった。
「ナナシ!!おい、なな、っ」
「ツギクル!」
「ああもう!!」
しゅるりと音がしたかと思うと、赤い目をした蛇が大口を開けて襲いかかってきた。エルマーがナナシを抱えたまま短剣で応戦しようとしたとき、黒い大きな影が視界を遮った。
「喰っちまえ!!」
「サジ、」
バサリと大きな翼をはためかせ、6本の鉤爪でがしりと蛇の頭を鷲掴んだアロンダートが体を回転させながら蛇をねじる。骨の構造を無視した力任せの攻撃に、さすがの蛇もダメージを食らったらしい。所々鱗を弾かせながら、その白い体に肉の色をした稲妻を走らせる。
「アロンダート、できるな?」
ぐる、と低く唸ったかと思った瞬間、ガパリと大きく嘴を開く。口の奥が光ったかと思うと、ゴオッと火球を吐き出して攻撃した。
「む、」
アロンダートの繰り出した火球は、確かに大蛇に浴びせた筈だった。シュウ、と湯気をまといながら鎌首をもたげると、お返しと言わんばかりに水流を纏いながら突進してきた。
「そうか、蛇は水に縁があるのだったなあ。」
「感心してる場合かァ!!」
サジとエルマーの横を遮るかのようにその体を滑り込ませる。アロンダートがサジを背に乗せたまま慌てて避けると、バチバチとした静電気をギンイロが纏った。
「ウウウ、ウウ!」
「まてまてまてまて!」
慌ててナナシを抱き上げたままギンイロから離れる。蛇の体から飛び降りると、滑空してきたアロンダートに乗り込んだ。
「オマエ、ムカツク!!」
バチバチバチと紫色の電流をまとったかと思うと、毛を逆立てて怒りをあらわにしたギンイロが一気に放電した。水気を纏っていた蛇はその長い体を硬直させたかのように強張らせると、ブチブチと音を立てながら、その身にまとう鱗を逆立たせる。
エルマーもサジも、アロンダートでさえも、まさかギンイロが雷属性を持っていることを知らなかった。ぽかんとした顔で見上げていると、威嚇する狼のような恐ろしい顔をしながら、その首に齧りついた。
「怪獣対決のようである。」
「てかおまえのアロンダート、いつから火ィ吹くようになったんだ。」
「ここのところ特訓しているのだ。なあ?」
ウルル、となぜだか少しだけ落ち込んでいるような声色で鳴く。あたらなかったことがよほど悔しかったらしい。ナナシはというと、ようやく気がついたのか、エルマーの腕の中で身動ぎをした。
「う、…ン…っ、」
「ナナシ、…ナナシ大丈夫か!?」
「っぃ、いた…いた、いよ…える、っ…」
「見してみろ。アロンダート、地上に降りろ。」
エルマーの顔を見てホッとしたのか、じわりと涙を滲ませると、腹を抑えて呻く。落ちた衝撃で強くぶつけたらしい。サジが着ていたチュニックを捲くると、仄かに赤くなっていた。
降り立とうとしたアロンダートの目の前に大蛇が倒れてくる。土煙に視界を遮られながらナナシを抱きしめると、くい、となにかに引かれるようにしてエルマーが引っ張り上げられた。
「ぉわ、っ…!」
「ひ、っ」
ずり落ちそうになるナナシを抱き込んだせいで腹に響いたらしい。まるで投げ捨てられるようにむりやりアロンダートの背から引き剥がされると、エルマーはナナシを抱きながら地面を滑った。
「い゛…ってぇ…」
「え、ぅ…っ…」
「ナナシ…、っ…」
ごぽ、と衝撃に耐えかねてナナシが嘔吐する。顔が白い、サジが駆け寄ってくる姿を横目に、エルマーはナナシを後に仁王立ちすると、土煙の向こう側にいるであろう不届き者を睨み据えた。
後ろで蹲るナナシにサジが駆け寄る。エルマーはそれを見届けると、待ってられないとばかりに土煙のなかに飛び込んだ。
インペントリの中にいれっぱなしの大鎌が惜しい。エルマーは短剣片手に飛んできた針のようなものを剣の腹で跳ね返しながら一気に距離を縮めると、黒いターバンのようなもので顔を隠す男に飛びかかった。
「首寄越せコラァ!!」
「っ、」
カキンという金属の鋭い音がした。長剣の上をエルマーの短剣が火花を散らしながら滑る。目の前に迫った短剣を弾こうと剣の型を変えた隙きを狙って、エルマーが下から不意打ちを食らわせるようにしてその首を鷲掴かんだ。
「が、っ…く、そ」
「ああ!?」
ぎり、と腕の血管が浮くほど締め上げたはずだった。しかし足を振り子のようにしてエルマーの腕を一気に下にもっていったかと思うと、猿のようなアクロバットでエルマーを投げ飛ばした。
「どわ、っ…ぶね、」
「おまえ、あの時の赤毛!」
「てめえ、城で逃げた覆面野郎か…」
地面に降り立つと、慌ててかがんだ。毒針のようなものを飛ばしてきたからだ。エルマーの既知感は誤りではなかったようで、あのときに蛇をけしかけて来た男だった。
「邪魔をするな。俺はやることがあるのだ!」
「はあ!?てめえの方こそ邪魔してんだろうが!!」
「もう一度毒で眠らせてやろうか。」
「人のもん傷つけといて生きて帰れると思うなよ。」
2度目の邂逅だというのに、まるで仇にあったかのような昂りを覚えた。なにが目的なのかは知らない。知りたいとも思わない。エルマーが目の前の男を倒す理由は唯一つ。
「え、…る…っ」
サジによって腹に治癒術をかけられたナナシが、掠れた声で名前を呼ぶ。
背中でその声を受け止めながら、一気に地べたを蹴った。
「おい、マルクス!サジたちは後から向かう!エルマーが足止めしている今のうちに、城へと向かえ!」
「える、のとこ…いきたい…」
「馬鹿者。あんな奴に負けるか。というかお前は腹を痛めたのだから休めと言うに。」
「うぁ、…」
サジの言葉を聞いたマルクス達が、慌ててグレイシスの部隊の周りを囲むと城に向かって駆け出した。
あの刺客が何を目的としているのかわからない今、ともかく拘束しないことにはお話にならない。ちらりとエルマーを見ると、もはや殺す気満々で襲いかかっていた。
しかし力は拮抗しているようで、相手もなかなかの手練だ。粗野なエルマーの体術に比べると、相手は訓練されているような気配がした。
押されているわけではないが、互いに引けないのか広いフィールドで土煙を立てながらぶつかり合う。
「左側、だな…!!」
「っ、」
エルマーが体をひねって叩き込んだ一撃を受け止めると重い蹴りの一撃がエルマーの左脇腹にめり込んだ。けほ、と小さく噎せたエルマーに、にやりと笑う。嫌な笑みだった。
「っ、調子のんなクソガキ!!!」
「な、っ…!!」
握りしめた砂を顔面に浴びせて怯んだ隙にがしりと足を腕で固定した。顔の防御の為に持ち上げられた腕をがしりと掴む、はっとした顔で目があった額はがら空きだ。そこを見逃さなかったエルマーが勢いよく頭を振り下ろして頭突きをした。
「ーーーーーーっ、!!!」
ゴッ、まるで鉄のハンマーで殴られたのではないかというくらいの衝撃とにぶい音が脳に響く。まともに食らった男が息を吐き出すと、がくんと崩れ落ちた。
エルマーはというと、頭から血を流しながら男の腰に跨ると、勢いよく拳を振りかぶった。
「やめろ。もう気絶している。」
殴り殺そうとしたエルマーの拳に込めた殺意を止めたのは、転化をといたアロンダートだった。
背後でぐすぐすと鼻を啜る音がする。エルマーは瞳孔の開いた眼で振り向くと、サジにもたれかかりながらエルマーに手を伸ばすナナシのもとに歩み寄った。
「うわ、顔やばいぞ。全く、わんぱくがすぎるだろう」
「ナナシ、」
「ふぁ、える…える、ぅ…っ…!」
顔をぐしゃぐしゃに涙で濡らしながら、エルマーの首に縋り付くように抱きついた。エルマーの頬に、涙で濡れたナナシの頬が擦り寄る。ひぐひぐと泣くナナシの髪を梳くように撫でながら、エルマーは無言できつく抱きしめた。
「なんというか、エルマーもそんな顔するんだなあ。」
「本当だ。見たこともない顔をしている。」
「…こっち見んじゃねえよ…。」
サジとアロンダートが感心したように見つめてくるのが嫌だ。こっちはやり過ぎて頭割れたんだがと言ってやろうとしたが、ナナシがぺしょりとエルマーの口端の痣を舐めてくれたので、なんだかもういいやという気持ちになる。
ナナシが怖い思いをするのが嫌なのだ。エルマーは己の腕ががちがちに抱き込んだまま離せないことを知ると、誤魔化すようにナナシの肩口に顔を埋めた。
「サジ、あいつ拘束しといて。」
「へいへい、まったくうちのボスは駄々っ子で困る。ばぶちゃんか。」
「仕方ないだろう。番が傷付けられたのだ。今はやむなし。」
二人して好き勝手言うのを聞きながら、アロンダートの番いという言葉がやけに耳に残った。
今はもう、後ろで倒れ込んだ男を気にしているどころではない。
エルマーはナナシの白い手が額に触れ、治癒を施してくれようとするのを止めさせる。
「ち、いたいの…やだでしょう…?」
「だめだ、お前のが大切だ。俺の言うことを聞け、ナナシ。」
いつものエルマーの口調ではない。自分の迂闊さでナナシを危ない目に合わせたという事実が、エルマーの中で消化しきれないままだったのだ。
「ひぅ、…っ…でも、っ」
「だめだ。」
「うぅ、…」
金色の瞳に涙を溜めながら、ゆるゆると手を下げる。エルマーに駄目と言われると、ナナシは悲しくて仕方がない。それがエルマーを思っての行動でも、だめと言われたら治すこともできない。
ナナシの中で、エルマーは絶対だ。それだからこそ、役に立たないと言われているような気がしてしまった。
「馬鹿者。」
「っ、…」
パコンとサジがエルマーの怪我をした頭を叩く。ぐわんと揺れる視界と痛みに顔を歪めて耐えると、呆れた顔をしたサジが続けた。
「守れなかったのは、貴様の手落ちだ。いくら心配だからといって、怪我人のナナシに八つ当たりするものではない。」
「八つ当たりなんかしてねえ!!」
「ほう、なら素直に治癒をしてもらえばいいのになあ。エルマー、お前そういうところがまだガキのようである。」
「てめえ…」
ギロリと睨みつけると、サジは馬鹿にするように鼻で笑う。エルマーだって、ナナシが危ない目にあったのは自分のせいだと自覚しているからこそ、悔しかった。
腕の中のナナシが、その白い手で零れる涙を拭う。エルマーは、ようやくナナシが泣いている理由が怖かったからだけでは無いことに気がついた。
「…わりい、」
「な、…ななし、は…っ、…つ、つよく…なぃっ、から…っ…」
「ちげえ、なんつーか、その」
ひっく、と耐えきれずに嗚咽が漏れた。離れたくなくて、寂しい思いをしたくなくて、そんな心の傷がしくしくと音をたてるから、ナナシはせっかく我慢をしていたのに、エルマーに謝られると簡単に箍がはずれてしまう。
「い、いらな…っ、…いらな、いって…いわな、いで…ぇ、っぅ…あ、ぁあー···っ、…っ…」
「悪い、悪かった。いらねえなんて言うわけねえ、こんな大事にしてんのに、なあ泣くなって…」
「ひぅ、あ、あー···、え、える…っ、ひ、ひとり…やだよ、う…ふぁ、あっ…!」
顔を真っ赤にして、ぼたぼたと涙をこぼす。あんな怖い思いをしておいて、自分のことを二の次にしたのが許せなかっただけなのだ。
エルマーの胸元を涙で濡らしながら、小さい子のようにわんわんと泣く。
ああ、情けない。エルマーは、ナナシを大切にするとのたまった口で傷つけた。
エルマーは細い体を抱きしめながら、なんて言ったらいいか、わからずにいた。
好きなやつが泣いているときこそ、かけてやる言葉があるのだろうに。いざその場面が来ると、笑えるくらいエルマーは言葉が出てこなかった。
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