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「ニアは、最初からニアだ。ナナシも、最初からナナシなのか」
「ううん、さいしょはこれだったけど、えるがね、ナナシってよんでくれたんだよう」
「なるほどなー。それは愛。まぎれもないな。ニアにはわかる。童貞臭いレイガンには難しいだろうが。」
「おい、いつ俺が童貞だといった。そんなもの、とっくに捨ててきたわ。」
レイガンに連れられて、四人はのんびりと屋敷をでて城下までやってきていた。先程からニアとナナシは打ち解けたようで、ご機嫌にナナシの首に巻き付きながらやり取りをするものだから、拗ねたギンイロはエルマーの頭の上でご機嫌斜めだ。
「どうてい?」
「童貞。それは男として経験が浅いことを言う。童貞を捨てるとは、その経験をへて一回り成長することだ。」
「ふあ、ニアすごい。ものしり。ナナシもどうていをすてたい。ナナシは、どうてい?」
「おいコラナナシになんつーこと教えんだ。ナナシもんなこと気にするこあねえ!」
シュー、とからかう様に憤るエルマーの鼻先をちろちろ舐める。この蛇はなんだか婀娜っぽくてだめだ。エルマーは飼い主しっかりしろと言わんばかりにレイガンの方を見ると、疲れたような顔で歩いていた。
「すごい。サジはまじもんの水神と喋るのは初めてだ。こんなにフランクなものなのか」
「サジ、私が特別なのだ。これは得がたい出会いだ。レイガンもいいことをする。ニアにたくさんのハーレムを与えてくれるとは。」
「ハーレムじゃねえ、パーティだ。ニア、お前は少し節度を持て。」
「こんなに良いオスがたくさん。ニア、嬉しくて脱皮しそう。」
つやつやとその肢体をサジに移動させると、ご機嫌にちろちろと頬を舐める。蛇だからいいが、これがひとなら完全にスケコマシだ。
道行くすれ違う人にはニアの声が聞こえないらしいが、せわしなく人と人の間を行きまどうニアの妙な行動を、面白そうに見つめていた。
「ついた。ここ、ニアの現地夫がいる。今いる、珍しい。誰か死んだかな。」
「ここ、…」
シューと音を立てながら、エルマー達がついたのはアランの眠る墓地だった。
ニアはしゅるしゅると地べたに降りると、器用に木に登っていった。墓地の端では今まさに棺が埋められており、遺族だろう黒服をまとった者たちが喪に服していた。
「こっちだ。あいつならきっと、教会の裏にいる。」
レイガンに連れられて、四人はそこに向かった。ジルガスタントからの潜入者がいるのだ、四人は少しばかし警戒をすると、連れてこられた教会の裏手側。黒塗りの葬儀用の馬車が止まっていた。
「む?」
「サジ、どうした。」
「…いや、なんだか既知感が…」
眉間にシワを寄せながら馬車を怪訝そうに見つめるサジに、アロンダートが不思議そうな顔をする。エルマーは頭にギンイロを乗せたままナナシを背に隠すと、腰のホルスターに手をかける。
ギィ、と馬車の扉が開いて、革靴の音を響かせてシルクハットを被った男が出てきた瞬間、サジが目を見開いて悲鳴を上げた。
「あああああああ!!!!」
「エルダっちゃぁああん!!!」
やけに貴族じみた男は、サジをエルダと呼ぶと満面の笑みで距離を詰めた。青ざめるサジが避ける間もなくキツく抱きしめ、尻を鷲掴む。
「に、肉豚!!おまえ、なんでここにっ!!」
「すーーーーはーーーー!っ、んん、籠の中の僕のかわいいハミングバード、はああ、君が僕のことを忘れてしまうのではないかと、肉豚は毎晩枕を濡らしていたよ!!!」
「ひあーー!!嗅ぐな馬鹿者!!なんでお前がここにいるのだっ尻を揉むなああ!!」
肉豚。エルマーもナナシも、彼とは会ったことがある。といっても喋ったことはないのだが、もしかしたら、最初から彼はエルマーを値踏みしていたのかもしれないと思うと、なんだかむかっ腹が立ってくる。
顔を顰めるエルマーの横を通り過ぎて、抱きしめ頬擦りされているサジを助けたのは、アロンダートだった。
「やめてくれないか。彼はもう、僕のものだ。」
「む、君は?」
「ダートだ、こちらにおいで、サジ。」
「うひぃっ!」
変な声を上げてサジが慌ててアロンダートの腕の中に逃げる。名残惜しそうな顔でそれを見送った肉豚は、レイガンに頭を叩かれて窘められている。
「ジクボルト、お前は本当に問題しか起こさないな!彼らは協力者だぞ!」
「なにい!?エルダちゃんが協力者あ!?ああっ、やはりこの世は捨てたもんじゃない!!さあさ、馬車の中で話そう!!僕がジル、」
「でかい声で言うな馬鹿者が!!」
「あいてー!!」
ばこんとレイガンに再び頭を殴られる。肉豚改めジクボルトは、なんとも憎めないキャラクターのようだった。えへえへと照れたように笑いながら、ギィと音を立てて馬車の扉を開く。
恭しく手で入室を促す先は、空間魔法がかかっているようだった。
「まったく、もうサジは何が起きても驚かぬ。ほら、入ろうエルマー。馬車の中から部屋に繋がっているのだ。」
「ふむ、なんでサジがそんなことを知っているのかは、後で体に聞くとしよう。」
「うぐっ」
にこにこ顔のアロンダートが、若干ではあるが珍しく怒っているようだった。サジの腰を抱くようにしてその中に入り込む。エルマーも、ナナシの手を引くとその縁に足をかけたときだった。
「やあエルマー、あの時ぶりだね。僕はきちんと見守っていたよ。」
「…そりゃ、どーも。」
くい、とシルクハットをずらして悪戯っぽく微笑む。お陰様でエルマーの警戒心は一気に高まった。渋い顔をするレイガンに見送られながら中に入ると、馬車の中は笑えるくらいに広々とした屋敷の中へと繋がっていた。
「頭いいだろう僕!!馬車による、移動式住居さ!!ようこそ僕の秘密の屋敷へ!!」
室内はアプライドモールディングの重厚な扉に繋がっていた。瀟洒な室内に、アカンサスの装飾の柱。ブルボーズの脚がついた重厚なテーブルには燭台が置かれ、ゴブラン織りのソファには、タッセル付きのクッションが乱雑に置かれている。重厚な室内ではあるが、上を見上げると魔物のホーンの角で作られたシャンデリアが飾られていた。ウォールナットマホガニーで出来た暖かな質感の家具が幅をきかせ、なんだかわけのわからないガラクタのような置物も乱雑に置かれている。
室内は、ちぐはぐでいてまとまっていた。城とは違うなんとも不思議な空間に、ナナシは目を輝かせて喜んだ。
「ふわあ、すごい…あし、ふかふか。」
「それは雪鹿の毛皮だ!立派だろう、これだけの雄を狩るのには苦労した。」
自慢げに語るジクボルトの横をレイガンが通り抜けると、立てかけてあった絵画を退かして金庫をあらわにした。
ジクボルトは悲鳴を上げながらレイガンに駆け寄ると、腰に抱きついて取りすがった。
「ひゃあ!!なんてことをするんだいっ!!まだ本題には早いだろう!?龍玉はきちんと僕が持っているから、頼むからもう少し自慢させてくれないか!!」
「お前の話はながい!お気に入りの家具の自慢がしたければ、さっさと本題から話せ!!まずはお前が敵では無いことを、エルマーに証明しろ!!」
「うう、相変わらずレイガンは早漏野郎だ!仕方ない、たしかに時間は有限だ。むむう、証明、証明かあ…」
なんだかよくわからない黒焼きのトカゲのようなものがいくつも入っている趣味の悪い瓶の中身を覗き込んでいたエルマーは、龍玉という言葉に振り向いた。
「あ?なんでてめえが龍玉もってんだ。」
「そりゃあ、だって僕は王室お抱えの葬儀屋ですからねえ。先代の王が崩御されたときに、ちょちょっとかっさらってきました。」
「ちょちょっととは…」
アロンダートが眉間にシワを寄せた。国宝を簡単に盗まれるような警備にはしていないと記憶していた。しかし、先代が崩御し城内がバタついていたにしても、恐ろしく手際が良さそうだ。
ジクボルトはニッコリ笑うと、バサリと着ていたマントで体を覆った。
「ばあーーーん!!」
「は、っ…!?」
陽気な声とともに現れたのは、ダラス本人と見間違うほど良くできた顔だった。
思わず絶句していたエルマーだったが、よくよく見ると、似てはいるが顔が違う。ぱっと見の印象は間違いなくダラスなのに、まじまじと見ると他人だ。なんとも不思議な現象に、エルマーは頭が痛くなりながらぎろりとジクボルトをみた。
「こわいこわい!なあに、単純なことさ!ぱっと見の印象で似ていたら誤解されるだろう?僕は葬式の日に、この顔で喪服を着て潜入したってわけ!」
「へんな魔法でも使ってんのか。」
「御明察!認識阻害と撹乱の魔法を組み込んでいる。この顔面はデスマスクさ!」
「デスマスク…?」
聞き慣れない言葉に、エルマーは首を傾げた。サジはなんだか知っているようで、おえっという顔をして後ずさる。
「この変態性癖め、また死人の顔を弄ったのか。」
「死化粧だよエルダちゃん!このぼくにかかれば、スプラッタでも元に戻す!僕は葬儀屋で芸術家で、そしてジルガスタントの神父でもあるのさ!」
「よく言う、死人いじくり回して破門されたくせに。」
べえっと舌を見せて嫌悪感を顕にしたサジの言葉に、エルマーはサジが引くくらいのやつがいるのだと感心した。
レイガンの話によると、ジクボルトの使うデスマスクとは、まさにそのままの意味合いのようだった。死体の顔を残すために石膏で固めたものではなく、身寄りの無い遺体や犯罪者の死体の顔を整形したものを使う。文字通り、人が人の皮を被るのだ。
あまりに不道徳な行いに、ジルガスタントの教会がジクボルトを破門した。
ベロンとダラスに似せたマスクを外したジクボルトは、うっとりとした顔でそれをマントの中に仕舞うと、まるで恋人を想うかのような甘やかな顔で言った。
「ダラスのマスク…ああ、いつかこんな偽物じゃなくて、本物を手に入れたいものだねえ…」
「ジクボルト、茶番はいいから早く本題に入れ。」
「おっと僕としたことが。」
ナナシはジクボルトの話に怯えたようにずっとエルマーの背に隠れていた。たしかに、気持ちのいい話ではない。
レイガンは申し訳無さそうな顔でナナシを見ると、エルマー達にひとまず座るようにと席を勧めた。
そんな周りの空気など物ともせず、ジクボルトはというと金庫から青色の水晶のような物を取り出すと、まるで勿体ぶるかのようにそれをテーブルに置いた。
「さてさて、皆様お待ちかねの龍玉だよお!さあさ、そろそろ奴さんも苛立っているはずさ。何故なら、龍玉も目玉も、今は自分の手元から離れてしまっているのだから!」
「ジクボルト。」
「おっと、すまない。僕はどうも自慢したがりでねえ、レイガンが怖いからさっさと言うよ。」
やれやれといった具合に肩を竦める。ジクボルトは龍玉を転がしてエルマーの目の前に移動させると、手のひらで触れろというように、大袈裟に勧める手振をした。
「…、ーーーーーーっ!!!」
恐る恐るその珠に手を触れた瞬間、エルマーの体はびくんと強張った。恐ろしい程の魔力の奔流が手のひらを伝って左目に呼応するように流れ込む。
ガクンと弾かれるように背を仰け反らせると、大きな音を立てて倒れた。
「エルマー!!!」
遠くで、ナナシが悲鳴を上げる声がした。眼帯の奥で、左目がエルマーの意思に反してめちゃくちゃに動き回る気配がする。あまりの不快感と気持ち悪さにごぽりと吐き戻すと、手の指の先からどんどんと体温が奪われて行くのが分かった。口から、間延びした細い声が漏れる。
脳が焼けるのではないかと思うほどの頭痛が襲い来るのに、もう体は動かない。だらしなく口端から唾液を溢し、鼻血と吐瀉物で床を汚した。顔色が真っ白になると、くるりと右目が上を向いてついには動かなくなった。
「える、ま…っ、…!!」
目を見開いたナナシな、はくりと喉を震わせ膝から崩れる。ヨロヨロと四つん這いでエルマーに近づく様子に我に返ったサジが、ぶわりと魔力を高めてジクボルトに飛びかかった。
「死ね。っ、」
コロコロと床を転がる龍玉をジクボルトが拾い上げると、軽々とサジの鎌鼬を霧散させる。そのままサジの手を掴んで引き寄せると、後ろから首を狩りにきたアロンダートの獣化した脚に驚きながら、慌てて頭を下げて避ける。
「ひゃあ!!やめてよ怖いじゃないか!!」
「貴様、っ…!!」
「うわあ、ちがうちがう!!エルマーは死んでないってええ」
レイガンの掌底もサジを抱き上げたまま避けると、ジクボルトは弾みで飛んだハットを慌てて掴んでから頭に乗せる。
エルマーに取りすがって泣いていたナナシが、ゆるゆると顔を上げると、その言葉に反応した。
「おわあ、もうびっくりしたよお。エルマー君は、今邂逅しているんだ。まあ、僕が話そうと思ったけど、見たほうが早いかなあって。」
「邂逅?」
「そう、まあ僕の想像があっていればだけどねえ。っ、たぁあい!!」
「死ね!!!!」
そういうと、ジクボルトはそっとサジを開放する。勢いよく頬をはたかれた。
頬に赤い紅葉を張り付けながら、くすんと情けなく涙を拭うふりをすると、ひょこひょことエルマーの前にしゃがみこむ。
そっと前髪を避けて眼帯を外すと、エルマーの龍の金眼は見開かれたまま、目の周りを赤く焼け爛れさせていた。
「ええっ、金眼が馴染んじゃってるじゃん!!なんでもっと早く言わないのさ!」
「お前が話をする前に龍玉を渡したのだろう!!エルマーは大丈夫なんだろうな!?」
レイガンはジクボルトの胸ぐらを掴むと、ギョロギョロと動き回る金眼の魔力に慌てて仮面をつける。ジクボルトはたっぷり悩んでから、多分とつけくわえた。
「ずっと不思議だったんだよねえ。彼をあの時始めてみてから、よく体が壊れないなあって。」
「なにがいいたい…」
「だって、龍の金眼は聖属性の塊だよ?それが安定してるってさあ、もうそれが答えだよね。」
全て、必然だってこと。ジクボルトはそう呟くと、焼け爛れたエルマーの左目を優しくひと撫でし、泣いているナナシの顔に手を添えて上げさせた。
「金眼は主を呼ぶんだよ。ナナシ、君が本当の持ち主だろう。」
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