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ぐすぐすと鼻をすする音が室内に響く。手を繋ぐようにして呼吸を止めた二人のそばで、サジが龍玉を抱きしめながら蹲っていた。 「っ‥も、もういやだ…っ…、さ、サジもいく…っ、ふ、ふたりに…っ、ふたりのとこに、いく…!!」 「エルダちゃん、それは駄目だ。これは二人に与えられた試練と同じだ。それを君が邪魔することは許されない。」 「このっ…、肉豚!!!貴様が…!!貴様がエルマーに龍玉を、わたさなければ…っ、」 ジクボルトの言葉を聞いたサジが、涙目で睨みつけた。いやだった。二人が目の前で危険な状態なのに、なにも助けられない自分が、何よりも嫌だった。 「言ったろう、全ては必然だと。左目が龍眼になってなければ、あの龍玉だって反応しなかったさ。」 びきり、サジの胸の中で、再び龍玉に罅が入る。エルマーとナナシが眠りについてから既に数時間。記憶の旅は難航しているようで、美しい色をした珠に罅が走ったのは、これで2本目だった。 「あ、あ…また、しんだ…?っ、ナナシ…ナナシ…!!」 「サジ、落ち着け。今は辛いだろうが、待つしかないと言われたろう。」 アロンダートがサジの肩を抱き寄せる。涙で顔を濡らしたサジが、ふるふると首を振る。罅の上に手のひらを添え、無駄だとわかっていても治癒術は止めなかった。 ウルル、とギンイロが喉を鳴らす。その銀の大きな体で囲むように二人に寄り添ったギンイロは、その緑色の美しい瞳から涙をこぼした。 「エルゥ、ナナシモ…マリョク、ヨワヨワ…」 「ギンイロ、」 「ハヤクオキテ、ナデナデシテェー‥」 ふんふんと口吻でエルマーの髪を掻き分けるように撫でる。べろりとナナシとエルマーの顔を舐めると、しょんもりと耳を伏せて落ち込んだ。 レイガンは、その光景を口を噤んで見つめていた。 守るといった。その自分が仕方ないとはいえ、こうして二人を危ない目に合わせている。 何時のまにか戻ってきたニアが、服の間から顔を出す。 「ああ、これは酷いなあ。エルマーの魔力が揺らいでいる。」 「ニア…」 「レイガン、お前も酷いことをする。エルマーの精神がもつのか、気にしておくべきだった」 紫の瞳は、感情を見せない。シューという吹き抜けるような音をたてて、ニアはしゅるしゅると下に降りる。龍玉を抱きかかえて泣いているサジの元に向かった。 「治癒をやめろ。そんなことをしても罅は消えない。」 「ぐす、っ…いやだ…っ」 「ああ、ほら。そんなことをするくらいなら、つながりを辿れ。」 ニアの言葉に、サジの目が見開かれる。まるで思い至らなかったらしい。慌ててサジが集中すると、エルマーとの繋がりを探るように魔力の糸をたどる。 細くなったそれは、今にも千切れてしまいそうで、サジは慌ててエルマーの手を握ると、それを補修するように魔力を流した。 ふ、と消える。サジの流した魔力が霧散する。 まるで、それではだめだと言われているようだった。 「いやだ…!!おまえ、ナナシまでサジから取り上げる気か!!エルマー!!うう、う…っ、」 馬鹿野郎、結局サジが心配していたことは起こってしまうじゃないか。 サジは二人が好きだ。大好きだ。口では適当なことを抜かしているが、その馬鹿みたいなやり取りを気に入っていた。 寂しいのだ。サジを仲間に入れてくれて、アロンダートに出会わせてくれた。気恥ずかしくてまだありがとうだって言ってない。気分が乗れば、そのうち言ってやるつもりだったのに。 「ぐす、っ…さ、さじは義理堅いんだぞ…っ、おまえ、ら…っ、拾ったのなら…最後までサジの面倒を見ろばかものお!!」 ぼたぼたと涙を溢しながらサジが叫ぶ。ぴしりと罅は拡がって、サジはそれが悲しくて、罅を隠すようにして手で抑える。 ぱき、ぱきき、と手のひらの下で広がるその音を聞きながら、サジの足元に龍玉の破片が散らばる。 「ひ、や、やだ…いやだあ…!ナナシ、…エルマー‥!!」 蜘蛛の巣のように罅が玉を包む。パリンという音がし、その形がサジの手の中で崩れた。 ひ、と小さく息を詰める。ああ、うそだ…。 認めたくなくて、ふるふると首を振る。 そんな、そんなまさか。 サジの涙がぽつりと落ちる。その時だった、 「……っ、…いてて…背中いてえ…」 「んん、う…、…」 身動いで、エルマーが欠伸をしながら起き上がる。 腹筋の力だけで身を起こすから、胸に突っ伏していたナナシも一緒に顔を上げるはめになった。 ぼりぼりと頭を掻きながら、顔を上げる。ぽやぽやしているナナシの人外の姿を見て、夢じゃなかったことを悟ると、エルマーはナナシの耳を巻き込むようにしてわさわさと頭を撫でた。 「あー‥しんど、って…、」 「……………。」 「サジ、なんで泣いてんだ。」 エルマーが涙と鼻水でべしゃべしゃなサジの顔を見て怪訝そうな顔をする。目を丸くして驚いたのはサジだけではなく、アロンダートもレイガンも、鼻の頭を真っ赤にして二人を見つめていた。 ふるふると頭を振り、寝ぼけた思考を投げ捨てたナナシは、くるりとサジをみるとびっくりした。 「はわ…、さじ!」 「なな、し…」 わたわたとサジの元へいくと、泣き腫らしたサジの顔を両手で包んで涙を拭う。戸惑った顔で、心配そうに見てくるナナシの顔を見ていたら、サジはまた泣けてきた。 うりゅ、とラブラドライトの瞳からぼろぼろと涙を零すから、なんだかそれが可愛そうで、サジの頭を撫でながら、ぎゅうと抱き締める。 「サジ、かなしいのかわいそう、サジはいいこ。ナナシは、サジがだいすきだよう…なかないでえ…」 「うう、う…え、えっ…ひう、あ、あー‥!!」 「はわ…」 ぶびゃあっと小さい子みたいにエーンと泣き始めたサジにどうしていいかわからず、ぎゅうと抱き締め返されたまま、ナナシは必死で宥めすかした。 エルマーはというと、見たこともないサジの様子をぽかんと見ていたら、急に視界が遮られた。ばくりとギンイロがエルマーの頭を齧ったのだ。 「うげえ!!生臭え!!」 「ウウウ、シンパイシタ!!エルマーワルイコ!!バカ!!バアアアカ!!」 「ぶわっよ、よだれ!!うぎゃあ!!飲み込もうとするんじゃねえ!!」 ギンイロの分厚い舌にベロベロ舐められ、あぐあぐと甘噛みをされる。エルマーは食われるんじゃないかとひやひやしたが、ギンイロの口の中が生臭すぎて早く出してほしかった。心配をかけたのは悪かったが、なんてひどい仕打ちだと思ったのだ。 ようやくギンイロから体を吐き出されたエルマーが、涎まみれでぐったりしていると、バサリと音がした。 「え。」 なんだと思って顔をあげると、アロンダートががぱりと口を開けてエルマーの頭を加えた。二度目である。 「なんでおまえまぅぇぶっ」 「ウルルル」 「ウルルじゃぇ、ぉぶっ、鳥くせえ!!」 ベチャッと顔面を猛禽の鋭い嘴から出された舌で舐め上げられ、ぞわわっと身を震わす。 足で体を床に押さえつけられ、再び参戦してきたギンイロと伴にベロンベロン舐め回されすぎて、もう濡れていないところなどない。 ナナシはサジによって抱きしめられながら、顔中にキスを降らされ、エルマーは転化した二人…二匹によって手厚い洗礼を受ける。おろおろしたレイガンが、ニアと共にエルマーの方に行こうとしたので流石に止めた。 「定員オーバーだあ!!おまえまでくるなあ!!」 「お、おう…すまない、とりみだした。」 「ビューティフォー!!可愛らしい小鳥たちの魅惑の園に、このジクボルトも参加させてくれえ!!」 「ジクボルトォ!!てめえはこっちだあ!!」 「さっき定員オーバーだと言っていなかったか!?!?」 サジたちのほうにいこうとしたジクボルトをアロンダートが鷲掴かむ。 レイガンもやれやれといった顔で舐められまくっているエルマーの元に向かうと、その顔にハンカチを落としてやった。 「お気遣いどぉもお」 「心配した。」 「おう。でも俺悪くねえよな?」 「そうだな、ジクボルトが悪い。」 そのジクボルトはというと、ギンイロが上半身を口に入れてぶんぶんと振り回しているのに、なんだか楽しそうに高笑いをしていた。 「濡れた男もいい。エルマー、肌がすけてとってもやらしい。」 「お、スケベ蛇。おまえの水で汚れ落としてくれや。」 「いいよ。ニアがエルマーをびしょびしょにぬらしてあげる。」 「言い回し嫌なんだけどお!!」 ばしゃりと水をかけられ、諸々の汚れを洗い流す。ジクボルトの隠れ家の床が偉いことになっていたが、これは迷惑料だと思って無視することにした。 「ひう、エルマー‥サジがなきやまないよう…」 「あー‥」 顔中にサジのキスマークだらけのナナシが、ひんっ…と泣きそうだ。サジがあまりにも泣くから、もらい泣きしたらしい。 エルマーは濡れた服をべしゃりと床に投げ捨てると、ニアが大喜びでその体に絡みついた。無視をしたが。 「サジ、もう泣くな。ナナシまで泣いちまう。」 「うう…エルマー‥」 「なんつーか、悪かったな。」 ナナシの頬に頬をくっつけながら抱きしめるサジが、恨めしそうにエルマーを見やる。 「…臭い。」 「かっ…わいくねえ…!」 すんっ、と鼻をきかせたサジが、そんなことを言う。エルマーはひくりと口端を引き攣らせると、泣き顔のサジがムスッとしたままがしりとナナシの頬を掴んでその唇に口づけた。 「あ゛!?」 「んぅ、」 ちゅむっと甘く吸い付いて唇を離す。ぺろりと唇を舐めると、サジの目から火花が散った。エルマーがサジの頭を叩いたのだ。 「何してんだクソビッチ!!」 「ヒギャッ!!うわあああん!!エルマーがサジ殴った!!良いではないかこれくらいっ!!お前らをどれだけ心配したとおもっている!!ばか!!ばかやろう!!ちんこ腐ってしんでしまえ!!」 「心配したっつった口でちんこ腐って死ねとかいうなばああか!!」 「エルマーのケチ野郎!!ナナシの体を独り占めしておいて、キスくらいなんだというのだ!!よかろう減るもんじゃないし!!エルマーなんてアナル調教されてメス落ちしてオスとしての尊厳を失ってしまえばいいのだばああか!!」 「具体的すぎて嫌だわ!!俺は尻で抱きたくねえ!!ばああか!!」 ばこんとまた打つものだから、サジはまたぶったああと大騒ぎだ。ナナシはというと、頬を染めて口元を押えながら、はわ…となっていた。 元に戻った苦笑い気味のアロンダートが、よしよしとナナシの頭を撫でる。 「サジはきちんと、君のことが大好きで心配だったようだ。僕が嫉妬するくらいには泣いていた。」 「あう…うれしい…」 「さっきのキスも、見なかったことにしておくよ。」 アロンダートは肩をすくめると、がみがみといがみ合う二人の元に向かうとサジを引き剥がすようにして抱き上げた。 「のわぁっ!!な、アロンダート!なんだ急に!」 「二人は戻ってきた。いい加減、僕にも構ってくれないか。」 「おーおー、さっさとしけ込め。俺ぁナナシと風呂入りてえ。ジクボルト!風呂貸してくれ!」 「まあもうこんな時間だしなあ!今日はここに泊まっていくといい!」 エルマーはギンイロの尻尾でゴシゴシと顔の汚れを拭うと、ナナシをひょいっと抱えてジクボルトの案内で浴室へと向かった。 レイガンがなんとも言えない顔でため息を吐くと、握りしめた本をテーブルに置いた。 「ああ、なつかしい。長が記したものじゃないか。」 「本当は、これを読んでほしかったが…まあどうやら出番はなさそうだ。」 「エルマーの魔力は完全に同化していたぞ。あれはもう雄の龍だ。いいなー、あれが一途ってやつかぁ。」 「ああ、人を辞めたのか。なんというか…」 レイガンが手にしていた本は、北の国の長がずっと大切にしてきた真実だ。 この本は、災禍の邪龍の真実の顔が画かれていた。これは、死んだ後に起こった歴史と、邪龍として呼ばれるようになった理不尽な理由。 レイガンは、これを託されていたからこそ、ナナシの事を守ろうとした。 始まりの大地にある窪地に、陣が発動した形跡が合ったのだ。ジクボルトが、人知れずに金眼を国に持ち込んだと言う青年のことを知っていたからこそ、もしかしたら生まれ直しが行われたのではと疑った。龍を目覚めさせてはいけない。そう書かれた一文をなぞる。 ーもし、目覚めたら。護ることにだけ徹せよ。 長が言っていた。もう、亡くなってしまったが。 「目覚めることで、一体何が起きるんだか…俺にはまだわからない。けど、」 美しい色をした人外。あの純粋な心は、護るべきものだ。 「そのうち理由がみつかるさ。野暮に探すと、蛇に噛まれるぞ。」 「お前が言うと、しゃれにならん。」 「うふふ、やぶ蛇だからなあ。」 ニアが楽しそうに笑う。レイガンはなんとも言えない顔をすると、疲れたようにソファに腰掛けた。

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