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「エルマー。お前、亡霊を信じるか。」
エルマーはジルバの言葉に眉間に皺を寄せる。そういえば前も訳のわからぬことを宣っていたのを思い出したのだ。
「お前、前もそんなこと言ってたよなあ。」
以前とは違う輝きを有するエルマーの金眼に、ジルバはそっと手を伸ばした。左眼の魔力は、確かに人が保有するにはあまりある強大さを秘めていた。ジルバは開いたなんの変哲もない指南書をパラパラと捲ると、一部分が千切られた箇所をそっとなぞった。
「これは、城の書庫に眠っていた禁書だ。」
「禁書?」
この男に、そんなところによく入れたなだなんて問いかけても無駄だということは、エルマーは長い付き合いできちんと理解していた。
「触れても構わないだろうか。」
難しい顔をしたレイガンが問いかける。ジルバは手だけで触れることについての許可を与えると、酷く傷んでいるその禁書を恐る恐る手に取った。
レイガンの紫の瞳が光を帯びる。ジルバはほう、と感心したように呟くと、喉奥で笑った。
「エルマー。お前の下には随分と物珍しい者たちが集まってくるなあ。」
「うるせえなあ。お前だって似たようなもんだろうが。」
ケッと吐き捨てるエルマーに、少しだけ面食らう。こいつは俺のことも仲間のうちだと認めているのかと思ったのだ。ジルバの中のエルマーは、あくまでも協力者だった。だからこそ表情には出しはしなかったが少しだけ気恥ずかしい思いをした。
そんな微かなジルバの変化は、残念ながらエルマーは見ておらず、集中して本を見つめていたレイガンの詰めていた吐息が解放される音を聞き取ると、ちらりとそちらを見た。
「レイガン。」
「ああ、これはおそらく、建国時のものだろう。」
「ほお、んでその骨董品を見せびらかすってんじゃあねンだろう?」
「その部分、一体何が書かれていたと思う。」
「まだるっこしい駆け引き、したくねえンだけどお。」
面倒くさそうな顔をしたエルマーが、左目でそれを写す。瞳の奥の虹彩がきらりと星屑のような輝きを溢す。
あの時過去を遡った時のように、その瞳が熱を持つ。微かな痛みに顔を歪めたエルマーが、く、と息を吐き出した。
「…レイガン。お前は何を感じとった。」
「俺の瞳は、知っての通り魔力の質を見る。かなり薄いが…酷く歪んだものだ。このページをちぎり取った奴は、まるで何か思い詰めているかのような揺らぎを纏っている。」
「面白い。噂に違わぬ神の瞳だなあ。」
「…ニアがいるから使える力だ。俺のものではないさ。」
レイガンは睨みつけるようにジルバに言うと、そっと目を逸らす。影の魔女であるジルバもまた、直視するにはいささか目が疲れる。
黙っていたエルマーが口を開く。その口調は半笑いで、あまり信じていない様子だった。
「闇属性しか使えねンじゃねえの。」
「エルマー?」
「魂魄付与。それも一人で行うやり方だあ。」
深いため息と共にエルマーが座り込む。魂魄付与。それは今の常識としては、闇属性のものが行う禁術だ。意識のないものに、他人の意識を移すそれは、少なくとも術者と被術者、そして付与する器が必要だった。
それを、この破り取られたページは、何やらややこしい陣を使って行うという。現在は禁術のため、その陣は知れ渡っていないはいないが、存在すると言うのは知っていた。しかし、今のやり方と比べて、これは個人だけで完結する術式だ。
こんな恐ろしいものが広まってしまえば、戦争にはもってこいだろう。敵側の死体に己の魂を付与することだって可能だ。
エルマーの問いに、答えるようにジルバが口を開く。
「エルマー俺は言ったろう。皇国は腐っていると。」
「最初っから出来ねえって言ってりゃあ、誰もやらねえってことか。」
「当たり前、と言うのは怖いなあ。陣があると言うのに、誰も試さんのだから。」
指先の動きだけで本を閉じた。しゅるりと足元から浮かび上がってきた影が本を絡め取るようにして影に戻る。何やら真剣な会話に戸惑ったように息を詰めていたトッドが、会話の切れ目を察して、そっと手を挙げた。
「あの、よろしくて…?アタシの記憶が間違っていなければ、一人…いや、二人?やったんじゃないかしらって…その、魂魄付与ってやつ。」
「あ?ま、待て、冗談きついぜ。なんでお前がそんな事知って…、」
俄には信じがたい。そんな闇属性持ちでもなければ、今のところ一番そう言った術から程遠いトッドがそんなことを口にするとは、灯台下暗しにも程がある。
エルマーは、何言ってんだこいつと言わんばかりに睨もうとして、何かが記憶に引っかかった。
「んもう、何よその言い方!あんたが言ったんじゃない!」
「いや、禁術だからさすが、に…」
「だから、殿下に会わせる為に、乗せた馬車でよ!」
「…あ、」
そうだ。エルマーは確かに口にしていた。アロンダートに呪いを送った人物。アロンダートの実母と猿のような魔物に転化した男。
エルマーは思い出した。そうだ、確かに自分は会っていたのだ。あくまで可能性と仮定して説明した記憶が蘇る。しかし、あの仮定は誤りではなかった。意識のない魔石に魂魄付与をし、転移させることを提案した人物がいるのだ。
「ダラスは無理だ。彼奴が城に勤めてる以上、王族関連で下手な動きをすることはねえ。てことは、協力者がいるな。」
「ま、待って…ダラス様がどうとか…一体なんの話をしているのよ…。」
エルマーの口から出た、トッドが尊敬する人物の名前に戸惑いの色が隠せない様子だ。ジルバは冷たい灰色の瞳をトッドに向けると、なんの躊躇いもなく言う。
「証拠はない。だが、エルマーはどうやら見ているようだな?」
「ああ、もう二度と見たくねえ夢でな。」
エルマーは、ナナシに起きた凄惨すぎる過去を思い出して、ぎゅっと目を瞑った。レイガンは、そんな様子に気遣う素振りを見せる。
「俺が祭祀を襲ったのは、彼が金眼を持っていると思ったからだ。…長が、ずっと言っていた…。皇国は、龍を蘇らせようとしていると。そして、その聖遺物の価値を知っているものこそが、二度目の災禍を起こすと。」
「二度目の災禍…。」
「確信に変わったのは、お前たちが先陣を切ってジルガスタントに向かうことと知った時だった。始まりの大地を横断すると聞いた時に、俺は間違っていないと確信した。」
置いてけぼりにされたトッドが、レイガンとエルマーたちの間で視線を彷徨わせる。ジルバはただ黙って聞いていた。まるで自身の予測との答えを合わせるかのように、口を閉じ、静かに。
「俺の…、北の国は始まりの大地に飲まれたと言っただろう。」
「ああ、」
「恐らくだが、教会を代表してダラスがついてきた理由は、ただ廃教会を調査していたわけじゃない。エルマー、お前の左眼にある龍眼を探しにきたんだ。そして、大地に飲まれた事で埋まってしまった聖遺物も含めてな。」
「そうか、四人の代表者にはお前らんとこも入ってたのか…。」
「ふ、…はは…」
レイガンの言葉に、分かり易く反応したのは、ジルバだった。
「…何がおかしい。」
「く…、いや、すまない。俺の探し求めていた答えが、そこに繋がるとわかってしまって、つい、な。」
くつくつと顔を手で覆いながら笑う。今、紛れも無くジルバは高揚していた。
エルマーがちらりと影を見る。よほどテンションが上がっているらしい。ジルバの影には節足が揺らめいていた。
落ち着け、そう口にしようとして、ノックの音に遮られる。どうやら準備が整ったようだった。
「ああ、丁度いい。グレイシスがひと段落したようだ。」
「ったく、今一番いいところだってのによ。」
「エルマー、しゃんとしろ。お前の態度はこの場に相応しくない。」
「へえへえ。」
扉が開かれる音と、微かな衣擦れの音。あろうことか、次期国王になるはずのグレイシスが、共もつけずに一人で入室してきた。
「…ジルバ。」
「おいで、グレイシス。」
なんだか、いつものグレイシスとは様子が違う。ピクリと眉を動かし、エルマーは真っ直ぐにグレイシスを見つめた。
「…君たちは」
「君たちは…?」
戸惑ったように揺れるエメラルドの瞳に、今度はレイガンも目を見開いた。何かがおかしい。王族が纏う筈の魔力のオーラが、全くと言っていいほど感知することが出来なかったのだ。
「ミシェル。言葉を慎みなさい。」
「ったく、んな三文芝居いつまでやってんだ。知己だ。もういいだろうが。」
「ひ、…っ」
エルマーの乱暴な言葉使いに、グレイシスの口からか細い悲鳴が漏れた。流石のトッドも、今までのグレイシスではありえないような怯え方に、酷く動揺したようだった。
「ジルバ。てめえ何かまだ隠してやがるな…。」
「なぜ彼から…王族の魔力が感知出来ないのだ…彼は、本当にグレイシスか。」
レイガンが警戒したように構える。怯えた目をしたグレイシスが、泣きそうな顔で俯くと、まるで怒られた幼児のようにゆるゆると首を振った。
エルマーは、アロンダートの一件で酷く取り乱し、幼児返りをしたグレイシスを知っているが、それはあくまでもエルマーと二人きりだったからだ。アロンダートの腹心であるトッドがいる前で、こんな様子を見せつけるとは、どうしても思えない。
「違うんです。その、どう説明をしたら良いのか…。」
「今は、君はグレイシスだろう。まあ安心するといい、ここにいる彼らは決して敵ではない。」
「ジルバ…、」
ジルバはそう言うと、泣きそうに顔を歪ませるグレイシスの腰を引き寄せた。
「厳密に言うと、今お前たちの目の前にいる彼は、グレイシスではない。」
「おいおい勘弁してくれ…、処理落ちしちまうよ。」
「面白いことを言うなエルマー。元々お前の頭はそこまで出来が良くないだろう。」
「おっとぉ、お前とはいつか決着つけてえと思ってたんだあ、やるかコラ。」
「エルマー!話が進まないから大人しくしてくれ!」
レイガンによって取りなされる。二人のやり取りを目前で見ていたグレイシスは、おずおずとエルマーに視線を向けた。
「ご趣味、でしょうか。」
「あ?」
「い、え…とてもよく、お似合いでしたので…つい、すみません…。」
「おにあ、…。」
オドオドと声をかけてきたかと思ったら、そんなことを言う。エルマーは言葉の意味を測りかね、改めて自身の服装に目を向けると、声のない悲鳴を挙げた。
「女装してイキられても、滑稽なだけだなあ、エルマー。」
「俺は止めていたからな、エルマー。」
げんなりと言う顔をしたレイガンからも、可哀想なものを見る目で見られる。
エルマーは顔を隠しながら蹲ると、早く言えよ馬鹿野郎…と言葉尻を窄めながらモゴモゴとつぶやいた。
あれから、とりあえず仕事はさせろと言うことで、体はグレイシスと変わりないことを確認をとったトッドが、牙を抜かれた殿下なんて何も怖くないわと張り切ってここぞとばかりに寸法の確認を済ませた。
小難しい話題で、一向に仕事が捗らなかったことを少なからず気にしていたらしい。流石プロである。負担のかからない時間で採寸を終わらし、持ってきた見事なデザイン画の中からジルバが勝手に選ぶと、エルマーとレイガンがこき使われて持ってきた布地をいくつかあてがい、ああでもないこうでもないとぶつぶつ宣いながら生地を選んでいく。
こればっかりは手伝えることも何もない。
エルマーは図々しくもテーブルに置かれたマスカットを房ごと手に持ち、グレイシスが解放されるのを食べながら待っていた。
「んで、てめえの嫁御がここにいえねでどこにいるんだ。」
口の中に広がるみずみずしい果汁が、高級なものだと言うことを教えてくれる。
「俺の住処にいる。まあ、出られなくてなあ。一度城には来たんだが、まあ持たなかった。」
「持たなかった?」
レイガンは、お人好しなのだろうか。頭に疑問符を浮かべながらトッドの指示に従ってグレイシスの体に生地を当てていた。
「エルマー。俺はお前に、亡霊を信じるか。と言ったな。」
「ん?ああ。」
胸に詰められた偽乳が蒸れる。エルマーはロングドレスの胸元のリボンタイを解いて、胸元に手を突っ込みながらボリボリと搔きむしっていた。
「あれの中身が、とある日記帳に封印されていたダラスの弟の魂だと言ったら、お前はどう思う。」
「ん…、は?」
思わず、ジルバの一言に思考を停止させられ、エルマーの指からマスカットがポロリと落ちた。
二人のやりとりの向こうで、グレイシスが上等な生地を前に、緊張しながらも頬を染めていた。まるで、着飾ったことのない初心な心で、今この一瞬を楽しんでいるかのようなそんな表情だった。
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