83 / 163

82

ジルバは、エルマー達とあの大地で別れてからのことを、ポツポツと話し始めた。 「グレイシスに、とある本を見せた。それは出納帳に偽装された日記帳でなあ。これも、書庫室にあったものなのだが。」 「お前勝手に入り過ぎじゃねえかな…」 「俺が気になったのはこの本のあった場所だ。」 エルマーの呆れた目線を物ともせず、ジルバは緑色の表紙のそれをポイッと投げ渡す。仮にも城に保管されていたそれをぞんざいに扱うジルバに、少なくとも苛ついて入るのだなと察した。 「…なんだこれ、見たことねえマークだな。」 本の印章は、不思議な模様をしていた。エルマーはなんとなくそれが気になって、そっと触れてみる。 金印のそれの表面はつるりとしており、もうすでに魔力は帯びていなかった。 「くだらぬ、そう呟いたのだ。それが本の隠された秘密を解くためのトリガーだった。」 「ああ…よほど隠してえってことか。」 二人の上に影が差す。エルマーが見上げると、その影の正体は自身のなさそうな顔をしたグレイシスだった。 「ジルバ、本のことですね…」 「ああ、こいつにも話しておこうと思ってな。」 「説明は、僕から致します。…その、信じていただけるとは思ってはいないのですが…」 グレイシスの中に入っている人物は、とても自分に自信が無いようだった。エルマーは見上げるようにその顔を見つめると、幽かにだが花のような香りがした。 「エルマー、アタシは別室でドレーピングをさせてもらうわ。一室借りてるそうだから、込み入った話ならいないほうがいいでしょう?」 「おお、わりいな。終わったら呼ぶからそうしててくれるか。」 「ええ、こういう話に巻き込まれて痛い目なんて見たくないもの。」 本音はそっちか、とエルマーが引きつり笑みを浮かべる。トッドは相変わらず気が利くのか強かなのかわからない。そこらの女よりも女性らしいとはおもうが。 どこからとりだしたのか、仮組み用のボディを片手にかかえると、ジルバが用意した隣の部屋へと移動した。レイガンは残るようで、念の為にとニアにトッドを守らせることにしたようだ。 「俺も聞く。話してくれるか…グレイシス。」 「…はい、その…やはり今この場でだけは、僕のことをルキーノとお呼びください。」 グレイシスの中にいる人物は、ルキーノというらしい。ジルバが用意した椅子に座ると、居心地が悪いのか、それともどう話そうか迷っているのか、指を弄りながら暫く悩んだ素振りをした。 「…まず、出納帳に変化をさせていたのは、僕の日記です。僕は、城に召し上げられた神父でした。」 そっとその本の表紙を撫でる。ルキーノはその眦に涙を滲ませると、震える手でその身を抱いた。 「ぼ、…僕は、御使い様のものだと言われて、聖遺物をお預かりしておりました。龍眼と、龍玉を、3つに分けて、ルリケールに収めて…そして、大変貴重なものだからと、狙われないように一箇所に置くことをやめました…」 「そのアドバイスはだれからだ。」 「今だと、初代になるのでしょうか…最初の祭祀様です。」 ルキーノは、その龍眼2つを一つずつ箱に入れて、始まりの大地の中に立っていた教会に預けた。自分は龍玉を、そして一つの龍眼は中央の小さな教会に。もう一つは、アドバイスをくれた祭祀に。 「祭祀様は、一つは城で預かるとおっしゃいました。僕の持つ龍玉も、祭祀様によって召し上げられた僕が持っていくことになりました。理由は、戦火によって脆くなってしまった僕の教会を、取り壊す事が決まったからです。」 それは、免れられない事だった。戦火の中、避難所としても使われてきたそこは、あたりに幽鬼が出始めて危険だったのだ。 「今思えば、呼び寄せていたのかも知れません。聖遺物は惹かれ合う。そして、僕が兄を狂わせた。」 「兄を?」 エルマーが、ルキーノの口からでた兄という言葉に反応する。兄弟で祭祀とは珍しいと思ったのだ。 「ああ、いえ…兄は戦火で脚を失い、そして親友も…。義足でくらしていたのですが…その、僕が彼のプライドを傷つけたのです。」 ルキーノは、自身の教会の一室で療養をしていた兄の世話を甲斐甲斐しくしたという。 信仰をしていたのは、始まりの大地に降り立った人外の龍だ。 狼に似た姿の神を、龍眼の片方を預けた中央の教会も祀っていたという。 「俺が邪龍信仰だと思っていたそれは、間違っていたということだな。」 「邪龍などと…!あの御方は、僕達に祝福をあたえてくださった…僕と、もう一つの教会はありのままの御方を祀りました。そして、その方の尊き行いを、世に広めるために祀っておりました。」 しかし、ルキーノは視野が狭かったのだ。戦争は避けられなかった。隣の芝が青く見えるように、他国の聖遺物も己のものにしようとしたものがいたのだ。 ルキーノの兄は、その戦いの最中で親友と足を失った。すべての根源である御使いを恨み、そしてこの間違った戦争の火種となったことを呪った。 「兄は言っていました。龍眼は先を見通す目だと。それさえあれば、この間違った戦争を止めることができるのにと。」 そして、その妄想に取り憑かれた兄は、日に日に狂っていったという。 「…皇国は大きな国だ。この国力さえ上げれば、戦争などと悲しい過ちが、起きるわけがないと。」 皇国に、巨大な力があれば。周辺諸国を取り込んで、大国として統一することができれば…。同じ国の中であれば戦争は起きない。起こったとしても、小さな火種はすぐ鎮火できると思ったのだろう。 自身の足と兄の親友を奪った戦争が、偏った思考を固定するのだ。 ルキーノが城に召し上げられることが決まったその日、兄は言った。 「俺がお前だったらよかったのに。と」 その時のことを思い出しているのか、ルキーノは小さく声を震わして話を続ける。 「僕は、殺されるかもしれないと思いました。…笑えますよね、普通はそんなこと思うわけない…それでも、そう思ってしまうくらいには、兄は変わってしまった。」 「そして、殺されたのか。」 「…ええ、僕では兄を止められなかった。」 ジルバが言う。諦めた顔で小さく微笑むルキーノは、グレイシスの顔だというのに違って見える。 「兄は、僕の体を奪いました。殺した僕の体を持って窪地に行き、御使い様の血肉の染み込んだ大地の上で陣を描き、それをやってのけたのです。」 残された聖属性の残滓が、それを可能にさせたのだ。殺されたルキーノの体を奪った兄は、洗礼を受けてダラスと名乗った。取り残されたルキーノの魂だけがその場に残ったのは、兄が描いた陣の一部に誤りがあったからだ。 これは、偶然なんかではない。ルキーノの魂は、書き溜めていた日記の中に取り付いた。すでに荷造りを済ませていたルキーノは、鞄の中の本にその魂を納め、時を待つうちに呪いとなってしまったのだ。 「僕自身が、呪いになってしまったのは不本意です。それでも、きっと何か意味があると信じていました。そう、こうして今貴方達にこの話をするのも、恐らく…必然。」 「まて、龍眼はどうなった。もう一つあったろう?中央の教会にあったっていってたよな?」 「…そうです。そして僕は兄に龍眼を分けて納めたと言うことを言わなかった。僕に成り代わった兄は酷く怒り、もう一つの龍眼を血眼になって探していました。」 ルキーノはエルマーの龍眼の収まっている左目を見つめた。きらきらと星屑のような輝きを散らすその瞳は、獣の瞳孔を有している。 この龍眼が、再び無事に皇国に戻ってきたのだ。やはり聖遺物は互いを呼び合う。ルキーノはこの先のことを憂で、複雑な感情を抱く。 あの時の兄の思い込みを嗜めなかったばっかりに、事態はこんなに年数が経った今もなお好転しない。小さな突起に撥ね上げられたきっかけは、斜面を転がるように悪い方向へと事態を悪化させていく。 自分の死だけでは終わらなかったその悪夢は、こうして未来の者たちにまで広まっていったのだ。 そして、まるで人が変わってしまったかのようなルキーノを不審に思い、その真相を解くべく私室に顔を出した祭祀は、驚きのあまり言葉を失った。まさか、愛弟子の魂が本に閉じ込められていたのだから。 ルキーノの変わり果てた姿に驚いた祭祀は、事情を聞いて慌てたという。そして、手がかりであるルキーノの日記に呪いをかけ、城の出納帳へと変化させた。くだらぬ、そんなありふれた言葉にしたのは、祭祀が口癖だったからだ。 だれにもその本が怪しいものとは分からないように、彼は秘密裏に動いてくれたという。 「兄がもう一つの龍眼を探していること、そして恐らく、それを使って龍を蘇らそうとしていることはわかっていました。先程ジルバが見せた本に書いてあったページには、魂魄付与だけではありません。遺骸の一部を使って再び体を構築し直すという陣も書かれていたのです。」 生前の躯の一部をよすがにして、再構築することは可能だ。しかし、よほどの魔力がない限り、体の臓器を補うことはできない。しかし、構築に使った陣を書いた場所には、ナナシの臓器や血肉が染み込んだ土があった。あの在りし日の姿を取り戻すことは不可能だが、転化した人の姿で取り戻すことなら質量的にも可能だったということだ。 「兄が焦っていたのは、他でもありません。不足の事態を防ごうとしてくれた祭祀によって先に見つけ出された龍眼が、兄の預かりしらぬうちに中央から持ち出されたからです。」 ルキーノは、そっと本の中からその様子を見つめていたという。祭祀は常にルキーノが宿ったその本を持ち歩き、仕事をしているように見せかけながら探ってくれていたのだ。 そうして、ダラスが遂に前祭祀の代替わりとなったある日、あるはずだった左目がないことに気づいて酷く焦っていたという。 「…龍眼は、祭祀を辞めた後、早駆けの馬を使ってカストールへと運ばれる予定でした。しかし、途中で事故にあい、その龍眼が忽然と消えたのです。」 「祭祀は無事だったのか。」 「…いいえ。そして、僕は祭祀の形見として城の書庫におさめられました。」 そこからは、ご存知の通りです。そういうと、ルキーノはうつむいた。 エルマーもジルバも、黙って聞いていたが、酷く込み入った話になってしまった。 しかし、エルマーは一つだけ気になったことがあった。 「なあ、ルキーノ。今のダラスの中身が兄貴だってことはわかったけどよ、そんな百年近く前から居て、なんでさっさと蘇らせなかったんだ。」 「それは、聖遺物の解放日のせいです。」 「解放日?」 エルマーがわけがわからんといった顔をする。ジルバは呆れたような顔でため息を吐くと、苦笑いをするルキーノをフォローするかのように言った。 「解放日とは、聖遺物をルリケールに納めて教会の大掃除をする日のことだ…」 「ああ、なるほど。あ?てことは龍眼も龍玉もそろってなきゃだめじゃねえか。」 「だからです、エルマー。だから兄はなかなか蘇らせる事ができなかった。」 龍眼は、2つで一つだと言うことを遅れて知ったダラスは、歯噛みしたという。龍玉で再構築すると、そのベースとなる龍玉の保有する魔力の多さから、しくじることは明白であった。 だからこその龍眼だった。しかし、手元には一つしかない。使ってしまえば怪しまれることは間違いはない。無くなるにしても、理由が足りなかったのだ。 「兄は、そこで気づきました。与えられた祝福は一つではないと。」 「なるほど、過去の戦火で皇国が争った国に火種をふっかけたのか。」 「ええ、他国の刺客に奪われたことにしてしまえばいい。兄は非常に強かでした。」 エルマーが生まれる前から、皇国は少しずつダラスの手によって歪められてきたのだ。術で歳を重ねたように見せ、何年も代替わりをしたと周囲に思わせた。そして皇国をじわじわと内側から支配し、祭祀に君臨し続けた。 その複雑な魔術は、歳を重ねるごとに精緻になっていった。それはまぎれもなく、残されたあの窪地の魔力のおかげだ。 「兄の恐ろしいところは、洗脳するという能力です。無属性魔法で、と言うことではありません。兄は、ただ言葉のみを使って相手を操る。そして必要とあらば、時には自分自身をも騙すのです。」 「ああ、なるほど。ずっと気になってたんだあ。」 ルキーノの言葉に、やっとエルマーの疑問の答えが見つかった。 「変だと思ったんだあ。あいつ、まるで従軍してたんかって思うくらい適切に毒抜きするし、部屋連れ込んだ時も、まるでスイッチが入ったかみてえに大人しくなっててよ。」 エルマーがニアに噛まれた後、ダラスが施してくれた手当は従軍経験のあるものにしかできないようなものだった。祭祀であるなら、聖属性魔法の状態異常を解く術をかければ早いのに、ダラスはそれをしなかった。 そして何より、あの後抱かないと宣言をしたエルマーがもたれかかった時には、口喧しくわめいていたダラスが、まるでこうすることが当たり前と言わんばかりに背中に手を回そうとしてきたのだ。 祭祀という規律を重んじる立場でありながら、数秒の思考だけで男に身を任せようとするのだろうか。その身を差し出して得られる対価の大きさを、計算高く考えながら生きてこなければ行わないようなその行動に、エルマーはずっと引っかかっていた。 「あいつ、お前の体使ってのし上がったって噂も出てンからな。あながち間違いじゃあねえはずだぜ。」 悲しそうに顔歪めたルキーノに、ジルバは同情した。日記の内容から恐らくではあるが、ルキーノは少なからず兄であるダラスに恋愛感情を抱いていたであろう事を察していたからだ。 そして、ダラスも殺害をする前にルキーノを抱いている。弟の体を乗っ取った今、ダラス自身が弟の体を使うことをどう思っているかはわからない。ただ、そこにあるのは歪んだ兄弟愛が見え隠れする。 恐らくダラスは、弟になり切ることで自身の罪深さを誤魔化しているような、そんな気がした。

ともだちにシェアしよう!