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「ふぉ…すごい、サジこれなにい?」 「む?これか。これはマンドラゴラだなあ。」 「また新しく育てたのか…」 エルマー達が城でジルバにあっている頃、ナナシ達はアロンダートの隠れ家でなんとも穏やかな時間を過ごしていた。 サジは勝手にアロンダートの庭で育てたマンドラゴラをシロと名付けて部屋に連れてくると、それにナナシの相手をさせていた。 ナナシの周りには、マイコにシロ、そして吸血花のシンディが侍り、なんとも豪華な顔ぶれだ。アロンダートも強請られて腰から下だけ転化した。どんどん自分の体を使いこなすアロンダートは、器用になっていくたびに人間離れしていく。 今も、本を読みながら獣の腹にナナシを寄りかからせるようにして侍る。 「はぅ、」 「何だ、また気持ち悪いのか。」 「うー‥」 ナナシがなぜこんなに甘やかされているかというと、悪阻だ。 小さな手で口を抑えながら、ぐぬ…という顔で眉間にシワを寄せる。エルマーから腹に受けた魔力が多すぎて、腹の子がその魔力を取り込むまで、ナナシは魔力酔いを起こしていたのだ。 トッドの店を出たあと、ふらふらとナナシが路地に入ったかと思うと、急に吐いたのだ。 あのときのエルマーの顔ときたら、この世の終わりかのように顔を青ざめさせてナナシの背中に下手くそな治癒をかけるものだから、ナナシはそれに酔って更にぐったりしていた。 レイガンが魔力視を使って腹の子が育っていることを見なければ、それが過度の魔力摂取による魔力酔い…まあ、サジは悪阻と言っているが。それだとは思い至らなかった。まったくもって、こういうときに旦那というのは気が回らない。 ナナシは吐いてビックリしたというのに、エルマーの真っ青な顔を見てさらにビックリしてちょっと泣いた。 「える、だいじょうぶかなあ」 「大丈夫だろう。というか、お前が大丈夫なのか。」 「ナナシ、吐くのは構わないが僕の腹の上だけはやめてくれ。」 「うー‥はかない…」 ナナシはまだ膨らみもなにもない腹を撫でながら、アロンダートの体温に冷えた体を温めて貰い、なんとも豪華な背もたれにしてぐったりしていた。 シンディもそそそ、とナナシに近づくと、そのきれいな花を開かせてリラックスする香りを漂わせる。獲物の血を抜くときに暴れないようにする為の香りだが、今は違う。純粋にナナシのことを心配しているようだった。アロンダートはひやひやしていたが。 「ふわぁ…シンディ…おはなきれい、すてきね」 「サジの育てた花だからな!ふふふ、そうだろうそうだろう!」 すりすりとその花弁にナナシが頬ずりする。シンディはその大きさをエルマーと同じ程に縮め、その根はエルマーが切り下ろしたボアの肉に絡めていた。根本を見なければとてもきれいだ。下を見れば現実がまっているが。 「うー‥おなか、くるくるする…」 「まったく、あいつはどれだけ腹に出したのだ。ただでさえ龍眼が入って魔力が人並み外れているというのに。」 「う。」 「待て待て待てそこで吐くな!アロンダート!トイレ!」 「僕はトイレではない。」 口を抑えたナナシは、アロンダートに抱きかかえられてトイレに運ばれた。四足で駆け、たくましい腕に抱かれながら連れて行かれるものだから、アロンダートがトイレに運んだ途端に縋り付いておえっとなってしまった。ある意味室内アトラクションだったのだ。トイレまでの短い距離でえらい目にあった。 「む、はけたか?」 「ひぅー‥やだあ…ぅえっ…」  「あーあーあー‥」 アロンダートはナナシの長くなった髪を持ってやりながら、悪阻が収まるのを待つ。エルマーが我慢をしないから、こんなにも苦しんでしまっている姿を見ると、アロンダートの中の父性が一言言わねばなあという具合に育ってしまう。  嫁が可愛いのはわかる。アロンダートだってサジを抱いたら3時間は離せない。だけれど注ぐ精液の量くらいは絞れとは思う。まあ、自分も人のことはいえないのだが。 「んぐ、…うぅ、えるう…さびしい…」 悪阻があるからとサジとアロンダートとともにお留守番を言い渡されたナナシは、耳をしょんもりと下げ、尻尾をはぐりと甘噛みしながらしくしくと愚図る。 汚れたものを水で流してから、そんな具合にアロンダートの元へふらふら戻ってくるものだから、まるで小さい子を慰めるようにしてアロンダートはナナシを抱き上げてぽんぽんと背中を撫でた。 子供を育てたことはないが、ナナシは似たようなものだ。ちなみに、サジがママである。 「よしよし、ナナシは僕達ともう少しいい子で待っていような。ほら、ママのところに帰ろう。」 「サジ…ままなのう?」 「そうだなあ、サジはナナシのママみたいなものだろう。」 「はわ…」 尻尾を抱きしめながら謎に照れるナナシを微笑ましく思っていると、先程いた部屋から心配そうにシンディとサジが顔を出していた。 どうやらシンディも母性を感じているらしく、愚図るナナシを心配していたようだった。 「む、顔が白いな。サジは悪阻はしらんが、二日酔いのようなものなのか?なんにせよ、今は大人しくするが良い。」 「うう…えるまー‥」 「お前の旦那はお仕事中である。いい嫁というのは、家庭を守り、帰りを待つものだぞナナシ。」 メソメソするナナシの頭を撫でながら、サジが言う。二日後に国葬、喪に服した7日目に戴冠式だ。それが終わるまではどちらにしろ動けない。 サジはナナシの頭を撫でながら、言い聞かせるように諭した。 「ふむ、なにか食えるものでも買ってこようか。果実なら食えるか?」 「あう…ナナシもついてく…」 「馬鹿者、お前になにかあったらアロンダートの羽根がむしられるぞ。」 サジがからかい混じりに言うが、なんとなく想像できるのがいやだ。転化して自慢の羽根が手羽先状態だったら情けないにもほどがある。アロンダートはなんとも言えない顔をして身震いをした。 「まあまて、滋養ならシロがいるだろう。」 「ええ…シロたべるのう?」 「ばかもの、食べぬ。」 そういと、サジはシロを抱き上げると桶を片手にキッチンに向かった。 キョトンとした顔でサジを見送って数分後、シロが桶の中の湯で寛ぎながら戻ってきた。 「シロ、おふろ?」 「マンドラゴラの煮出し汁には滋養効果があるのだ。まあ、残り湯だなあ。いい出汁がでている。」 「絵面は最悪だな…」 ぐっ、とシロが手を高く上げる。任せろと言わんばかりだ。シロはそのひげのようにみえる部分を満足気に手で撫でながら、さあ飲めと言わんばかりにちゃぷちゃぷと水面を叩く。 マイコがのそのそとシロに近付くと、ぺちょりとその湯に手を差し入れた。 どうやら毒味をかって出てくれたらしい。ぶるぶると傘を震わすと、艶めきが増した。すごい効果だが、マイコにとっては美容効果がでたらしい。飲むものの必要な養分のみを与える特別エキスだ。 少しとろみはあるが、無臭である。色だけが生成りに濁って入るが。 「これに砂糖でも入れてやろう、ふむ、これで飲みやすくなったはずだ。」 とろとろのそれを匙で掬う。気づけばシンディもご相伴に預かっていた。ボアよりもよほど栄養があったらしい。ナナシが貰った残り湯に根を移して、マンドラゴラとともに桶に入っていた。 「んん…あまい…しあわせのあじがするう…」 「エルマーにも残しておくか。ふむ、ナナシが飲み残したらエルマーにとっておいてやれば良い。」 「はあい」 ぺしょりと匙を舐めてふにゃふにゃ笑う。余程気に入ったらしい。ぱたぱたと尾を揺らめかせながら微笑んでいた。 アロンダートとサジがナナシの面倒を見ていると、扉の外でドシン!という重いものが落ちる音がした。なんだと三人が振り返ると、サジが立ち上がるよりも先にギンイロがぽひゅんと現れ扉の外に顔を突き出した。 どうやら外で見張りをしていたままの大きな姿で扉から顔を突き出すものだから、外で驚愕の声が上がった。レイガンだ。 「む、帰ってきたようだな。おかえり。」 サジがやれやれと立ち上がり、ドアノブを引いて扉を開ける。廊下には女装をしたままのエルマーが寝転がっていた。レイガンはというと、エルマーの上で腰を抜かしたまま、疲れたようにギンイロを見上げていた。 「ひぅ、えるぅ…」 「あ、」 サジが開いたドアから、ナナシがぐすぐすと泣きながらエルマーの元へと向かう。よほど寂しかったらしい。レイガンが口を抑えてふらふらとお手洗いの方に消えていくのを見送ると、エルマーは腹筋の力だけで起き上がり、めそめそと近付いてきたナナシを迎え入れるかのように両手を拡げた。 「うちの姫さん、なんで泣いてんだぁ?」 「ひめさんじゃないよう…」 エルマーの首に抱きつきながら、すりすりと甘える。ぽんぽんと宥めるように腰を撫でられると、涙目のナナシがエルマーを見つめた。 「エルマーが魔力を与えすぎるから、魔力酔いで悪阻に苦しんでいたのだ。」 「まじでか。」 エルマーの大きな手が優しくナナシの頬を撫でる。カサついた親指が心配そうに涙を拭うと、ナナシは甘えるように、その指先ををぺしょりと舐める。 「やだよぅ…おるすばん、やだあ…」 「ありゃ、あんま泣くなよ。目ぇ腫れちまう…」 「うう…えるがちゆしてえ…」 「俺ぁナナシみたいにうまくねえもんよ。」 ナナシを抱きつかせたまま、エルマーがリボンタイを外して放り投げる。こうして寂しがっているときはナナシの好きにさせておくのがエルマーの経験論である。器用に変装をとくエルマーが、コルセットと一緒に外して放り投げた肌色の偽乳は、ギンイロが目を輝かせながら後を追いかけていった。本能なのだろうか、よくわからないが精霊のくせにペットみてえと思った。 「というか、随分とあわてて帰ってきたのだなあ。」 「いやあ、なんかイケる気がしてレイガンつれて転移したんだあ。あーしんど…」 「なるほど、ならあいつは転移酔いで消えてったのか。」 レイガンはまだお手洗いからかえってこない。エルマーのことだ。座標のことも考えずに雑に決めたのだろう。着地点に人がいたら大事故だと言うのに、その心配をしていたのはレイガンだけのようだった。 「…俺はもう、お前のイケるは信じない。」 行きよりもげっそりしたレイガンが、幽鬼のようにふらつきながら登場した。この男もなかなかに可哀想な目に会う。 下着一枚まで脱ぎ終わったエルマーが、胡座の上にナナシを抱きつかせてレイガンを見上げる。 めそめそと泣いているナナシをみて、なんでエルマーが早く帰りたがったのか理解した。 「ナナシ、寂しかったのか。」 「うぅ…」 「さっきまでご機嫌でシロの出汁飲んでたのになあ。」 「あ!?ナナシに変なもん飲ますなよ!?」 はぐはぐと自分の尻尾を甘噛みしながら愚図るナナシに、レイガンはすこしだけエルマーが羨ましくなった。 自身もこんなふうに帰りを待ってくれる相手がいたらなあ、という羨望だ。 レイガンも年頃だし、やはり今は無理でも何れは恋人と呼べる人がほしい。改めて考えてみたが、サジもアロンダートのものだし、エルマーもナナシのものだった。 「…俺も番がほしい。」 「ぶはっ…」 レイガンのちいさなぼやきに、エルマーは小さく吹き出した。顔は悪くないが、環境が悪い。若者らしい切実な願いがなんとも可愛らしくて、エルマーはこんな運命でなければ、恐らくモテていただろうレイガンの頭を、乱暴に撫でた。 「ぅわ、っ…なんだ!?」 「くくっ…いやべつに…なんかウケた。」 「くっ…、エルマーが大人にみえる…」 「大人ですけど。」 ナナシがキョトンとした顔でレイガンをみる。涙に濡れた睫が毛束になって、その大きな瞳を強調する 。そんな小動物のような目で見ないでくれとおもう。しかし、レイガンの周りの顔面偏差値が振り切れているため、さあ恋を始めようとなっても、無意識に恋愛のハードルが上がってしまうのだ。まだそこに気づけるほど、レイガンも大人ではないのだが。 泣き止んだナナシがエルマーのお膝の上で大人しくなっている。サジはこれ幸いと、早速話の軌道を修正した。 「んで、どうだったのだ。ジルバの話は。」 「ああ、それなンだけどよお…。」 エルマーはなんとも難しい顔をしながら、どこからどう説明しようか迷っていた。しかしそれも数秒のうちで、結局はありのままを説明した。 「つまり、ダラスは弟の皮を被って裏から糸を引いていたと?」 「おう、まあ、あんま現実味わかねえっつーか…でも、ダラスの弟がグレイシスに入ってんだよなあ。」 エルマーはアロンダートからガウンを受け取ると、ひとまず文明的な格好をした。これから真面目な話をするのだろうと察したアロンダートからの気遣いだ。着込んだはいいが、早速ナナシに肩口の生地をはぐりと噛まれる。まだ拗ねているらしい。 「というか、時間差で取り憑くというのも面白い話だな。グレイシスは無事なのか?」 「おう、ジルバにつれられて隠れ家に顔だしたら、そりゃあもうふてぶてしい花に変わってた。」 思い出しただけでも笑うしかない。グレイシスは、体をルキーノと入れ替わってしまった変わりに、挟まれていたスミレの花の中に魂を閉じ込められたのだ。 ぼろぼろの花は、グレイシスが入った途端、息を吹き返すかのような見事な花弁を咲かせたらしい。 ジルバによって、鉢に移された花を指さされながら目を丸くしたエルマーに対して、まさかの念話でキレ散らかしてきたのだ。 ー何見ているのだ役立たず。殺されたくなければさっさと体を取り戻せ!! 「あいつ、花に囚われてもふてぶてしさだけは変わんなかったんだあ。」 「…まあ、国葬があるのは二日後だしなあ、焦るであろう。どうするんだエルマー。」 「ジルバはなるようになるとかいってたけどよう、どーーーすっかなあ。」 エルマーは眉間にシワを寄せながら、スプリングを軋ませてベッドに横になる。 龍玉も龍眼も、現在はダラスの手元にはないのだ。計画通りに他国の闖入者が奪い去ったことにしても、今のところダラスが焦って尻尾を出すところは見ていない。 もしエルマーなら、国葬なんかやらずに大慌てで探しに行く。 「なぁんかひっかかるんだよなあー」 強かな相手だ。なにか、たとえ聖遺物がなくなっても動じないなにかの理由があるはずだった。 「える、…ちゅうしてほしいよう…」 「ん?ほら、おいで。」 エルマーの胸元に頭をおいて尻尾を揺らしていたナナシが、甘えた声でねだる。 そっと頭を引き寄せ唇を甘く食んでやると、くふんと吐息を漏らして喜んだ。 「エルマー、なにか引っかかるなら行動すべきだ。まあ、二日後に差し迫っておきながら、次期国王不在とは流石に笑えぬ。グレイシスに恩をうるチャンスだぞ。」 「あー‥、」 顔に面倒くさいと堂々と書いている。しかしサジが言うことは最もなのだ。まじでどうすっかという具合には悩んでいた。 「魂魄付与みたいなものなのか?今のグレイシスの状態は…」 「いや、それともちげえ。まあ入れ替わる呪いのようなもんだぁな。あの花さえ持ち出せりゃあなんとかなる気がすんだけどよ…」 キョトンとした顔で、ナナシがエルマーをみる。なにやら困っている様子に反応したらしい。エルマーがいうには、花の周りの魔素が少しでも変化すると脆く崩れてしまいそうになるらしい。グレイシスが花の中に閉じ込められているのだ、崩れてしまってはどんな影響があるかわからないという話だった。 「んと…おはな、こていするの…」 「んあ?」 「まそ、かえられないように…んと、まわりを、けっかいでつつむのは…?」 「結界…」 以前エルマーに施したグレイシスの剣を受け止めた結界は、エルマーに当たらないようにピンポイントに強度を高めて行ったものだ。 通常の結界は全体を包む。しかし、ナナシは即座に展開するために、必要な部分だけを魔素を取り込んで強化したのだ。 エルマーはそれを思い出したようで、ハッとした。 「結界で結晶化すりゃあいいのか!」 「ああ、たしかにそれならグレイシスの周りの魔素はかわらないな。」 花だけを薄く包むように魔力を流そうとしたからできなかったのだ。エルマーは器用すぎるがゆえに、それは思いつかなかったようである。 「ナナシ、お前の力貸してくんね?」 「はわ…うん、…うんっ!」 ナナシは、エルマーにそう言われて目を輝かせた。いつも助けられてばかりのナナシが、エルマーに力を貸してと言われたのだ。高揚しないわけがない。 ナナシは千切れんばかりにぶんぶんとしっぽを振ると、元気よくいいお返事をした。

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