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「うわばかやめ、うええええ!!」 中庭で、エルマーの情けない声があがった。ナナシは泣き腫らした顔で毛布にくるまりながら、レイガンに作ってもらったホットミルクを飲みつつ、アロンダートがエルマーにお仕置きをする状況を心配そうに見つめていた。 「える、へーき?」 「なんの問題もない。というか、アロンダートが手心をくわえているからなあ、むしろ見方を変えれば楽しそうでもある。」 本当に?という顔でナナシがレイガンをみた。ぎこちなく顔を上げ、悲鳴を上げるエルマーを見上げた。あれが楽しそうなら、レイガンは一生飛行できなくていい。そう思うくらいには地獄に見えた。 話は朝に遡る。 ふえええんというナナシの泣き声に目を覚ましたアロンダートが、寝ぼけ眼で部屋の扉を開ける。 するとぐしょぐしょのシーツを抱きしめたナナシが、ひぐひぐと泣きながら謝ってきたのだ。 「ひ、ぅ…っ…あ、あろんだーと、べ、べっと…汚しちゃ、…うぇ、えー‥」 小さい子のように、わあんと泣きながら濡れたシーツを持って謝りにきたナナシに、合点がいった。 どうやらナナシはおねしょをしたらしいと察したアロンダートは、気にすることはないとナナシの頭を撫でる。 そこまではよかった。 「うぅ、ごぇ、んなさ…」 くん、とアロンダートの鋭い嗅覚が、微かな精液の匂いを嗅ぎ取った。ナナシを部屋に招き入れると、寝ぼけ眼のサジがムクリと起き上がってふらふらとナナシに近付く。 「む。エルマーの精液の匂いがする。」 「ほう、」 くんくんとナナシを嗅ぎ回ると、汚れたシーツを床に落としたサジが剥き剥きと着ていたナナシの寝間着を剥がす。白い体の項には噛み跡、そして腰や太腿にはしっかりとした手形が残っている。確固たる証拠がそこにあった。 「ふむ、魔力酔いで苦しんだ姿を見て、なおも行為を強いるとは。」 にこにこ顔のアロンダートをみて、サジが身震いをする。あ、こいつキレてんなという具合だ。ナナシは大きな耳をしょんもりさせながら、はぐはぐと足の間に挟んだ尾を甘噛みする。 サジは心の中でエルマーに手を合わせると、ベッドからタオルケットを引き剥がしてナナシを包んだ。 「サジはナナシを風呂にいれてくる。まあ、その…同意だろうから程々にな。」 「ナナシ、全てイエスという必要などないんだからな?」 「う?」 アロンダートの大きな手が、ナナシの頭を撫でる。 エルマーがナナシを抱くのは、まあ番だからいい。だが、悪阻をみているのにそれを強いるのは、程々にしろと思う。事後の体を見るからして、おそらく激しく抱かれたことはわかっている。 アロンダートはにこにことしたまま部屋を出ると、入れ違いに入ってきたレイガンが慌てて道を譲る位には驚いていた。 「なんだあれ…こわ…」 「む、ちょうどいい!レイガン、ナナシを風呂に連れてくから湯をためてこい。」 「なんで俺…ああ、わかった。」 なんとなく察したレイガンも、なるほどアロンダートの行き先はエルマーのところかと理解した。背後でサジがもう泣くでないと世話を焼いている声が聞こえる。愚図るナナシを見るからにして、どうやらベッドで粗相をしたらしいということだけは理解した。 レイガンが部屋を出た瞬間、廊下の奥。扉を突き破って裸のエルマーが飛び出してきた。びくりと体を揺らし固まったレイガンの真横を壁を駆け上がって避けるのを見て、レイガンも大慌てで部屋に戻ると、間一髪。下半身だけ転化したアロンダートがものすごい勢いで廊下を駆け抜けていった。 「うむ、今日も元気だなあ。ほら、はやく湯をわかしにいけ。」 「……………。」 こうして、冒頭に戻る。 サジによって丸洗いされたナナシは、顔を青褪めさせたレイガンと共に、天高く飛んでいったアロンダートとエルマーを見上げていた。 現在エルマーは、アロンダートのお仕置きとしてその体を鷲掴かまれてそれは高く舞い上がっていた。 「ああああやべえええ落とすなよ!?絶対落とすなよ!?!?」 「面白いことをいう。この僕がそんなミスをするとでも?」 「思わねえけども!?」 「面白かったからもっと楽しませてやろう。」 「いらねええええええええああああ!!!!」 サジは眩しそうに日除けを手で作りながら、呑気に空を見上げている。アロンダートのアクロバットはとにかく荒い。サジを乗せているときはあんな無茶はしないが、エルマーが腰を鷲掴まれながら時折放り投げられながら空を飛んでいるのを見ると、あれなら空中戦でもできそうだなあ。さすがサジの男だと関心すらしていた。 「エルマー、君には理性というものが足りない。悪阻がどれだけ辛いのか、僕がわからせてやろう。」 「いやもうわかったから!!おえっ、遠心力やめろおおおお」 ふわりと一瞬の滞空時間。ぎょっとしたエルマーが慌てて振り向くと、アロンダートが羽を畳んでいた。 「え」 「さあ、これで最後だ。」 エルマーの長い髪が上に流れる。内臓がすべて重力に逆らって浮き上がろうとした瞬間、エルマーとアロンダートは一気に下に向けて落下していく。 「あああああ!!!」 声が掠れるほど叫んだ。自分でおちるのはいい、だけどこれは駄目だ。冗談とわかる余地があるからこそたちが悪い。エルマーは真っ青になりながら屋敷の屋根と同じ高さまで一気に落ちたが、バサリとアロンダートが羽を広げて勢いを殺した。 「うむ、もういいだろう。僕もまだ伸びしろがあるな。エルマー」 「おええええっ!」 「あーあー」 アロンダートの鉤爪が腹に食い込んで、ごぼりと胃液を吐き出した。洒落にならん。体を真っ白にしたエルマーが、アロンダートを怒らせるのが一番やばいということだけ理解した。ちなみに地獄の落傘下アトラクションにより、エルマーの下着はどこかに飛んでいった。まさかのフルチンで吐き散らかすだなんて思わなかった。泣きたい。 アロンダートがエルマーを姫抱きにするという、屈辱つきでの帰還である。もう自分勝手に抱いたとしても、ナナシよりさきに起きようと心に決めた。 早い段階での証拠隠滅、反省をしないエルマーは、そう心に誓った。 「おかえり。エルマー臭いぞ。早く風呂にいけ。」 「あ、脂汗とまらん…まじむ、うおえええ」 「ぎゃああ!!なんで俺!!!」 よろよろと降り立ったエルマーが、レイガンに凭れ掛かって盛大に吐いた。完全なるとばっちりだ。レイガンも泣きたい。 結局グロッキー状態のエルマーを背負って、服を汚かれたレイガンも浴室直行コースである。 ナナシはけぷりと喉を鳴らしたので、やはり悪阻に苦しんでいる。 顔を青くしながらも、自身の腹を撫でる顔つきはこころなしか嬉しそうで、アロンダートは少しやりすぎたかなあと思った。まあ、反省はしていないのだが。 「ん…おなか、ぽかぽか…」 「まだ薄いなあ。飯食え、太れ。魔力だけが栄養というわけではないのだぞ。」 「はあい…」 よいしょとナナシをアロンダートの背に跨がらせる。なんとも贅沢なお馬さん状態だ。そのまま先に部屋に入らせると、くるりと空を見上げた。 城の方向から、薄紫の煙が立っている。国葬はどうやら始まったらしい。エルマーが言うには、市井に告げるのは戴冠式でと言っていた。 恐らく城門は既に近衛兵が物々しく固めているだろう。ジルバはダラスが式典を執り行っているうちに早く国をでろとせっついていた。結局、自分たちは追われる身になるのだ。あんだけ出るのは難しいとか脅されといて、蓋を開けてみればこれである。その中に第二王子がいるのは面白すぎるが。 「ううむ、…」 まだ昼前だ。だが、森を抜けるなら明るいうちが望ましい。ともかく外に出なくては話にならない。アロンダートの背に乗って空から出るのなら、夜だ。昼は目立ちすぎる。 「サジー!ハヤク!ギンイロモゴハン!」 「うわびっくりした。相変わらず、ギンイロは本当に神出鬼没…あ。」 「ウン?」 突然サジの頭の上に降ってきたギンイロをつまみ上げる。神使として敬うべき対象のハズが、カジュアルな付き合いを許してくれるからサジもこんな感じになってしまった。 ヘッヘッヘと馬鹿にするような笑い声に聞こえる息遣いをする眼の前の精霊をみて、サジがハッとした。 「打開策…いたではないか!!」 「ゴハァン!!」 目を輝かせたサジがギンイロを掲げあげて抱きしめる。おまけに頬擦りまですると、じたばたと腕の中で暴れる精霊を抱きしめながら、ご機嫌に走りながら部屋に戻った。目指すはナナシのもとである。だって、ギンイロの主人はナナシなのだから。 「ということで、今回はギンイロにたのみたい。」 「ヤダァー!!!」 「ええ、やだなのう?」 「ツカレル!!ヤダァア!!」 なんとも人間臭い理由で断られる。ギンイロは、毛を逆立ててナナシの膝に収まっていた。 サジがくれた極上の果物、シンディが産んだ無性種子なのだが…を食べて幸せな気持ちだったと言うのに、ナナシの膝で寛いでいたらこれだ。 「ええー!!食ったじゃないかシンディの種子!!吸血花の無性種子なぞ、市場にはでまわらんぞ!?それに、透明で空飛べるのがギンイロしかいないのだ!!」 「ウウ、イヤダア!テイインオーバー!ギンイロハフタリマデ!」 「なら往復すればいい!」 「メンドクサイ!」 うぎゃあ!とギザ歯を見せつけて拒否をする。サジはせっかくいいことを思いついたと思ったのにと溜め息を吐く。げっそり顔のエルマーが上半身裸でシャワーから戻ってきた。体に巻き付く形でニアがくっついては、その頬を細い舌で舐めている。 「あーしんど…ギンイロ、仕方ねえだろう、バレねえように外出るには、定員オーバーでも乗っけて飛ぶしかねえんだよ。」 「エルマーニノレ。ギンイロハナナシシカノセナイ」 「俺に乗るのもナナシだけなんだわ。」 「夜の話はもういいのだ!!」 はわ…と、顔を赤らめているナナシの横で、サジが呆れたように叫ぶ。レイガンも疲れたような顔で戻ってくると、エルマーの体からニアを引き剥がした。 「ニアは透明になれねえの?」 「なれる。なれるが、空は飛べない。土になら潜れるが。」 レイガンの体にその滑らかな肢体を巻きつけると、鎌首をもたげてエルマーを見る。 紫色の目が爛々と輝いてごきげんなようだった。 「土はどうだ。下から潜って皇国をでればいい。ニアならそうする。」 「やめとけエルマー。硬い地面なら泥だらけの上に瓦礫で体を痛める。俺が言うんだから間違いはない。」 「レイガンは軟弱だ。ニアがタイルを突き破ったくらいですぐに怒るし」 どうやら以前レイガンを抱きつかせた状態で頭からタイルを破壊しながら土に潜ったらしい。その時の記憶を思い起こしているのか、レイガンは小さく身震いした。 「ギンイロ」 「ヤダア!」 「んん、ナナシ、みんなとおそとでたい。ギンイロだめ?」 ナナシが説得を試みる。クチャっとした顔で口を真一文字に結ぶその顔を、真っ直ぐに見つめる。 ちろりと確認するようにギンイロの瞼が動き、その隙間から緑の瞳をのぞかせてナナシを見つめる。 ご主人のお願いなら吝かではない。ギンイロは、諦めずに見つめてくる様子に耳をへたらせると、小さく鳴いた。 「ウウ、イイヨ…」 「ギンイロ!!かこいい!!」 「ヘッヘッヘ」 ぶぉんぶぉんと尾をふりながら、褒められてよほど嬉しかったらしい。ベロンベロンとナナシの顔を舐めあげる。エルマーはひとまずギンイロのご機嫌とりに成功したことがわかると、じゃあ気の変わらないうちにと立ち上がった。 「おし、じゃあ城壁超えんぞ。長旅になるだろうから各自物資集め終わった順番からギンイロに外に出して貰うように。まあ、ツーマンセル行動で頼む。なんかあるとやべえし。」 「余るんだが!?」 「レイガン、おまえはニアと土から行くじゃねえの?」 「俺だけ過酷!!俺もお前らについていく、いいな!?」 「レイガン、さびしがり。かあいい」 「そ、ういうわけでは…」 とまあこんな具合になんとものんびりとした作戦会議をした一行は、サジがアロンダートと、そしてエルマーはナナシとレイガンと行動することになった。 物資と言っても主に食料と薬関係だが、食料はエルマー達が、薬はサジたちが、調達することで話が整った。 ギンイロはサジたちと行動するように言うと、物凄く寂しがってはいたが、どうせ落ち合うといって無理やり納得させた。 「とりあえず干し肉と果物と菓子。」 「菓子!?ピクニックではないのだぞ!」 「ばっかやろ、ナナシのために決まってんだろ!」 「ぐう、なら仕方ない…」 ナナシはお菓子なくてもいいようと言おうとしたが、なんだか意気投合をしているようだったので大人しくすることにした。エルマーやレイガンのように、装備を確認するようなことはない。ナナシはのんきにポシェットを肩からかけると、どんぐりに埋もれるようにして転がっていたルキーノの結晶を手に取った。 ーよかった。おいていかれたらどうしようと思ってました… 「へーき、ルキーノは、ナナシがまもるねえ」 ーふふ、お願い致します。なんとも贅沢な護衛ですね。 ナナシがむんっとやる気を見せる。チュニックの裾でこしこしと結晶を磨いてやると、再び鞄の中にしまった。ナナシがいれる、大切な物入れだ。どんぐりと、たまにお花を入れるそこに、いまはとても大切なものが入っている。ナナシが気合を入れるのも当たり前だった。 「おーし、ナナシー!」 「はぁい!」 支度の終えたレイガンとエルマーがナナシを呼ぶ。 ルキーノの入ったカバンを抱きしめると、ナナシは一歩踏み出した。

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