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ーあのぅ、大変恐縮なのですが…
「あ?」
レイガンとエルマーでナナシを挟むようにして歩く中、そんな気弱な声がナナシのポシェットから聞こえてきた。ルキーノである。
ーええと、…もしかしたら、もしかしたらなんですけど…市井に衛兵が散らばっている可能性があるかなと…
「む、言われてみればたしかに。」
レイガンがルキーノの言い分になるほどと言うと、エルマーは出鼻をくじかれたように足を止めた。
言いたいことはわかる。たしかに、市井の様子はいつもと変わらなくても、私服に身を包んだ衛兵が目を光らせている可能性があったのだ。
となれば、エルマーもレイガンの見た目からしても如何にもな輩感である。ちょっとお兄さん何してるんですかなんて言われて買い物ですと答えても、恐らく質問攻めに合いそうだ。
「ルキーノからみて、俺らはそんなにやべえか?」
ーやばいというよりかは…少々治安がよろしくないかと…すみません…
「エルマーは特に凄むと顔面の治安が悪いからな。」
「いやお前も言われてんだわ。」
ナナシは、うーんという顔で悩んだあと、はっとした。
「ナナシも、おかおこわくしたらいいのう?」
「いや、ナナシはならないだろ。」
「やてみる?」
レイガンの顔を見上げてこてりと首を傾げた。やてみる。と言われても…と見つめていると、はたと気づく。
「あ?まて、お前…魔力は?」
「う?」
レイガンはナナシをこんなに近くで見ているのに。魔力に充てられることもない。仮面越しに見るのが精一杯だったはずなのに、一体どういうからくりだとまじまじとみると、ナナシが照れたように頬を染める。
「んと、…しまった…」
「しまう…?」
レイガンがナナシの言っている意味を測りかねていると、エルマーの手がにゅっと出てきてナナシを抱き寄せた。
「見すぎ。減るだろ。」
「おまえ…本当に大人気ないな…」
レイガンがナナシに近づいたのを良しとしなかったらしい。引きつり笑みを浮かべながら、大人気ないエルマーを見ると、なんとも不遜な態度で見下ろしてくる。少しばかし自分より年上で、背も高い。レイガンはムッとしたまま見つめると、二人の雰囲気にはっとしたのか、ナナシがぺちんとエルマーの腕を叩いた。
「える!いまレイガンなにもわるいことしてない、えるがおこるのなにもないでしょう?」
「…だって、」
「だって、いわない。えるはレイガンよりもおにいちゃんだよう?」
「ぐっ」
プンスコと、諭すようにナナシが言う。レイガンは言いくるめられたエルマーに、子が生まれたら尻に敷かれる未来を想像した。いいぞナナシ、その調子でこの我欲の塊のような男を調教してやれ。
レイガンは勝ち誇った笑みでエルマーを見上げると、ポシェットの中のルキーノが、呆れたような声色で言った。
ーそれで、どうしますか?
「べつに、普通にしてりゃあいいだろ。何も悪いことしてねンだし?」
「まあ、そのときになったら考えるか…」
ーなんとマイペースな…いや、いいのです。僕がとやかくいうことではありませんね…
ナナシがポシェットの蓋を開けてルキーノを見ると、結晶の中でゆらゆらと揺れている。よほど不安なのだろう。可哀想だとは思うが、エルマーは基本的に言うことを聞かない事を知っているので、ナナシは慰め程度にはその側面を撫でてやる。
結局、ルキーノの忠告は聞くには聞いたが、顔の治安だけはどうにもならない。エルマーはしぶしぶ、せめて怪しくならないようにと髪を全てひっつめにまとめるだけはしたが。
ちなみに、エルマーのその髪型が好きなナナシは喜んだ。ぶんぶんと尾を振るので砂埃は全てレイガンにふりかかりはしたが。結局強い魔力をしまったと言っていたので、耳と尾もしまえと言ったのだが、どうやらそちらはそちらでうまくできなかったらしい。
やるにはやってみたが、結局それまでしまうとナナシは集中しすぎて無言になるし、まあ、元来不器用なナナシは集中もあまり持たなかった。
「うぉえっ、」
なので集中が切れたナナシが耳と尾を再び出したらレイガンが吐いた。飛んでいた蝶々に気を取られたナナシが、ふわあ…!と、目を輝かせたためである。
なんともしょうもない理由で、漏れ出た魔力で充てられたらしい。
「…まあ、獣人いるしな。うん、可愛いからいいか。」
「はわ…レイガンごめん…」
「ぐ…軟弱で…すまない…」
さすさすと背中をさすってやるエルマーの手が優しい。レイガンは恐る恐るナナシを振り向くと、耳と尾をしょげさせながらおちこんでいた。まあ、出るもん出てれば問題はないのである。
とまあこんな具合でなんともまったりとしたスタートだ。エルマー達は買うものも決めていたので、エルマーはナナシと手を繋ぎ、レイガンは荷物持ちのような具合で店の連なる通りを歩く。
やはり崩御の一報は、市井にはまだ広まってないらしい。
エルマーはナナシに手を引かれながら果物やらお花屋さんやら、パン屋さん、はてはひもの屋まで連れ回されながら適当に買っている。
ナナシが気になるものを片っ端から買っていく。
「いや、たしかに必要物資なんだが…黒蜥蜴…いるか?」
「おやつ」
「エルマー‥普段ナナシになにを食わしている…」
「いや流石にそのままでは食わねえ。」
「調理の話をしているんじゃないんだ俺は!」
レイガンは、この美しい生き物が意外と雑食だと言うのを、ここ数日で知った。好きなものよりも、食べられないものを教えてもらったほうが早いくらいには雑食だ。
今もにこにこしながら棒に刺さった乾燥した黒蜥蜴をもぐもぐ食べている。信じられない目で見ている店の親父とレイガンは、間違いなく心は通じ合っていた。
「お、お嬢ちゃん…それ、煎じ薬とか、錬金とか、調薬につかうもんなんだぜ…?」
「んえ、…おいしいよう?」
「ま、まあ…体にいいもんだから…構わねえんだけどよ…」
ナナシが食べかけの黒蜥蜴をエルマーの口元に運ぶ。先程そのままでは食べないといっていた癖に、なんの戸惑いもなくそのままいった。
「うえっ、食うのか…」
「える、おいし?」
「………………おいしい」
ーいや、やせ我慢されてますね。
男は度胸というが、エルマーの場合はナナシに対してノーがない。相当不味いのか、見たこともないくらい情けない顔をして咀嚼している。
ナナシはふりふりと尾を振りながら嬉しそうだが。
「あー‥、甘いもん買おう。砂糖でもいい。」
ー余程苦かったんですね
「あ、ああ…」
レイガンは親父に紐でまとめてもらった黒蜥蜴を受け取ると、少し老けたような顔をしているエルマーを少しだけ尊敬した。
「う?」
にわかに通りが騒がしくなる。ナナシの大きな耳がピンと立ち上がり、音のする方向を見据える。レイガンはエルマーのインベントリの中に買ったものを勝手に詰めると、そっと腰に刺している得物の確認をした。
「エルマー、」
「大丈夫だ。」
ナナシが警戒していない。エルマーはそう言うと、騒ぎに気づいた親父が通りを覗き込んでため息を吐いた。
「ああ、またか…お嬢ちゃんつれてあんたらも早く行ったほうがいい。最近とある貴族の坊っちゃんが、市井での嫁探しに勤しんでてなあ。」
「なんだそれ、お見合いじゃだめなのか。」
「だめだめ!なんでも、写真を加工しすぎてことごとく失敗してんだと。顔がいい子が好きだからよう、狙われねえうちにいきな。」
「おう、そうさせてもらうわ。レイガン、いくぞ!」
エルマーは触らぬ神に祟りなしと、インぺントリを背負う。レイガンはレイガンで、珍妙な貴族も居るのだなあと少しだけ呆れた。
ナナシはというと、呑気に飛んでいた蝶々の方にフラフラ行きかけていたのを、エルマーが手を握りしめて軌道修正していたのであった。
そして、三人があまり危機感もなく物資の補給に勤しんでいる一方で、サジたちは少々苦戦を強いられていた。
「なあああんで肝心の月夜草がないのだあ!!あれがなきゃポーションだって作れぬ!」
「月夜草?」
「食ってもよし、塗ってもよしの万能薬草である。夜になれば他の草と違って花をつけるから、採取は初心者でもできる。」
「ほう、そんなに簡単なら出回っていそうだが…」
サジによってつのられているギルドの素材屋の親父は、居心地悪そうに頭をかいた。
「それがよう、初心者も積極的にワンランク上の依頼を受けちまうから、最近はこの採取依頼は人気がねえんだ。」
親父が言うには、以前ここを訪れた赤毛の浮浪者のような男が、見たこともないような魔物の素材を取り出したことがきっかけだった。
子連れのそいつは手練の雰囲気は全く無く、ランクも聞けばFだという。最下位ランクのそいつがドサドサだした素材はこのへんじゃお目にかかれないものばかりで、それをひけらかすでもなく淡々と金に換える姿を見た若いランクの者たちが、なにそれかっこいい。となったらしい。
「エルマーだな。」
「エルマーーー!!!おまえのせいかああ!!」
「うわ、なんだあんたらの知り合い?ならランクを適正なのに上げてくれって言ってくれんか!こういうことが起きるから困っちまうんだあ。」
まあ、ランクよりも上の依頼も、自身のランクより一段階上のものまでしか選べないので、今の所危険な目に合うものは少ないらしいが。
「月夜草もきっと伸び放題だろうよ、まあエグみがあるから生で食うやつはいないだろうが…」
煎じてポーションにするまでの講義も出るものもいない。みんな初心者は喜々としてゴブリン討伐にでているらしい。まあ、殆どはボコボコにされるらしいが。
「ゴブリンの耳なら腐るほどあるぞ。買ってくか?」
「要らぬ!あんなもん草の栄養にもならぬ!なあ、ならば種はないか?月夜草の種があれば自家栽培する。」
「種?種ならあるぜ。ほら、これ一袋で銅貨一枚でどうだ。」
「買った。」
野生でしか育たない月夜草の種など、味をつけて酒のアテにするものが多いのだ。サジは飲み屋などでよく売られているのを見ていたので、なんともったいないことをすると常々おもっていた。
「アロンダート、財布。」
「僕は財布ではない。」
といいつつも、自らの財布から硬貨を払う当たり、たいがいアロンダートもサジには甘かった。親父は第二王子と同じ名前だとからかったが、まさか本物とは思っていないようだった。
受け取った種子は、サジのローブの中にしまい込む。これさえあればどっさり取れる。自家栽培最高とご機嫌に受け取ると、バァン!と大きな音を立ててギルドの扉が開かれた。
「む?」
「うわっ、なんだ…」
乱暴なものも多いので、そこまで驚くこともないのだが、こんな昼間っから荒れている輩は不届きものが多い。サジは面倒臭そうに入口をみると、金髪を内巻きにした貴族の風体の男が、口をあんぐりとあけてサジをみていた。
「あ、あーーー!!!いたーーー!!!」
「やかましい!!なんなのだ不躾に!!」
びしりと指を差され、むすくれサジが横柄に怒鳴り返す。アロンダートは頭が痛そうに額を抑えるが、ちらりとみた貴族の男に見覚えがあり、慌てて顔を背けた。バサリとフードを被って顔を背けたアロンダートの様子にサジがきょとんとすると、アロンダートは口元に指を立てて静かにと合図した。
「僕のバーントシェンナ!!やっと見つけた!!君のその美しいスピカの瞳は、僕を捉えて離さない!!ひと目見たときから好きでした結婚してください!!!」
「うええ!!」
それはもう見事なスピード感でスライディングプロポーズをした貴族の男の手には、それはもう大きなダイアモンドのリングが刺さっていた。
サジは、あまりの唐突さに慌てて一歩下がると、アロンダートにすがりついた。
「結婚だとう!?!?サジはお前なんか知らん!!顔のいい男以外声をかけるな!!散れ!!」
「サジ、彼は外交官の一人息子だ。フローレンスギルバート、覚えていないか?夜会で一緒だっただろう。」
サジはアロンダートの腕に抱きつきながら、耳元で囁かれた言葉に、面倒臭そうに顔を歪めた。そうだった。そういえばいたような気がする。直接話したこともないくせに、一目惚れなどとはた迷惑なことを言われるとは、サジは舌打ちをすると男の真横を通り抜けた。もちろん、アロンダートも連れて。
「ま、まってくれ!!君が不服なら、身を引いてもいい!!だが君には妹君がいただろう!?彼女にこのおもいを届けてはくれまいか!!」
「はああ!?なんという失礼なやつ!!変わり身早すぎるだろう、だから貴様は童貞なのだ!!だれがナナシを紹介するかぶわああか!!」
「サジ、こんなやつにナナシの名を教えることはないだろう。もういい、いこう。」
「僕は、童貞ではない!!あのナナという可憐な美少女と契ることができるはずだっ、ま、待て!!まだ話は終わってない!!」
ぎゃあぎゃあとやかましいやりとりは、ギルドを出てからも続く。アロンダートとサジの周りをウロウロしながら、ギルバートは指輪片手に自分のプレゼンをしているが、そんなの聞く耳を持つわけもない。アロンダートもアロンダートで、サジを軽視するような物言いに苛立ちは募っていた。
「決闘だ!!やはり僕は、あの赤毛の男に決闘を申し込む!!バーントシェンナ!!取り持ってくれ!!」
「サジはそんな変な名前ではないわ!!」
いい加減たしなめてやろうかと不機嫌なアロンダートが男に振り向く。突然大人しかったフードの男がずいっと近付いてくるものだから、ギルバートは思わずアロンダートが近づいた分だけ一歩下がるはめになった。これは、ビビったのではない。適切な距離を保っているのだと心に言い聞かせて。
「君は、随分と不躾な物言いをするのだな。先程愛を差し出した口で別の想い人との仲を取りもてと?悪いがそのような浅はかな男に、僕のサジは渡せないな。」
淡々と言う声は、抑揚も少なく心底苛ついていますといった具合だ。褐色の肌がちらつき、そのマントの下には逞しい体が隠されているのは一目瞭然だった。
決闘ときいて、ちらほらと市井にいた人たちが野次馬をしに来る。二人の周りは、気がつけば好奇心に満ちたいくつもの目が向けられていた。
「アロンダート、アロンダート目立っている!」
「む、僕としたことが…」
「アロンダート…?」
気圧されていた筈の男が、サジの呼んだ名前に反応する。アロンダートとは、死んだ第二王子の名前だからだ。ハッとした顔でサジが口を手で覆う。しまったという具合である。その時、アロンダートの鋭い聴覚が聞き覚えのある声を拾った。
「ナナシー!!」
突然ぽひゅんと現れたギンイロが、ぶんぶんと尾を振りながら声のする方へすっ飛んでいった。サジはこれ幸いとばかりに、びしりと奥を指さして大袈裟に言う。
「いたあー!!赤毛の男っ!!」
少々のどよめきと共に、ギルバートも慌ててそちらを振り向く。目線の先には、ぽかんとしたエルマーとレイガン、そしてギンイロに頬擦りされている大層な美人がそこにいた。
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