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なんでこうなった。エルマーは、突然サジからの唐突なキラーパスを、それも構えるような時間すら与えられずにぶん投げられた。 物理的に飛んできたギンイロはというと、今はナナシの腕の中でなんともご機嫌に尾っぽを振っている。ざっくりではあるが、作戦会議だってしたのになあ。と、そんなことを思った。   「赤毛!貴様は…ああ⁉︎なんと可憐な…」   突然雄叫びを上げながらエルマーたちの前まで走り寄ってきた謎の貴族に、ナナシは怯えたようにエルマーの後ろに隠れる。 鬼気迫る表情がよほど怖かったらしい。赤毛と呼ばれたエルマーは、現実逃避もそこそこに、金髪の背後にいるサジを見て覚えていろよという目線だけは忘れずに送った。   「エルマー、なんだこいつは。知り合いか?」 「こんな不届きもの知るかってんだ。」 「君、ナナともあろう可憐なお方がありながら、また別のお嬢様とお近づきになっているだと⁉︎こんなことが許されるとお思いか‼︎」 「ナナシのおはなし…?」 「馬鹿、下がってろって。」   見知らぬ金髪に名前を呼ばれた気がして、ひょこりと顔を出す。金色の二つの宝石を男に向けながら、大きなお耳でお話を聞いていたナナシは、エルマーの背後から恐々と反応した。   「な…き、君があの時の…?いや、そうなのだな…あの夜会での君は仮初の姿……大丈夫、僕はき」 「うるせえなあ…俺はお前に用はねえからどっか消えてくれや。」   ほじり、と小指で耳の穴を弄りながらエルマーは辟易とした顔で言った。ナナシはレイガンによって、変な人だから目を合わせないようにといった往来でのお約束ごとを再確認させられており、遅れてきた元凶のサジたちも、集まりつつある野次馬を散らしながら合流した。   「決闘だ!赤毛、彼女をかけて僕と勝負しろ‼︎」   男はエルマーの態度にひどく憤慨した様子だった。サジたちによって一時は散り始めた人ごみも、そんな事を言うもんだから再び集まってくる。エルマーは男の自己顕示欲に巻き込まれたのだと察すると、不機嫌そうに顔を歪めた。例にも漏れず、ルキーノが言っていた治安の悪い顔で。   「える、けんかするのう?いたいのやだよう…」 「おい金髪。ナナシが喧嘩は嫌だってよ。ここは潔く身を引いてくんねえかなあ。」 「潔く身を引くのは貴様だ赤毛‼︎貴様は彼女との甘やかなひと時を邪魔したこと、僕は忘れていないぞ‼︎」   あの夜会で感覚共有をした時のことを、しっかりと覚えているようだった。要するに、ヤれなかったからムカつくということらしい。感覚共有をしたのはエルマーの方なのに、なんだかその決闘の申し込み理由も含めて苛立ちを覚える。   「僕は貴様に勝ち、彼女を妻とする。痛い目に遭う前に逃げても構わないぞ。」 「妻あああああああ⁉︎」   金髪の言い草に、頭が痛そうな顔をしたのはアロンダートとレイガンだ。このパーティできちんと人の感情の機微を察することができる理性的な二人だけは、今の言葉のせいでエルマーの導火線に火がついたことを悟った。   「やばい、ナナシ止めろ。エルマーを止めろ。」 「はわ…え、える…けんかだめ!いたいのやだでしょう?」 「僕の可愛いナナ。すまない、男には時に、引けない戦いというものがあるのだよ…」   なんだか面白そうだぞ、どうやら女を賭けての争いらしい。賭けられる女はどこだ、ああ、あの別嬪さんかい。 野次馬からのからかいまじりの話し声に、ナナシはびくりと体を跳ねさせる。怖い、一体なんだというのだ。レイガンが守るように好奇心混じりの視線からナナシを遮るように立つと、小さく舌打ちをした。   エルマーはというと、チラリとあたりを見渡した。早く片をつけないと衛兵が飛んでくるだろう。金髪の男が勢いよく腰に挿した華美な鞘から剣を抜こうとした瞬間、エルマーは男の手を蹴り上げて阻止した。   「往来でそんな物騒なもん抜くんじゃねえ‼︎」 「いっ…‼︎」   ばきりと鈍い音を立てて、男の手が反動で振り上げられた。ジン…とした骨に響くような鈍痛の後、カッとした熱が手首を包む。 エルマーの反撃に、驚いたのはサジだった。今までのエルマーだったら、先手必勝で一発で沈めて終わりというパターンが多かったからだ。しかし、今回はあくまでも正当防衛の範囲内での攻撃のみだ。 ガキくさいステゴロの一発をお見舞いするでもなく、きちんと周りに対する配慮も考えたものだった。なんだどうした、まさかそういう配慮ができるようになったとは。 サジは少々意外に思ったのだが、やはりエルマーはエルマーだった。 そう、この野次馬の中にはご婦人方も混ざっていたのである。 「馬鹿野郎、人のもんに手ぇ出そうとしやがって…、てめえみてえな勘違い野郎にやるわけねえだろうが…。」   エルマーが、そんなセリフじみたことを言い出したので、あ、なんか違うなと思ったのである。   「人のもん…だと⁉︎ナナが君のものという証拠は、どこにもないだろう‼︎」 「腹ん中にあるよ。俺のいっとう大切なもんがな。」   エルマーの言葉に、レイガンもサジもアロンダートも唇を噛み締めた。その場にいたご婦人方の、まるでメロドラマ調の感傷的な演劇のワンシーンを見るかのような、そんな甘い吐息が漏れてしまうかのような、それはもう整った顔面を盛大に駆使したエルマーの計算されたキメ顔に、三人は吹き出さないようにと必死だったためだ。 エルマーはずる賢い。この瞬間、この場にいたご婦人方を味方につけることで、自分の立場を有利なものに変えたのだ。   「な…、は、孕んでいる…だと…」 「ナナの腹ん中には、俺の子供がいる。ナナにも子供にも、もう恥じねえようにしようって決めたんだ。だから、絡むんじゃねえよ。放っておいてくれ。」   背後に隠れていたナナシに体を向けると、そっと抱きよせた。顔のいい男が、歳の離れた恋人に触れる手は酷く優しい。ご婦人方は悟った。ああ、この男はやんちゃそうな見た目にそぐわぬ輩だったのだろう。それを、恋人のために自身の生き様まで変えてしまえるほど、年下の恋人を愛してしまっただなんて、と。    「える…?」   ナナシは、こんな往来で抱きしめられると思わなかったのか、頬を染めながら顔を見上げた。銀色の美しい耳をヘニョりとさげ、照れているのに尾は揺れている。恥ずかしいけど、嬉しいのだ。 ああ、種族を超えた先の愛。それのなんと美しいことか。辿々しい口調で名を呼ぶ恋人の美しい顔に、ご婦人方は思った。演劇の山場のようなシーンが、今目の前に繰り広げられている。劇なんかではない、作り物ではない真実の愛が、確かにそこにあるのだと。  「そ、それは…本当に君の子か…?」   そして、金髪の男は発言を誤ってしまった。感覚共有の弊害か、ありもしない現実に取り憑かれてここまできてしまったのだ。当然童貞だし、感覚共有で挿入してすらいないのだが、男は現実を受け止めてられなかったのだ。   「…ギルバート…てめえ、本気で」 「なんで、そんなひどいこと言うのう…」 あ、名前覚えてたんだとアロンダートが思った後、ひどく悲しそうな声でナナシが口を開いた。 まさかこんな場面でナナシが前に出てくるだなんて思わない。三人はもちろんだが、何よりも一番驚いたのはエルマーだった。   「ナナシ…?」 「な、ナナシが…えるのあかちゃんほしいようって…いったの…に、…っ」 「な、」 「なんで…そんなひどいこと…いう、のう…っ、ひう、ぅー…っ」   ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、ついにはえぐえぐと泣き出す。それくらいギルバートの言葉に傷ついたのだ。 エルマーの胸に顔を埋める拙い言葉の美しい恋人に、次に胸を打たれたのは野次馬で冷やかしていた男たちだった。   もし自分が、あんな美しい人に、あなたの子供が欲しいと強請られたら…。そして、孕んだことが嬉しいとばかりに微笑みかけられたら…。 自分だったら堪らない。連れの男の言い草からして、おそらく相当やんちゃだったのだろう。それをそばでずっと見てきたであろう美しい恋人は、おそらく苦労してきたに違いない。   「え、えるの…こと…いじめ、ないで…え、…っ…」 「ナナシ…こんくらい構わねえって…泣くな、怖くねえから、」 「ひぅ、あー…っ…える、やだぁ…っ…」   その華奢な身をキツく抱きしめているエルマーを、男たちは自分に重ね、そして美しい恋人が美貌の男に抱きしめられている姿を、ご婦人方は自分に重ねた。 この場の形勢は、紛れもなくエルマー一派に軍配が上がった。 サジもアロンダートもレイガンも、笑いを堪えるのに必死だった。身を震わせ、そして涙を堪えるように口元を覆う。エルマーの連れも、ただひたすらに顔がいい。大衆は勝手に、こいつらも苦労を共有したのだなと信じてやまなかった。   髭面の、顔に年輪を深く刻んだ大男は、まるでエルマーたちを庇うかのように歩み出て言った。   「にいちゃんよ…愛し合ってる若いもんを引き剥がすってぇのは野暮ってもんだぜ。」   恰幅のいい女将は、その豊満な胸を突き出すようにしながら、髭面の男に並ぶ。この二人は他人だ、しかし、いたいけな恋人達を守るという強い意志の上では、確かに二人は同志だった。   「前からあんたのことは気に食わなかったんだ!どこぞのお貴族様だか知らないがね、あんた金があるからって人を選り好みできるようなツラかい‼︎笑わせんじゃないよ‼︎」 「なっ…ご婦人!なんという失礼な物言い!」 「失礼はどこのどいつだぁ坊主、喧嘩売っておきながら往来で物騒なもん抜くとは、ここは貴族街じゃねえんだぞ。市井には市井の喧嘩のやり方ってやつがあんだよ。男なら拳で語りやがれってんだ。」 「親爺っさん…女将さん…」   あんたら誰だ…。 エルマーはそう思った。しかし、この城下の顔役のような体格の二人が味方についてくれるのなら有り難い。ナナシも突然の参戦者にキョトンとした顔である。エルマーの戸惑い混じりの声色に、いいって事よと背中で語った親父は、その太増しい筋肉質な二の腕を晒すように袖を捲り上げる。   「ほら、あんたたちはもう行っちまいな、ここはパン屋の親父に任せときゃあいいよ。ね?」   女将さんが泣いているナナシの背中を優しくさすってやる。くすんと鼻を鳴らしたナナシがノロノロと顔を上げて涙目で見上げると、母性本能を刺激されたらしい。微かに頬を染めた。   「女将さん、いいのか…任せちまっても、」 「若いもんが、遠慮すんじゃないよ。かわいい恋人じゃないか…幸せになんな。」 「っ…ありがとう…。」 「おやまあ…!」   こっちの都合通りに動いてくれて、という本音を隠し、エルマーはその整った顔で不器用に笑うと、がしりと力強く手を握りしめた。 女将さんは若い男の強い力で握られた己の手を見て、自分が若くなったような気さえした。その笑顔すら、計算され尽くした物だとは知らずにである。 ナナシもフリフリと尾を振って頬を染めるものだから、思わず頭を撫でてしまう。図らずとも素直なナナシの様子が、信憑性を高める結果となった。   周りの大衆も、気づけばエルマーたちの前に出ていた。サジは白い目でエルマーを見ながら、人身掌握術は他の追随を許さないエルマーに若干引いていた。   エルマーはキレッキレの角度で腰を九十度に折り、感謝のお辞儀をする。ナナシは涙目のままバイバイと手を振った。 それをしっかり頷くことで受け止めた親父とその一派は、エルマー達を肉の壁で守ると、ギルバートが追えないように立ち塞がる。 さて、ここからさきは、一歩も通さねえ。そう言わんばかりに、指の関節を鳴らしながら。   「さて、市井のルールってぇもんを、てめえに教えてやらんとなあ…?」   エルマーは背後で聞こえるギルバートの悲鳴を聴きながら、ナナシを抱き上げると逃げるが勝ちとばかりに全力疾走だ。だって歩いて逃げるのは最高に締まらないだろう。 裏路地に差し掛かったあたりでポヒュンと音を立ててギンイロが本性を出す。ここで飛ぶつもりらしい。   「あー、楽に終わってよかったあ。しかも人目ねえじゃん、さっさとのれサジ。」 「ドン引きである。まじで、ちょっとばかし感心したサジの清らかな心を返せ。慰謝料として大金貨一枚。」 「やかましいわ。ほら、もうちっと詰めろ。アロンダートも後ろから落っこちねえようにな。」 「詐欺師もかくやと言わんばかりだったな、エルマー。非常に楽しかった。」 「おーおー、そらよかった。ほらいけ!」   二人が乗ったのを確認すると、ギンイロの尻を叩いて合図を送る。ギャインと情けない声を上げるほど、力強く叩きすぎたらしい。ギンイロは恨めしそうにエルマーを見た後、空を駆け上がるようにして飛び上がる。そしてその身をスッと徐々に透かして、やがて見えなくなった。 エルマーは手で庇を作るようにして見送ると、背中に額をくっつけてきたナナシの腰を抱く。 今ならいいかなと空気を読んだルキーノが声をかけてきたのも、そのタイミングだった。 ーあのぅ、孕まれているというのは… 「んあ、まじ。」 ーえぇ!御使い様は女性体でいらっしゃるのですか⁉︎ 「いや、ちげえけど。」 ーなるほど…願いを叶える龍だから…かもですね…。   孕んでいることを知らなかったらしい。ルキーノは感慨深そうに頷いているようだが、エルマーはその言葉に僅かに頬を染めた。 よくよく考えてみれば、エルマーはナナシに孕ましたいと言ったことがあったのだ。今更それを思い出すが、言わなくてもいいだろうと反応するのをやめた。 しかし言っていなかったのは失念していた。確かにルキーノはずっとナナシのポシェットの中で、しかもエルマーが盛るせいでレイガンがあられもない声は聞かせられないと気を使って預かっていたのだ。まあ、それ以前に察したルキーノから一緒に寝てくださいとお願いをされたらしいが。 ーだとしたら、尚更兄にはバレないようにしなくては…、何をされるか分かりません…。 「させねえよ。」   すり、と甘えるナナシの額に口付けると、ルキーノが照れたように揺らぐ。   「誰にもやらねえ、ナナシの全部は、俺のだからな。」   先程の三文芝居とは違う。真っ直ぐにナナシを見つめて言う。エルマーは薄っぺらい愛は囁かない、ナナシはこうしてエルマーと視線を合わせることが愛だと思っている。言葉よりも雄弁なエルマーの瞳に、尾を振るナナシがペショリとエルマーの唇を舐めた。   二人の間には、確かな深い繋がりがある。 レイガンは、こっちの方がさっきよりもずっといい男だと思う。悔しいから、口には出してやらないが。

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