92 / 163
91
「レイガン!そっち行った!!」
「見えている。」
軽い足取りで、レイガンが木立から飛び降りる。ガントレット型のニードルガンで飛び出してきた巨大な虫型の魔物を威嚇射撃をしたけれど。硬質な殻を纏うコックローチだ。それ以上木をなぎ倒してナナシたちに当たらないようにするために、足止めがわりの攻撃である。
アロンダートが転化して攻撃をするのが早いのだが、今はサジが真っ青になってしがみついて離れない。
ドリアズへと向かう途中で姿を表したそれのあまりの気持ち悪さに、虫嫌いなサジが悲鳴を上げたせいで戦闘とあいなったわけである。
「ぎゃあ!まじできもい!!サジは節足系だけはごめんである!!早く燃やしてくれ!」
「俺炎属性もってねえ、し!」
「残念、俺もだ。」
「僕が行きたいが、まあむりだなあ」
アロンダートはのんきにサジの腰を抱きしめながらにこにこだ。男として、好きな子に頼られるのはやはり嬉しい。しわ寄せはエルマーたちに行くのだが。
レイガンの射出した毒針に怯んだのか、キシキシと音を立てながら方向転換を試みる。しかしその巨体は木々を薙ぎ倒して現れたせいか、随分と大振りな動きだ。その平たく硬い体がごそりと蠢き変えた進行方向には、ナナシがいたのである。
「ナナシ、」
舌打ちをしたエルマーが、大顎を開いて素早く動き出したコックローチの後ろ足を切断する。緑色の体液を噴出しながらも、弱そうなものへと襲い掛かろうとした瞬間だった。
「サジこわがる、だめ!」
ぐわん、と金属が思い切り叩きつけられるかのような反響音があたりに響いた。エルマーは目を丸くし、レイガンも呆気にとられた顔でナナシを見た。
一体何が起きたのか、その頭部と節の部分の隙間を埋めるように体に顔を埋めて絶命するほどの衝撃だ。
慌ててエルマーがその身体を避けてナナシの元に駆け寄ると、ムスッとした顔で両手を前に突き出していた。
「むし、ナナシはきらいじゃないけど、サジこわがらすこはきらい。」
「お、おうふ…」
余程硬い結界を張ったのだろう、薄白いその結界をエルマーがノックをするように叩くと、コンコンという硬い板のような感触がした。なるほど、首と体を繋ぐ節は柔らかい。それを無理やり押し込むことで倒したらしい。まあ、魔物を見るとよほどのスピードで襲いかかったのだろう、体に顔がめり込んだのが死因だったようだ。
「ナナシ、怪我は!?」
「ないよう、サジまもった!」
「ナナシいいいいよくやったああ!!おっと、エルマーもレイガンもサジに近寄るな!体液浴びてるかもしれんからなあ!」
がばちょとナナシを抱きしめたサジが、そんなことを言う。確かに節足を切断したせいで鎌もレイガンの足もとも、ジェル状で緑色の体液が付着していて非常に臭う。
レイガンはちらりと魔物を見て、その衝撃に改めて寒イボを走らせると、両腕で体を抱きしめるようにして腕を擦った。
「ナナシだけは怒らせてはいかんな。」
普段おっとりとしている為に忘れてしまいがちだが、ナナシは特に予備動作もなく術を行使する。どんくさいのにずば抜けて術のセンスがいいのだ。
いまはサジに頬擦りをされてご機嫌だが、まあなんというか、人は見かけにはよらないということだ。
「おう、てかさっきの魔物ってここいらで出ねえだろう。なんでこんなとこにいるんだ。」
「しらん。とりあえず、ドリアズはもう目の前だろう。一先ず中に入らないか。?」
「いや、体液は落としたほうがいい。もしまた湧き出てきたら面倒だ。」
エルマーがぶぉんと音を立てて鎌を振る。びしゃりと木の幹に張り付いたそれは、そのまま重力に従って垂れるように幹を撫でる。レイガンはげんなりした顔で足元を見ると、土に擦り付けるようにして刮げる。ニアに水をかけられるのが一番手っ取り早いのだが、びしょびしょのままドリアズに入るのが嫌だったのだ。
「あ、」
今までおとなしく二人のやり取りを見ていたアロンダートが小さく声を上げる。なんだ?とエルマーが顔を上げると、ぽかんとした顔のアロンダートが口を開いた。
「ドリアズは、鍛冶屋が多いのか…?」
「あ?いや、爺さんとこだけだ。」
「…町の方向に煙が何本か上がっている。あれは、なんだ。」
「…ちょっとまて」
アロンダートが感知したのは、何が燃える匂いだった。指さした方向には、たしかに灰色や、ところによっては黒い色の煙が天に向かって伸びており、エルマーは空に狼煙のように上がるそれらを確認すると、目を見開いた。
「っ、まさか…!」
「おい、エルマー!?」
突然走り出したエルマーに、慌ててレイガンが追いかける。アロンダート達もそれに続くと、町へ近づくにつれて見えてきたのは魔物の死骸や崩れた家屋、そして炭のように燃え尽きた柱が無惨にも墓標のように地べたに突き刺さる姿だった。
風車だろうか、プロペラが折れ、それが飾られていたレンガ造りの塔のようなものも外壁が剥がれて今にも崩れそうだった。
あの、メルヘンチックな町並みはない。まるで砂の城を崩すかのような無邪気さで踏みつけたように平たく潰れた家屋がいくつも散見された。
「な、んだこれ…」
エルマーが絶句して、あたりを見渡す。あとから続いたレイガンやサジ、アロンダートはあまりの光景に眉間にシワを寄せ、そしてナナシは声すら出なかった。
「ア」
足元で、母音が墜ちる。ぽてりと軽い音を立てて、エルマーの真横にギンイロが歩み寄る。
「ア、アァ、ア」
「ギンイロ、」
「アア、マ、ママ…ママ…」
その緑色の美しい目玉を見開き、猫のような小さい体を震わしたギンイロは、今まで聞いたことのないような声を漏らし、フラフラと歩き出す。
エルマーは2度深呼吸をすると、ゆっくりとギンイロについて歩き出した。
町の具合は最悪だ。所々魔石のようなものが落ちている。なにか大型の魔物が、小型のものを引き連れて通ったのだろうか。
ナナシは泣きそうになりながらエルマーに駆け寄ると、ぎゅうと腕に抱きついた。
「っ、える…じじんとこ、…」
「わかってる。ギンイロが案内してくれっからよ。」
ナナシは真っ直ぐ進むギンイロを見た。先程の取り乱したような様子と違い、いまは恐ろしいくらいに普通だ。ちこちこと四肢を動かし、まるで定められた場所に向かうように設定された絡繰だ。
「エルマー!」
アロンダートが後ろから叫ぶ。ピタリと歩みをとめると、瓦礫の中からうめき声がした。
「生存者か!?」
「おそらく。エルマー、僕たちはこの当たりを探してみる。君は、ギンイロのほうにいけ。」
「…いいのか。」
「構わない。それに、一人じゃ心配だろう。」
ニアが体を大きくすると、がぶりと屋根に噛み付いた。どうやらレイガンもここに残ることにしたらしい。なるほど、たしかに治癒が使えるサジもいる。エルマーの方はナナシが治癒をつかえるので、分担するほうが効率がいい。
エルマーはアロンダートの提案に小さくうなずくと、ナナシに急かされるようにしてギンイロの後を追う。
アロンダートはその背が角を曲がる所まで見送ると、頭から血を流して這い出てきた男の横に跪いた。
「何があったか、聞いてもいいだろうか。」
「っ、あんた…皇国からきたのか…」
「ああ、ここに来たのは通り道だった。何があった。」
「わからねえ…、急に上から魔物が現れたんだ…」
男の体をずるりと引きずり出す。呻く男にサジが治癒を施しながら話を聞く。
突然現れた。男は掠れた声でそういった。なんの前触れもなく、本当にいつも通りの日常だったという。
町の広場で、母親の手から離れて走り出した小さな子供が、突然舞い降りてきた虫型の魔物に喰われた。目の前で見ていた母親が悲鳴を上げた瞬間、見たこともないような甲虫型のそれが、呼び寄せられるかのように小さな町に舞い降りてきたという。
「アロンダート、それって。」
「エルマーとレイガンがやり合ったあれないか…」
「ギルドはどうした。詰めていたものがいただろう?」
「あんた…ここ、どこだと思ってんだ…、っ…皇国みてえに、腕っぷしの強いやつが、いるか…っ…」
痛みに呻く男が、諦めたように笑う。ドリアズはちいさな町だ。ギルドはあるが、それも小さく平和な町柄からか、ランクの低いものしかいなったという。
解体屋とよばれるギルド職員が唯一ランクの高いものらしいが、その男たちもギルドを飛び出して行ったきり見当たらないという。
「他に、他に人は…」
「みんな、夕飯時だぞ…家にいるやつは、家屋の下だろう…、おれのカミさんも、きっと…」
「諦めるな、サジ達が探す。お前は一先ずギルドにいけ。足は直した。」
「俺がついていこう。サジ達が周りを探すなら、あとから合流する。」
「まだ残骸がいるかも知れん、気をつけろよ」
こういう場合はまず、落ち着いたらギルドに向かうことが多い。ギルドの地下にはシェルターがある。これは義務付けられているのだ。
家屋が倒壊しているなら、最悪の事態も考えられる。男は覇気なく頷くと、レイガンに付き添われてギルドに向かった。
「最悪だ。柔らかなベッドまでが遠いなあ、アロンダート。」
「虫の魔物を操るやつがいるのか。」
「言わずもがな、一人厄介なのがいる。」
サジは引きつり笑みを浮かべると、腕のあたりをギリリと握りしめた。
名前を剥奪された魔女。サジのように名前を与えられるものもいれば、剥奪されるものもいる。教えに背いた魔女は、堕ちたも同然だ。魔物よりたちが悪い。
「エルマーたちが無事だといいが、アロンダート。もし虫が現れたらとことん燃やせ。いいな」
「わかっている。サジは僕が守る、何も怖くないさ。」
アロンダートは小さく震えるサジを軽く抱きしめると、頭の飾り羽だけを現した。聴覚はすぐれている、これだけで町のどこに魔物がいるかはだいたいわかるのだ。
身体を離されたサジは錫杖型の杖を出し、偵察用の蜂を召喚すると、スッと手を振るようにして放った。
「蜂はいいのか?」
「蝶はだめだが蜂はいい。それに、偵察するならああいう形のほうが効率的だろう。」
「なるほど…見た目か…」
「それに、あれはサジが出したものだしな。」
自分の魔力で形作る分にはいい。そう言うと、トントンと杖の先で地面を叩いた瞬間、ざわりと円を書くようにしておびただしい数の蔓が地べたから這い上がり、次々と瓦礫を押し上げる。
こうしてアロンダートたちの周りにあった倒壊した家屋の下敷きになっていた数人が顕になると、サジたちは救出に向かう。
家屋はどれも柱が真ん中から折れ、押しつぶされた形で天井が崩落していた。見るに堪えない死者などもいたが、息のあるものは道端まで出し、まとめて歩けるまでサジが治癒をかけるの繰り返しだ。
「お前、動けるな?ならばお前の知り合いを回れ。蜂をつけるから、何かあればそいつを飛ばせ。」
「飛ばすったって、」
「いけといえばいい。サジたちはこの町に詳しくない。生きているものがいれば、ポーションを与えろ。数珠つなぎにいくぞ。いいな?」
「わ、わかった!うわ、本当に蜂だ…緑だけど…」
ブウンと羽音を響かせながら、助け出した青年の肩に止まる。緑色のそれはほのかな光を漏らしていた。
青年は、ジョシュというらしい。地下に入ったところ、崩落がおきたという。ほぼ無傷だった青年にポーションの入った袋を渡す。
「俺だって、冒険者だ。ランクは低いけど…やれることはやってみるよ。」
「死ぬなよ、ほらいけ!」
ジョシュは小さくうなずくと、蜂とともに駆け出した。この小さな町でほそぼそとランクを上げていた。まさかこんなことになるなんて思わなかったが、皇国から来たという二人組は明らかに手練だ。
魔物は怖いけど、助けてくれる人がいるなら話は別だ。
ジョシュは駆けた。共にランクを上げていた相棒に会いに行ったのだ。そいつの家に行って、それから他の人を助けに行こう。一人より二人だし、なによりポーションもある。
もしかしたら、これがきっかけで有名人になれるかもしれないという気持ちも微かにあった。
角を曲がる。この先に、相棒の家がある。あいつは腕っぷしが強い。だからきっと魔物が出てもなんとかなるとおもったのだ。
「ぁいぼ、っ…!」
通りから転がるようにして角を曲がると、ジョシュは目を見開いた。
頭から血を流して、相棒が瓦礫の下から這い出ようとしていたのだ。
その真上には、魔物がいた。
「っ…ジョシュ…!!こっちだ!!たすけ、っ」
「ま、まってろ…!!いますぐ、っ…」
ミシリと屋根がきしむ。まずい、このままだと相棒が。足が震える、ゆさゆさと長い触覚を揺らしながら、ぎこち無く屋根の上で方向を転換する。
そうだ、蜂。何かあれば、飛ばせと言っていた。
さっきもらったばかりなのに、もう飛ばすと言うのはなんとも格好がつかないが、四の五のは言えない。
ジョシュは慌てて蜂に助けを呼ぶように飛ばすと、自身は二人が来るまでの時間を、どうにか稼がなくてはならない。。
「もうすぐ、強いやつが来る!だから、がんばれ!」
「く、っ…こいつを、遠くへやってくれ!重いんだ…!」
「無、無理だよ!俺にはできっこない…!」
「死にたくない、死にたくないよジョシュ!」
悲鳴混じりに叫ぶ。ジョシュは拳を握った。窮地を助けられなくて、なにが相棒だ。必死で体を抜こうとする相棒を視界に入れながら、ジョシュは死角を捜して壁つたいに少しずつ相棒に近づいた。
ゆっくり、ゆっくり。
頭上の魔物に気づかれないようにゆっくりと。
「ジョシュ、」
「相棒、もうすこしだ。何か、棒みたいなのでそれを持ち上げるから、そうしたら這い出てきてくれ。」
「ジョシュ、ありがとう…でも、」
「しー!静かにしろって!ああ、これがいい。」
不安にさせてはいけない。安心するように微笑むと、手身近なところに落ちていた木の棒を引き寄せた。
ジョシュはそっと相棒の背を押さえつけていた大きな木の板を、テコの原理で動かすために棒を差し込んだ。
魔物は、後ろを向いている。触覚だけがピコピコと動いていた。
「ほら持ち上がった…!はやく…、」
「ありがとうジョシュ。」
カランと棒が手から離れる。さっきまで真っ直ぐに相棒を見つめていたのに、突然視界がぶれたのだ。
相棒の襟元から、見たこともない虫が一匹這い出てきた。
なんだコレ、と思ったときには、ジョシュの体はドサリと崩折れ、そして頭はころころと転がり棒切に当たって制止した。
ともだちにシェアしよう!